19 黄昏喫茶

1 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:34
19 黄昏喫茶
2 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:35
彼女はまるでいつも通りといったように飄々とこの場所へ現れた。
いでたちも相変わらず、上下ジャージ、おっさんサンダル。
ただ一つ違うのはこの店の雰囲気―――客が一人もいない店内は奇妙な静けさを保っていた。

「あれ、吉澤、どうしたの? もう来なくていいっていったじゃん」
「いや、片付け、店長一人じゃ大変かなと思って」
「ま、ね。 つーかもう店長じゃないけど。 ひょっとして手伝ってくれんの?」
「当たり前じゃないですか。 ……それに一応最期まで見届けようと思いまして。 この店にはずいぶんお世話になりましたし」
「そっか…そだね」

ぐるりと見渡した、もう客を迎え入れることのない店内。
せっせと慌ただしく動き回っていた昨日までがまるで夢のようだ。
いや、実際夢だったのかもしれない。
自分が好きな場所で仕事ができて、頑張りも認められて、たくさんの笑顔に出会えて―――そして夢はいつだって突然覚める。
あっけないほど、唐突に。
3 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:36
「何やりましょうか?」
「んー、でっかいものは午後に業者さんが来て持ってってくれるから……あ、じゃ、大棚のカップと食器、全部洗ってくれる?
 まだ使えそうなものは、使い回すんだってさ。ほんと、最後まで考えがあくどいよ、お上は」
「最後まで振り回されっぱなしですね、うちら」

その言葉に私たちはお互い顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
そして吉澤はやれやれといった様子でジャージの袖をまくって腕をぶんぶん振り回しながら厨房へと向かう。

「ま、お上の言うことは絶対ですからねー!」

精一杯の皮肉を込めた大声は静かすぎる店内に虚しく響いた。
4 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:37
確かに正直、最近の上のやることは到底納得できるもんじゃなかった。

ころころと変わるその場しのぎの経営方針。
ベテランスタッフの解雇。
優秀な人材は次々と他所に流れた。

言いたい事は山ほどあったけど、所詮、私は多々あるチェーン店のうちの一店舗、しがない叩き上げ店長にすぎない。
お上の言うことにゃ逆らえないし、一石を投じてみたってこの淀む大きな川の流れには何の影響も与えることは無いだろう。

それにしてもこの川は一体何処へ向かうのやら。
なんでもこれからは喫茶店部門から撤退して回転寿司をメインでやっていこうとしてるらしい。

“肉がダメな今、魚や。 儲かるでー♪”

そんなアホなことをのたまった本社のお偉いさんに即座に辞表を叩きつけてやったまでは良かったが、高校を辞めてまで飛び込んだこの世界。
流れからはずれてみて気がつくのは自分の無力さと、知らぬ間にずいぶんと遠くまで来てしまったということ。
おまけにずいぶん時間も流れた。

流されに流されて、うちあげられた川原。
けれど私は何処にも行く当てが無くて、体育座りしていじけて小石なんか投げてみたりしてるんだ。

それが今の私の現状。
5 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:39
永久就職でもしよっかなー、なんてテーブル拭きをしぼりながら考える。
いやいや、でも待て、肝心の相手がいないぞ。
この何年も、私の恋人はこの店と珈琲だけだった。
今もこの壁に染み付いた珈琲の香りを嗅ぐたびに一目惚れの瞬間を思い出すことができる―――

―――初めてこの店に訪れたとき、私は高校に入ったばかりで。
中学の頃から店の前を何回も通りかかってたけどなかなか入る勇気がなくて、高校入学を機にやっとで店のドアを開けることができた。

カランカランと鳴る、ドアに取り付けられた美しい鐘の音。
落ち着いた雰囲気の素敵な内装。
そしてなんといってもとびっきり美味しい珈琲。

とにかくこのお店のすべてにすっかり心奪われてしまった私は学校よりも長く居座るようになってしまった。
そんで気がついたらいつの間にやらこの店で働くようになっていて。
6 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:40
私は持てる時間すべてをこの店に費やしてがむしゃらに働いた。
どうしたらこのお店がもっと良くなるか、お客さんに喜んでもらえるかばかり考える毎日。
勉強もたくさんした。
珈琲の知識はもちろん、接客のなんたるか、内装はどうあるべきか、ひいてはマーケティングにいたるまで。

すべては『美味しい』の一言が聞きたくて。
私が愛するこのお店を、もっともっとたくさんの人に愛してもらいたくて。
そんな頑張りが認められて店長を任されることになって、はじめは戸惑ったけど、どーにかこーにか“らしく”なってきたかなぁって思えるようになって――――そんな矢先の閉店。

ま、最近じゃ客の回転率ばかりとやかくいわれて、私の愛したこの店のゆったりと流れる空気はもうどこにもない。
珈琲の質だってどんどん粗悪なものになっていって、とても自信を持ってお客さんに提供できてたわけじゃない。

けど。
それでも。
やっぱり。

「ちくしょー」

手にしていたテーブル拭きを思い切り叩きつけた。
力を込めた割には、ぽすっと力ない返事がかえってくるだけだった。

小石の代わりにもなりゃしない。
7 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:42
◇ 

ブロロロロ……

トラックは排気ガスを街に撒き散らしながら、すっかり傾いた太陽に向かって走り去っていった。
私と吉澤はすでにもぬけのからとなった店の壁に寄っ掛かりながらそれを見送った。

恥ずかしがりやな太陽が真っ赤な顔して街を見下ろしてる。
まるで美しい映画のエンディングのような光景。
ま、終わるのは映画じゃなくてこのお店なんだけど。
一服する彼女の煙もオレンジに染まっっていた。

「一本ちょーだい」
「…やめたんじゃなかったんですか」
「やめたのやめた」

そっと差し出された煙草を受け取るやいなや、すかさずジッポーの火が目の前でゆらゆらと揺れた。

ははっ、あんた、次の仕事はホストとか向いてるよ、きっと。

火の灯った煙草の先端が遥か彼方の夕陽と重なる。
どっちもうんざりするほどのオレンジ。
何もかもオレンジ色。
終わる色。
8 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:43
「吉澤、ずいぶん軽いの吸ってるんだね」
「…舌がバカになる前に止めろっていってたのは誰ですか」
「ふふっ、そだね。でも、もう終わり。おーしまい」

わざとらしく伸びをしながら上げた声は白々しく街路に響いた。
久し振りの煙草が美味しすぎて、私はついつい喋りすぎてしまう。

「終わるね、いろいろと。禁煙も終わっちゃったし、この店も終わるし、一日もこうして終わる。
 …きっと一生なんかもあっという間に終わっちゃうんだろうね」
「何言ってんですか。またすぐにぐるんと一周して朝がきますよ」
「…ほんと?」
「…ほんとですよ」
「…嘘だね」
9 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:44
呟きながら吐き出した煙が夕焼けに溶けていく。
こうしてぼーっと街を眺めるなんてほんとに久し振りのことで、せわしなく街を行き交う人の流れとか、
道路を走る色とりどりの車とか、ぽかんと浮かんだ雲の形とか、見るものすべてが新鮮に思えた。

なんだかずいぶん狭い世界で生きてきちゃったかなー。

もちろん後悔なんかしてるわけじゃないけど、今、目の前に広がる世界が広すぎて、今の今まで私はそんなこと全然気づかずにきてしまって。
ひょっとしたらってことを思う。
いろんな可能性をずいぶんとあっさり断ち切って選んだ道だけど、この仕事してなかったら今ごろ私は何をしているのだろう。
潰れたお店によっかかって煙草吸ってる私なんかよりは幸せに生きているのだろうか。
あ、こんなこと考えるってことは、やっぱ後悔してるってことか。

「…じゃあ」

不意に聞こえた吉澤の声に、私は思考を中断してそちらを見遣る。
10 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:45
「…じゃあ、ゲームしましょう、バカボンゲーム」
「…はっ、バカボン?」

素っ頓狂な声を上げてしまった私に、吉澤はクックッと笑みをもらした。

「そう。 バーカ♪」
「ボンボン?」
「西から昇った太陽が♪」
「…東に沈む」
「で、おなじみのバカボンです。そう、あれは夕陽なんかじゃありません。朝陽です。
 西から昇った太陽は東に沈むんです。そう思いこめたら勝ち」
「何それ」

そんな子供地味たことできるかい―――普段なら一笑に付すところだけど。
このままだと本当に何か終わっちゃう気がして。
私は吉澤にばれないように、すがるような思いで遠く揺れる夕陽に視線を合わせてみた。

あまりの眩しさに、少しだけ目が眩む。
瞬きをすると、グリーンのようなブルーのような残像が瞼の裏でちかちかと揺れた。

奇麗だ、と思って何度も目をぱちくりと繰り返してみた。
けれど照れ屋な夕陽は、私がそんなことをしてる間にも、ゆっくりゆっくりその綺麗なお顔を隠そうとしている。

せっかく誉めてあげてんのにさ、ほんとシャイなんだから。
何にもしないから行かないでおくれよ、バカー。
11 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:47
「ほら、なんだかちょいと太陽の位置がもち上がった気がしません?」
「…全然」

ってかどーしても視界に入ってくるおばさんの買い物袋の中身は、明らかに晩御飯の材料っぽいし。

「1cmも?」
「…まったく」

道を行く学生達は胸騒ぎのアフタースクールでおおはしゃぎって感じだし。

「1mmも?」
「…さっぱり」

お空じゃカラスが鳴くからかーえろって感じだし――――

「1ミクロンも?」
「…ダメだよ、こんなの全然ダメじゃん!」

燃え尽きた煙草の灰がぽろっとアスファルトの地面にこぼれ落ちた。

「あれはどう考えたって夕陽で、今に沈んで夜がやってきて、この店も終わって!
 私は一人で、行く場所も無くて、やることも無くて!
 そんな下らないこといわないでよ、バカ!」
12 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:48
目の前で沈み行く太陽がなぜだか、昨日お店から帰るときに閉じたシャッターの光景と重なって見えた。
ガラガラガラガラと音を立てて。
終わっていく。

こんな悲しすぎるシーン、とてもじゃないけど見ていることができずに私は顔を膝にうずめてしまった。

「…ごめん、吉澤。
 こんなことあんたに言ったってしょうがないよね…ごめん」

さよなら、太陽。
こんにちわ、夜さん。
きっと今まではお昼寝の間にみてた短い夢だったんだ。
慌てて目を覚ましてみたら、世界はもう残酷すぎるほどの暗闇。
長い長い夜の始まり、果てしなくどこまでも続く現実の始まり――――――

「ほら来ましたよ。朝陽さん」
13 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:49
ぽんと優しく肩に乗せられた手にかぶりを振る。

嘘だよ。
そんな慰め切なくなるだけだよ。
もうすっかり辺りは闇に包まれてるんだ。

「ほーら」

今度は頭に。
のけ払う。

「ほらってば!」

ちょっとムキになった吉澤が私の額をぐいと持ち上げた。

ちょ、止めてよ。
真っ暗な夜なんかみたくな――――あれ?

遠くに頼りなさげな光がぼんやりと見えた。
それはギャーギャーと賑やかな声と共にふらふら右に左によろめきながら近づいてくる。
14 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:50
「――――ってか三人乗りとか無理だから!降りろ、降りろってばおまえらー!」
「あさ美ちゃん、それ美味しい?」
「ねぇー、はずかしいーわぁー♪」
「ゴー!がんばれー、まりっぱ姉ちゃん」
「うん、まこっちゃんも、食べる?」
「ねぇー、うれしーのよぉー♪」
「ファイトーまりっぱ姉ちゃん!」
「まことー、あんまり食べたらあかんよー」
「あーなたのこぉーとぉーばぁー♪」

太陽にしてはあの光はちょいとしょぼくないかい?
っていうか、あんたたち、どうして?
ってかあの自転車どうしてこけないの―――と、思った矢先にこけた。

「ってー!ほら、おまえらのせいだぞ!あと梨華ちゃん、頼むから歌わないで!」
「え、どうしてですかー?」
「そうだよー、梨華ちゃんの怪音波のせいで矢口さん力抜けちゃったじゃん!」
「ひどぉい…」

呆気にとられている間もなく、私たちは賑やか集団御一行様に取り囲まれていた。
みんなしてニヤニヤニヤニヤ笑いながらこっちをみてやがる。
15 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:53
「なーに、二人して黄昏てんの?」

…あんた、しゃがんでる私と目線がほとんど一緒じゃん、相変わらずちっちゃいねー。

「最後なんやからパーッとやりましょうよ、パーっと」

…そんなの聞いてないよ、私は。

「あんまり早く来すぎると、片付け手伝わされちゃうよって、よしざーさんが」
「ね、ちょうどいい頃だったねー」

そういうことかい、あんたら。

「ほらっ、お酒も買ってきちゃいました」

おーい、石川―、あんた未成年だろー。

「てんちょーの好きなワインもありますよ」

ふん、どうせ安物のテーブルワインでしょ。

「おつまみもいっぱい」

って紺野、もう食ってんじゃん。

そして、ぽんぽんと頭に感じる優しい手のひらの感触。

…ちくしょー。

うわぁん。

泣けた。
16 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 01:53


最後まで頑張っていた矢口が真っ赤な顔して休憩室にふらふらと消えていく頃には、夜もとっぷりと更けて。
そこら中に転がる空き缶と食べ散らかされたお菓子の袋をみて、ため息が洩れる。

…また掃除やり直しじゃん。

カウンターの丸椅子に腰掛けた私は電気をつけることもせず、月明かりだけを頼りに自販機で買った安い缶珈琲をすする。
不味い珈琲だった。
みんなこんな味で満足してるのかねぇ。
私なら、もっと―――

キィッと掠れるような音を立てて休憩室のドアが開いた。
17 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 02:00
「悪いね、吉澤」
「いやいや、お安い御用ですよ。…でも、もう毛布ありませんからね」
「いいよ、起きてるから」
「…そうですね、のんびり朝を待ちましょうか」

吉澤はそう言いながらポケットに手を突っ込んでゆっくりと私の方に歩いてくる。
がらんとした空っぽの店内にサンダルのぺたぺたという音だけ響かせて。
カウンターに寄っ掛かると同時に滑らかな動作で口に運ばれる煙草。
私はそれを人差し指と中指で挟んでスッと取り上げた。
そして、キョトンと戸惑う彼女の瞳を覗き込みながら、にやりと笑ってみせる。

「もし、もっかい店やるって言ったら、一緒に来てくれる?」
18 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 02:01
はじめ抜き取られた煙草の分だけぽかんと開いていた彼女の口が――少し、間を置いて――そのまま横にぐっと広がった。

「…バイトの面接の時に言った言葉覚えてます?」
「…? なんだっけ?」
「わん」
「へ?」
「わんわん」

ぽん。
大げさに手のひらに拳をのっけてみせる。
そーだ、そーだ、確か――

「『あなたの犬になります』だ!…笑ったなぁ、あんなこと面接で言う人初めてだったから」
「あれ、まだバイトの契約終わってませんよね?」

吉澤はにやにや笑いながらジッポーを取り出して、ちょいちょい、と中指を動かす仕種。

ははーん。

ピンときた私は取り上げた煙草をそれに重ねてから吉澤の手に返す。
先端が赤に染まったそれを、吉澤はひらひらと鮮やかに天にかざしてみせた。

「ほーら、太陽」
19 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 02:02
あははっ、サイコーだ。
サイコーだよ、吉澤。

朝なんてまたやってくる。
今に。
すぐに。
どーしても来たくないってんなら、無理やり引っ張ってでも引きずり出してやる。

「よし、行くぞ、ペス!」
「わん!」
「まだ終わんないっつーの!」
「わんわん!」
「まだまだこれからだっつーの!」
「わん……あづっ!」

ははっ。
はらはらと舞う灰はさしずめ私のくすぶる情熱っつーことで。
20 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 02:02
バーカ♪
21 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 02:03
ボン♪
22 名前:19 黄昏喫茶 投稿日:2004/03/16(火) 02:03
ボン♪

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