17 時計じかけのオレンジ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 17:53
- 17 時計じかけのオレンジ
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 17:54
- 私の町では、午後五時半に『夕焼けこやけ』が鳴る。それは小学生の子供たちが音を合図
に家に帰るためであり、私の小学生時代も多分にもれず、そのはかなげな調べを耳にして
家路につく毎日だった。中学校に通うようになり、その習慣は部活動の始まりと共になく
なり、隣り町の高校へ通い出した頃にはほとんど耳にすることもなくなった。
あの三十秒間ほどの高音は、絶えず鳴り続けていたというのに―――。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 17:55
- それは何の変哲もない毎日の中の、ほんの一日だった。ちょうど一年を三百六十五等分し
た内の小さな一つ。それ以上でもそれ以下でもない木曜日を、自転車で走っていた。
アップダウンの大きい坂だらけの道に、自転車のチェーンの回転音が響く。整備を怠って
いたせいか、少し大き目なきしみ。それが時折すれ違う自動車にかきけされて、またカラ
カラと鳴り始める。
担当の教師が出張だったおかげで、久しぶりに合唱部の活動が中止になった。それが音楽
室に行ってようやく発覚したものだから、急いで教室に戻った時には一緒に登校している
友達はもう帰ってしまった後だった。都合の悪いことに合唱部には同じ方角の友達がいな
い。それで仕方なく、こうして一人で自転車を走らせているのだ。……いつものことと言
えばいつものことだけど、時間が早いだけでなんだか寂しい。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 17:56
- 四十分の通学路の間、約三十分を崖のようなこの道を漕ぐことになる。ガードレールを突
き抜けてしまえば、三十メートルくらい転落した挙句、海へとダイブ。幼い頃は近寄らな
いように言われていた場所を、風と共に走り抜ける。大人になったような気分、もうそん
な心配をしてくれないんだという切ない気持ちを織り交ぜながら、足に力を込める。
顔を上げたのは、車道を挟んだ向こう側から自転車が走ってくる気配がしたからだった。
ちょうど斜めに鏡を入れたように、私とその人は、すれ違う瞬間にお互いの顔をうかがい
見るような仕草をする。それは特別なことではなくて、狭いこの町では制服姿だったら知
り合いの可能性が高かったりするからで。
そう、まさにその予感が当たった。背中からの太陽を受け、怪訝な顔をしているその女の
子は、絶対に私の知っている人だった。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 17:57
- 眉を寄せるような顔。向こうにも同じような印象を与えたかも知れない。私もそんな表情
を浮かべていたはずだから。逆光ということもあったし、見たことがあるのに誰だか思い
出すのに時間がかかっていたのもあった。
ブレーキのやはり錆びた音が身体を前のめりにして、ようやく落ち着いて顔を見た時、私
の中で何かのメロディーが鳴った。
「まこっ……ちゃん?」
向こうの目を細める顔が変わらないので、私はやや焦ったような早口になる。
「ああ、ほら愛や、愛。高橋愛。小学生の時、よく一緒に遊んだやろ?」
そんな私の努力の甲斐があってか、ようやく小川麻琴、まこっちゃんの口を半開きでボー
ッとした人相に、明るい光が灯る。
「あーぁ、愛ちゃんかぁ!キレイになったね、そのなまりがなかったら分かんなかったよ」
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 17:58
- ガクッと自転車から転げ落ちそうになる。おばあちゃん子だった私は、段々と方言が薄く
なっている世代の中で、めずらしくデンとなまりが口調に居座っているらしい。“らしい”
というのは、自分では全く自覚がなく、最近では治っている気すらしていたからだ。
まこっちゃんは両足を道路に付け、チョコチョコ歩きで車道を横切ると、私のすぐ側まで
移動してくる。
「あいかわらずテッテケテーだね」
「うそやろ?絶対そんなことないわぁ」
まこっちゃんはおかしそうに笑う。
「その言葉がすでに変だって。アクセントがテッテケテーって聞こえるもん」
そうかなぁ、と私が頭を掻くと、まこっちゃんはおどけて言う。
「間違いあらへん、間違いあらへん」
「ちょっとぉ」私は抗議する。「なまってたとしてもそんな言葉は遣わんて」
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:00
- 小学生を卒業して約五年、その間にまこっちゃんは外面上変わっていた。少しふくよかに
なったし、髪の色も茶色くなっている。だけど、そのことが優しい性質をより浮き彫りに
しているのはどうしてだろう。あの頃以上に、人をホッとさせる。
「……でもなんだか安心した」
そう呟いたのは、私でなくまこっちゃんだった。口はあいかわらず半開きで、胸に手を当
てるというほのぼのとしたオーバー気味の動作をしながら。
「安心?」
「うん。なんだか愛ちゃん、違う人みたいになってたから」
声が出なくて口をパクパクさせていると、まこっちゃんは失礼にも人を指差して笑う。
「ビックリした顔は変わんないけどねぇ〜。うん、中身はそのままだ」
「……それはそれで複雑なんやけど」
なんだかおかしいな、と私は思った。毎日のように一緒に遊んでいたのに、中学校が別に
なった途端、プッツリと会わなくなった。線でも引かれたみたいに、突然。理由の一つと
して、まこっちゃんが隣りの町、今の私が通っている高校があるその町に引っ越したって
いうのがある。中学生になり、お互い忙しくもなったのだろう。だけど、私がこうして毎
日通っているみたいに、それは絶対的な断絶ではなかったはずだ。そう考えると人の繋が
りっていうものは、なんだろうなぁってなってしまう。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:01
- 私が数秒間暗い顔をして押し黙っていると、まこっちゃんは、あははぁ、と少し間の抜け
たような声を出し、私の肩を叩いた。
「でもねぇ、人の出会いっていうもんには、必ず意味があるんだよ」
まこっちゃんは間が抜けているくせに、人の心を読む。そしてそれを暖かいものに変える。
「どんなものにも、きっとね」
私は何故だか泣きたくなって、でもその代わりにこんな言葉を口にした。
「……ってことは、今日ここでこうしてまこっちゃんに会ったのも、そうなんかな?」
答えは聞くまでもなかった。その期待通りまこっちゃんは満面の笑みで、おおらかさの滲
み出た口調でこう言ったのだった。
「もちろんそうだよぉ!」
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:02
- そのまま一時間近く立ち話をしていたはずなのに、その言葉の印象が強すぎて、何を話し
たのか覚えていない。記憶にあるのは、『夕焼けこやけ』の旋律を背に手を振ったこと。
なんとなくそうするのがいいように思えて、何度も振り返りながら。
最後にこのメロディーを合図にまこっちゃんと別れたのはいつだったか。そんな取り留め
のないことを思い浮かべながら、すっかり色の変わった通い慣れた道を、二つの長く伸び
た影は交差していった。
そしてそれは、まこっちゃんを見た最後になった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:04
- 別に、まこっちゃんが亡くなったって訳じゃない。高校を卒業して、東京の大学通うため、
私が町を出たからだった。まこっちゃんがどうしているかは知らないが、講義を終え、乗
り継ぎのための電車を待っている間、電車のホームで東京の味気ない五時半を告げるチャ
イムを聞きながら、不意にそんなことを思い出していた。
本当に意味なんてあったのかな?私は心の内につぶやく。確かに今こうして見知らぬ街で、
気持ちを浄化してくれている気はする。それだけで充分なのかも知れない。だけど……。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:06
- 私はいつかのように、泣き出してしまいたい感情におそわれていた。ホームシックにも似
た、時間を戻れないことへの寂寥感。成長していない自分に嫌気がさし、ますます喉奥か
ら鳴咽が漏れそうになった。
私の前髪を浮き上がらせ、次に身体を押すような突風を引き連れて、電車がホームに顔を
見せる。銀色の車体に歪んで映る自分が、心をあらわしているようだった。それはするす
る、するすると流れて、一つの影だけを取り残していく。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:07
- ゆっくりとドアが開くと、私は空気で顔を洗うような仕草で二度、顔をこする。おばあち
ゃんの人前で泣いてはいけないという教えを、まだ守れそう。
端に寄って、電車から下りる人を優先させる。私のすぐ後ろまで来たところで、その人が
足を止めたような気配があった。強い力に引っ張られるみたいに、私は顔を上げた。
心臓が鈍く高鳴り、呼吸が重苦しくなる。頭のどこかでなつかしいあの調べが奏でられ、
教えは破られた。自然、はっきりと見ていたいものは滲み、その雫は地面に音もなく弾ける。
―――私はとても興奮しているので、第一声はなまってしまうかも知れないと思った。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:07
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- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:07
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- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:07
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