4 夜の箱

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:54
4 夜の箱
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:54
夕陽の差す教室の窓辺。
やや開いた窓の外から金色の光輝とともに微風が舞い込み
たゆたにカーテンを揺らしている。
浅黄色に日の陰影をつけたカーテンの、ふわふわと揺れ踊る影は
教室の奥に見えぬフェアリィの戯れを思わす光を投じる。
肌にのどかな温みを感じる。
それが春めいて凛冽を無くしたそよ風の
切ない擽りに重なり、溶け出す夢のように心地よい。
そんな教室の、窓際から2列目、前から2番目の草臥れた机に
彼女はちょこなんと腰掛けていた。
私の方を、じっと見つめていた。
海豹の子のように、無垢で透明な瞳が、赤い光を斜めに受けて
仄かに赤い火を湛えている。
私も入り口の前からまんじりともせず彼女を見つめ返した。
視線が、茨に棘のように怜悧に交わる。
彼女の方から見える私の姿は、教室のくすんだ大きな壁の影になっていて
日の光が明るすぎる分、殆ど見えないに違いない。
それでも、彼女の瞳は揺らぎもせず一直線に私の目を捉えていた。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:55

赤い靄が私と彼女の間を虚ろに彷徨う。
どうして彼女は、そんなに真っ直ぐに私を見ることができるのか。
確かな瞬間が近づいている。それなのに彼女はいつものように
透明だった。
何秒過ぎたのかわからない。
ただ、真っ赤な光はいよいよ燃え盛り、私のスカートの上までを染め上げた。
時間は炎になった。
どちらも口を開こうとはしない。
礼儀として、言葉を出さねばならないのは私。
しかし、まるで飾りの無い、光の無い、透明すぎる彼女の瞳の前に
いったいどんな言葉が掛けられるのだろう。
どうしてこんなに静かなのだろう。
校庭で遊ぶはずの声も、廊下に響くはずの靴音も、空に満ち満ちるはずの風の音も
まるきり、すべて切り取られてしまった。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:55

「ねえ、どうしてだんまりなの?」
彼女の顔に初めて表情が浮かんだ。
それは綺麗すぎる容。

「ねえ、卑怯だよ」
何も、答えられない。
私が卑怯なことくらい、知ってる。悪いのは全部私。そんなこと、知ってる。
でも、どうしてそんなに優しい顔で、綺麗な顔で私を詰るの?
あなたが、綺麗過ぎればそれだけ
惨めになる。

「さゆ…」
私の最初の声は、声ではなかった。
愛おしさが、彼女の名の形で漏れただけ。
気付いて欲しくない。

「絵里ちゃん…お話、あるんでしょ?言ってよ」

残酷。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:56
真っ赤に染まったさゆの顔には、真水に溶かした紅インキが
徐々に滲むように穏やかに感情が漲った。
でもその感情が果たして何であるのか、今の私にはわからなかった。
ただ、どんな激情を浮ばせようともさゆは綺麗だった。

さゆは私の口から言葉を引き出そうとしている。
どんな言葉か彼女は知っているはずなのに。
私は言わなければならない。

私と彼女を区切る陰が、どんどん高くなっていく。
それなのに絶頂まで燃え上がった赤は、次第に色褪せてくる。

彼女の表情も、心なしか鬱々としてきて
そんな翳った顔さえ綺麗で
愛しくなる。
でも、それよりももっと悲しくなるんだから。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:56

「さゆ…あのね」

見ないで欲しい。

「私、他に、……」

そんな目で。

「好きな子ができたから…」

嘘がばれる。

「だから…私達」

幼稚な嘘が。

「終わりにしよう」

言った。
言ってしまった。
もう戻れない。
ああ、赤い。さゆの顔が、真白なはずのシャツが、透明なはずの、瞳が。
泣くの?泣かないで…。
あなたの涙は私を奈落に突き落とす。
それでも、あなたの涙が愛しくてしょうがない。
ああ、私は居るべきでない。あなたの側には。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:57

日がぐんぐんと延びてゆく。もう私の顎の下まで赤くそまった。
しかしそれも、弱弱しい。もうすぐ消える。日が沈む。
私とさゆの関係は終わったんだ。
さゆはずっと夕日を見ていたんだろう。
よかった。
最後にこんなに美しい夕日が見れて。
これが沈めば。光が消えれば…。

さゆの唇がぐっと噛まれる。
私は、もうこの場所を立ち去ってもいいのだろう。
それでも一言、彼女の言葉が聞きたかった。

彼女はすっと息を吸ったのが分かった。
微かに開いた唇の、陰に蓋われた愁いの色。
私の心の琴線がピリピリと震える。
次の一語の後、はたして私がどんな惨めな、醜くい生き物に相成るのだろう。
淡く、緩くなった赤い靄を伝って私の指先の震えがばれないだろうか。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:57

「…バカ」

「…え?」
バカ…。というのは私のことだろうか。
それならば、そうには違いない。しかし、予想した科白とは大きく違う。
嫌が応にも狼狽が漏れてしまう。

「バカバカバカ!絵里の嘘つき!スケベ!変態!」
「…さゆ?」

さゆが声を荒げた。捲くし立てられた。
訳がわからない。予定と違う。私、なんでこんなに悪口言われてるの…?

「嘘つき!どこに好きな人がいるのよっ!出してみなよ、そのいるはずの無い人を。
 え?大体こんな可愛い私より他の人を好きになるなんて、ありえるわけないじゃん。
 もっと考えて嘘つきなよ!大体絵里ちゃん嘘が下手すぎだよ。そんなに泣きそうな
 苦しそうな顔で、そんな顔で言われたって…そんなの嘘に決まってるじゃん!
 もう、どういうこと!?ちゃんと説明してくれるんだろうね?法水君」

の…のりみず…?
私、なんだか物凄くバカにされてるのかも…。
でも…ああ、やっぱり私、さゆが好きだ。
彼女の声を聞いただけで、こんなに胸がいっぱいになるんだもん。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:58

とうとう日が沈む最後の段になって、初めて太陽が私の視界に飛び込んだ。
赤の時間は終わって、青紫の緻密な大空に
一日の最後を煌々たる光で染める最後の太陽。
その光が目に飛び込んだ瞬間
私の目からは、涙が零れた。
泣かないって、絶対泣かないって誓ったのに。

さゆの顔が涙の向こうに滲む。
その滝の向こうに揺らぐ彼女の表情は
優しい。
なんでそんな顔をしてるの?
私を赦してくれるみたいに…。

「……ごめっ…ごめんね…」

私の口から漏れる弱い音。
さゆが聞き取れてるのかも不安だった。
でも、もう私は負けたんだ。
さゆの瞳に。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:58
だから、全部ぶちまけてしまおう。
私の心の闇も、常に挾持してる不安も。
さゆの存在が、あまりにも大きすぎる、ってことも。
洗いざらい、私の汚さも、卑劣も、暗闇も。
何をしても、どんなこともさゆには勝てない。
勝ったためしが無い。
そんな、私の中に蠢く惨めな劣等感まで、洗いざらい。

私の内を吐き出し終えたときには、もう太陽は見えなかった。
ただ赤と紫とが折り重なって夜色の布を織りだすばかり。

さゆは静かに聴いた。
どんな事を思っているのか、堰の破れた私の目には
映し出すことが叶わなかった。

トワイライトの時間は終わっていた。
どっちつかずに揺れる時は終わった。
炎は消えて重い冷たい夜になっていた。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:59

「ねえ、絵里ちゃん…」

さゆの声。私の身体はギクリと震えた。
この上なにを期待してるんだろう。

「私ね、思うんだけど。絵里ちゃんってバカだよね。
 被害妄想しすぎ。自虐しすぎ。勘違いしすぎ」

なんと答えていいかわからない。
図星なのかもしれないけど、だからといって私に言える言葉は
到底思いつきそうもない。

「私のこと、わかってなさすぎ。自分のこともわかってなさすぎ。
 ねえ、絵里ちゃんは私がどれくらい絵里ちゃんのこと好きかって
 考えたことある?」
私は濡れた瞼を袖で抑えながらぶるぶると首を振った。
彼女の言う言葉が、いちいち私に予定外の新鮮さをもたらす。
いつもそうなんだ。さゆはいつだって掴めない。
私の周りを優しく包んでくれるだけ。

「私だって、いっぱい悩んだんだから。絵里ちゃんのこと。
 本当に大好きなんだから…。絵里ちゃんが…いないと…」
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 00:59

さゆの言葉が途切れ途切れになっていく。
さゆの透明な目の端に菫色の涙が溜まっていく。
また、泣かせてしまった。
それなのに。
それなのに、私はさゆに救われている。
彼女の要領の得ない言葉が、私を拾い上げる。

「絵里ちゃんが…いなきゃ、んっ…くっ…
 死んじゃうよぉ…くっ…」

ああ、私は今日、何をしたんだろう。
どうしてさゆを泣かせたんだろう。
暗闇の中にさゆの嗚咽が聞こえてくる。
私の涙はもう止まってるのに。また、涙が出てくる。

「私だって、さゆがいないと…死んじゃう」

身体は私の支配を離れた。
私の馬鹿な、幼稚な茶番を嘲るみたいに
さゆを抱きしめていた。

教室はいつの間にか本当の真っ暗になっていた。
私と、さゆの二人分の嗚咽以外は静かだった。
遠くからけたたましいエンジン音がなった。
それ以外は静かだ。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 01:00

さゆが泣き止んだのは、私よりもちょっと後だった。
ちょっと勝った。なんて、こんなことを考えてるから
私はバカって言われるんだろうな。

「ねえ、絵里ちゃんは、わざわざ夕方にきたの
 私と夕日を見るためだったんでしょ?」
耳元に聞こえるさゆの声に答えずに
抱きしめる手にぐっと力を込めた。

「それで、夕日が沈んだら、バイバイするつもりだったんだよね?気障だね」
はっきり言われるとね、恥ずかしいんだよ。

「でもね、お日様ってまた昇るんだよ?」
「知ってるよ…」
怫然として答えたけど、もう二人はいつもの二人に戻ってたから
主導権はさゆ。
真っ暗な教室の隅にうずくまって抱き合ってる二人。
そんな二人の些細な時間は、星明りに見守られ
夜気に抱かれてゆったりと流れた。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 01:00

「ねえ、このまま、朝までいようよ」
「うん…」
私もそうしたいって思ってた。
もう今から学校を出ることもできないし
なによりさゆと離れたくなかったし。

「一緒に朝日見ようよ。絵里ちゃんはおね坊さんだから知らないかもしれないけど
 朝日って夕日と同じだけ綺麗なんだよ」

そう言って笑ったさゆの笑顔は
星明りのほんの微かな光を受けただけなのに
世界中の綺麗を独り占めにしたみたいに赫奕たるものだった。

私もさゆに笑いかけた。
さゆが擽ったそうに笑う。
抱きしめて、放さない。


やがて私とさゆは心地よい春眠のなかに陥ちていった。
暁の太陽を想い馳せながら。


15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 01:00
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 01:01
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 01:01

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