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53 七月七日、ほうき星

1 名前:53 七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月02日(水)23時51分59秒
七月七日、ほうき星
2 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月02日(水)23時55分46秒
「遊び呆けていた織姫は、父天帝の怒りに触れ、彦星の元から去らねばなりませんでした」

 浴衣姿の女性が歌うように言うと、二人の少女はキラキラとした瞳で彼女を見上げた。
 そのすぐ後。ドーン、という大きな音が辺り一帯に響き渡る。
 赤、青、黄色。夜空はめまぐるしくその色を変え、見るものの口から、溜め息や、歓声
が煙のようにどこまでも舞い上がる。
 七月七日に花火大会をやるというのが、毎年恒例の行事だった。

「引き離された織姫と彦星は、一年に一度、七月七日の夜にだけ、天の川を渡り、会
うことを許されました。そして、いよいよ出会った二人の周りには――」

 ヒューン、ドーン。
 再び大きな音がして、花火が夜空で舞い踊る。それを見た女性は、にこりと笑って言葉
を続けた。

「辺り一面、きれいな花が咲くでしょう」
3 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月02日(水)23時56分55秒
 二人の少女はほうっと溜め息をつき、夜空を見上げた。花火大会は終盤に差し掛かって
いて、次第にその内容も豪華なものへと変わっていく。

「すごいなぁ……」

 おだんごの少女がそう漏らすと、八重歯の少女がうんうんと何度も頷いた。町に伝わる
伝説を語って聞かせていた女性も、いつのまにやら花火見物に専念している。
 そして、一際大きな花が夜空に咲き乱れると、二時間にわたる花火大会も終わりを告げ
た。

 二人の少女は手を握り歩いていく。見物客たちも、思い思いの方向へ、歩みを進める。

 一時間後、ここから大分離れた山道で、一人の少女が事故により命を落とした。
4 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月02日(水)23時57分56秒
 辻は、無数に散らばる星屑を、天の川のたもとに腰掛け眺めていた。
 彼女はこの場所が大好きだった。時折流れ落ちるほうき星や、北斗七星を見ていると、
時間が経つのも忘れてしまう。視界の片隅に、ヘルクレス座にぶらさがって遊んでいる、
男の子たちが見えた。

「希美は本当にここが好きなんじゃな」
「おじい!」

 気が付くと、後ろにはおじいが立っていて、辻の頭をぽんぽんと優しく撫でる。辻はお
じいの手のひらが好きだ。大きくて温かい。上手くは言えないけど、懐かしい感じがする。

「おじい、もうすぐ七夕だね」

 辻が嬉しそうにそう言うと、おじいはんむんむと頷いた。そして、ふぉっふぉっと柔ら
かな笑みを浮かべる。
 天の川の先にあるアルタイルに、辻は一度も行ったことがない。おじいも、他のみんな
もだ。
5 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月02日(水)23時59分52秒
 アルタイルまで辿り着ければ、何でも願いが叶う。そんな伝説があったが、それが本当
なのかどうか、誰も知らない。アルタイルを目指して天の川を泳いだものは何人もいたが、
一人も帰っては来なかった。それは、願いが叶ってのことなのか、荒れた川にのまれたの
か、それすらも定かではない。
 辻は、七夕が近づき、次第に凪いできた天の川の向こうを、熱っぽい瞳で眺めた。

「のの、今年こそ天の川を渡るよ」
「んむんむ」

 今度は悲しそうに、おじいが頷く。この一年、何度となくおじいは辻を止めたが、辻は
頑として受け入れなかった。八重歯の覗く口元をギュッとかみしめ、言った。
「いつも夢に出てくるおだんごの女の子が、誰なのか知りたいの!」
 その夢を見た日の朝は、いつも頬にうっすらと涙が滲んでいた。
 何か大切なことを忘れている。辻は、その夢を見るたびに、そう思った。
6 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時02分14秒
 加護は時々、昔のことを思い出した。例えば、今日のような夏の雨の日。天の川の隠れ
る空を見上げながら、十年前の花火大会を思う。それは、親友だった少女との、最後の思
い出でもあった。
 彼女の死を知らされたとき、加護は母親が何を言っているのかよくわからなかった。し
かし、一日、二日と時間が経つにつれ、その言葉は、雨水が土に染み込んでいくようにゆ
っくりと、加護の中に染み渡っていった。
 織姫様になったのよ。加護の母はそう言って、彼女を慰めた。加護は両目に涙を浮かべ
たままそっと微笑んだ。少女の死が受け入れられなかったわけではない。ただ、少女が憧
れていた織姫になれたのなら、それはどれだけ素晴らしいことだろう、と思ったのだ。

 しんしんと降り続く霧雨の夜は、不思議と梅雨特有の湿っぽさがなかった。細かな水滴
に濡れそぼった草の息遣いさえも聞こえそうなほど、静まり返った夜。
 テレビをつけると、ちょうどいい具合に、天気予報が流れ出す。明日は晴れ。今年も、
七夕の日に花火大会を開催することが出来そうだ。
 加護は、親友だった少女がいなくなってからも、自然と花火が行われる河原まで足を運
んでいた。恐らく、今年も。
7 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時03分28秒
 後ろからおじいの声が聞こえる。それでも辻は振り返らず、天の川に身を投じた。さら
さらと流れる星屑の川に体を浮かせ、ゆっくりゆっくり、アルタイルへと向かい進んでい
く。
 一年に一度、七夕の日だけは、天の川の流れが止まり、向こう岸にあるアルタイルまで
の道が開ける。しかし、時計の短針が二周して、七月八日を迎えた途端、その道は閉ざさ
れてしまう。辻にとっても、命がけの横断だった。

 そう言えば、と辻はおじいの言葉を思い出した。
「夜になれば、凪いだ川に突然、大渦が現れる。くれぐれも気を付けてな」
 おじいはそう言った後、んむんむ、と何事にか頷いていた。それを見た途端、辻は何故
だか泣きそうになって、おじいから視線を逸らしたのだった。

 今が何時かはわからなかったが、横断は順調だった。今までいた、ベガの星からは見え
ないような景色がたくさん見えて、辻はその度に心を奪われた。
 こぎつね座、ペガサス座、いるか座、みずがめ座。見覚えのある星座たちも、天の川に
浮かびながら眺めると、また違った趣きがある。

 おじいの姿はもう見えなかった。
8 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時05分40秒
 加護はスーツを脱ぎ捨てると、アップにまとめていた髪をほどき、櫛を通した。緩やか
にウエーブのかかった髪が、蛍光灯の光で艶やかに濡れる。
 最近、同僚と遊びに行ったときに買った新品の浴衣を羽織り、窓から外の景色を覗く。
雨は降っていない。絶好の花火日和だ。

 玄関には、毎年花火大会に行く娘を気遣ってか、既にサンダルが用意されていた。それ
をつっかけ玄関を出ると、花火大会の始まりを知らせる大きな音が、町中に響き渡った所
だった。
9 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時06分23秒
 アルタイルは、もう随分と大きく見えている。辻は少しだけ安心して、大きな溜め息を
漏らした。今のところ、大渦にも襲われず、順調そのものだ。後もう少しで、願いが叶う。
辻の脳裏に、夢に出てくる、おだんご頭の少女が浮かんだ。

 そのときだった。

 水面が大きく揺れたかと思うと、天の川の至るところに、光の渦が現れた。赤、青、黄
色。今までに見たこともないような光の渦に、辻はしばし見惚れた。それは、辺り一帯に
広がる、光の海だった。

「キレイ……」

 溜め息のようにその声は漏れ、アルタイルへ行くという目的すら忘れかけた。それでも、
辻はなんとかその誘惑を振り切ると、再びアルタイルへと泳ぎだした。星屑と、光の海を。
10 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時07分18秒
 花火は終盤にさしかかり、加護は腕時計に目を落とした。後三十分もすれば、ラストを
飾るスターマインが、町全体を覆うだろう。毎年のことだが、それを見ると、加護の頬を
涙が伝った。
 自分はまだ少女を忘れていない。もしかしたら、それを確認するだけのために、毎年こ
の場所へと足を運んでいるのかもしれない、と思った。

 しばらく動かずに花火を見ていた加護は、そう言えば今日は一日中立ち仕事だったな、
と思い出し、近くの草原に腰を下ろした。
 花柄のシャツを纏った男に声をかけられたが、いつものことだ、と思い軽く受け流す。

 花火は途切れることなく、夜空をカラフルな光に染め上げる。

 加護は、天の川の岸辺で寄り添っているであろう、二人のことを思った。町中を覆いつ
くす花びらは、少女の元へと届いているだろうか。
11 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時08分04秒
 光の渦は、いつまで経っても消えなかった。しかし、見たこともないはずのその光の海
は、不思議と辻の心を和ませる。そして何故か、おだんご頭の少女が浮かんで消えた。

 アルタイルはもうすぐだった。
 強く光り輝く星に、手を伸ばせば届きそうで、はやる気持ちを精一杯押さえる。
 そのまま泳いでいると、不意におじいの顔が浮かんだ。おじいは、悲しそうな顔をして、
んむんむと頷いている。

 そのときだった。

 今までとはけた違いに大きな光の渦が、辺り一面を覆う。
 赤、青、黄色。それは、暗闇の大地に広がる広大な光の海であり、星屑の野原を彩る色
とりどりの花びらでもあった。
 辻は必死に手を伸ばし、アルタイルの光を掴もうとした。しかし、その光は、天の川に
現れた大渦の光によってかき消され、辻の手はむなしく空を切る。
 そしてそのまま、辻の体を、深く引きずり込んでいった。
12 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時11分52秒
 その光は、驚くほどに温かかった。おじいの手の温かさとも似ている気がしたし、全く
違うものの気もした。

 辻はどこまでも落ちていきながら、様々なことを思い出した。
 目の前に現れた大渦のこと。その温かさの理由。おだんご頭の少女のこと。
 アルタイルには辿り着けなかったけど、これでよかったのだと思った。光の花びらに囲
まれた自分。流れていく景色。

 辻は薄れゆく意識の中で思う。ここに、おじいがいればよかったのに。温かくて懐かし
い、彦星の手。
 ゆっくりと瞼を閉じると、耳元で、んむんむ、という声が聞こえた気がした。辻は嬉し
いときの涙もしょっぱいのだと知った。
13 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時12分58秒
 最後の花火が終わり、辺りは一転して、寂しげな空気に包まれた。ぞろぞろと動き出す
見物客を尻目に、加護はいつまでも空を見上げていた。頬に流れる雫が、駐車場から漏れ
出すヘッドライトの光に反射して、柔らかく光った。

 夜は更けていく。
 人気のなくなった初夏の川辺は、十年前と同じ匂いがした。
 加護はゆっくりと立ち上がり、来た道を引き返す。
 その瞬間、加護の後ろの空に、小さな小さなほうき星が流れ落ちた。ほうき星は、光を
絶やすことなく、どこまでも落ちていく。

 きっと、来年もここに来るのだろう。加護はそう思った。八重歯の少女の顔など、もう
ほとんど覚えていないというのに。

「きれいな花が咲くでしょう」

 そんな言葉が自然と口を付いて出て、加護はまた泣きそうになった。
 いっぱいいっぱい咲けばいい。来年も、再来年も。

 そして、川辺には誰もいなくなる。
 時計の針が十二時を指し、また新しい一日が始まった。
14 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時13分40秒
終わり。
15 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時15分18秒
☆彡
16 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時16分18秒
☆彡彡
17 名前:七月七日、ほうき星 投稿日:2003年07月03日(木)00時16分50秒
☆彡彡彡

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