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49 土曜日の本

1 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時03分03秒

49 土曜日の本



2 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時03分49秒




予備校を思い出す。灰色の細長い机が並び、プラスチックの冷たい椅子が
丁寧に整列させられている。壁の色も、曇った空も、全て同じ色をしている。
窓の外へ目を向けていた私は、ちらっと隣に座っている絵里の方を見た。
突然目の前の配色が狂ったように感じる。洒落たペンケースには色とりどりの
ペンが何種類も用意されている。

しょっちゅうそんな重たいもん持ち歩いてるなんて馬鹿みたい。と言おうと
思ったけどやめた。一年前だったら言っていたかも知れない。

静まりかえった会議室に、シャープペンシルの細く硬い芯が立てる乾いた
音だけが淡々と響き続けている。目の前のホワイトボードには、先刻この場で
行われた会議の概要が、乱雑なラインの絡み合いで残されている。

3 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時05分57秒
私は右隅に置かれたカメラを意識しながら、物思わしげな表情で軽く天井を
仰いだ。それからまた、手元のほとんど空欄の埋まっていない紙切れに
視線を落とす。

 Q4:あなたから見た他の新メンバーのイメージを教えてください。

私はなにも考えずに適当に埋めていく。絵里、さゆみ。三人目。藤本美貴。
そこで手が止まる。目を閉じてから、イメージそのままの解答を落とす。
この瞬間だけ、カメラの存在を忘れた。

 花火

さほど丁寧ではない字で、そう書き記した。


4 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時06分47秒




死は常に身近にある。誰もそれには気付かないだけで。

6歳の時、親戚のおばあちゃんの死に立ち会ったことがあった。長い入院生活から
自宅に戻り、静かに死を待っている状態が続いていた。悲しみの空気は薄く、
広い和室で布団を囲みながら、安らかな時間だけが流れていた。

その時に私は見た。以前から見ていたのかもしれないが、思い出せない。
目を閉じて落ち着いた表情、その額から小さくぼんやりとしたものが浮かび
上がった。半透明で丸く、はじめはシャボン玉のように見える。
淡く光るそれは部屋の中程まで上昇すると、突然色鮮やかな光を放って弾けた。
まるで花火のように。私は直観的に、おばあちゃんが死んだんだ、と分かった。

「ママ」袖を引きながら幼い声で言った。「おばあちゃん、死んだん?」

母は狼狽して私の口を押さえた。その時、側に控えていた医師が儀式のような
手つきでおばあちゃんの身体をあらためると、「ご臨終です」と言った。

5 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時07分13秒




あんな光はうそっぱちだ、と私は思う。大歓声の中、色とりどりの光が
あちこちで揺れている。ステージは目映い照明がけたたましい音響とシンクロ
しながら、目まぐるしく変化し煌めいている。でも、私がいつも見ている
光に比べれば、あんなものはただのまやかしだ。

見学という名目で、私たちはステージの袖でひどい物を見せられていた。客席
は光と音で狂わされた集団が、汗くさい身体をぶつけ合っているのだろう。
しかし私の視線はステージの上の一点に釘付けになっている。衣装が替わったり、
大してうまくもない歌やダンスなどには興味はない。私が見たいのは、彼女が
唄っている姿だけ。マイクをもち、下らない曲で声を張り上げる。それを
見るたびに、私は不思議な感覚に襲われる。それは、もっとも身近な存在に
なってしまった今でも変わることはない。

もう一月もすれば、彼女の歌い踊る姿を毎日のように見ることになる。私は、
期待が表情に浮かび上がってしまうのを隠しきれない。

6 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時07分39秒




ボランティアの人たちがゴミ拾いをしているのを見た。商店街を通っていると
よく見かける光景。だが、人目に付かない路地裏に入るとたちまちごみごみ
した空間に変わる。光は狭いビルの間までは届かず、カラスに破かれて中身を
引きずり出された生ゴミの袋やひび割れたウィスキーの瓶などが転がって
いる。雨の降った後はカビ臭く、空気が馴れ馴れしく肌を撫でる。

私は金髪を撫でながら財布の中身を手のひらに落としていた。けど、本当は
そんなものなんてどうでもよかった。
男子は飽きもせず意味のない暴行を続けている。スーツ姿の禿あがったオヤジは、
もう呻き声も上げずアルマジロのように丸まって微動だにしない。

ふと目を上げると、路地裏の澱んだ闇に小さな光が浮上するのを見た。それは暴行の
中心から舞い上がり、それに気付きもしない連中の頭上で鮮やかに華開いた。
どんなに気持ち悪い男でも、最後に吐き出す花火だけはとても美しい。

「もう死んどう」満足した私は言った。「やめ。帰ろ」

7 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時08分01秒




番号を与えられて、同年代たちと並んで座らされている。目の前を、慌ただ
しげに大人たちが通り過ぎていく。誰も私たちには目もくれない。今、この
段階では。

なんとなく、ここで終わるということは分かっていた。理由なんてないし、
左右に同じように晒されてる連中に負けてるとも思わなかった。ただ、ここは
自分のいる場所ではないように感じていた。そう感じている人間が、このまま
居座れるとは思えなかった。

一通りのことを済ませたあと、ぶらぶらと廊下を歩き回っていた。大した
夢や希望があってここへ来たわけじゃない。無邪気に夢なんて信じてる
友達の付き添いと、ただの暇つぶしだった。

「君は」射的場の景品のように並んだ偉そうなのの一人が眼鏡を弄りながら
言うのを思い出す。こいつは外れだ。「なにしにここに来たんだ?」
私は鼻で笑った。3人が不快そうに顔を歪め、1人だけが興味深げに私へ
視線を向けた。それだけで終わった。くだらない。
8 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時08分26秒




偽りの光の中で、無数の光の玉が浮かび上がっては弾ける。目映いサイ
リュームの海とライティングの奔流の中で、私の目には全ての花火が闇夜を
バックに煌めいているように見える。

見てしまった以上、もう後戻りは出来ない。多分、それはあの人が言った通り。

私たちは歌う。路地裏のような、相変わらずの偽りの吹き溜まりの中で。ただ
私が見ているのは浮かび上がっては弾ける色鮮やかな無数の華。

さゆみが喋り終えた。私はマイクをもつと、心からの笑みを浮かべ、「みんな
本当にありがとう!」と手を振った。

これで最後だった。明日からはもう14人でステージに立つことはない。
宙空へ視線を逸らす。あの人の笑みは心からのものだったのだろうか。あの
冷たい視線は、どこまで見抜いていたんだろう。

9 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時08分51秒




廊下の先から歌声が聞こえた。半分ほど開いた扉から漏れてきている。
特にキレイでもない歌声は、あやしげな音程で旋律を不規則に歪めていた。
新人がレッスンでもしてるんだろう。ひょっとしたら私もあんなのをやらされる
ハメになっていたかもしれない。そう思うと興味が湧いた。

開いた扉から息を潜めて覗き込む。取り立てて目立つところのない女が、
必死になって声を張り上げてはキーボードの前に座った男に怒鳴られていた。

「まだいたのか」
背後からの声に狼狽して振り返る。射的場の外れ景品が、あぶらの浮いた
眼鏡を弄りながら私を見下ろしていた。

10 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時09分13秒
「おまえも早くあんなふうにデビュー目指したいのか」
室内の女を顎で示しながら、いやらしく笑う。その時、こちらを振り返った
彼女と視線が交錯した。恐ろしく冷たい視線だった。

同時に私は見た。男の額の一点が光り、浮かび上がるのを。光が弾ける下で、男は
しかし、平然とした表情でにやけている。

「すいません」私は動揺を隠すように早口で言うと、頭を下げた。「もう帰ります」


一週間後、眼鏡の男は死んだと一緒にオーディションを受けた友人から聞いた。
オーディションに落とされたのを知ったのも同じ日だった。そういえば。

11 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時09分42秒




年が明けてから、あの人のことをちょくちょく見かけるようになった。私が
見たときに比べれば大分マシにはなっていたけど、相変わらず巧くもない
ボーカルでつまらない歌を歌っていた。といっても、ケータイを弄りながら
つけっぱなしのテレビを横目に見ていたら出ていただけなので、そこまで
いう資格なんてないかもしれないけど。

次の日、数学の授業中に、初老の教師の額から花火が上がるのを見た。黒板を
背景にして、黄色いチョークで書かれた方程式を煌びやかに彩った。

教師が死んだのはそれから四日後だった。急性の心不全だと聞いた。私たちは
知らなかったが、以前から兆候はあったらしくそれほど周囲は驚かなかった。

そして、あの人が露出が増えるたびに、私は生きた人間から花火が上がるのを
多く目撃するようになった。

珍しく3人で歌っているあの人を見ながら、私は確信していた。あの人が
歌うと誰かが死ぬ。そしてそれを私は前もって知る。私は始めて、自分以外の
人間に興味を持った。

12 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時10分05秒




小さなカメラに後ろ姿をのぞかれながら、私たちはバックステージへ向かった。
なんてコメントするのが一番いいのかいろいろと考えて、考えないで喋った
ほうがいいという結論に達する頃には楽屋であの人と話していた。

にこやかに話していても、私は始めて会ったときの冷たい視線が忘れられ
ないでいる。

露出の多いステージ衣装のまま、あの人は汗を拭きながらかったるそうに
スポーツドリンクを飲んでいた。私たちが口々にコンサートの感想を言わされる
のを、つまらなそうに聞き流している。鏡越しにチラチラと見える視線は、
私が知っているのと同じだ。いくら愛想笑いをしてみても隠し切れていない。

「今度は見学とかじゃなくてお客さんとしてコンサート見に来て欲しいな」
このときはまだ、お互いの将来を知らない。
作り笑いで優等生的なコメントをいうあの人に、私も笑みを作りながら返す。
「ぜひ見たいです」それは私にしか見ることは出来ない。
「もっといっぱい歌ってください」


13 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時10分27秒




「れいなが女の歌手さんに興味もつなんて珍しかね」
母親に台所から声をかけられて、私は自分がテレビの画面に釘付けになって
いたことに気付いた。
「そう?」

気のない口調で受け流すが、母は台所から戻ってくると、面白そうに私の
顔を覗き込んだ。
「あんたが去年オーディション受けるいうたんも驚いて、あんたなににも
シラーっとして興味見せん子やけん安心した」
「あれは友達につきおうただけやて」

あの人はもう歌い終わり、別のよく知らないアーティストがトークをしていた。
「けどあのモー娘。てしょっちゅう追加やらやってるけん、また次あったら
そん時……」
母の話を聞き流しながら、私は無意識に向かいに座っている母の額を見つめて
いるのに気付いた。ぞっと背筋に悪寒を走らせると、私は目を閉じてかぶりを振った。

「どしたん」
「別に」でももしあの人が歌っているのをいつも見ることが出来るなら、もし
そうした環境へ行くことが出来るなら、……。

14 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時10分53秒




こんなことを繰り返すのは何度目だろう。色だけはやたら賑やかな張りぼての
舞台装置に囲まれて、雛壇に座らされた私はそんなことを思った。右上の
モニターにはさっき書かされたアンケートの回答が次々に映し出されて、
話題の肴にされている。メンバーも、司会者も花火大会の野次馬みたいに
みなクビを上に向けている。

ちらっとあの人の方を見る。私たちと同じ場所に並べられ、内心の不満を
押し殺しているような冷たい視線で、モニターを見つめている。

15 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時11分15秒

「土曜日の本って知ってる?」あの人が言う。人気のない楽屋で、二人きりに
なれたのは最初で最後だった。私は新曲の赤い衣装を着て、楽屋の床にあぐらを
かいていた。あの人は鏡に向かって顔中をいじくり回している。

「なんですかそれ」話を逸らされて、私は不満を隠さなかった。しかし構わずに
あの人は話を続けた。
「本って読まれなきゃ存在しないのと一緒じゃん。見たい人が読んで初めて
意味があるんでしょ。じゃ、本にとったら見る人の方がずっとエライって
ことにならない?」
私は目を瞬かせた。あの人はいたずらっぽく笑って、
「見たいと思うから全ての物語は起きるんだよ。私がいくら歌っても、あんたが
見たいと思わなければなにもないのと同じ。私はあんたにとっての土曜日の本」
「あのお」私はひどく間延びした声で訊いた。「なんで土曜なんですか?」

「忙しくて土曜くらいしか本なんて読めないじゃん」
そういうあの人の表情はいつもの冷たいものに戻っている。

16 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時11分51秒
「花火ぃ?」甲高い声が挙がり、会場のお客さんたちがなかば困惑したような
笑い声を漏らしている。あの人も、少し微妙な表情で、それでも手を叩きながら
私を見て笑っている。赤いランプが切り替わるのが見える。私は慌てて表情を
作ると、モニターを見上げた。私が無意識に書いた汚い字が、大きく映し出さ
れている。

「田中か、これ? どういうこっちゃ」司会者の男が言う。私は薄く笑みを
浮かべたまま、一瞬回答に窮し、あの人の方を一瞥した。

笑みの奥にある視線は冷たく、なにかを期待しているように見える。

「いや、なんとなく」私は少し俯き加減で悩むような仕草をしながら言う。
「見たいなーって思って」
「なんやそれ、藤本と関係ないやん」

笑い声。私はあの人を見る。額が光り、無数の色彩が弾ける。

17 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時12分19秒

18 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時12分40秒


19 名前:49 土曜日の本 投稿日:2003年07月02日(水)18時12分56秒



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