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37 花火という名の共同幻想
- 1 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時33分03秒
- 37 花火という名の共同幻想
- 2 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時34分07秒
終焉
うだるような暑さで視界が歪む。
そんな中で見たものは滑稽なほど華々しい花火だった。
原色を基調とした光が延々と続き、地響きに近い、
太鼓のような音を奏でる花火は嘘みたいに一定のリズムを保っている。
歩道沿いに群がる観衆の個性は均一化され、
生きているだけで汗ばむこんな日に相応しくないほど冷然と感じた。
そこに人権が守られた、一つ一つの人生を背負っている人間の生々しさはない。
ふと、観衆を含めた花火大会の風景に嫌悪感を抱く。
打ち上がるのみで、目的地もはっきりしない、
曖昧で無意味なそれは後藤にとって虫酸が走るものでしかなくなっていた。
そもそも、花火は本当に打ち上げられているのだろうか・・・。
額に滲み出る汗を手の甲で大雑把に払いながら、そんな疑問に捕らわれ、
そして無意識のうちにその答えを見つけだしていた。
- 3 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時34分46秒
「後藤、どうも好きになれないみたい・・・。」
仲の良いの矢口にこんな告白をしたのは、あの花火を見た日と同じように暑い、夏の夕暮れだった。
「なっちのこと…?」
仮にも一緒に仕事をしなければならない相手を『好きになれない』
とはっきり言ってしまう後藤の傲慢なまでの自己主張を受け入れながら、
しかし釈然としない気持ちで矢口は聞き返す。
「どうして?」
今度は語尾をきつくした矢口の詰問に後藤は座っている膝の上で手を組み直し、
ロケバスの窓から見える紫色に変化しつつある空をぼんやりと見上げる。
それからゆっくりと首を少しだけ傾けた。
そんな後藤のジェスチャーが、台本を読んでいる矢口には気配としてしか感じられない。
「なんで?」
再び尋ねてきた矢口に対してもう一度首を傾げる。
「それが、分からないんだよね。」
悠然と存在する空をなおも眺め続けている後藤は淡々とした装いで答えた。
「めずらしいね。」
そんな矢口の言葉に後藤は暗くなっていく風景を横目で見ているだけで返答をしない。
むしろ、聞こえない振りをしている。
- 4 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時35分30秒
- 「めずらしいよね。」
いつも理屈を求めている後藤にとって、こんなに不透明な認識の仕方は珍しかった。
突き出た金具のように鋭く心理に反応し、周りとのあり方を意識する後藤ではなく、
今此処にいる曖昧な後藤は水で滲んだクレヨンの色のようで、柔らかい感じがする。
矢口はそんな後藤に好印象を抱き、からかうようにもう一度その言葉を告げた。
「何度も言わないでよ。不安になる。」
納得のいかない自分の感情に戸惑っている後藤のそんな言葉を聞いて、
矢口はなつみを嫌う後藤の理由が少しだけ見えたような気がする。
「そっか…。そうだね。」
だから、次の言葉をかけるでもなく、暑さで歪む世界を後藤と一緒に見ていた。
ふたりの沈黙にエアコンの雑音が重々しくのしかかってきても
後藤に上手な言葉をかけてやれないのはなつみと同じだな、と矢口は自嘲する。
ただ、なつみとの違いは気付いているか、いないかだった。
後藤にとって悲しいことはなつみがその後者であったことにある。
「なっちに会いたいなぁ。」
雑音にかき消されるほど小さな声で後藤は呟いた。
- 5 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時36分01秒
夜中の電話は鳴る前の気配を振りまく。
RRRRRRRRR………
「はい。」
「やっぐっつぁん?私。」
電話の主は後藤だった。
3日前にあったときと同じような憂鬱な声で後藤は矢口の時間を共有しようとしている。
はっきり言って、うんざりだった。
『また、なつみのことだろう』と矢口は察しがついていたからだ。
なつみに関しての話では、いつも言わなくてはならない言葉を押し殺してしまう。
後藤を傷つけないようにするためにその言葉を押し殺し、暗い沈黙が続くから、
矢口は後藤となつみについて話すのが嫌だった。
「やぐっつぁん?」
「聞いてる。」
本当は話したくなかったけれど、あまりにも後藤の声が不安そうで、脆かったので、
思わず矢口は心から優しさを作り出す。
- 6 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時36分44秒
- 「後藤…、なっちのこと、殺しちゃうかも。」
言葉とは裏腹な乾いた笑い声を作って後藤は告げた。
その人工的な明るさが矢口に恐怖を倍増させる。
「今、どこにいるの?」
自分にも、後藤にも心を落ち着かせようとゆっくりと尋ねたが、その目論見は失敗に終わり、声が震えた。
「なっちの部屋。」
「どうするの?」
震える声もそのままに矢口はまた訪ねる。
「分かんない。」
矢口に『なっちは嫌いだ』と告白したときと同じような、平然とした物言いだった。
最悪の局面を迎え、矢口は意外にも時計に目を止めて、明日の集合時間を頭の中で確認する。
その時間が一瞬の沈黙となり、取り返しのつかない事をやってしまったと、その後気付いた。
何故なら、後藤が笑い出したのだ。
太鼓のような、そう…、花火の音のような一定さで…。
「っていうか、もう殺しちゃったのかも。」
早口に言い終え、後藤は笑い続ける。
…泣き声にも似た、その笑い声がいつまでも矢口の耳に響いていた。
- 7 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時37分28秒
独白
相変わらず、花火は狂ったような音を醸し出しながら行進する。
そして、後藤は様々な疑問を抱えたまま、花火とは逆方向へ歩き出した。
軽い熱射病に蝕んだ頭を煩わしく思い、首をかき切ってその頭まで振り落としてしまいたい衝動に駆られる。
それが、『自殺願望』などと悠長なプロセスをたてられた言葉では表現できないほど、刹那的で…。
ただ、花火に向かう観衆の歩く道が過去で、これからの進む道が未来だとすれば、
逆行する自分は何処の位置に置かれているのか不安になった。
観衆が花火という目的地を持ち、それに前進していると仮定するのならば、
自分の歩むべき道、目的地は何処にあるのだろうと、涙が滲み出そうになったのと同時に頭が痛んだ。
だからまずは頭の問題から排除してしまおう、そんな軽い考えだったのだ。
熱帯夜の中、ここで後藤の視界はシャットアウトする。
- 8 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時38分07秒
娘。に入った後藤を、その中心にいたなつみは矢口と連れだって訪ねてきた。
「よろしく。」
飾らない手が後藤に近寄り、一瞬ひるんだのは何故だったのだろうか。
「…よろしく。」
なかなか握手を交わさない不躾な後藤に対して、それでもなつみは好感的な笑顔で迎えてくれた。
万人はその笑顔に安心感を抱くだろうけれど、後藤は妙な不信感に覆い尽くされる。
なんだか手に入れてはいけないものを手にしてしまったような感じがして、握った手をいつまでも意識していた。
「すみません…、安倍さんって本当はどういう感じなんですか?」
「本当は…って、あのまんまだよ。本人が隠そうとしても他人からは丸見えなんだもん。」
スタッフに呼ばれたなつみの姿が見えなくなった頃合をはかって
後藤は矢口に聞いてみると、不思議そうな顔をされた。
そんな矢口の顔を目の当たりにして
『裏表』があるのは当然だと信じてきた後藤の卑屈な部分が露わになってしまったと悟る。
『なっちのせいで・・・』こんな勝手な逆恨みを心に焼き付けてしまったのだ。
思えば、俺は初対面の時からなっちのことが嫌いだった。
- 9 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時38分48秒
「ごっちんは体力あるねぇ。」
「ごっちんは頑張りやさんだねぇ。」
なつみは飽きもせずにこの言葉を連発する。
それで後藤はちょっと得意げな気持ちになる。
後藤のことを意識していると感じるからだ。
そうすると、なつみは自分も頑張らなくちゃ、と笑うのだ。
まるで、そのことを誰かにしつけられたかのように。
「頑張ろうねぇ」
少しでも後藤が疲れた顔をするとなつみは駆け寄ってくる。
「平気だよ。」
なんて言って優しい笑顔を作り、なつみを突き放す。
なつみは勿論心配そうな顔を後藤に向けるけれど、『ごっちんがそういうなら…』と言う。
こんななつみとの日常は夢のようだった。
- 10 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時39分32秒
- ソロの仕事で、数日でもなつみに逢えない日が続くと、
なつみのことばかり考えていた。
なつみとの会話を想定して、空想で後藤は自分が特別に思われいている、
という優越感を味わっていた。
後藤の傲慢さをよりいっそう増幅させたのは後藤のせいじゃない。
なつみのせいだ・・・・。
その時の後藤はそれが愚鈍な責任転嫁だという事も、
初めて味わう恋だという事にも気付かなかった。
すべてが見えなくなっていた。
初めてなつみに会ったとき、後藤はちゃんと認識していたはずの距離感を忘れていた。
優越感を増幅した後藤こそが、下劣であったことすら・・・。
- 11 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時40分16秒
前進
暗闇の中、花火の音だけが聞こえる。
聴覚でしか捉えられない世界は益々、鮮明で目に焼き付いた光と色が暗闇の中で交錯する。
そして、見ることか出来ないはずの風景の中で、
なつみがいた。
そこで後藤はこれが夢なのだと悟る。
しかし、わずかな安心感は巨大な自己欺瞞によって打ち崩された。
あんなに醜悪だと感じていた花火に、それでも目を離さなかった自分は何なのだと愕然とする。
ああそうだ。
と後藤は暗闇の中、見えるはずのないなつみの姿を必死で追いかけながら、
始めからあった答えを思い出していた。
- 12 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時41分00秒
「肺炎だってね。」
「…うん、知ってる。」
後藤の顔は醜いほどにやつれていてた。
しかし、後藤はむしろその現状に満足そうな態度を示している。
医者に病名を告げられるときだって、穏やかな顔だった。
「入院はしなくても大丈夫なわけ?」
「うん。薬は処方して貰ったし。」
「…そう。」
後藤も矢口もそれ以上の言葉を綴らなかった。
後藤が風邪になった原因をお互い、はっきりと知っていたからだ。
「あの夜は、ごめんね。」
「…うん。」
「けど、半分以上覚えていないんだ。やぐっつぁんに電話して、気付いたら家にいた。」
「…そう。」
覚えていなくて良かったと矢口は内心そう思う。
あんな異常な世界に自分は二度と引き込まれたくないという、自己中心的な考えがあった。
しかし、矢口のそんな保身を切り崩すように後藤は笑った。
「覚えてはいないけど、でも、何となく自分が何を言ったかは分かる。」
動揺している矢口をよそに後藤は言葉を足した。
「なっちのことでしょ?」
「…どうして?」
「後藤の病気の原因を追求しないから。ストレスが原因だってことでしょ?
だから、あの夜後藤はストレスの発端を口にしたわけかなって。」
- 13 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時41分35秒
- あの夜と同じように再び笑い出した後藤に先程まで不安を感じていたが、
今のような冷静な分析の仕方はいつもの後藤であるのに気付くと、
矢口は後藤が見せている微笑みと同じような笑みを浮かべる。
「よかった。」
矢口は無意識にその言葉を口に出していた。
「なにが?」
「なっちと決着がついたから、落ち着いているんでしょ?」
「いや、それはまだなの。けど、分かったんだ。
・・・始めから分かっていたことなんだけど、そうだなぁ・・・思い出したの。
それで気持ちが落ち着いたんだ。」
「えっ?」
「あそこまで追いつめられないと分からないだなんて、後藤もまだ子供だよね。
それに、やぐっつぁんまで巻き込んじゃって。もう、そんな事はしないよ。」
矢口の自己中心的な心を見透かすように後藤はそんなことを言った。
「後藤となっちの問題は、後藤一人で決めてみせるから。」
目の前にいる矢口ではなく、後藤は自分に言い聞かせるように呟く。
『なっちとごっちんは違いすぎるんだよ。』
矢口はまた、この忠告が告げられなかったと後悔したが、
後藤の発言でその思いは吹き飛ばされた。
後藤の顔は一週間前に見た後藤とは明らかに違っていたのだ。
- 14 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時42分08秒
回答
夢の中、後藤はなつみと一緒に花火を見ていた。
次々と打ち上げられる花火の大群を飽きもせずになつみは見つめている。
周りを見渡せば、皆同じような顔で花火を見守っていた。
まるで、教祖に洗脳された信者のように無機質な表情で…。
後藤にとってその顔は奇妙でしかなかったが、
よく見れば固い箱に守られているような安心感が観衆の周りを漂っている。
観衆は『真実』という強靱な理由付けでもって成立している花火という名の幻想を見ていた。
後藤に吐き気がこみ上げる。
瞳が刳り抜かれた人形を見てしまったような気分の悪さが後藤を襲う。
苦しそうに前屈みになった後藤の背中をなつみがさすってくれた。
「大丈夫?」と微笑みかけてくれるなつみもまた、
固い箱に守られた目のない人形と同じなんだと、後藤はふと悟る。
後藤はそんななつみの優しさに助けられてきた。
あんなに醜悪と感じた花火を見続けていたのはなつみと同じ感覚になりたかったのだ。
後藤は固い箱ではなく、優しいなつみに守られたかったのだ。
しかし、そんなことはあり得ないと、
今度は夢の中ではなく、病院のベッドの上で後藤は悟った。
- 15 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時42分43秒
『ごっちん、大丈夫?』
携帯電話から響いてくるなつみの声は『大丈夫?』と尋ねながら、
『大丈夫であって欲しい』という気持ちが含まれていた。
「元気だから、大丈夫。」
だから、後藤も『当然でしょ』といった感じに言葉を返した。
本当は頭の痛みで思考も鈍くなっているのに、後藤は負けん気でそう返してしまった。
『それ聞いて、安心したべさ。』
すっかり脳天気な声を出してなつみは笑った。
そんななつみの明るさに後藤は頭痛が少し引いてるのを感じる。
『舞台の方、大変だけどね。』
そんな事を言って近況報告するなつみの話を聞いていると、彼女の充実感が伝わってきた。
『そんなことより、ちゃんと病気を治してね。』
「大丈夫、大丈夫。後藤、治癒力高いからさ〜。」
テンポよく話を交わす間、ずっと後藤は普段と同じように
なつみと話せているかどうかを、気にかけていた。
自分となつみが違う人種だということを気付かせまいとする努力が、
後藤をそんな気持ちにさせる。
だから、なつみが好きだという気持ちも胸の奥に押し込んだ。
そうしないと心地良いなつみの懐にいられなくなると、後藤は夢の中で気が付いた。
- 16 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時43分17秒
- 『頑張ってね。』
と、いつものような優しい声でなつみは言い放つ。
「それじゃ。」
そう言って、名残惜しそうに携帯を切ると、後藤は病気のわりに気分がいいことに気付き、苦笑した。
頭よりも身体の方が正直である自分に驚き、いつまでも、光を失った携帯を見つめる。
なつみとの新しい関係が始まった。
そんな気分で携帯を握りしめながらベッドに横たわり、美しい夢を描きながら目を閉じた。
- 17 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時43分50秒
- ☆
- 18 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時44分33秒
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- 19 名前:37 花火という名の共同幻想 投稿日:2003年06月30日(月)00時45分48秒
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