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38 花びらを燃やしに

1 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時17分35秒
38 花びらを燃やしに
2 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時19分40秒
暑かった。ひたすら暑かった。

フローリングの床に寝そべって雑誌を何度も読み返す。
ブゥン…と変な音を立てながら、上から降ってくるはずの人工的な風は止み、
何か様子を見るようにエアコンがゆっくりとその動きを止めた。

設定温度が高すぎたみたいだ。もうちょっと温度を下げよう。
仰向けになって雑誌を放り投げその手で転がっているリモコンを掴む。
その時ノックがきこえてきて、返事を返す前にそのドアが開いた。

「ねえ、れいな。一緒に食べない?」
「…あ?」
振り向くと、大きく切った瑞々しそうなスイカ片手に、
小さい頃からの幼馴染が勝手に部屋の中へと入って来るのが見えた。

「いいね、パッツン。気が利くぅ」
「もうパッツンパッツン言わないでよー」
あたしは笑いながら脇に寄せていた机を引っ張って部屋の中央へとセットする。
パッツンは二切れのスイカを乗せた真っ白いお皿をその机の上に置いて、
ベッドの上に放られていたクッションを、自分の座る場所へ敷いた。
3 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時21分39秒
「あれ?塩が無い」
「…え、果物にお塩かけるの?」
しゃくしゃくと、スイカがシャーベットのような音を立てていた。
スプーンを口にくわえてパッツンが首を傾げる。ああ、そうか。忘れていた。
元々東京に住んでいるパッツンの家ではスイカに塩なんてかけないんだろう。

塩を取りに行ってくると言い残して部屋を出た。
静かな廊下を歩いていくと、元々茶色い床が、明るく光っていることに気づく。
階段の脇についている小さい窓からオレンジ色の光が差し込んでいた。

(もう夕方じゃん)
いくら夏休みだと言っても、もうそろそろ生活リズムを直さなくてはいけない。
日が暮れればこの蒸し暑さも少しは和らぐだろうか。そんなことを考えながら台所へ。
ここも窓から入る夕陽の色で全体がオレンジ色に染まっていた。

塩の入った容器を手に取り、窓の外をふと眺める。
西日を直視してしまった。少し目を細めて、光を遮ろうと手をあげかけた。
4 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時22分41秒
(…え?)
ほんの一瞬だけ眩しさがなくなる。黒い影が通り過ぎ、どこかへと向かっていく。
あたしにはそれが誰の影なのか心当たりがあって、弾かれた様に窓の傍へ駆け寄り、
ガラスを割るかもしれないぐらいの勢いでそれを開け放った。

「さゆっ?」
確かにその後姿は、あたしの良く知るもう一人の幼馴染だった。
陽光を背負った彼女の白いワンピースは、今だけ、色づいたように光って見える。
呼びかけの声に気づいたのか一瞬だけその足を止めてこっちを振り返る。

視線が絡まった。

さゆは何も見えなかったのか、見えない振りをしたのか、また背中を向ける。
なんでだろう。あたしはその後姿を追いかけなきゃいけない気がして、
そのまま窓を越えて外へ飛び出しかねなかった自分を引き止めてくれたのは、
窓枠にかけた左手に握る、塩を入れた容器だった。
5 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時23分39秒
―――

「…さゆが、変だったって?」
夜になれば外も冷え込むと予想して、クローゼットの中からシャツを取り出した。
Tシャツの上から羽織って部屋を出て行こうとしたあたしをパッツンは引き止める。

「あんまり…気にしない方が良いと思うよ」
「なんで?」
「…なんで、って…」
すでに皮だけとなっていたスイカを眺め、パッツンは言い難そうに言葉を濁す。

「…ゴメン。あたし、やっぱ行くね」
時計を見上げると針がちょうど6時を指すところだった。これから日が急激に落ちる。
早くさゆの後を追いかけてあげるべきだろうと思っていたあたしは、
そんな煮え切らない態度のパッツンを置いて、部屋を飛び出して行った。

階段をバタバタと騒がしく駆け下りたって、文句を言う家族は家にいない。
パッツンはうちの合鍵を持っているし戸締りは特に気にしなくていいだろう。
あたしは迷うことなくスニーカーを引っ掛けて、玄関を飛び出していった。
6 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時24分32秒
―――

さゆの姿はすぐに見つけることができた。
家からあまり遠くない場所。近所にある道路をとぼとぼと歩きながら、
なんとなくどこかちゃんとした目的地へと向かっているようだ。

無事を確認したせいか、必死に追いかけてきたのが何かバカみたいに思えてきた。
あの時は儚げに見えた後姿は別にいつもとなんら変わりなくて、
彼女が右手に持つコンビニ袋がよりリアリティを醸し出していて拍子抜けする。

軽くあがっていた息を整えるために足の速度をゆっくりと落とした。
コンクリートの地面をぱたぱたと鳴らしながら、さゆの後ろに追いつく。

「さゆ!」
声をかけたらちゃんと振り向いた。
こっちの姿を確認して、さゆが首を少し傾げる。

「…れいなちゃん…?」
「れいなちゃん?じゃないよまったく。
あんたさっき、れなが声かけたのに無視してったでしょ」
「………」
ぽけっと小さく口を開けて、バカみたいな顔を晒すさゆ。
なんだか無性にムカついてその額を軽く小突く。
7 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時25分11秒
「…なんか元気ない。どうかした?」
そっぽを向きながらそう訊いてみた。
視線の先で、黒猫が灰色の塀の上を我が物顔で闊歩している。
猫の顔がこっちを向いた。視線が合う。お互い意味もなく睨み合った。

だからかもしれない。猫に気を取られていたせいかもしれない。
信じられないような言葉がさゆの口から零れて、それを理解するのに数分かかった。

「絵里ちゃんに振られちゃった」
「え?」
さゆの持っていたビニール袋が風に揺れてがさがさと音を鳴らす。
道のすぐ脇を、黒い乗用車が排気ガスを撒き散らしながら通り過ぎる。

車が起こした風を身体に浴びてさゆがもう一度呟く。

「というより…絵里ちゃん、好きな人がいるんだって」
「…なに、それ」
「昨日聞いちゃったんだ。この間れいなちゃんに話したよね、花火のこと。
誘おうと思って声かけたとき、私、冗談言っちゃったんだ」
8 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時26分07秒
絵里ちゃんは彼氏が居ないからいつでも暇だよね。
彼氏はいないけど、好きな人ぐらいいるもん。
笑いながらさゆが言った冗談に、絵里は頬を膨らませながらそう答えたらしい。

さゆが絵里を好きだというのはずっと昔から知っていた。
隣同士に住むあたしたちは幼稚園のころから仲が良くて、ずっと一緒。
絵里が一つ年上だったせいで、彼女が小学校、中学校へ上がるとき、
バカみたいにさゆが大声で泣きちらした記憶が今も脳裏に思い浮かぶ。

少しだけお姉さんだった絵里は、よりお姉さんらしく見えるよう振舞った。
さゆはそんな絵里の後姿を見て、昔からずっと彼女が大好きだった。

小さい時には言えた「大好き」の冗談も大きくなるに連れて次第に言えなくなり、
まるでそのせいだと言わんばかりに、さゆの気持ちは心の中で膨らんでいく。
その隣にあたしは居たから、見ていたから、多分誰よりも一番その辛さを知っていた。
9 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時26分43秒
『…絵里ちゃんと、花火やりたいな』
『はぁ?なにそれ。れなだけ除け者?』
『ち、違うよ。そうじゃなくて…思い出が、欲しいなーって…』
『うっわ、やっぱり。それ二人だけの思い出がってことじゃん。
はいはい良いですよー…まったく、さゆはホントにパッツンが好きだよねぇ』
『…うーん…』
10 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時27分51秒
ついこの間交わした会話が頭の中でまたリプレイする。
そうだ。あの時最後に見せた儚げな笑顔が、さっきのさゆと同じだったんだ。
身体中にぞくっと鳥肌が立った気がした。だけど、頭の中はかっかと燃えている。

「…帰ろう」
さゆの腕を掴んであたしは踵を返した。
急なことに驚いたのか、彼女の足はその場に止まったまま動かない。

「帰ってちゃんと話そう。さゆ、まだ伝えてないんでしょ?
好きな人がいるって聞いただけでちゃんと自分の気持ち言ってないんでしょ?」
「い、いいよ」
「良くないよッ!!」
知らないうちに手に力がこもっていた。
小さくさゆが悲鳴をあげたとき、やっとそれに気づく。急いで腕を離した。

「っ…ごめ…」
「…もう、いいの」
あたしの声を掻き消すような彼女の呟きに顔をあげた。
11 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時28分36秒
少しだけ泣き出しそうな笑顔。その瞳が潤んであたしの姿を映し出す。
それを見て、今自分も同じ表情をしているのかな、とふと思った。

「もう…いいんだよ、れいなちゃん」
さっきまでさゆの腕を掴んでいた手に彼女の手がそっと触れる。
その時微かに音を立てた物を見れば、コンビニ袋の中から、花火セットが覗いていた。

「ね、花火埋めに行こうと思ってたんだ。れいなちゃんも来る?」
「…埋め…る…?」
「うん。眠らせてあげようと思って、ね」
絵里ちゃんとの思い出と、絵里ちゃんを想って日々の思い出を、一緒に。

別に花火は絵里と二人だけでやらなきゃいけないなんて決まりはない。
埋めなくたっていいじゃないか。花火は燃えて、綺麗に散って、それが仕事なのに。
なんかドラマチックなことやるね、なんて軽口を叩けるはずが無かった。

綺麗な光と共に自分の命まで散らすはずだった花火。
さゆと絵里がこの夏一緒にやるはずだった花火。
その仕事を終えることもないまま、眠らされようとしている。
12 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時29分17秒
「…そんなの…悲し過ぎるじゃん…」
花も咲かせず眠る花火は、きっと、さゆ自身だ。

たとえ絵里に好きな相手が居たとしても、
さゆが何も伝えられないまま身を引く必要なんてない。
なんでそれがわからないんだろう。さゆは、何一つ悪い所なんてないのに。

彼女はまた泣き出しそうな顔で笑った。

「もう、いいんだよ。多分絵里ちゃん知ってたんだよ。
だからああやって、止まらなくなる前に、私を突き放してくれたんだ」
目の前がぼやけて何も見えなくなっていく。
さゆがあたしの目尻をそっと拭って、何度も笑う。

誰も傍を通り過ぎない真っ暗な道路。
二人だけの世界で、あたしは泣きながら呟いた。
13 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時30分42秒
「れな…が、一緒に、したい…」
「え?」
「…花火」
ほとんどその働きを果たせなくなった目を手の甲で拭う。

何もできない無力な自分が唯一さゆのためにやってあげられること。
もしかしたらあたしは間違ったことをしようとしているのかもしれない。
これが本当にさゆのためになるのかどうかも、わからない。

「一緒に…やりたい」
「…うん」
だけどさゆが小さく、ありがとう、って言ってくれたから、
多分今のあたしは自分ができる精一杯の役目を果たせたはずなんだ。

「…でも、今、ライターないや」
今にも泣き出しそうなのに面白そうにさゆが笑う。
彼女の少し潤んだ瞳に、あたしが同じ表情でいる姿が映って見えた。
14 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時32分09秒
―――

「今度」
いつの間にかお互い繋いでいた手をゆっくり離す。
家の前で別れるとき、さゆが慌てて言葉をかけてきた。

「今度、一緒にやろうね…花火」
「…パッツンも…一緒に?」
そう言い残して帰ろうとしていた彼女が、動きを止めて振り向いた。

もしあたしを通して絵里を見ているのだとしたら。
絵里の代替品としてあたしを求めているとしたら。
(もし、そうだとしたら…)

「…あのね、多分私が絵里ちゃんに抱いてた気持ちってね、きっと…」
そう言いかけて口を閉じる。
少しの間の後、いつも見ていたあの笑顔を見せてくれた。
15 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時32分59秒
―――

もう真っ暗で何も見えなくなった廊下を静かに歩く。
部屋のドアを開けると、床に座ってスイカを食べているパッツンが居た。

机の上の塩が減っている。

「あ、おかえりれいな…あの」
パッツンが何か喋り出す前に、その額めがけてデコピンを食らわせた。
痛がる彼女を放っておいてシャツを脱ぎながら勉強机の椅子へと座る。
目の前にある窓の向こうから、隣の家の淡い光が微かに見えた。

後ろから聞こえてくるパッツンの文句を無視して目を閉じる。

夏ももう終わり。
そう思うと結構寂しいけれど。

(…来年はライター用意しておかないとなー)
あたしは少しだけ、笑顔を浮かべた。
16 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時34分11秒
―FIN―
17 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時34分52秒
E
18 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時35分44秒
S
19 名前:38 花びらを燃やしに 投稿日:2003年06月29日(日)21時36分29秒
R

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