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32 フォイアーヴォルグ

1 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時10分44秒
32 フォイアーヴォルグ
2 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時11分22秒
──薄汚い路地裏に、私はいつも通っていた──。
──そこへ行けば、何もかもを忘れる事ができる──。
──この醜い街の中で、そこだけは綺麗だと思っていたから──。

路地裏を進んで行くと、そこには小さな小屋があった。
小屋と言ってもダンボールで作ったような秘密基地のようなもので、
狭い路地をここぞとばかりに陣取っている。
この街ではこんな“家”だってよく見られる光景だから、誰も気に留めないと思うけど。

そこには、私の大好きなあの人が住んでいた。

「真希さん」
「ん。あさ美じゃん。一人?」
「はい。今日は一人です」
「あっそ」
真希さんは気だるそうに返事を返したけど、ダンボールの上で寝そべったまま。
この人はそんな風に、何も考えないで生きている。
何も失う事のない生活を、ここで…ずっと続けているんだ。
こんな汚い街の中で、何も奪う事なく…ここで、生きている。
3 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時12分30秒
私は真希さんのそんなとこが好きだった。
好きというより、尊敬してたのかな。
その証拠に真希さんの傍へはたくさんの人が寄ってくる。
昔の知り合いとか、どこかで出会った誰かとか、私のように噂を聞きつけてやってきた人とか。
今日みたいに一人ぼっちで過ごしてる時間の方が少ないほど、真希さんの傍には誰かがいた。

「ふぁぁ…」
大きなあくびをした真希さんは、やっぱり寝そべったままで手を伸ばした。
伸びた手は小さな箱とライターを掴み取り、箱から一本だけ筒のような物を取り出す。
それが真希さんの口元に吸い寄せられ、先端に炎が灯った。
バチッ…という火花のはねるような音がして、その先端からゆるゆると煙が立ち上がって行く。
煙は弧を描き、狭く暗い路地の中に広がっていった。

「また、吸ってるんですか?」
私が聞いても、真希さんは無言で“それ”を横に振ってみせた。
「やっぱ、よくないですよ」
更に忠言してみても、真希さんは何も言わない。煙は延々と立ち昇って行く。
4 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時13分56秒
真希さんが吸ってるのは、煙草じゃない。
形状はとてもよく似ているけれど、これはドラッグの一種だ。
「Feuerwerk」と呼ばれるそれは、吸い続けると人体発火を引き起こす事がある。
ドイツ語で“花火”という意味である通り、発火が始まると、体内に熱を蓄えて最期は爆発して死ぬ。
火葬のようにその場で全て燃え尽きてしまい、跡には灰すら残らない。
元々は、開発者のドイツ人が、日本の花火に感動してつけられた名だとされている。
それが皮肉にも、この「Feuerwerk」を愛好した者の死を演出してくれる。
そんな、危険で、私にとっては憎らしい物だった。

この街ではそんな危険な物を、自由に誰でも買う事ができる。
元々はドイツで開発されたらしく、脳の活性化を促進する目的で作られた。
一本吸えば吸った瞬間からめきめきと脳が冴え、気分をハイにさせる。
性行為を及ぶ直前に一本吸えば、精力活性・性欲促進。「天にも昇る気持ちよさ」だそうだ。
要は、快楽を得るために、どこぞの金持ちが投資して作られたらしい。

欠陥が発見され、最初の被害者が出たのは発売から2年後の事だった。
5 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時14分36秒
◇◇◇

「ふー。やっぱいいわ、これ。頭スカッとする」
「…いつか“花火”になったらどーするんですか」
「だいじょぶだいじょぶ。発火するのは僅か15%でしょ」
「そうですけど…」
「それに、別に死んじゃってもなーんも残らないし。アハハ」
確かに、統計されたデータでは発火する確率は15%程度だと、雑誌にも書かれていた。
100人が吸っていても、“花火”になって死ぬのはたった15人。
けれど、実際にこれまで何度か人が“花火”になる姿を見てきたし、真希さんがそうならないとも限らない。
だから、心底彼女には止めて欲しかった。

そんな危険な物が平気で買えてしまうような、このドブゴミの街の住人でも。
私にとっては大事な人だから。

「そーいえばさー」
「はい?」
「カオリ、いるじゃん」
「カオリ…さん?あの、身長の高い、ロングヘアーの?」
カオリさんというのは、真希さんの知り合いの情婦の女性だった。
長い髪をなびかせて、男と歩いてる姿をよく見た。
それは彼女の仕事であった訳だし、この街で生き残るための手段だった訳で、そうする人も多かったけれど。
6 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時15分12秒
「カオリさんが、どうかしたんですか?」
「んー。カオリねー…“花火”になったらしいよ」
「え…」
思わず、言葉は漏れた。…漏れはしたけれど。
あまりピンと来なかった。

つまり、カオリさんは「Feuerwerk」の吸いすぎで死んだ。
その身を、炎で焦がしながら。

これまで、何度もそんな人見て来た。
知り合いだったり、友人だったり、まったく知らない人だったり。
皆同じように、最期は奇声を発しながら炎に包まれて死ぬ。
だから、カオリさんが死んだと言われても「ああ、そうなんだ」で済んでしまったんだ。

「カオリさんが死んだって聴いても、真希さんは止めないんですね」
「ん。あたしだって死ぬときゃ死ぬさー。
 死ぬのが怖いなんて、もうだいぶ前に忘れちゃったね」
真希さんはそう言いながらも、片手に再び箱を掴んだ。
そして一本取り出すと、先ほどと同じように火をつけようとする。
7 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時15分58秒
「私は、死んで欲しくないです」

その細い腕を、ギュッと握り締めていた。ほとんど無意識で。
細い腕は一瞬、その動きを止めた。

「なんで?あたしが、生きる理由ある?」
多分、私には解らない。
この街で育ったながらも、きちんと家を持ち、家族を知って育った私には。
真希さんのこれまでの人生の辛さとか、この世への執着とか。
解ろうとしても、多分解らない。
「…私、バカですから」
「ふーん。あのさ、別にいいじゃん?
 あさ美はあさ美。家族がいて、友達がいて、それなりに生きてる。
 あたしはあたし。捨てるもんなんてなんもない」
「…私、バカですから…解らないんです」
「ふーん」
真希さんは面倒臭そうに呟き、取り出した一本を箱に戻して、ゴロンと寝返りを打った。

「今日はもう寝るよ。帰んな」

その日はそのまま別れた。
8 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時17分05秒
◇◇◇

お父さんはいない。私が産まれた時にはもういなかった。
お母さんもいない。私がこの街に来た時にはもういなかった。

だから、私には本当はもう家族はいない。
それでも、産まれた時から孤独の真希さんよりはずっと恵まれた環境だった。

友達も結構いた。この汚い街で育った、仲間たちが。
仲間たちと一緒にいるのは楽しかったけれど、真希さんといる時とは違う。
どこをどういう風に好きだったとか、どういう風に尊敬してるのかはわからない。
ただ、真希さんと一緒の時間を共有するだけで、幸せだから。

「あさ美、どうしたの?」
「ん…なんか、最近やたら眠いんだ」
そう言った直後にアクビが出て、彼女は笑った。
幼馴染みの愛ちゃんは、私より一つ年上で、同じようにこの街で育った。
姉妹のように仲が良い私たちは、寄りそうようにずっと一緒に生きてきた。
お姉ちゃんが出て行ってから、この私の家で一緒に暮らしている。

「また、真希さんのとこ行ってたんだ」
「んー。…そう」
9 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時17分47秒
「そっか。あさ美は真希さんのこと、大好きだからね」
「うん…」
彼女には、私が真希さんをいかに尊敬してるかを何度も何度も伝えた。
その度に彼女は「そうだね」と笑ってくれた。
「はぁ〜。あさ美、人が死ぬって怖いね」
「どうしたの、突然?」
「うん…なんか、最近…“花火”で死ぬ人の数が増えてるらしいから…」
「そ、そうだね…」
頭の中で、死んだカオリさんの顔が浮かんだ。一瞬で消えたけど。
愛ちゃんは机の上にひじをつけて、ボーっと遠くを見つめていた。

「あさ美は、絶対吸っちゃダメだよ?」
「…?…解ってるよ」

会話はそれで終わった。
愛ちゃんはそのままお風呂に入り、私は早めにベッドに潜った。
愛ちゃんが出てきて「おやすみ」とお互いに言い合うと、そのまま深い眠りに就いてしまった。

あんなもの、無くなってしまえばいいのに。
どうして皆吸うんだろう。死ぬのが怖くないのかな?
死ぬのが怖くなかったら、砕け散って死んでもいいのかな?
私、バカだから解らない。
10 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時18分56秒
◇◇◇

腐臭で目が覚めた。
目を開けると瞬間的に吐き気がして、目の前のものを見る事ができなかった。
胸の奥から湧き上がってくる、嘔吐の気で頭がクラクラする。

紅く染まった部屋中に立ちこめるのは、鉄さびの匂いみたいな気色悪い匂い。
血。見渡す限りに、その部屋の中は血の色で染まっていた。
それに、ベッドのシーツの一部だけが焦げていた。一部だけが。
──そこは、愛ちゃんの部屋で。

足がガクガクと震えた。立つ力もない。
それに、目がよく見えない。
愛ちゃんの、姿はない。
あるはずない。
──爆発して、死んだのだから。灰も残らないような炎に焼かれて。
「愛…愛、ちゃん?なんで…」
愛ちゃんが、「Feuerwerk」を吸っている姿なんて見たことなかった。
だけど、こんな死に方をするのはあれしかない…。

「バカ…バカだよ…なんで…」

“あさ美は吸っちゃダメだよ?”なんて、そんな言葉で私を繋ぎ止めておいたの?
私に、そう言うことで許せと言いたかったの?…わかんない。「ああああああああああっ…」
もう、何も考えられなくなっていた。
箱の中のそれを全部取りだして、先端に全部火をつけて吸った。
11 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時19分57秒
口の中が熱い。初めて味わう感覚。
身体中に電気が走ったみたいに手足がビリビリする。
全身に汗がにじみでてきて、もう立つ事すらままならなくなってきた。
頭の中が一気に白くなって、そのまま気を失った。

◇◇◇

今度目が覚めた時は、真希さんが傍にいた。
そこは真希さんの“家”で、いつも真希さんが寝そべってる場所で私が寝ていた。
優しく微笑んで、でも鋭い目で私を見ている。

「愛ちゃん、死んだんだ」
「……知ってるんですか……」
「もう、結構話題になってるからね」
「……バカだったんです、愛ちゃんは」
「そう」
「……」
何も、言えなかった。真希さんにも話す気にならない。
愛ちゃんはただのバカで、私を裏切って死んだ。
12 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時20分30秒
「もう、何も考えたくないです」
「そう」
真希さんも、何も言わなかった。いつものように「Feuerwerk」を手に持って、煙を吐き出していた。
「……真希さんも、私を裏切って死んでいくんですね」
「……そうかもね」
「汚いです、全部。もう、全部…」

真希さんは何も言わなかった。ただ、吐き出す煙だけは弧を描いて広がっていく。
私はこの時、自分が初めて泣いてる事に気づいた。
いきなりすぎる愛ちゃんの死を、知らないうちに受け止めているんだ。
それも、納得してしまっている。
真希さんは何も言わなかったけれど、ただ一言、少し低いその声で、ただ一言───。

「あたしが死んだら、泣いてよね」

そう言った。
それが、真希さんの言葉を聞いた最期の瞬間だった。

世の中にはバカばっかりだ、ということを敢えて思い知った。
自分の命も粗末にしてまで、快楽を得るようなバカばかりということを。
愛ちゃんも。…それに、真希さんも───。

私を、含めて。
13 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時21分04秒
◇◇◇

───

───

───

身体が熱い。
燃え尽きそうに。
頭の中は真っ白で、脳から全部焼けていきそうになる。

愛ちゃん、ひどいよ。

クラクラする。

熱い。
熱いよ…。
真希さん、助けて下さい。真希さん…。

「あたしが死んだら、泣いてよね」

真希さんの声が、頭に響いた───。
14 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時21分51秒
15 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時22分33秒
16 名前:32 フォイアーヴォルグ 投稿日:2003年06月28日(土)02時23分05秒
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