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24. 花火は逃さない
- 1 名前:24. 花火は逃さない 投稿日:2003年06月25日(水)15時01分19秒
- 24. 花火は逃さない
- 2 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時02分38秒
- 犬の遠吠えが聞こえる。
男はズキズキと疼く後頭部の痛みに覚醒した。
夢を見ていたようだ。
夢の中で男は大きな机にふんぞり返り、大勢の部下を従えていた。
いっそのことそのまま永遠に夢の中に居続けてもよかったのだが。
それほど彼我の落差は烈しかった。
月明かりに照らされた衣服はところどころ裂けて地肌が覗いている。
暗いせいでよくはわからないが、焦げた生地の臭いが鼻を突く。
男はようやく、自分が襲われていたのだ、ということを思い出した。
どれくらい寝ていたのだろう。
路上生活が長いとはいえ、アスファルトの上が心地よいと感じるまでにはまだ達観していない。
仰向けに横たわったまま、体の各部の無事を確かめた。
肘を曲げてみる。
腕は折れていない。
頭は…少し打ったようだ。
だが、骨折してはいない。
足は…
男は横たわったまま、膝を立てて脚が動くことを確かめた。
大丈夫。問題ない。
- 3 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時03分07秒
- 男は立ち上がろうと手をついて激痛に崩れ落ちた。
その拍子に固いアスファルトの路面で肩をしたたか打ち付ける。
息が苦しい。
ぐふっ、という音とともに肺が呼気を吐き出した。
ハァッ、ハァッ…
荒い息遣いに額から汗が滴り落ちる。
腕をやられた…
肘は曲げられるのに、体を支えられない。
ひびが入っているのかもしれない。
完全に折れてしまう前にやつらが引いてくれたのは不幸中の幸いだった。
もう一蹴り入れられていたら、危なかったかもしれない。
男は反対側の腕で体を支えると起き上がり、よたよたと歩き始めた。
自分のねぐらからは大分、離れてはいるが、それほど遠くまで来たわけではない。
それにしても、と男は周りを眺めながら思った。
人通りがまったくないわけではないのに自分の安否を確かめてくれた者はいなかった。
むしろ再び歩き始めた彼を避けるために車道を横切って反対側に渡る者さえいる。
だが、男には何の感慨もなかった。
この風体と悪臭。
既にどれくらい体を洗っていないのか数える気力も失せてしまった。
憎まれる理由としてはそれくらいしか思いつかない。
- 4 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時03分25秒
- それは突然、襲い掛かってきたあいつらにしても同じことだった。
いきなり投げつけられた爆竹とロケット花火の集中攻撃。
年の頃は中学生くらいか。
声変わりし切っていない幼い声が耳についた。
何不自由ないはずの子供達がすべてに不自由している弱者を打つ。
耐え切れずにうずくまった男を蹴飛ばした足はエアなんとかいう有名なバスケの選手が履いていたものだった。
男は体を丸めて蹴られながら、昔見たジャバーという選手のゴーグルを憶い出していた。
それが痛みを少しでも和らげるということはなかったけれど。
あの頃自分が抱いていたはずの同じ類の怒りを連中に感じたのかもしれなかった。
男は河辺にたどり着いた。
月の光を映して銀色に揺れる水面の眩しさに目を細めながらゆっくりと土手を降りる。
橋桁の下は彼の縄張りだ。
同じ場所に帰るのは抵抗があるが、今日はもうやつらも来ないだろう。
明日のことは明日また考えればよい。
考える時間だけはたっぷりとあるのだ。
- 5 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時03分44秒
- だがその思惑は、粗末な小屋に被せた青いビニールの簾をくぐった瞬間、破られた。
小屋の中には硝煙の臭いが立ち込めていた。
そして、足元には一人の少女が横たわっていた。
細い小枝のような腕は胸の前で折り曲げられ、短いデニムのスカートから伸びた脚は膝下が日本人離れして長い。
小学生くらいだということしかわからない。
男はしばし呆然と立ち尽くした。
追い出すべきだろうか。
闇の中で少女の体がピクッと動いたように思えた。
すべてが面倒くさい。
男は少女の横に倒れ込むと、つぎの瞬間には寝息を立てていた。
男は疲れていたのだ。
あくる日。
目が覚めたときには既に日が高く上っていた。
青いビニールを通して昼の光が差し込んでくる。
腕の痛みを確認しながら起き上がると横にはやはり少女が横たわっている。
男が起きた様子を察して、少女の体が強ばった。
脅えた眼で訴える表情が男の奥に潜む何かを揺り起こした。
くりくりとよく動く瞳の大きさはどこか東南アジアあたりの血を感じさせる。
- 6 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時04分02秒
- 家出か?
答えはない。
警察へ行くか?
だが少女は腕を掴んで止めてくれと懇願する。
警察に連れて行かれると再び少女の父親に連れ戻されるからだという。
自分の親元に返るのに何の不都合がある?
男は納得せず、警察へと向かおうとした。
お願い、と苦しそうにつぶやきシャツをたくし上げ、剥き出しになった少女の薄い胸に男の目は釘付けになった。
あばら骨の浮いた胸郭はアフリカかどこかの欠食児童のようだ。
それ以上に目を奪ったのは、そこかしこに浮かぶ痣と黒い染みの数々。
男にはわかった。タバコを押し付けられた跡だ。
少女は、いいの、していいから、お願い警察には行かないで、と懇願する。
あり得ない。
ここは日本だ。こんなことはあり得ない、と男は思った。
だが、父親に陵辱された少女が目の前にいることは厳然とした事実であり、
職を失って路頭に迷っている自分の姿もまた事実だ。
虐待された少女を前にして何もできないという無力感は男を打ちのめした。
- 7 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時04分22秒
- 執拗に性的交渉を迫る少女を宥めると男は事情を聞いた。
義父にあたる少女の父は外で働く母のいない間、決まって少女を抱くのだという。
口での奉仕が気に入らないとすぐにタバコの火を肌に押し付ける。
何かの拍子に怒り出すと手がつけられず、ビール瓶を下の口に突っ込まれたこともあるという。
あるとき耐えられず家を出た。むろん、ゆくあてなどない。
学校へは行かせてもらえなかったし、同年代の子供達が少女に近寄らなくなって久しかった。
そんな彼女が糊口を凌ぐために唯一できることといったら…
わずか10歳かそこらの少女が娼婦まがいの行為により生き延びてきたという事実は、
すでに感情などなくしたはずの男の胸をも締め付けた。
昨夜は声を掛けた相手が悪かったという。
外で、というだけならいつものこと。
だが、あいつらはロケット花火を下の口に咥えろと命令した。
おかしい。狂っている。
少女は逃げた。
この小屋の近くまで来て、ようやく連中を振り切ったという。
なんのことはない。
そのとばっちりを食らったのが自分だということだ。
だが、自分でよかったと男は思った。
- 8 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時04分39秒
- 男は出かけた。何のために?
食べ物を買うため?いや、買う金などない。
コンビニの残飯をあさればいい。
弁当など買う必要はない。
では、何を?
男は笑った。
睡眠薬、と少女は言った。
何だそれは?
死ねるやつ、と短く答えた少女の言葉を男は笑い飛ばすことなどできなかった。
盗む。そう、盗むのだ。
男は逃げ切れるだろうか、と考えた。
いや、逃げ切らねばならない。
ドラッグストアは混んでいた。
男が入ると周囲の人が避けて一筋の道が出来た。
まるでモーゼのエクソドスじゃないか。
男は愉快になった。
まっすぐに風邪薬のコーナーへ歩み寄ると咳止め薬の壜を手に取った。
死ねるやつ、とは書いていなかった。
当たり前だ。わずか数時間であっても安心して眠れる時間。
それだけで充分だ。
- 9 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時05分14秒
- 無造作に数本の壜を掴むと来た道をまっすぐ戻った。
再び道が開ける。男はふと考えた。
モーゼがエジプトに帰ったとして海に道は開けただろうか。
どうでもいい。
凍りついたように固まるカウンターの店員を尻目に男は悠々と出入り口を抜けた。
走る。
思い出したように店員が飛び出してきた。
走る。
早い。早いぞ。
どこにこれだけの力が残っていたのか。
男はカール・ルイスにでもなったような気がした。
たしかオリンピックで活躍したんだ。そうだろう?
走る。追いかける。
ハァ、ハァッ…
息が切れる。
後ろは振り向かない。
けれど追っ手が近づいてきた気配は感じる。
振り切る。走る。走れ。
気が付いたときには河縁まで来ていた。
振り返っても追っ手は見えない。
まだやれるじゃないか
本当か?
まだやれるはずさ
そうとも、カール・ルイスくらいにはな
- 10 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時05分31秒
- 男は土手を統べるように降りて橋の袂へと急いだ。
汗をかいている。
臭くないか?
男は一瞬考えたが、止めた。
今に始まったことではない。
青いビニールを潜るとしかし、状況は一変していた。
買ってきたのね
ニヤニヤと笑う少女に薄倖の翳りはすでに見えなかった。
少女を囲む少年たち。
ばかなじじいだな
昨日の少年だ。
男は膝から崩れ落ちた。
嘘だったのか?
あたりまえだ、ばか
いまどき、そんな絵に描いたような不幸背負ったやつがいるかよ、よくぼけじじい
少女は蔑むような目つきで男を見下ろしていた。
お前はじゃあ、ロケット花火を股に挟まなくてもいいんだな
当たり前だ、このスケベじじいが
代わりにお前のケツの穴にぶち込んでやろうか?
あひゃひゃひゃひゃ、そいつはいい
- 11 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時05分48秒
- そうか
狂ったように笑う少女たちに構わず男はぼそっとつぶやいた。
それならよかった
なに?
少女の目が光る。
薬はもう必要ないんだな
ばかやろう、お前が飲むんだよ
俺が飲むのか?
いやならケツにロケット花火だぜ
しょうがないな
少女は不気味なものでも見るような眼で男を眺めた。
あんたは悔しくないのか?
何が?
あたしみたいなガキに騙されて悔しくないのか?
……
男は一瞬、考えた後、答えた。
いや
お前が薬なしで寝られるならな
少女は泣きそうな顔で怒鳴った。
お前が飲め!飲めよ!
- 12 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時06分42秒
- いいだろう
男は壜の蓋を開けて内蓋を剥がし取った。
どれだけ飲めばいいんだろう?
知るか
これくらいかな?
男は手始めに一本、咽喉に流し込んだ。
甘い。こいつはいけるぞ
ばかなじじいだ
こいつラリって死ぬぜ
いいだろう
どうせもう死んでいる
体がフラフラしてきた
一度には飲めないな
分けて飲めよ
こいつ、びびってんじゃねーの?
じじいのくせに往生際が悪いな
しねよ、じじい
外野の少年たちがかしましい。
男は震える手でもう一瓶を開けて飲み干した。
はいっ、つぎ!
早くも合いの手が入る。
男は次の壜の蓋を捻る。
なかなか開かない。
はやく開けろ、このやろう
おい、ふらふらしてきたぞ
もう効いてるのか?
んなわけねー、だらしねーじじいだな
- 13 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時07分05秒
- 甘味の濃い液体が咽喉に絡む。
ごくり、と唾液を嚥下してもなかなか咽喉を通らない。
お前…
少女の声が聞こえた。
すでに落ち始めた瞼のせいで視界は狭い。
やってもよかったんだぞ…
まさか
男は薄れつつある意識の片隅で笑った。
売り物に手を出せるか…
- 14 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時07分21秒
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- 15 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時07分43秒
- ハッと目を覚ますと、そこは見慣れた自分の寝室だった。
横には矢島舞美が裸のまま横たわって虚ろな視線を宙に浮かせている。
その瞳の焦点はどこにも結ばれていない。
生々しい夢だった。
罪滅ぼしのつもりだろうか。
夢の中ではいい人になりたいらしい。
ちょっとした自己発見だった。
男はタバコを加え、火を着けた。
矢島の肌には実際にところどころタバコの火を押し付けたと思しき痕跡が点々としていた。
水着を着ても見えない乳首の周辺に集中している。
来年、キッズから娘。への昇格をちらつかせて結んだ関係。
それもそろそろ潮時だろうか。
男は自嘲した。
行為の最中に寝てしまうとは自分も年を取ったものだ。
- 16 名前: 投稿日:2003年06月25日(水)15時08分07秒
- 山崎さん…
相変わらず定まらない視線そのままに矢島が語りかける。
最近、来ないんです…
口には出さず、男は心の中で答えた。
さて、いつものように卒業の段取りを考えようか
いつものようにだ
何も問題ない
く、くく…
男は微動だにしない少女のつるりとした下腹部に目を移した。
いや、その前に…
男は思い出して、くくっ、と短く笑った。
ロケット花火か…
おもしろいかもしれない
ふぅーっ、と息を吐いて煙をくゆらせると、男はもう一度、矢島の上に覆い被さった。
― 花火は逃さない 終 ―
- 17 名前:24. 花火は逃さない 投稿日:2003年06月25日(水)15時10分30秒
- 18 名前:24. 花火は逃さない 投稿日:2003年06月25日(水)15時10分55秒
- 19 名前:24. 花火は逃さない 投稿日:2003年06月25日(水)15時12分36秒
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関わりありません※
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