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18 泣き虫が朝の光をみる

1 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)19時16分42秒
18 泣き虫が朝の光をみる
2 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)19時19分10秒
飯田先生の右頬には黒くて深々とした大きな痣がありました。飯田先生がこの学校に来た
時に、「私の右頬にある痣は、生まれた時からあった物です」と言っていました。
最初、飯田先生がわたし達のクラスを受け持つ事になった時、みんな影で飯田先生の事を
「気味が悪い」と言っていたけれど、わたしはそんな事これっぽっちも思いませんでした。
それは飯田先生の瞳が、とても深くて綺麗だったからです。

「のの帰ろ」
帰り支度を終えたあいぼんが、わたしの所へやって来てそう言ったので、まだ黒板の文字
を写し切れて無かったけど、すぐにシャーペンをケースに戻しました。あいぼんは「いい
の?」って訊いて来たけど、なんとなく今日は早く帰りたかったので頷きました。

廊下は、窓に切り取られて差し込んでくる茜色の光に照らされていて、わたしとあいぼん
はその光に目を細めながら、今日の5時から始まるドラマの再放送について話ていました。
3 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)19時21分21秒
わたし達の歩く速さにに合わせて現れては後ろに消えて行く教室には、もう誰一人残って
いません。多分、みんなもドラマが見たくて早く帰ったんだと思い、自然と2人共速度が
上がっていきました。すると、廊下の先で、誰かがしゃがんで何かを描いているのが見え
て来ました。新聞紙を床に引いて、大きなキャンパスに大きな筆で青い絵の具を塗ってい
ます。すぐに飯田先生だと分かりました。

飯田先生の横を通り過ぎる時、あいぼんが「さよなら」と言いました。けれどわたしは口
をもごもごとさせているだけで、なんとなく言えませんでした。
けれど、飯田先生は「さよなら」と返してくれました。わたしは飯田先生との距離が大分
離れたのを確認すると、ゆっくり後ろを振り返ります。

しかし、飯田先生はまだこっちを見ていてわたしと目が合うと柔らかく笑いました。わた
しはビックリしてすぐに顔を反らしてしまったのです。反らしてしまった後、少し後悔し
ました。何故か、心臓がばくばくと弾んでいるのが、とてもリアルに聞こえてくるようで、
あいぼんに聞かれたらどうしようと心配になりました。
4 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)19時23分39秒
次の日の朝です。あいぼんから風邪をこじらせたから今日は休むね、とメールが来ました。
なので今日は一人で学校へ行きました。朝は嫌いです。風が冷たいのと、いつも通る電柱
の下にカラスがいるからです。でも、準備中のお弁当屋さんから漂うコロッケを揚げる音
とコンソメの匂いを嗅ぐのは好きです。
今日はあいぼんの家まで向かいに行かなかったので、少し早く学校へついてしまいました。
グラウンドにはまだ朝練中の野球部がバットを振っています。わたしはボールが怖かった
ので急ぎ足で校舎へ入ります。

しん、と静まりかえった廊下はいつもより冷たくて、わたしの不規則な足音をずんと響か
せていました。ふと、地面に落としていた視線を上げてみると、美術室に明かりがついて
いるのが目に映りました。美術部の活動日は月・火・木だと紺野ちゃんが言っていたのを
思い出し、わたしは紺野ちゃんに逢いたくなって小走りに美術室へ近づきます。
少し開いた扉から漏れる光を確認すると、その隙間からそっと覗いて見ました。すると、
中には美術部どころか誰一人いません。あるのは大きなキャンパスに描かれている青い鳥
くらいです。
5 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)19時26分20秒
「何してるの?」

突然、頭上から声を掛けられ、驚いて扉から一歩離れました。すると、飯田先生が大きな
目をぱちぱちとさせてわたしを見ていました。ふと、昨日の事を思い出してまたもじもじ
としてしまいます。そんなわたしを飯田先生は、ふっと笑うと「こっちおいで」と手招き
して来ました。わたしは一瞬ためらってゆっくりと頷きます。

飯田先生はわたしを中へ入れてくれたかと思うと、すぐに「この絵、何だと思う?」と訪
ねて来ました。さっきは扉の隙間越しだったからよく分からなかったけど、すごく大きな
絵です。わたしは正直に「うまいと思います」と応えると、飯田先生はおかしそうにクス
クス笑って「違うわよ。この真ん中の絵は何だと思う?って訊いたのよ」と言ったので、
少し恥ずかしくなりました。が、気を取り直して「青い鳥」と応えます。

「そう、正確に言うとコンドルよ。青いコンドル。今度の文化祭に出す事になったの」
「へぇ」コンドルと言うと『赤』を連想するので、ちょっと飯田先生の考えている事が
分からなかったけど、でも青は飯田先生に似合うと思いました。
6 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時01分59秒
その後も、今日あいぼんが休む事や、カラスが嫌いな事とイカめしの話とか、いろいろと
話ました。そしてわたしが明日の朝も来ていいですかと訊くと、いいよと言ってくれまし
た。ちなみにその日は、水曜日だったそうです。

それから次の日もまた次の日も、あいぼんの風邪が治った日も美術室を訪ねて、飯田先生
の話を聞きに行き、あいぼんや美術部の紺野ちゃんも一緒に飯田先生の話を聞きました。
飯田先生は本当に不思議な人です。突然話かけても応答が無かったり、フクロウは夜にし
か現れないなんて当たり前の話を必死でしたり、と思えば、いきなりわたし達だけ絵のレ
ッスンをさせられたり、とにかく不思議な人です。

でも、一番不思議なのは右頬の痣を絶対に隠さない事でした。前にわたしは、修学旅行で
お風呂に入る時に、尻餅してついたお尻の痣を必死で隠していたのを思い出しました。
飯田先生は不思議な所もあるけど、本当はとても強い人なんだ、と、つくづく思いました。
7 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時03分33秒
今日も、朝早く起きて家を飛び出しました。何だか最近朝が好きになった気がします。
あいぼんを迎えに行くと、2人でまだ誰も通らない通学路を走りました。

「おはようございます」2人で揃って挨拶すると、飯田先生も筆を止めて、「おはよう」
と返します。今日もあの大きなキャンパスに向かって絵の具を塗っていました。まだ、紺
野ちゃんは来てません。「大分出来とるやん」あいぼんが楽しげにそう言うと、飯田先生
も満足そうに「大分ね」と言いながら絵の具を付け足しています。青いコンドルは
朝日を一身に浴びて、谷間を飛んでいました。

「先生、文化祭には間に合いそうですか」と、わたしが訊くと、飯田先生は一瞬手を止めて
、少し考えたような顔をしました。すると、独り言のように「そうね」とだけ言いました。
何だかこの時の飯田先生の横顔がいつもよりずっと綺麗で、もう痣なんて気にならないくらいでした。
8 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時05分04秒
それからしばらくして、ある放課後の事です。その日は黒板の文字もちゃんと写し終えた
時にあいぼんが「のの帰ろ」と言って来ました。わたしもすぐに準備をして、教室を出ま
した。今日は何だか曇っていてじめじめとします。廊下はいつもより暗かったけど、あい
ぼんは相変わらず掃除をサボって帰った男子の愚痴を言っていました。
すると前から理沙ちゃんが走って来ます。「どうした?そんなに慌てて」とあいぼんが訪
ねると、理沙ちゃんはキュキュッと音を立てて止まります。すると、いたずらっ子の笑み
を浮かべてこう言いました。

「飯田先生、結婚退職するらしいよ。職員室で安倍先生が騒いでた」
突然の理沙ちゃんの言葉に、胸の奥がズキリと痛くなりました。あいぼんの「まじで?ま
じで?」と言う声が遥か遠くから聞こえて来るようで、鼻の奥がつんとして来ます。

「まじだよ。だって安倍先生がそう言ってたもん」
「嘘だよ」
わたしは気が付いたらそう言っていました。理沙ちゃんが「どうして?」と眉を顰めなが
ら訪ねてきます。わたしはもう一言「嘘だよ」と言い・・・。
9 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時06分41秒
「だって、顔に痣がある人なんて誰も結婚したがらないよ」

と、自分でも驚くくらいはっきりと言っていたのです。そんな事思っていたつもり無かっ
たのに。わたしの叫びに理沙ちゃんもあいぼんも驚いて目を開いてこちらを見ています。
でもそれは自分に向けられている物では無いと分かると、反射的に後ろを振り返りました
。そこには悲しそうな顔をして立っている飯田先生がいました。

わたしは言葉を無くしました。ただ、飯田先生を見る事しか出来ません。そんなわたしの
気持ちに気づいたのか、飯田先生はいつもの柔らかい笑みを浮かべると「3人共早く帰り
なさい」と言いました。そう言われた後、わたしは走ってその場から逃げてしまいました。

遠くからあいぼんの声が聞こえた気がしました。

その夜。温泉に入っている夢を観ました。一緒に入っているのがなんと青いコンドルで、
わたしは怖くて泣いています。目が覚めると、身体中が重くて喉がカラカラでした。
お母さんが「学校休みなさい」と言ったので、大人しく休みました。その日の午後に、
あいぼんから「風邪うつしちゃったかな?ごめんね」とメールが来ました。
10 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時07分58秒
2日経って風邪はすっかり治ったので、学校へ行く事にしました。家の前で待っていたわ
たしを見つけると、あいぼんはとっても嬉しそうな顔をしたのでこっちも嬉しかったです
。久しぶりの校舎に入ると、何だか少し緊張したました。丁度廊下に愛ちゃんがいて「大
丈夫?」と心配そうに声をかけてくれました。でもあいぼんは「あたしの時は言ってくれ
なかった」と膨れ顔になってました。

その時です。廊下の先で飯田先生がまたキャンパスに色を塗っているのを見つけました。
あいぼんがわたしを心配そうに見つめます。わたしは後ろめたさから俯いたままそこを
通り過ぎようとします。すると、「おはよう」と飯田先生が言いました。あいぼんはわ
たしに気を遣ったのかいつもより小さな声で「おはようございます」と言いました。
わたしはやや小走りでその場を通り過ぎると、まだ飯田先生がこちらを見ているような
気がしてなりませんでした。

それから朝の朝礼で、校長先生が「美術の飯田先生が結婚退職する事になりました」
と言いました。すると、全校生徒達が大きな拍手を鳴らします。みんなとっくに知って
いたようでした。
11 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時09分18秒
校長先生の発表から、みんな飯田先生に色紙を書いたり、プレゼントを考えたりしてい
ました。色紙にはみんな沢山書いていたけど、わたしは「ありがとうございました」し
か書けませんでした。でも、プレゼントはどうしようかと、少し考えました。

それから、自分でも何故あの時あんな事を言ってしまったのか、よく分からないまま、
時間はどんどん経って行きました。あれから朝、美術室に行く事はもう無いです。
とうとう、明日、飯田先生とさよならをしなければいけません。
12 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時10分28秒
深緑の黒板に、「飯田先生、結婚おめでとう」と沢山の花や飯田先生の似顔絵と一緒に、
綺麗に描かれています。今日の5時間目は飯田先生のお別れ会なのです。

みんなで飯田先生の似顔絵をプレゼントしたり、歌ったり、思い出を語ったりして過ご
しました。そして、時間が残り少なくなると、飯田先生は改まった顔をして教壇に手を
ついて話始めました。今までの思い出や今日の事などを話ている内に、教室中から鼻を
すする音が何処からともなく聞こえて来ました。すると、飯田先生は、柔らかい笑みで、
最後にみんなと握手してから終わりにしようと言い出しました。

その時です。わたしのお腹が何故か“ぐるり”とした感覚を憶えます。飯田先生はゆっ
くりと窓側の一番前の席に座る生徒に手を指しだし、握手をします。それから後ろの人
、また後ろの人と、次々と握手して行きます。そんな中、わたしのお腹はぐるり、ぐる
りと言い、段々そのぐるりとした感覚は上の方へ昇って行きました。

13 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時11分54秒
次の列へ移ると、愛ちゃん、理沙ちゃん、紺野ちゃんと順に手を差し伸べて、どんどん
握手して行きます。

ついに飯田先生はわたしの列までやって来ました。飯田先生はすでに泣いている麻琴ち
ゃんの背中をさすっています。わたしの鼓動は次第に速まり、ぐるりとした感覚は胸に
まで伝わって来ました。そしてわたしの前のあいぼんの番になりました。近くで見る飯
田先生はとても綺麗です。肩を震わせるあいぼんの頭を優しく撫でると、わたしの方へ
視線を移しました。わたしは合った目線を下に落とすと、ぐるりとする胸を押さえます。
飯田先生はわたしの席へゆっくりやって来て、わたしの頭に手を置いて「大丈夫?」と
耳元で声を掛けました。

その瞬間、ぐるりとした物は一気にわたしの頭へ昇って一瞬カッと熱くなったと思うと
、花火のようにわたしの瞳から流れ出て来ました。そしてその時初めて声を上げて泣い
てしまったのです。飯田先生や他のみんなも驚いてわたしを見ます。
そしてしゃくり上げるわたしは、やっとの想いで言いました。
14 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時12分58秒
「・・・結婚、おめでとうございます」


わたしの言葉に大きく頷くと、飯田先生もその綺麗な瞳から花火のようにぼろぼろと涙を
零していました。そんなわたし達をクラスのみんなは唖然とした顔で、ただ見つめています。


次の日、美術室へ行ったら、青いコンドルの絵が完成していて、わたしもあいぼんもその
美しさに目を奪われてしまいました。
そのコンドルの羽の模様が、なんと昨日わたしが感じた感覚―――。
青い花火のような模様でした。飯田先生もわたしと同じだったのでしょうか。
そう思うと、また胸が熱くなって来るようです。
15 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時13分38秒

16 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時14分10秒
17 名前:18 泣き虫が朝の光をみる 投稿日:2003年06月24日(火)20時15分05秒

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