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05 燻り
- 1 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時14分37秒
- 燻り
- 2 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時15分59秒
- 西風に乗って寒さはやって来た。
押し寄せる寂しさ。陽が落ちるとすぐに、満ちては欠ける月が顔を現した。
もう夕焼けは微塵も焼き付かない。凛とした空気が肌を刺す、霜月の終。
無情にも塗り変わる風景の色は蒼白く染まって、また灰色になるだろう。
やがて今日は終る。
公園の砂を踏み締める靴がザリザリと音を立て、二つの影が揺れていた。
何かを躊躇った後、影はペンキの剥げかかった水色のベンチの前で揺れる事を止める。
「おめでとうございます」
意味とは裏腹に、愛の声は酷く沈んでいた。
外灯が背中から差し、下に伸びる影が幻影のように淡く重なる。
愛の脆く崩れてしまいそうな背中を前に、梨華は「ありがとう」と返した。
- 3 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時17分38秒
- やけに静寂が鮮明なのは、先程まで騒いでいたからだろうか。
全国区の腕で弓道を嗜む梨華は、先日、推薦合格という形で大学への進学が決定した。
つい一刻前まで部の後輩達で梨華を囲み、カラオケボックスでその祝賀会が開かれていたのだ。
「やっぱり、石川先輩はすごいですね」
振り返り、静まり返った公園で愛は梨華と向き合った。
無理矢理元気を振り絞って出したようにも訊こえた声は、白く濁って夜へと溶ける。
梨華はそれを壊さないように頬を緩め、柔らかく微笑した。
「そんなことないよ。高橋は筋が良いから、うかうかしてると追い越されちゃうかもね」
「む、無理です!!私には、石川先輩が居てくれないと……」
愛は梨華の進学を心から祝うことが出来なかった。
進学先となる大学はここから遥か遠く、高校生が気軽に行き来出来る距離ではない。
- 4 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時18分52秒
- 朝靄の中で胴着を纏う梨華の細いシルエット。そんな梨華の姿に心を奪われた後輩は多い。
石川家は古来から代々、弓道の家元なる家系だった。日本庭園を囲む大きな屋敷の敷地内には
立派な道場を構える。梨華は幼少の頃から、祖父、父を師とし、業を受け継いできた。
ピンと張ったフォームから放たれる矢。一矢、的を射貫くその姿は見る者を魅了する。
愛もその一人だった。桜の薫りが桃色の麗らかさを装う、卯月の始。
触ったこともない弓道の部に入部し、短かったが愛と彼女の"同じ時"が始まったのだ。
「座ろうか」
「はい」
梨華は愛の肩にそっと触れ、座ることを促がした。
冷たい空気に冷やされていたベンチは鈍く軋み、その音から古さを感じさせる。
公園に植えられたいくつもの銀杏の木は、今秋の生涯終え、眩き黄色も疎らとなった。
ひっそりとライトアップされる様は、沈みゆく心を鎮魂するかのように哀しい。
そのうちの一灯がぼうっと宵闇に浮かび、座る二人を優しく照らした。
- 5 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時20分07秒
- 「ここに居られるのもあと数ヶ月か。もっともっと、たくさんの思い出が欲しい」
生まれてから今までずっと、成長を見守ってくれたこの町を愛しむ。
言葉は刹那の冷風に舞った。今日もまた思い出となり、梨華の胸に眠るだろう。
「先輩あの!!あの、出来れば……」
「うん?」
「ごめんなさい、今のなしです。忘れてください」
両手でスカートの裾を握り、それを堪えた。溜まった涙の所為で輪郭は曖昧だ。
そうして愛は下を向き、沈黙を続けた。
梨華は黙認し、雲を被って弱々しい月を見上げていた。
梨華を留めることは無理だ。そんなことは分かっている。
永久の決別になる訳でもない。長期休暇を利用すれば、遊びに行くことも出来るだろう。
しかし、そんな理屈ではないと、その時愛は思っていた。
遠く離れてしまうのは距離だけではない。
きっと───
- 6 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時21分39秒
- 「そうだ、花火しよっか」
「花火ですか……?」
「うん。みんな帰っちゃったから、二人でさ」
「でも花火って、もう冬ですよ。どうやって」
「夏に合宿先でみんなとやったじゃない。あの残りが今でもあるんだ。
思い出になるかなぁって思って持ってきたんだけどね」
梨華はそう言うと、少し大きめの手提げバッグをごそごそと漁り、そこから子供用の花火パックを
取り出して見せた。都合良く砂場に忘れられた緑色のぼろいバケツに水を張り、二人はベンチの
前で膝を抱いて屈む。付属していた蝋燭に火を点すと、それまでぼやけていた互いの表情が
薄っすらと、そして、幻想的に瞳へと投影された。
- 7 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時23分27秒
- 「湿って点かないかなぁ」
「どうでしょう」
何とも切なげな表情で言う梨華に、愛の胸はツンとした痛みを覚えた。
心配していたそれは、パッと咲いた火飛礫に消える。
咽返るような薄黒い煙と独特の火薬の匂い。
それとは対称して、花火は鮮やかな火花を弾きながら闇を踊る。
「良かった、点いたよ。綺麗だねぇ」
「そうですね。なんか、寂しいですけど……」
「寂しい?」
「はい。本当はこの子達、夏に咲くはずだったんですよ。取り残されて
このままずっと、忘れられるのかもって、すごく不安だったと思うから」
初冬に咲く夏の花火。季節外れの花火は、夏の日の残像を蘇らせた。
追懐、彼女の居るあの季節はもう二度と来ない。
「私もこの花火みたいに、ううん、なんでもないです……」
パチパチと鳴りながら煙る花火に、愛は自分の姿を重ねた。
赤、緑、と色付き、一本、また一本とその役目を終えていく。
煙たかったのか、月は完全に雲へと隠れてしまった。
- 8 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時25分55秒
- 「明日居なくなる訳じゃないんだし、また帰ってくるからさ。そんな顔しない」
梨華はまた柔らかく笑う。愛はその笑みを呑み込むことが出来なかった。
本当の笑顔を知っている。だから、それが嘘の顔だと分かったから。
そのまま無言を辿った。
調べ、ただ咲く花火は、旅立つ人へ手向ける花の唄。
いつしかそれは最後の一本となり、愛は強く握り締めていた。
「最後になっちゃったね」
「でも、これが終ったら……」
「そんなこと言うんじゃないの。また、またさ、一緒に花火しようよ。
離れる前日でもいい。次の夏でもいいじゃない。楽しみにしてるから、ね?」
「はい……」
けれど梨華は帰って来ない。愛にはそんな気がした。
- 9 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時26分48秒
- 最後の花火はその別れを惜しむかのように、身を焦がすだけで火を点けなかった。
まるで愛の内面を投影しているかのような花火。
蕾のまま、咲かぬよう///別れぬよう///一生懸命火に耐える。
離れてしまう前にもう一度会って、その時には綺麗に咲いてくれるだろうか。
無理にでも笑っていたかったけど、どうやら今は無理みたいだ。
花火はずっと、燻っていた。
町の、仄暗い小さな公園の一隅で、ただずっと。
-終-
- 10 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時27分20秒
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- 11 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時27分59秒
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- 12 名前:05 燻り 投稿日:2003年06月23日(月)02時28分32秒
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