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横恋慕

1 名前:52: 横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時10分30秒
雨戸を少し開いて空を眺める。
ビルの隙間から見ていたものとは違う星空。
故郷のそれとは比べることは出来ないがここに住むことを満足させるには十分だった。
思いに耽っていると突然携帯が鳴った。
残念そうに雨戸を閉じると着信ボタンを押す。
その携帯からは、今までゆったりと流れていた時間を早送りにするような元気な声が流れて出して来た。
「どうしたのこんな時間に?」
部屋へ戻りながら会話を交わす。
「かおり、引っ越したんだって?」
「うん」
「何で教えてくれないんだよー」
「聞かれなかったから」
向こうで矢口の言葉が詰まる。続いて思い切り息を吸いこむ音。
飯田はスッと、耳から携帯を離すと机の上に置いた。
「なんだよそれは!」
振動で揺れる携帯。
そのあとに続く非難と恨み言を伝える携帯を横目で眺めがら、カップに残っていた紅茶を飲み干す。
ダージリンはすっかり冷めており苦さだけを舌に運んできた。

「おーい、聞いてるかー」
携帯から聞こえてくる声が落ち着いた調子になってきた。一騒ぎして多少は気が晴れたようだ。
改めて携帯を取り上げる飯田。
2 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時14分09秒
「ごめんね。片づけも終わってなかったし」
「行く!」
「はい?」
「明日みんな引き連れて遊びに行く!」
「ちょっと」
「久しぶりに連休だしこんな機会めったにないから決定」
「あのねえ、矢口」
「何か問題でもあるのかよ……男だな。男だろ!白状しろー」
またもや興奮して騒ぎ出す矢口を机の上に放置し、空になったティーカップに二杯目を注ぐ
緩やかに立ち上がる白い湯気。

カップの残りが半分になった頃、ようやく静かになった矢口を再度取り上げる。
はーはーはー
荒い息づかいだけが聞こえている。
「わかったから…場所はわかる?」
「どこだよ!」
「あとでファックス送るから…じゃあ切るね」
「ちょっと待……」
プチッ
「電源オフ。と…」
ようやく騒がしい時間から解放された。

「ん?」
足にまとわりつく感覚。
「クゥーン」
足下をのぞくと心細げな視線とぶつかった。
その綺麗な瞳に心を奪われジッーとのぞき込んでいると恥ずかしげに視線を泳がせる。
「フロン…人が来るのイヤ?」
飯田の問いかけを無視してフロンはそのまま足下で丸くなる。
「なんにも心配することないよ」
喉元を撫でながらやさしく語りかける
3 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時15分55秒
気持ちよさそうに目を細めるフロン。
そう言いながらも飯田本人は心の中で不安が高まっていった。
あの二人を間近で見て私は平気でいられるだろうか。
足元を見るとフロンは先ほどの不安な表情は消え、そのまま眠りに落ちそうな目をしている。
『フロン』
なぜこの名前を付けたかあの子は気がつくだろうか…

思考の海に漕ぎ出してしまったのと生来の凝り性が出てしまい、
簡単な地図だというのに書きあがった頃にはかなりの時間が経過していた。
睡魔に勝てなかったフロンは足下ですっかり寝入っている。
ただでものんきな顔なのに無防備なその姿はあの子の寝姿を連想させた。
飯田は起こさないようにそっと席を離れる。
居間に行き、据え付けのファックスから書き上げた地図を矢口へ送信する。
あっという間に返信が返ってきた。いい加減待ちくたびれていたらしい。
書き出しを読んでみた。
「…寝よ」
仕方がないとはいえファックス番号を書きこんだことを今更ながら悔やんだ。
明日は早起きしてあの子のためにクッキーでも焼こう…
ファックスは矢口からの苦情文を長々と吐き出し続けている。
4 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時17分00秒
「フロン取ってこーい!」
「ウォン」
パタパタパタ………
「こんどは、こっちー」
「ウォンウォン」
パタパタパタ………
庭では辻と加護がフロンと戯れている。
フロンも昨日の不安げな様子が嘘のように生き生きと相手をしていた。
安倍は…
ここ最近の定位置に。
辻の後ろにべったり張り付いている。
まるで自分の所有物であるかのように後ろから抱きついて。
飯田はその光景を直視続けることが出来なかった。
目をそらすと周りを見渡す。
他のメンバーは、飯田がこの家を選ぶきっかけとなった長い縁側でお茶をしていた。
冬の短い日照時間、その一番いい時間をこの空間は増幅し満喫させてくれる。
飯田は自分の家選びが間違ってなかったことに満足して少し気が晴れた。
五期メンの四人は隅にかたまっていた。
緊張しているのか俯いて。
それでも気になるのか時々庭をチラチラと伺っている。
そんなに気になるなら一緒に遊べばいいのにと飯田は思う。
「小川。いっしょに遊んでくれば?」
「いえ、とんでもない…」
小川はブルンブルン首を横に振るとそのまま顔を伏せる。
唯一紺野だけはわき目もふらず、他の三人の分まで黙々とお茶菓子を平らげていた。
5 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時18分47秒
飯田の右隣には矢口。張り切ってみんなを引率してきたが今は横になったまま動かない。
昨日の様子を見てもよほど日頃の疲れがたまっているようなので、今日はよく休めれば良いなあと飯田は思っている。
左脇には保田。
こちらはすっかり落ち着いてのんびりお茶をすすっている。
その風情は日溜まりの縁側にすごく似合っている。
おばあちゃんみたいと言ったら怒り出すだろうなぁと飯田が思っているとジロッと睨まれた。
心を読まれたのかと驚く飯田。
「で、どうしてなの?」
「いや、お茶を飲んでる姿がすっごく似合ってるから…」
不審気な顔で「なにそれ?」と聞き返す保田。
「えーと、年寄り臭いとかそんなんじゃなくて、落ち着いて見えるって言うか、雰囲気が絵になるって言うか……」
保田はこめかみを人差し指で押さえながら飯田の話を止めさせると質問の形を変える。
「何で引っ越したの?」
「それは…」飯田は庭で遊んでる辻を見ながら答える。
「最近ひとりで部屋にいるとねすっごく寂しいの……それで犬を飼おうと思ったんだけど、
 今まで住んでいたマンションじゃ動物を飼っちゃいけなかったんだ」
6 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時20分11秒
「なるほど……それでフロンか」保田は飯田が切なそうに庭を見つめている姿を見て理解する。
飯田は自嘲気味に笑う。
「あはは、圭ちゃんにはわかっちゃうか。マロンメロンに対抗してマロンフロンなんちゃって。
 フランスっぽいでしょ?フローレンスの略みたいで」
「それに…」保田に話しているうちに少し気が楽になった飯田はそのまま話しを続ける。
「カオリはね、庭が欲しかったの。ベランダから見るビルの隙間にのぞく空じゃなくて、
 大の字になったら空に抱かれてる気になれるそんな庭が」
保田は「そうだね、それはよくわかる」と相づちを打つ。
「圭ちゃんも田舎者だもんね」
顔を見合わせ笑い合う二人。
冬の柔らかな日差し。
子供のはしゃぐ声。
穏やかな空気が流れる。

「そうじゃないだろ!」
突然、ほのぼの空気を破る怒号が一発。
驚いて振り返る飯田。
そこには仁王立ちしている矢口。
「起きたんだ矢口。おはようよく眠れた?」
矢口は真っ赤な顔をして再度吠える。
「おはようじゃないだろう。圭ちゃんも何ほのぼのやってるんだよ!…クー」
わなわなと震えるその小さな体。
「なんで…なんで、オイラのよっすぃーが!」
庭を指さす。
7 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時21分06秒
「イヌになってんだよー!」
冬の柔らかな日差し。
子供と戯れる子犬。
その子犬は着ぐるみを着て猫耳という出で立ちをしていた。
「あーそれは…」
「なんだよ!」
「かおりよく考えたらイヌ苦手だったんだよね。番組とか映画で慣れたつもりだったんだけど、
 実際飼うとなると怖くなっちゃって…あはは」
「あははって…」
「で、思い出したのが吉澤。前からイヌになりたいって言ってたから」
「だからって、なんで!」
「矢口興奮しすぎ。カルシウム不足だよ。牛乳飲まないからじゃない?」
「ムキー!だいたいカオリには辻がいるだろ。なっちに取られたからっておいらのよっすぃーを……」
飯田の表情が固くなる。
「紺野」
保田が一言。
ヒュー
空気がなる。
崩れ落ちる矢口。
「…今回も完璧でした」吹き矢をしまいながら紺野はつぶやく。
「ホントに血の気が多いんだから…」ため息をつく保田。
再び穏やかな時間が流れ始める。
何事もなかったかのように
ズッ
お茶をすする音。
季節を間違えた蠅が一匹。あたりを飛び回っていた。
8 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時22分16秒
「こらっ、やめーバカ犬!」
「わんわん」
芝生の上で加護と吉澤が転がっている。というより加護が吉澤に押し倒されていた。
縁側からは二人のバタバタさせている足しか見えない。
「やめー!」加護が再び喚く。
どうやら本気でいやがっているようだ。
横で様子をうかがっていた辻が二人の足側へ近づく。
背中に安倍を乗せたまま。
「うりゃー」
かけ声と共に辻は思い切り吉澤の尻を蹴り上げた。
「キャンキャンキャン」吹き飛ばされた吉澤は鳴きながら尻を押さえて走り回る。
顔を袖で拭いながら加護が起きあがった。
「ほんまに、なんやっちゅうねん。ベロベロ舐めくさって…」
飯田の視線に気づくと縁側に駆け寄ってきた。置いてある菓子を頬張りながら訴える。
「飯田さーん、よし…じゃなくてフロン本当にバカ犬ですよー加護はー捨てた方がいいと思いますー、モグモグ」
「辻も…モグモグ…そう思いますー、モゴモゴ」こちらも菓子を口いっぱいに詰め込みながら。
「なっちはそこが可愛いと思うべ、モグモグ」辻の背中越しに。
三人ともバカ犬ということには異論がないようである。
飯田は何となく反発を覚えた。
9 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時23分07秒
「そんなことないよ。芸も出来るし」
「何が出来るんですかー」キラキラ目を輝かせながら食いついてくる三人。
「フローン」
少し離れて不安げにしていた吉澤は飯田の呼びかけにうれしそうな顔をしてやってくる。
「反省!」
前足を縁側に掛け俯く吉澤。
「キャハハハ」笑い転げる加護。小さくなっていた五期メンの間からも微かに笑い声が漏れる。

しかし
呆然とした顔の辻。難しげな顔をする安倍。
安倍の腕がそっと辻を包み込む。
意地悪な気分になる飯田。
「他にもね。フロン!16ビート!」
「うぉん」
珍妙な格好でステップを踏み始める吉澤。
笑い転げるメンバー。
にぎやかな雰囲気の中、飯田は辻を見つめていた。
飯田に見つめられている辻は唇を噛みしめていた。
涙が浮かんでくる辻。
目をそらせる飯田。
辻は安倍の腕を振りほどき突然駆けだした。
裏戸をくぐり抜けて外へ飛び出していく。
「飯田さんのばかー」垣根の向こうから辻の声が聞こえてきた。
「のの!」加護が後を追いかける。
俯いたままの飯田。
「ほんとにバカ」と安倍がつぶやく。
「なっちに言われたくない!」飯田は言い返す。
10 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時24分23秒
安倍は優しげな微笑みと共にもう一度言う
「ホントにバカなんだから…」
黙ったままの飯田。
「じゃあ、なっちも追いかけるから」安倍は駆け出す。
しかし何もないところでつまずき派手に転ぶ。
二回転半1/2捻り転がった安倍は照れ笑いで誤魔化しながら起きあがると恥ずかしそうに庭を出ていった。
「したっけね〜」の言葉を残して。

黙って見ていた保田はヤレヤレと肩をすくめる。
「石川がピンの仕事が入っていてよかったわねぇ。これであの娘までいたら…」
バタン
「どうもーチャーミーでーす。お仕事早く終わったから来ちゃいましたー」
頭を抱える保田。
「ねえ、安倍さんが駆けていったけどどうしたんですかー?あっ!!!ヨッスィーかわいーーーー。
 ねえねえ何でそんなカッコしてるのー罰ゲーム?でもどんなカッコでもかわいいー。
 チャーミーも同じカッコしたい。きっと似合うと思うのー。でーヨッスィーとお揃い。キャッ」
「ウザイ…」吉澤が一言で切り捨てる。
ふくれながらも言い返す石川。
「あーん、ヨッスィーたらっ照れちゃってもう。キャッ」
11 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時25分31秒
「紺野」
シュッ
乙女チックなポーズをとったまま石川は芝生に沈んだ。
「まったく、タイミングは悪い、空気は読まない。ある意味天才ね」
ピンクのパンツむき出しで倒れている石川を見下ろしながら保田が嘆く。
そのとき、保田の携帯が音楽を奏で始めた。
「もしもーし…あー、なっち。うん……わかった。じゃあね」
内容が気になるくせに飯田はそっぽを向いたままだ。
「かおり、なっち辻を捕まえたって。もう帰るって聞かないから加護も連れてそのまま駅に向かうって」
飯田の表情が険しくなる。が何も言わない。
あきれながら保田は告げる。
「あたしたちも帰るから……もう一回よく考えてね」
「何を考えるっていうの!」飯田が睨む。
「そんなことあたしが知るわけないじゃん」カラカラ笑って保田は質問をうやむやにしてしまう。
呆気にとられる飯田を無視して指示を出す。
「さあ帰るわよ、みんな乗っけてあげるから。」
「でも、そんなに乗れませんですがぁ?」
「矢口と石川はトランクにでも放り込んでおけばいいわ」
高橋の質問にこともなく保田は答える。
12 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時26分43秒
「あと、紺野。あんた今日のことだけこの二人の記憶消せない?」
「…いえ、まだ習っていません」
番組で入門して以来、忍者修行を続けている紺野は残念そうに答える。
「なら仕方ないか…あたしがじっくり時間をかけて忘れさせてあげるわ…フフフ」
このとき、二人の先輩を運びながら新垣は思った。この人を敵に回すまいと。
しかしこの恐ろしい先輩がもうすぐ卒業することをすぐに思い出す。
神に感謝した。

みんなが去った。
一匹を残して。
それと同時に穏やかな温もりを与えてくれていた太陽も姿を消した。
厚い雲が空を覆い、冷たい風が吹いてくる。
飯田は動けずにいた。
先ほど見た辻の泣き顔が脳裏から離れない。
「飯田さん」
心配げに吉澤が声をかけるが飯田は無視して空を見上げている。
ポツン…ポツン…
ついに空が泣き出した。
「雨ですよ」
風が強いため雨粒が縁側にまで吹き込んでくる。
飯田の顔が体が濡れてゆく。
「飯田さん…」
「吉澤」
「はい」
「言葉を喋る犬なら捨てるよ…」
黙る吉澤。
冷たい雨に打たれる二人。
13 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時27分44秒
『飯田さん』
「辻!」
最初に目に入ったのは見知らぬ板張りの天井だった。
驚いて起きあがる飯田。
見慣れた布団、ベッドの弾力に気が付き自分は引っ越したのだと思い出す。
部屋を見回すが辻の姿はなかった。
やはりそうかと思いつつ、先ほどの自分の大人げない言動を振り返り恥ずかしくなる。
リーダーと呼ばれ大人になったつもりでいたのに、根本は何も変わっていなかったのだと改めて思い知らされた。
頭が重い。雨に打たれて風邪を引きかけているのかもしれない。
もう一度ベッドに沈み込む。
天井の節を何の感慨もなく見つめていた。
ギィー
年季が入って立て付けの悪くなったドアがきしんだ音を立てる。
隙間から覗く心配そうな顔に落胆しつつも、飯田の心にはホッとした思いが湧いてくる。
もう見捨てられたかと思っていた。
今の気分の時一人でいるのは辛い。
飯田が起きていることを確認した吉澤は恐る恐るベッドに近づいてゆく。
知らぬ顔をして天井を見つめている飯田。
14 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時28分43秒
「うぉん」
飯田の耳元で声が聞こえる。息が頬にかかった。
ペロン
「なに!」飯田はびっくりして声をあげる。
吉澤はニッコリ笑うとベッドの上に飛び乗った。
ペロペロ
「やめ、やめなさい吉澤!」
飯田は馬乗りになって舐めまわす吉澤を払いのけるようとするが力が入らない。
「飯田さん…キスしても良いですか?」
飯田は拒否しようとして言葉を詰まらせた。
吉澤の顔に浮かぶ表情を見てしまったから。
悪戯を仕掛ける時のあの子と同じ。
ダメだといったら泣いてしまう気がした。
「風邪がうつるかもしれないから…」
「大丈夫です。バカ犬ですから風邪は引きません」
その言葉が可笑しくて力が抜ける飯田。
心の緊張も。
目をつぶった。
息が顔にかかる。

ドーン
15 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時32分25秒


どーん

吉澤は混乱していた。
(なんじゃこりゃ!)
身動きがとれない。
目の前には灰色の壁が立ちふさがっていた。
背中に何かが当たっているせいで壁から体を離すことが出来ない。
重力でエビ反ってきた。
(ってことは逆立ち状態?)
首が不自然な形で曲がっていて両手で床を押していないと耐えられそうもない。
吉澤はいまの状況を確認すると共に、このような状態に陥った理由を探し始める。
(えーと、確か飯田さんとキスするところだったんだよな…)
現在のお間抜けな状況を忘れ、にやける吉澤。
「のんちゃんどうしたの!」
突然後ろから聞こえてきた飯田の声に愕然となる。
(ののがなんで!)
「えへへ、隠れてました」
「隠れてたって……なっちと一緒に帰ったんじゃ……」
「安倍さんが、そうしろって」
「……」
「飯田さんチューしましょう」
「なにを突然に」
「いいから、はい」
(んがーーちょっと待てー)
声を出そうとするが気管が押さえられているのと体を支えるのに力を入れてるせいで出てこない。
チュッ
「えへへ、しちゃいました」
「……のんちゃん」
「怒ってますか?」
「甘いキスの味」
「メロンさんの歌ですね」
16 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時37分28秒
「ケーキ食べたでしょ!」
「げっまずい!」
ベッドから飛び降りる音、バタバタと駆け回る音がそれに続く。
「まてー」
「またないー」
楽しそうな声が吉澤の背中にぶつかる。
「捕まえた」
「捕まっちゃいました」
「のんちゃん……」
「反省ー」
「…………」
「飯田さん何で泣くんですか?」
「ううん…何でもない…何でもないの」
飯田の嗚咽する声だけが部屋を満たしてゆく。
ベッドと壁の隙間に逆さまに嵌り込んだ情けない体勢の上に心の底まで情けなくなる吉澤。
「そうだ!のんちゃんケーキだけじゃ足りないでしょ、焼きそばでも作ろうか?」
「やっきそばーいっえーす。たっべたいですー」
「じゃあ作ってくるから。あーそれから、そこで足をバタバタさせてるホロンを助けてあげて」
(ホロンじゃなくてフロンです…)
「いっえっさー」
飯田が部屋を出ていく音が聞こえる。
複雑な気持ちながらも、救いの手に足を捕まれる感触にホッとする吉澤だった。

「てぇいー」
「ぐぁー」
(のの押すんじゃない!引っ張れ!)
「よっすぃーわるくおもわないでくだせい」
「…?」
「ののと飯田さんのごーじゃすで、でりーしゃすなナイトに邪魔者はいらねえのです」
17 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時40分44秒
「!!!」
グイグイ押し込まれる吉澤。
床と壁とベッドに挟まれ息もつけなくなる。吉澤はこの世との決別を覚悟した。
目の前が霞んでくる。
誰かが手招きをしているのが見えてきた。
白い羽根を付けた天使。
五人の石川梨華がおいでおいでをしている。
(天国にも耳栓売ってるかなあ…)
トドメとばかりに体重をかけた辻の一撃が吉澤に加えられる。
(もうだめぽ…)
突っ張っていた体の力が抜ける。
ズリ
吉澤は一気にベッド下へと潜り込んだ。
(助かった…)
そのまましばらく呼吸を整えると匍匐前進で出口を目指す。
ようやく脱出に成功した吉澤は、ベッドの上で念仏を唱えている辻を発見した。

「なにすんだ!ゴラッ!!」
「げっ!まだ生きてた……ゾンビ……」
「なんやて!いてまうど!われ!!!」微妙にイントネーションがおかしい関西弁で凄む吉澤。
辻は気にもせずそっぽを向いて鼻をほじっている。
「ののは飯田さんを捨てて安倍さんに走ったんだろ!今更戻ってくるなんて…」
「似合ってない…」ぼそっと呟く辻。
「あんだって?」バカ殿で聞き返す吉澤。
辻は立ち上がり吉澤を真正面から指指すと宣告する。
「よっすぃーと飯田さんは不釣り合い!」
18 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時41分40秒
「あ、あ、あ、あんだってーーーー」想像もしなかった宣告に吉澤は驚愕する。
「猫に小判、月とすっぽん、雪と墨、豚に真珠……豚に真珠。特にこの言葉を花輪を付けて進呈しやしょう」
ショックでへたり込む吉澤の前で辻は自分の尻を叩きながら「豚豚ー」と囃し立てる。
「……うっさい」
「あんだって?」バカ殿の辻。
「うっさい!ののだって人のことを言えないだろー」
辻はニヤリと笑うと人差し指を立てる。
「チッチッチッ」人差し指を振りながら宍戸錠。
「甘い。いつまでも豚のままではいねーのです」
辻はパッと上着をめくり上げる。
「なにそれ?」

腹に書かれた『へのへのもへじ』を見てハテナマークを頭につける吉澤。
「私は宇宙だ!」
「……」
「フッ。よっすぃーにこのギャグはハイブロー過ぎやしたか」
「意味わかんねーよー」
「見るところはそこでねーのです」
自らの横っ腹を摘む辻。
「げー」吉澤は驚愕した。
「や、や、痩せてるー」
マネージャーからあれだけ注意されても減らなかった腹周りの脂肪がなくなっていた。
言われてみれば、顔の輪郭もかなりすっきりして見える。
敗北感に打ちのめされる吉澤の前で辻の話が続く。
19 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時42分54秒
「第一、安倍さんに走ったとは聞き捨てならねーのです。安倍さんはののの悩みを聞いて協力してくれたのです……」
1・暇があれば辻の肥満箇所をマッサージ。
2・遊離脂肪酸になった脂肪分を辻の負荷になる(常時しがみつく)ことによって燃焼消費。
※資料提供あるある大辞典
吉澤は辻の話を聞きながら思い出していた。小学校に立っていた薪を背負った銅像を、
体中にバネを付けてコンダラを引きずり回していたスポ根野球アニメを。
「かっけー」
思わず吉澤から出た言葉に満足そうにうなずく辻。
「これだけの思いをして、やっと飯田さんの横にいるにふさわしいののになったのです」
自らの言葉に酔いしれる辻。続いて吉澤に目を移し告げる。
「まあ、飯田さんに近づくなら体脂肪率40%を切ってからにしろってことだ!」
やたら低いレベルの条件にもかかわらず、ぐうの音も出ない吉澤。
そのまま辻は追い打ちを掛ける。
「テレビに出る人間として見るに耐えないのです。だいたい芸能人としての自覚は……」
核心をついた意見の数々が淀みなく辻の口から流れ出す。
それもそのはずで、その言葉は辻自身がマネジャーから日々言われ続けた言葉だった。
20 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時43分59秒
話が三巡目になり徐々に表現がエスカレートしてゆく。
ついに耐え切れなくなった吉澤は泣きながら辻に躍りかかった。
「うわぁぁん」
勝負は一瞬でついた。

「ギブ!ギブギブ!!」
キャメルクラッチを掛けられた吉澤が悲鳴を上げる。
筋肉の鎧をまとった辻と脂肪の肉襦袢を着込んだ吉澤では勝負にならない。
辻は突進を身軽に避けると仰向きで倒れている吉澤の体を一気にひっくり返してこの体勢に持ち込んだのだった。
安倍ギプスで鍛え上げた辻。
パワーファイター後藤真希をして呆然しからしめたそのパワーは伊達ではない。
「いっそこのまま……」
辻の目が細められる。
吉澤は再び天使の姿を見ることになった。
十三人の石川梨華。その手には看板が捧げられている。
『売ってないよー。』
ニコニコ笑うその一群。初めて死ぬことに恐怖を覚える吉澤だった。
21 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時49分35秒


「何やってるの?」
部屋に戻ってきた飯田が不思議そうな顔をして二人を見つめていた。
「飯田さーん」
声を聞くと真っ先に飛びつく辻。
「やっきそば、やっきそば」
ハイハイわかりました。と皿を辻に渡し、飯田は昔ながらの丸いちゃぶ台を用意する。
完全に忘れられた状態の吉澤。
「あのー……」
「あーイヌが喋ったー」辻の訴えを聞くと飯田は怖い視線を吉澤に投げつける。
「さっきも言ったけど、イヌじゃないと一緒に暮らせないよ。最初からそういう約束だったでしょ?」
なにも言えず黙るしかない吉澤。
「リオンの分はまた後でね。材料使っちゃったから…」
「えージオンは食べなくても平気ー太りすぎだもん」
「そう言う、のんちゃんはどうなの?やっぱり焼きそばはナシにしよーかなー」
ニヤニヤ笑いながら飯田は辻の額を指先で突っつく。
辻は待ってましたとばかりに喜色満面で立ち上がる。
そして……
「私は宇宙だ!」

ツボに入った飯田の笑い声が部屋中に響いていた。
畳の上でお腹を押さえてヒーヒー言っている。
満足そうにその様子を見下ろす辻。
黙って部屋を出ていこうとする吉澤と辻の視線がぶつかる。
勝者と敗者。
22 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時53分44秒
グッ
吉澤は唇を噛みしめて部屋を飛び出す。
「…峰岸…徹……なんで…のんちゃんが……くくくく」
飯田の笑い声だけが吉澤の背中を見送っていた。

吉澤は泣いていた。
その気持ちと呼応するように雨も激しさを増していた。
雨中に飛び出す吉澤。
この雨に 流れてしまえ このからだ…


「あれ?シオンは?」
ようやく笑いが治まった飯田は吉澤がいなくなっていることに気がついた。
「ふが…ざぼんは……散歩…ふが…」
口一杯に焼きそばを頬張った辻が答える
「あれれー雨が降ってるのに…」
「だいじょうぶー」
「なんで?傘持っていった?」
「バカ犬は風邪をひかないー」
「うまい!座布団あげる」
「お代わりの方がうれすい」
「こいつー」
「「あはははは」」
お約束の会話を交わし笑い合う二人。
笑いがやむと辻が上目使いで飯田に切り出した。
「飯田さん。明日晴れたら、辻やりたいことがあるんです……」
23 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時54分37秒
吉澤は笑っていた。
もともと体育会系で悩みが持続しない性格だった。
体を動かしているうちに気持ちまでハイになっていた。
しかも先ほどくしゃみが連発で出た。
もしかしたら風邪をひいて、熱を出すかも。
熱を出したら飯田さんが心配する。
辻は放置して優しく看病してくれる。
「んで、んで、キスーーーー」
妙な思考回路を通って都合のいい結論を導き出す吉澤の頭脳。
身悶えする歓喜を胸にさらにスピードがアップする。
その巨躯を着ぐるみに包み雨の住宅街を吉澤は疾走する。
24 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時55分27秒
 吉澤は知らなかった。
この後、警察に不審者として追いかけられるのも。
保健所からも追っ手が出るのも。
地元猟友会からクマと間違えられることも。
そして、それらすべてが舌っ足らずな一人の人間によるタレコミの結果であることも。
 吉澤は知らなかった。
やっとの思いで帰った来た後。
飯田の『温めて食べてね』の書き置きが残った食事に涙することを。
食べようと思ったら『残念賞』と稚拙な文字と空の皿だけになっていて号泣することを。
文句を言いに寝室へ行ったら寄り添って寝ている二人があまりにお似合いでとても起こせなかったことを。
 吉澤は知らなかった。
次の日宣言通り風邪なんかひけなかったなんて。
睡眠不足の体でフリスビードッグの特訓を一日中受けるなんて。
しかも吉澤自身がそれを喜んでしまうなんて。

この時の吉澤はまったく知るはずはなかった。
25 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時56分38秒
ザァーザァー
雨は弱まる気配を見せない。
吉澤は歓喜の中にいた。
豪雨と共に感情の高ぶりも最高潮に達していた。
その思いをとても胸の内に秘めておけなくなる。
とても本人の前では言えない言葉。
息を溜めると一気にはき出す。

「かおりーーーすきだーーーーー」

吉澤の咆吼が深夜の住宅街を切り裂く。

遠くの空が一瞬青白く輝き…消えた。


おしまい
26 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時57分00秒
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27 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時57分32秒
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28 名前:52:横恋慕 投稿日:2002年12月15日(日)23時57分56秒
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