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台風の涙目
- 1 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時07分59秒
- その日はとてもムシャクシャしていた。
歯のズキズキした痛みで目が覚めた時から、それは始まっていたのかもしれない。
いい夢を見ていたのにいい所で起こされてしまった、そんな事からだったと思う。
ふわふわと逃げていった夢の輪郭も描けぬまま勢いをつけて体を起こす。
あー歯いってぇ‥
付けっぱなしの電気は朝だということを教えてはくれない。
カーテンでふさがれた部屋は寝る前と変わらない様子だったせいで、朝なのかどうか一瞬わからなかった。
あと少しで騒ぎ出す目覚まし時計に手を伸ばし、おまけをくれなかった針と少しの間にらめっこ。
背後から何かの気配を感じ振り返ると、少し下品な顔が皺のついたシーツの上で大笑いしている。
―ん?あー寝る前に読んでたマンガか‥あれ、なんで顔がでてんの?‥あっ!
捲れた布団から温もりと共にでてきたのは、無惨な姿に変わった少年マンガだった。
くしゃくしゃに折れ曲がった所から、ちょうどその主人公がこっちを見て笑っていた。
やべぇー笑えない、弟に殺されるよ‥
- 2 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時09分55秒
- とりあえず部屋の隅に重ねてある雑誌の間に、かすかな期待と一緒に挟み込んでおく。
ほんの2、3分の煩わしい事も、まだまだ序の口だった。
たまには野菜ジュースを飲もうと、ペットボトルを振った瞬間に飛び散るオレンジ―
―それが素敵な一日のスタートの合図。
テレビからは「1月下旬の寒さです。」というアナウンサーの声がしていて
遠くまで澄みきった青い空も、そんな朝にはただ眩しいだけだった。
「ふぅー」
ダンスレッスンでくたくたになった体をシートに預ける。
自分の出した汗を全て吸い込んでしまったかのように重い体からは、自然とため息が漏れた。
行き先を運転手につげて全身のスイッチをオフにする。
しかし頭の中はそれと反対にめまぐるしく動き出し、今日あった出来事が下ろした瞼に次々と映し出される。
丁寧にフィルムに焼きつけられたその光景はほとんど目を反らしたいものだったが、何度かゆっくり呼吸をくり返し
車特有の匂いに慣れても、まだ、映写機は止まる事なくカタカタと回り続けた。
- 3 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時10分56秒
- 着ていこうと思っていた服がまだ洗濯カゴの中だった、電車が止まり窮屈な空間で何分も待たされた、
少し早めのお腹の痛み、思うように踊れなくて怒られた、途中で足を捻ってしまった、
辻のイタズラに怒ってしまった、それでレッスン場の雰囲気が悪くなった、
帰ろうとしたら狙ったかのように大粒の雨が落ちてきた
――あげればきりがない。
どんなにいいスパイクを打ってもラインぎりぎり外れてたり、相手に上手く拾われたり
バレーでいえばきっとそんな一日で、朝からずっとイライラしていた。
そしてその締めというか、極め付けが今‥この時間。
雨音と車の行き交う音だけが、静寂をかき消すタクシーの中。
「あのー、ラジオつけてほしいんですけど‥」
運転手は何度目かの呼び掛けにも何も答えない。年は60代後半くらいだろうか、
口周りに綺麗にはえ揃っている鬚はもう白い。だが仮にも運転手、いくらなんでも耳が遠いなんて事はないはずだ。
普段から聞いているわけでもないのに、こうなると無性に聞きたくなってくる。
くそー。矢口さんのラジオ聞けねぇよー。会社にちくってやる‥
その運転手の少しばかり若く見える写真と名前をチェックしていた時だった。
- 4 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時11分43秒
- 「お客さん、雨は好きかい?」
料金のメーターが回るのと同時に運転手が喋りかけてくる。
そのカタンという音が、まるで運転手の声にスイッチを入れたかのようだった。
「お客さん、雨女郎は信じるかい?」
「アメジョロウ‥?」
無視しようとしていた声から聞き慣れない言葉を見つけて、つい口に出してしまう。
やべぇ、答えちゃったよ。
「そう、雨女郎っていう妖怪だよ。昔の事だが江戸時代くらいに宿場町のある旅篭におゆうっていう女郎がいたんだ。あ、旅篭っていうのは宿みたいなもんだ。女の人のいるね。」
運転手は前方の赤い光りの列を見つめたまま、丁寧な口調でゆっくりと説明する。
その少ししわがれた声はとても穏やかで、ラジオの事がなければ、すぐにでも好感を持っていたと思う。
「それで、そのおゆうなんだが。寝取った客が出発する日には雨が降るということが続いたせいで、客がつかなくなってな。借金も返せなくなり、首を吊ってしまったんだ。」
「えっ、雨が降るだけでですか?」
そう聞き返すと、後ろから僅かに見える運転手の口元がほんの少し上がるのが見えた。
- 5 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時13分50秒
- 「そうなんだよ。今では雨なんて服が濡れるだの髪がボサボサになるだの‥それだけで傘を差せば、こうやってタクシーがあれば殆ど問題ないもんさ。だけどね、昔は雨が降ると出発の日がおくれるから大変なんだ。車なんてないからね。だからそんな噂だけで客がつかなくなってしまうんだよ。」
それはやさしい口調だったけれど、なんだか刺が含まれているようだった。
『雨降りは道路が混んでて帰るのが遅くなるな‥』なんて事を思っていた、数分前の自分に対しての。
運転手はハンドルをきりカチカチカチというウィンカーの音が止まると、また口を開いた。
「首を吊った木が今でも残っていて、その女郎屋の跡地に立つ建物にはおゆうの幽霊が今でも彷徨っているそうだ。梅雨時になると、ピタピタピタ‥ていう音をたて、床を濡らして歩いているそうだよ。」
信号が青に変わる。背筋を伸ばして座っている運転手の顔は、消えないブレ−キランプに赤く照らされていた。
もしかして、怖がらせようとしているのかな?よくある話だし、全然恐くない‥しかも今梅雨じゃないしな。
「で、信じるかい?」
「えっと‥」
「雨女郎はいると思うかい?」
- 6 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時14分53秒
- そうだ、信じるかどうかの話だった。雨女郎ねぇ‥
「ん〜信じませんね。いないと思います。」
「ふむふむ、そうか‥」
運転手は赤く染まった鬚を手でなぞり、質問を続ける。
「それじゃ、雨女は信じるかい?」
「雨女っていうのは、雨によくあたる人のことですよね?妖怪じゃなくて」
「うん、そうその雨女だよ。雨男の方がメジャーだがね。」
「う〜ん、それは信じますね。」
「ほほう、雨女郎は信じなくて雨女は信じるんだね?」
また左手で自分の鬚をなでる。自慢の鬚なのかな。
「では、雨女郎と雨女の違いはなんだろう?」
「そんなの簡単ですよ。えっと、雨女郎っていうのは幽霊‥妖怪で存在が人間じゃなくて、雨女っていうのは私とかでもなれる‥その人間だから‥」
我ながらよくできた答えだと思った。ほら、人間と幽霊の違いだよね。
しかし運転手は怪しげな笑みを浮かべ、ただ頷くばかりで
同意する答えは返ってこなかった。
- 7 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時15分47秒
- 「あなたは信じてるんですか?」
「何をだい?」
「両方です、雨女郎も雨女も」
ついさっきまでの話を忘れてしまったかのような運転手に、自然と口調が強くなってしまう。
それにしても‥‥この人は耳が遠いどころかぼけているのかもしれない。
ちゃんと家までたどり着けるのか、そっちの方が心配になってくる。
「そりゃぁ、信じてるよ。どっちも」
「なぜですか?」
「なんでだろうね‥」
遠い目をして鬚に手をやる。
もしかしてさっきから、からかわれているのかもしれない。
そんな私の様子が分かっているのか、運転手は苛立ちをかわすように前を向いたまま一つ、大きなあくびをした。
「雨女郎も雨女も見た事はないよ。ただ、風の噂を信じているだけじゃ。」
「はぁー‥見たことはないんですね。」
「ああ、ないんだなぁこれが。残念そうだね。実際世の中は見えないものだらけだが、見たって言った方が良かったかな?」
「いや、いいです。嘘は‥」
「あははは、嘘かそれはまずいな。」
「ええ、困ります。」
つき合っているのがバカらしくなって、今度こそ寝てしまおうと深く座り直した時
ずいぶん前に、待ちぼうけをくらっていた答えが返ってきた。
- 8 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時16分43秒
- 「わしは、ラジオをつけると運転できないんだよ。」
「‥えっ?」
「ラジオをつけると、道に迷ってしまうんだ。」
「ラジオのせいでですか?」
「あぁ。ラジオだけじゃなくてCDもカセットもダメなんだ。」
そう言って首を何度も小さく振る。嘘をついているようには見えなかった。
「何でですか?」
「わしが、雨男だからだよ。」
やばい‥この人やっぱりおかしい。雨男とラジオなんて関係ないじゃんかよ。
そういえば、この道ってどこだ?いつも通っているのと違うような‥
いくら埼玉だからってこんなに真っ暗な所って通ったかな?
「あのーこの道であってます?ここどこですか?」
「うん、大丈夫あってるよ。心配しなくてもちゃんと着くから、それにいつもより早いよー雨に感謝しなきゃ。」
「雨に‥感謝ですか?」
「そうじゃ、ありがとうってね。」
御自慢の顎鬚を何度も触りながら嬉しそうに話す。
まじでやばいよ、この人。免許持ってるよね?ぼけてるんじゃなくて頭おかしいって‥?
- 9 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時17分23秒
- 「雨の音って聞いた事あるかい?」
運転手はこちらの動揺に気付く事なく質問を続ける。
とりあえず、怒らせないように機嫌を損ねないようにしないと生きて帰れないかもしれない。
え〜と、警察は110番でいいんだよね‥
ポケットの中で携帯を握りしめる手に力が入る。
「雨の音ですか、ありますよ。今も聞こえるし‥」
光りが溢れた通りを抜けても窓の外は雨一色で、時折大粒の雫が窓を叩いていた。
「はっははは、それは凄い。わしは一度も聞いた事がないんだが‥」
「え?ないんですか?」
「ないない、君もないはずだよ。君が聞いているのは雨音ではない。雨が何かにあたる何かの音で、雨はその音を鳴らす奏者にすぎない。まー、それが雨の音といえばそうなのかもしれないがね。」
「はぁ‥」
少しずつ頭の中に消化できないものが溜まっていく。紐がぐねぐねと絡まっていく。
学校で理解できない授業を受けているようだった。
捻くれたじいさんだなぁ‥雨音でいいじゃんか。
つーか、そんな事聞いてたんじゃなくて、ラジオだよ、ラジオと雨男について質問してたんだよ。
- 10 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時18分18秒
- 「それで、運転できないのと雨男なのとはどういう関係が‥」
「ああーわしは雨男だからいつも雨なんだよ、わしの頭の上は。ワイパーなんて一年に5、6回変えてるくらいさ。まぁー、雨女郎と違って商売は繁盛するから首は吊らなくて済んだがね。はははは」
小さなカーブでドアの方に体が引っぱられる。
街灯の間隔の大きい、暗い夜道で聞く運転手の笑い声は、雨女郎の話よりも数倍恐かった。
「だから雨の事はよく知っているんだ。いや雨の事しか知らないというのかな‥とにかく雨とは長い付き合いなんだよ。僕の仕事の大切なパートナーでもあるんだ。」
「パートナーですか?」
「そう、君にも大切なパートナーがいるだろ?それは恋人であったり、家族であったり、仲間であったり。雨は気分屋だがいい奴なんだ。毎日毎日雨でも、わしは雨が大好きだよ。」
- 11 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時19分45秒
- そう言ったきり黙って顎鬚をなでる。
いわゆる雨音だけが聞こえる車内、それを気にしなければかなりしんとしていた。
不思議と気まずさはなく、ワイパーが何度も右、左に往復している様子を運転手ごしに眺める。
その一定したリズムに合わせて、なぜか娘の顔が次々と浮かんでくる。
毎日のように見ている仲間の顔。
なのに出てくる表情はどれもどこか寂しげで、疲れていた。
横を向くと、光りのない世界は暗闇に隠れてしまっていて、
雨粒が這う窓には自分の顔がくっきりと浮かび上がっている。
テレビじゃ出せない顔だよな‥
遠く雲から落ちてきた水滴は、車のスピードに合わせて目の前を流れていく。
細い川筋の誕生から消滅までを早送りで見ているかのようだった。
小さな川は加速する風にせかされ、次々と表れては消えていった。
- 12 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時21分47秒
- 「そうか、そうか、そっちの方がいいんだね。」
何分たったのだろう、少し眠ってしまっていたようで首に鈍い痛みが走る。
信号機が飾られた交差点を曲がると遠くに街の明かりが見える。
「この道もさっきまで通ってきた道も、全て雨が教えてくれたんだよ。道路に当たる音でどこが渋滞しているかとか、わかるんだ。」
「だから、ラジオはダメなんですね‥」
寝起きのぼーっとした頭でさっきまでの会話を思い出しながら返事をする。
咽にひっかかりながら出てきた声も、まだ眠たげだった。
そうだ‥この人は雨男だったんだっけ‥
「ははは、信じてないな。まーそれはそれでいいが」
「だって、この道知らないですよ」
「ああ、そういえば‥‥わしも知らんな。ははは」
「‥‥」
返す言葉を探す気力も、乾いた笑い声に消される。
シートにちょこんと貼られた広告をなんとなく眺めた。
見知らぬ通りの上で跳ねるしぶきはザァザァとまだ音をたてている。
雨と暗闇に密閉された車内では熱が窓を曇らせ、それがまた外と中を隔離させていた。
- 13 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時24分13秒
- 「雨女郎も雨女も時代が違うだけで同じなんだよ、彼女たちの上で雨が降っているという事は。もちろんわしにもそうじゃ。難しいかな‥。ただ雨が好きな運転手のたわごとだと思えばいい。街や人にあたる雨からいろいろ教えてもらっている変わり者だってね。」
じいさん先生の言葉がどんどん降り積もっていく。
さっきまで湿っていた服も車の暖房で乾いたけれど、運転手の言葉までは溶かしてくれかった。
えっと、人にあたる雨から教えてもらってる‥てことは‥
「人の音からも何かわかるんですか?」
「うん、うん。人それぞれ音色が違うんだよ。最近では傘をさしているからよう分からんのも多いがね、まーそれでも大抵はいい音がしないんだ。特に東京の人間は‥空っぽなんだろうね。」
「からっぽ?」
「西瓜の上手いのを叩くと聞こえるそれと似ているかな、とにかく空っぽなんだ。大人はほとんどそうだね。昔はもっとぎっしりと詰まってたんだろうが、今では音すら鳴らないよ。中にはひびが入っとる奴もおる。」
「えっと、頭がからっぽって事ですか?」
- 14 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時25分31秒
- 「頭はどうだか知らんが、ここじゃよ。」
ハンドルから手を離し、自分の胸元を2、3度ゆっくりと叩いた。
「ここが、空っぽなんだ。」
「あのー、私も音しませんでしたか?」
そう訪ねるとバックミラ−越しにこちらを一瞬覗く気配がした。
そういえば今日始めて後ろを見たかも‥
「ほう、随分と消極的だな君は。もっと自信を持っているように見えたんだが‥」
「自信‥て事は空っぽじゃないんですか?」
「いや、空っぽじゃよ。」
「え‥」
おかしな話を信じているわけではないが、そう言われると少しがっかりしてしまう。
その運転手はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、こう付け加えた。
「空っぽだが、君はいい音を鳴らしておるよ。」
「‥音は鳴ってるんですか?」
「たぶんな、いい音をならしているよ。」
「たぶんって‥‥聞こえたんじゃないんですか?」
またミラ−越しにこっちを覗いているようだ。視線を合わせないように、窓の向こうに隠れた景色を探す。
娘ってばれたかな‥
- 15 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時26分31秒
- 「そうだな、君が裸で雨にあたればハッキリと聞こえるんだが、いかんせん服ごしにはよう分からんのだよ。へへへへ」
「はだか!?」
「へへへ、そうじゃ‥すっぽんぽんだよ。」
開いた口が塞がらなかった。
このじじぃ‥ただのエロオヤジだったのかよ!
「それに君はいい玉をもっているよ。」
玉って、このじいさんセクハラ運転手??
「ちょっと小さい玉だが、大切にするんだよ。」
まじでチクらねば‥‥
つーか、この人、私の事を男だと思ってるのかな‥ジャージのままで帽子もかぶってるから。
でもなんで‥‥小さいんだよ‥
雨は弱まる事なくフロントガラスにあたり、ワイパーもいったりきたり忙しい。
変態運転手の動向に注意しつつ、その様子を飽きもせず眺める。
その向こうにいつもの見慣れた住宅街が目に入るまで、車内には雨の音だけが響いていた。
- 16 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時27分34秒
- 「あっ、そこです。そこ曲がるとすぐです。」
「ああ、わかっとるよ。今ちょうど雨に聞いていたところだ。」
鬚から手を離しウィンカーを付ける。
メーターを見るといつもよりかなり安い数字が並んでいた。
この機械も壊れているのかな‥ま、ラッキーだけど。
角を曲がり無事マンションに到着する。
お金を渡すと運転手はお釣りを確認しながら、セクハラ話の続きをしてきた。
「少し君の玉はとんがっているようだから、気をつけなさい。もっと自分で自分に傷をつけてしまうからね。」
まだ言ってるよ。もういいや、家には着けたから少しつき合ってやるかな。
ほら、年取ると喋り相手が欲しくなるっていうじゃん。
「どう気をつけるんですか?」
「ははは、簡単な事だよ。まずは御飯をたらふく食いなさい。」
「へ?ごはん?」
「おいしいって言えれば大丈夫だよ。あとはため息をつかない事かな‥」
「あー、幸せが逃げるってやつですか?」
- 17 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時30分31秒
- 「逃げるというか不幸も起こすって事かな、みんなの口から出ているため息が嵐となって自分達に帰ってくるからね。気付いてはないが、そういう事が少しずつたまって莫大な力をつくっとるんだ。自然災害とかとかいっとるが‥人も自然の一部だという事を忘れてはいかん。」
「はぁ‥」
よく分からないし、そんな事私に言われてもなぁ‥
曖昧な表情でお釣りと領収書を貰う。運転手の手は思ったよりも皺だらけだった。
これでもう用はない。おじいちゃんお疲れさまでした。
荷物を手に取り、忘れ物をしないようにグルッと座席を見回す。
「風が強いようだね。」
「‥そうですか?」
車からみても、小雨は地面に吸い込まれるようにまっすぐ落ちている。
木にかろうじてぶら下がっている葉も、たいして揺れてはいない。
この人、目も悪かったのか‥
「この街は風に動かされ、風に護られているんだ。」
突然、運転手はこちらを振り返りそう言った。今までと違う低いトーンで話す声に、思わず視線を合わしてしまう。
その黒い目は奥深く吸い込まれそうで、私より全然綺麗な目だった。
- 18 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時34分38秒
- 「海に表情を与え、砂に足跡だけを残して去っていく高慢で臆病な奴らなんだが、それがここの主流なんだ。わしも奴らに雨男にさせられようなもんさ。君のところは風が強いみたいだから気を付けなさい。たまには戸を閉める事も必要だよ。」
「はい‥」
視線を右手にそらし荷物を引き寄せる。とにかく早く下りたかった。
運転手の綺麗な目を見ていられなくなったせいもあると思う。
しかしドアは開かず、運転手の口がまた開いた。
「といっても、風がなければ歌も届かんからね。そうだ、これをあげるよ。」
書類などが詰まった整頓されているとはいえないダッシュボードから、ごそごそと白い箱をひっぱり出す。
「なんですか?これ」
「まぁまぁ、わしからのプレゼントだよ。この年寄りの話しにつき合ってくれたお礼だと思って貰っておくれ。」
「あ‥ありがとうございます。」
仕方なく箱を受け取るとやっとドアが開いた。
うぉ、さーみぃー
車から下りてもまだ、中から運転手の声が追いかけてくる。
「わしは君の目になれたかね?」
「へ、目?」
「休める時間を見落としてるようだったから‥」
と運転手はにっこり微笑んだ。「台風の目に涙は似合わんだろ?」
- 19 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時36分45秒
- 「台風‥?」
頭の中は台風どころか、じいさんのおかげで大吹雪だよ。ほんと勘弁してほしい‥
「それ大切にするんだよ、お嬢さん‥とても繊細だから。」
固まっている私を気にもせず、老人はそう言い残すとあっという間に走り去っていった。
「ん?お嬢さんって‥女ってわかってたんだな、セクハラじいさんめ‥」
湿った空気の向こうに霞むタクシーの赤い光を消えるまで見ていた。
その間も風が雨を揺らせる。まるで指揮者のように雨の線を揃って動かす。
何度も歩いた通りに、土地に染み入る事のない雨が音を奏でる。
それを耳にしながら、東京より上着を一枚必要とする冷え込みに耐えられず、階段を一段飛ばしで駆け上がる。
鍵が開くのを待つ時間がさらに体を冷やした。
「おかえりー、早かったわね。」
「あー寒いよこっちは‥もう。え?そんなに早い?むしろ遅いとおもったんだけどな。」
「なに言ってんの。電話もらってから30分しかたってないわよ。」
「うそ!?まじで?」
「まじよ。嘘ついたってしようがないでしよ。時計見てみなさい。」
靴箱の上に置いてある時計の針は、まだ10時20分あたりを差している。
- 20 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時40分37秒
- 「はぁ?ちょっと待って‥母さんこれ遅れてるって壊れてるんじゃない?あり得ないよ30分なんて。雨降ってたから道も混んでたし‥」
「壊れてるのはあんたの頭の方でしょ。それ、まだ電池変えたばっかりじゃない。それに雨なんて降ってないわよ、もう‥しっかりしてよ。あんた早かったからまだ御飯できてないからね。」
呆れた顔をしたまま台所へと戻って行く母さんの背中から視線を時計に戻す。
10時21分‥‥ポケットから携帯を取り出してみても答えは同じだった。
えーっと、あと雨なんて降ってないと‥‥はぁ?思いっきり降ってたよ。気付かなかったのかな‥
「ただいまー。おっ、ひとみも今帰ってきたのか。」
「あー、お父さんお帰り。雨大丈夫だった?傘持って行かなかったでしょ。」
「え?雨?何言ってんだお前。雨なんか今日降ってないぞ‥」
「‥うっそ」
お父さんを押し退けて、外に出る。
さっきまで立ちこめていた湿った匂いも、音もしない。
道路にも涙の後はなく、その上ではたくさんの星が光り輝いていた。
- 21 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時46分11秒
- ふらふらと家のドアをあけ玄関で立ち尽くす。時計を見ると23分を過ぎようとしていた。
なんだ‥‥なにが起こったの?‥
彷徨う視線が白い箱を捕らえる。慌てて、手に持っていたそれを顔に近付けた。
意外と軽い箱には丁寧に「粗品・雨運転手」と書かれたのし紙が貼られていた。
「雨運転手か‥」
決して上手いとは言えないその文字は、何故かあの運転手の鬚を連想させた。
ドキドキしながら紙をはずし蓋を開ける。
「え?‥」
中には季節外れの風鈴が入っていた。
透明の少し青っぽいガラスは柄も何もないシンプルなもので、それを手に持ち揺らしてみると軽やかな音がした。
夏によく聞くあの音。中には細長い管ではなく玉がついていた。
私は揺れているその少し尖った玉を見ながら、ゆっくりと息を吹き掛ける。
チリリンー
「いい玉か‥」
夏の音の響きで、降り積もったままだった雨運転手の言葉が一気に溶け出した。
「あんた何してんの?」
玄関で靴を履いたまま風鈴を鳴らしていると、いつの間にか目の前に母がいた。
手には料理で使っているのか味噌を持っている。
- 22 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時47分17秒
- チリリンー
「いい音するでしよ、これ。」
「この寒いのに風鈴なんかならさないでよ。季節外れもいいところ、さっさと着替えてきなさい。お風呂わかしたから。」
愛情を込めて息を吹きかけたけれど、眉間にしわを寄せた母さんの表情は変わらない。
いや、むしろ険しくなったように見える。
「でも、いい音でしよ?」
「そんなのどれも同じにしか聞こえないわよ。」
「違うよ、全然違うんだよ。何言ってんの、だめだよ‥」
「あんた疲れてんの?もう夏はとっくに終わったでしよ。そんなのさっさと仕舞いなさい。」
「夏は終わってないよ!」
「そうですか。では、今日は何月でしたっけ?」
「12月‥」
「はい、良く出来ました!もう寒ーい冬ですね。」
「終わってないもん‥」
「意味不明な事言ってないでよ、つき合ってらんないわ。最近ひとみちゃん大丈夫?て聞かれてるんだから、変な事言わないでよ、もう‥」
「あーもういいよ!母さんなんて、空っぽですっからかんだから音だって聞こえないんだよ!年寄りはダメだって言ってたし、かわいそうにカサカサで、もうひび割れちゃっ‥いてっ!」
頭を思いっきり叩かれる。
あ‥やばい‥まじ怒ってるかも。
- 23 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)10時59分42秒
- 「あんたを産んだからすっからかんなのよ!もういいわ、勝手にしなさい!」
味噌を私に押し付けて部屋にもどっていく。
そうだ今日はついてない日だったっけ‥
ブルルルルー
両手に溢れた荷物の中でその存在を主張するかのように、携帯が震える。
「もしもーし?」
『よしこ?やっと繋がったよ。さっきから電話してたんだよ。』
「おう、ごっちん!あれ、電源切ってなかったのに繋がんなかった?」
『うん、電波が入らないってアナウンスばっか、電車だった?』
「ううん、タクシーだからそんなはずないんだけど‥あっ!」
『ん?どしたのよしこ』
「あれだよ、あれ。台風の目にいたからだよ。そっかー、すっげーな。へへ」
『プッ‥相変わらず言ってる事おかしいからー。台風の目って何よ?』
「ん〜いつかごっちんにも来るよ。あっ!そういえばごっちん風鈴持ってたよね?」
『うん夏に作ったやつね。持ってるよ。てか、まだ窓の所に掛かってるし、チリチリうるさいんだよ』
「あははは、ごっちんらしーや。さすがだよ凄いな‥」
『え?凄いの?母さんが片付けろってうるさいんだけどね、面倒で‥夏はまた来るしねぇ。』
- 24 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)11時04分10秒
- 「うんうん。夏はすぐに、すぐに来るよ‥」
『‥ん?よしこどうした?』
「なっつがくっる〜♪」
『ふはははは、急にでかい声で歌わないでよ。耳痛いから〜』
「へへへへ、今度カラオケ行こうぜ。ごっちん。」
『ははは、いいよ。今度の休みに行こうね。』
「だね。そうだごっちんの用はなんだっ‥うぎゃ!」
『へ、よしこ?どうしたの?』
「あ〜味噌が足についちったよ。うわーくっせぇ」
『味噌って、何してんの?』
『いや、いろいろあってねー。風鈴とか鞄とかいっぱい持ってたから落としちゃったよ。玄関味噌だらけになっちゃった。どうしよー‥‥あっ、やべぇ!」
『‥よしこ?』
「いや、いや。ごめん。わざとじゃなくて、最近ねーちゃん仕事で疲れてたからついつい寝ちゃってさ。気が付いたらぐしゃぐしゃに‥そんな、マンガくらいで泣かないでよー新しいの買ってやるからさー。うおっ!いたっ!いたいよ。物投げんなー‥」
『おーい?』
- 25 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)11時07分14秒
- 「いたっ、角があたっただろ‥このヤロー!‥あ、ごっちん後でかけ直すから、ちょっと今日ついてない日でさー‥いって、くそっ!このーいいかげんにしろ!ボケ!」
『なんか大変そうだね。んじゃ待ってるよ。がんばってねー』
「うん、ごめんねごっちん。‥あっ、待て!こらくそガキ!味噌つけてやっからなー。覚悟しろー!‥」
結局ごっちんに電話をかけ直したのは、日付けが変わってからだった。
それから私の部屋では毎日、季節外れの音が鳴っている。
少し丸くなってきた玉が奏でるその音は、きっと、あの雨運転手にも届いているのだろう。
雨色のタクシーには二度と乗る事はなかった。
fin.
- 26 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)11時08分03秒
- 「
- 27 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)11時08分40秒
- 「
- 28 名前:47 台風の涙目 投稿日:2002年12月15日(日)11時09分12秒
- 「
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