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雨のち晴れ

1 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時29分25秒
「子犬でも飼ってみようかなぁ。」
わたしは思い切って言ってみた。

「んんん。何か、いま言ったかぁ。」
あんたはテレビのサッカー中継から目を逸らさずに答える。本当は、サッカーなんてルールすらろくに知らないくせして。
一種、強迫観念に駆られて見ているやろ。仕事意識が抜けないんやね。

「子犬でも飼おうかって言ったんや。」

「何いってんだよ。面倒増えるだけだろ。」
話にならないという様に、あんたは頭から否定する。
違うやろ。わたしの本当に言いたかったことは、そういう事や無いんや。
面倒だからやらない。しない。と言うなら、うちとアンタの未来はどうなるんや。
待っている言葉も無いわけじゃないんやで。
2 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時31分05秒
「かわいいでぇ。子犬。・・・あのなぁ。今コマーシャルやってるやん。子犬が出てくるやつ。うちはミニチュアダックスフントがええなぁ。」

「・・・・。」
テレビの画面を見つめたまま、あんたは身動きひとつ、せえへん。

無視かいな。会ったばかりの頃は、お互い話すことが一杯で喉がガラガラになるまで話し込んでいたやんか。
最近、会話が少ないで。
せめて犬でも飼ったら共通の話題が出来るかと思ったんや。

でもな、考えてみたら犬を中に入れなければ繋がる事の出来ない関係って、子供の出来ない倦怠期の夫婦みたいやな。
3 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時33分20秒

あんたとわたしは大学のサークルで初めて会って、しばらくは友達関係やったけど、2年から3年に移る春休み前にひょんなきっかけでお互いが相思相愛だって分かって恋人関係になったな。
嬉しかったんやで。
自分にはあんたは高嶺の花やと思っていたから。
京都の田舎町から出てきたわたしには、東京でずっと育ったあんたが、何事につけても垢抜けて見えて、まぶしかったなぁ。

残りの大学生活を二人で一緒に過ごして、思い出一杯作ったなぁ。
大学卒業すると、結構それで関係が切れてしまうカップルが周りにも多かったけど、うちら二人は順調やった。
二人とも大阪市内で仕事を見つけることができた。
わたしは小さな出版会社に、あんたは、昔から希望していた広告代理店に入ったな。
あんた、昔からイベント企画や広告の仕事したいって言ってたもんな。
夢の第一歩が始まったわけや。
今は自分達の仕事で一人前になるので手一杯やけど、いつかは。
そう思っていたわ。
4 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時34分56秒
今はテレビを見てごろごろ寝転んでいるおじさんになってしまったけど、あたしだって出会った頃と比べればおばさんや。
こんな風に平凡な月日を過ごせると信じていたのになぁ。

「なあ、何か言ってや。最近、会話が少ないと思うわ。再就職活動は上手くいってんの?焦らなくてもええから、自分が納得できる所を見つけたらええわ。」

二人の関係が微妙に軋みだしたのは、あんたが仕事を辞めてからや。
この大不況の中、電通みたいな巨大な広告代理店はいざ知らず、中堅クラスはどこもヒーヒー言っとる。あんたの勤めとった所も、得意先が潰れたり、広告予算が大幅にカットされたりして、ひどい状態になってたらしいな。
詳しいことは知らんけど、危ない筋の仕事も手を出してたらしいやんか。
そんなこんなで、嫌気がさしたあんたは、あっさり仕事辞めてしもうた。

責めてるわけじゃないんやで。
5 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時36分30秒
ただなぁ。もうちょっと大人になっても良かったとおもうわ。
わたしにも一言の相談もなしに会社を辞めるなんて、二人の未来について真剣に考えてくれているのかな、と悲しくなってしまっただけや。

「精一杯探してるよ。生活費は入れているだろ。」
半分怒鳴るようにわたしの質問にあんたは答える。

勢いで辞めたはいいが、この不況のご時世でなかなか思うような仕事が見つからずイライラがちになるのは分かるけどな。
「怒鳴らんといてやぁ。仕事ならゆっくり探せばええやん。別にわたしだって働いているし、生活に困ることはあらへんし。」
やっぱり一言、言いたくはなるやんか。

籍も入れずに、こうやってダラダラと同棲生活を続けてきた無理が来たんかなぁ。言葉がすれ違ってばかりや。

6 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時38分35秒
その時テレビが切り替わり、歌番組になった。

「見てや。モーニング娘。出とるで。あんた、好きやって言ってたやんか。」
この場の雰囲気を変えるために、無理に明るく振る舞った。
「矢口ちゃん、可愛いなぁ。抱きしめてチュウチュウしたくなるよなぁ。」

反応無しかいな。

「この前、卒業した初代リーダーの平家さん。うちと年がそんなに違いへんから、もし、うちがオーディションに応募しておったら、今頃はあんたなんか近寄れん位の大スターやってんやぞ。」

「アホくさ。どうして、おまえなんかがモー娘。に受かるんだよ。」
やっと笑ってくれたなぁ。
でもな、もう一つの人生だったあったかも知れんやん。高校卒業する時に、わたしはこのまま就職するって言ったけど、お母ちゃんが母親しかいない家庭だけど、大学へ行かすくらいの蓄えはあるからって無理して大学に行かしてくれた。もし、あのまま高卒で就職しておったら・・・。
思い切って、モー娘。のオーディションを受けていたかも知れんよ。

そしたら、絶対にあんたとは出会えていなかったけどな・・・。
7 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時40分16秒
ピリピリしていた雰囲気が、フッと和んだ。

「きつく言ってゴメン。」
あんたはすまなそうに謝る。

優しい人やな。
ケンカしても、いつも最後は自分の方から折れてくれる。

「ん。ええんや。そろそろ寝るかぁ。うふふ。」



あんたの背中は広いなぁ。
ぴったりくっつけあった肌が気持ちええなぁ。
人肌の温もりは安心できるよ。
まるで体と体が溶け合うようや。

不安なんや。
あんたは優しい人や。
その優しさが時々怖いねん。

今はこんなに近くにいる二人なのに、すごく遠く遠く感じる時があるねん。
8 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時42分03秒
その日は仕事が立て込んでいて、深夜近くまで会社にいた。

「ああ、もう敵わんわ。安月給でこき使われるなぁ。」
地下鉄の終電に辛うじて間に合い、シートに深く身を沈めて愚痴った。
とは言ったものの、仕事にも責任感が出てきたし、ある程度は自分の裁量で仕事ができるようになったので、やりがいもある。

しかし、疲れたわ。あんたの顔を早く見たいよ。
(そうや。迎えに来てもらお。)
最寄りの駅からはちょっと暗い道があり、かよわい女の子一人では不安なの。
エヘッ。

携帯をバックから取り出して電話する。

(・・・出ないなぁ。)
居留守を使うてんのかな。とりあえずメール打っておいて、駅に着いたら、また電話するか。
地下鉄の車内はわたしみたいに終電間際まで働いてぐったりしているサラリーマンと、中年の酔っぱらいが互いに目を合わせないように距離を置いて座っていた。

仕事が無いなんて嘘や。こうしてぼろぼろになって働いておる人間が一杯おる。
みんな限界以上に働かされてヒーヒー言っとる。
仕事をみんなで分ければ、ええのになぁ。
そうすれば世の中、みーんな丸く納まるでぇ。
あいつも仕事探しに苦労せずに済むやん。

9 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時44分30秒
わたしの降りる駅は半分明かりを落としてしばしの眠りの準備をしていた。わたしの他に降りたのは数人といったところか。

地上に出てもう一度携帯を入れた。

出ぇへんなぁ。
どこ行っとんねん。
しゃあないな。タクシー使うか。

タクシーの座席に深く身を沈めて、あんたの事を少しだけ考えた。
わたしが思うほどに、あんたはわたしを思ってくれてんのかな。
答えの出ない疑問だけどな。

アパートの前でタクシーを止めて貰う。
自分の部屋の窓を素早くチェックした。
明かりが点いておらん・・・・

どこ行っとんねん。まったく。

部屋の扉の鍵を回す。
空しい手応えがして扉が開く。
誰も待っていない部屋。

蛍光灯のスイッチを入れた。
白々しい室内が蛍光灯の明かりの中に浮かび上がった。

あんたが、おらへんだけで空気が寒いなぁ。
とっとと化粧落として、風呂入って寝よ。

10 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時46分43秒
あんたが帰ってきたのは明け方近くだった。
酒臭い息をして乱暴に服を脱ぐ気配がした。
仕事探しが思うようにいっとらんのかな。昔のあんたは、そんな風に自暴自棄な飲み方をせえへんかった。
飲む時も「遅くなる」って連絡をちゃんと入れてくれた。
連絡も入れずに遅くなるのは、最近のことや。

でも、あんたの心に抱えてるものは分かるで。
人生、晴れの日もあれば雨の日もある。
いまのあんたは、ちょっと雨かな。

わたしに出来ることは見とるだけや。
「うーん。騒がんとといてや。明日も仕事やねんから。」
夢うつつで、そんな事を言った気がする。



「うわあ、酒くさぁ。あんた、一体どんくらい飲んだのよ。」
仕事に出かける支度をしながら、あんたに声をかけた。
でもわたしの声に全く反応せず、布団にくるまったまま身動き一つしなかった。
強烈な二日酔いに襲われているみたいだ。

「なあ。今日は金曜やろ。わたしの仕事も一段落したし、明日は休みや。早く帰れそうだから、うちにおってや。どっか美味しいもん食べに行こうや。」
半分、哀願するように気持ちだった。
ここの所、二人の気持ちは擦れ違ってばかりや。
きちんと一回、話あった方がええ。

11 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時49分00秒
その日は終業時間が来ると、とにかく脇目もふらずに机の上を片づけて会社を飛び出した。
あんたが待っとる。
でも、怖くて電話はかけられへんかった。

地下鉄の駅を出ると、頬に生暖かいものが当たった。
雨や。
傘、持っとらへん。
まだ降り始めという感じや。急いで帰れば濡れずに済むかも知れん。
あたしはバックを頭にかかげて小走りになる。

「だだいまぁ。」
家にいる確率と、出かけている確率は半々だなと思いながら、無理に明るく振る舞って扉の鍵を開けた。

「おかえり。」
あんたの優しい声がした。
12 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時52分25秒
「居てくれたんやね。」
小躍りする様な気持ちで、急いでパンプスを脱いで居間に向かった。
あんたはカウチソファーに寝転んでテレビを見ながら、こっちに優しい笑顔を見せてくれた。
良かった。あんたはちゃんと風呂にも入って、ひげも剃ってこざっぱりしとる。
起き抜けのぐしゃぐしゃな状態やったらどうしよかと思っておったよ。

「思ったより早かったな。」

うーん。あんたの笑顔最高や。
とろけるみたいやでえ。

「今、着替えるね。どこ行く?」
クローゼットの前でブラウスのボタンを外しながら、素早くお出かけ着をチェックする。少しはお洒落したほうがええなぁ。少しは可愛いところを見せておいきたいもんなぁ。

「そうだな。玻留子でいいだろ。」
居間からあんたは言う。

玻留子かいな。近所の安居酒屋やん。
餃子は美味いけどなぁ。あんた、散々飲んでまだ飲みたいのかいな。
ちょっと残念やけど、まあええわ。肩凝らんしな。あんたが居てくれるだけで満足や。

「そっか。あんたがそれで良ければ、うちはええでぇ。」
クロゼットをパタンと閉めて、普段着にしているスカートとトレーナーを着た。
13 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時53分59秒
「もう行ける?」
テレビを見ているあんたに声をかけた。

「ああ。行こうか。」
テレビのリモコンのスィッチを切って、あんたは立ち上がる。あんたがいつも付けとるフレグランスの匂いが微かに鼻をくすぐった。
わたしと並ぶと身長差があるなぁ。
いつも見上げるようや。

「雨が降り出したみたいだな。」
窓の外をちらっと見てあんたが呟く。
そう言えば、さっきから遠くから雨音がしてるなぁ。
「傘持って出ないと駄目だな。」

その時、あたしの頭に一つの考えが浮かんだ。
「相合い傘で行こうや。」
なあ。
「ひとつの傘でな。行こうや。ええやろ。」

これは賭けかも分からんな。
むげに断るようなら二人はもう駄目なんやろう。

「・・・ああ。相合い傘で行くか。なんか付き合いはじめたばかりの高校生みたいだけどな。」
戸惑いながらもあんたは、いいよって言ってくれた。
14 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時55分55秒
アパートの外に出る。
あんたがゴルフの賞品で持ってきた、大きめの傘を広げる。
鮮やかな蛍光色のオレンジ色が目にしみた。

道路は雨で濡れ羽色に色づいて、しっとりと水を含んだ木々の若葉は初夏の匂いを放っている。
しばしの雨でこの見慣れた街も洗われてリフレッシュしたみたいだ。
新鮮な光景。

腕組んでもいいか?
あんたの体温を感じていたいんや。
あんたの匂いを感じていたいんや。
あんたの腕の形を確かめたいんや。

恋する女は難儀なもんやな。
ちょっとした事で幸せにもなれるし、不幸せにもなれる。

今は幸せやで。
あんたと相合い傘しとるからな。
わたしの周りの空気が薔薇色になったみたいや。

傘に雨粒が当たる単調な音が響く。

あんたは無言で歩いていく。
遅れないようにわたしも歩く。
身長差があるから、本当は相合い傘しとっても肩に雨が当たるんやで。
でも、幸せや。

わたしの未来が晴れなのか雨なのかは分からんけど、明日は今日の連続にしか過ぎないし、今日のわたしは取り敢えずは「晴れ」や。
15 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)18時57分07秒
未来が見えない無職の彼氏とだらだら同棲生活を続けて、小さな会社でこき使われるのは「雨」の人生だと、他人は言うかもしれん。

わたしには、ひょっとしたらモーニング娘。としての人生もあった。
きれいな衣装着て、ヘアメイクさんについてもらって、最新の化粧してスポットライトを浴びている人生もあったかもしれん。
それが「晴れ」の人生だと、他人は言うだろう。

でもな、わたしにとっては大好きなあんたと雨の中で互いの温もりを感じながら相合い傘で歩いている、この平凡な人生こそが「上天気な」人生やと思うんよ。

「仕事決めたから。友達の知り合いの会社で最初は営業職だけど、実力でどんどん上にも行けるし、企画や広告の仕事も出来るから。初めての給料出たら犬を飼うか。名前は矢口ちゃんにしよう。おまえの好きな矢口に因んでさ。」
あんたは唐突に独り言のように言う。

ほらな。人生は雨の日から突然、晴れることもある。
16 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)19時04分41秒
17 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)19時05分20秒
18 名前:44番 雨のち晴れ 投稿日:2002年12月13日(金)19時06分08秒

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