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冬の雨

1 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時19分01秒
雨は小降りになっていた。

タクシーから降りて傘を差しながらほっとする。
先ほどまでびっくりするほどの強さで降り続いていたのがまるで嘘のようだ。
足元では濁った水が下水溝へと勢いよく流れている。
それはまるで台風のときに氾濫した川のようだった。

冬の雨は嫌いだ。
暗くて冷たくて、心が陰鬱に沈んでしまう。

「よっすぃー」
「あ、梨華ちゃん」

振り返ると同じようにタクシーから降りてきた梨華ちゃんの姿が目に入った。
これからある番組の撮影だった。
どうやら偶然入り時間が重なったらしい。

「今から?」
「うん、午前中は撮影の予定なかったから。梨華ちゃんは? 仕事明け?」
「そ、今日はカントリーの仕事だったんだ」
「ああ、そうなんだ」

梨華ちゃんは相変わらず忙しそうだ。
カントリーにタンポポ、番組でもコーナーをいくつか持ってるし。

「大丈夫? 疲れてるんじゃない?」
「まあね。でも楽しいよ」
「そう、なら良かったね」

にっこりと笑う梨華ちゃんにあたしも笑顔を返す。
2 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時20分58秒
「それにしてもすごい雨だったね」
「そうだね」

なんでもない話をしながら、濡れたアスファルトを並んで歩く。
それだけでなんとなく落ち着く。やっぱりこういうとき、同期というのは嬉しい。
スタジオの中に入り、傘を立てようとしたところで手が止まった。

中澤さんの誕生日ケーキのろうそくのように、傘立てにはびっしり傘が刺してある。
その横に一本だけ開いて干している傘があった。

「誰だ? こんなとこに」
「これ、あいぼんのだ」
「加護の?」
「うん、ほらこれ」

梨華ちゃんの示した先を見る。
傘の柄がキティちゃんの顔になっていた。

「好きだねぇ、相変わらず」
「ふふふ」

よく見ると柄から滴った雨がキティちゃんの顔を濡らし、床にも小さな染みを作っていた。
邪魔にならないようとりあえず端のほうに寄せておく。
二人で顔を見合わせて首をすくめ、楽屋へと向かった。

「おはよーございまーす」

大きな声で挨拶をして楽屋のドアを開ける。
返事はない。
楽屋の中は重苦しい雰囲気に包まれていた。
3 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時22分34秒
部屋の真中には正座をして歯を食いしばる辻の姿。
その目の前では厳しい顔をした飯田さん。
隅には眉間に皺を寄せ唇の端を下げた加護。
その隣で明らかにほっとした顔を見せた小川と目が合った。
他のメンバーの姿は見えない。多分別の仕事か学校だろう。

過密スケジュールに追われるあたし達は、なかなか全員が揃う事がない。
ほかのメンバーの予定を把握しておく事さえ不可能だ。

「なにがあったの?」

なんとなく大きな声を出せない状況だ。
こっそりと近寄って小声で小川に聞いてみる。

「あの……実は辻さんが──」
「のんは何にもしてないよ!!」

こちらに背中を向けたまま辻が大きな声を出した。
小川は困ったように眉毛を下げる。
普段はきつく見える目が自信なさげに垂れ下がって見えた。

仕方なく加護と梨華ちゃんを加え、4人でスクラムを組むようにしてひそひそ話す。
ダンスと正反対に話すテンポの遅い小川と、脱線気味の加護の話を苦労して繋ぎあわせる。
どうやら、楽屋にあったガラス製のクリスマスツリーが割れてしまったらしかった。
4 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時24分18秒
「なんでそんなもんが楽屋においてあったんだ?」
「もともと番組で使う予定だったんですけど、綺麗だからって飯田さんが借りてきたんです」
「ふうん」

撮影は飯田さんと小川から始まった。
しばらくして加護が呼ばれて楽屋を出る。
もう撮影の終わっていた辻は、ひとり残って寝ていたらしい。

しばらくしてガシャンという音が響いた。
びっくりしたスタッフの人がドアを開けると、放心状態の辻が割れたツリーを見つめていたそうだ。
もう片付けられたのか、その残骸は残っていない。
今ごろ、代わりを探して大慌てなんだろう。

「加護が出てくとき、ツリーは無事だったんだよね」
「うん。ののはそのとき、もうグーグー寝てたけどね」
「ふぅ……ん」

楽屋の前にはスタッフの人がいた。もちろん誰も出入りしていないらしい。
あたしはそっと立ち上がって窓際へと歩いていった。
窓から見える薄暗い裏庭には、小さな雨が降り続いていた。
ここは二階だ。窓から誰かが入るはずもない。

「ん?」

何か違和感を感じてカーテンをめくってみる。
そのとき、飯田さんの声が聞こえてあたしは振り返った。
5 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時26分00秒
「辻……圭織はね、ツリーを壊した事怒ってるんじゃないんだよ。
 自分のした事を謝らないのがいけないって言ってるの」
「だって! だって……本当にのんがやったんじゃないもん……」
「ねぇ、ののだってわざとやったんじゃないんでしょう? だったら──」
「だから、のんはやってない!
 どうして信じてくれないの! 梨華ちゃんのバカ!!」

事態を収拾しようとして、いつものように火に油を注いだ梨華ちゃんは、
壁の方を向いてしゅんと小さくなった。

辻は唇を噛んでうつむいていた。
いつもと違い結ばずに下ろした艶やかな髪がぱさりと垂れている。
くっきりとした二重が長い睫毛でけぶって見えた。

「飯田さん」

張り詰めた空気を壊さないよう、あたしはゆっくりと声をかけた。

「ツリー倒したの、ののじゃないですよ」
「え? なんでさ?
 だって楽屋には辻しかいなかったっしょ」
「窓……開いてます」
「窓?」

あたしはカーテンを開いた。
陰に隠れて気が付かなかったが、5センチくらいだろうか。隙間が開いている。

「きっとここから風が入ってカーテンが引っかかったんですよ」
6 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時27分25秒
ののの顔がぱあっと輝いた。その横で飯田さんは首を振る。

「そんなことない。
 あのツリーは結構重そうだったし、簡単に倒れるなんて思えない」
「でも、ののはイタズラはしても嘘つくような子じゃないですよ。
 ここまで真剣に否定するんだったら、ののがやったなんて思えません。
 ね、梨華ちゃんもそう思うでしょ」
「え!? あ、ああ、そうだね」

急に振られた梨華ちゃんは慌てたように首をがくがく振った。
それでもまだ飯田さんは納得できないのか首をかしげている。

「うーん、でもなあ」
「それに……カーテンにコレがくっついてました」

あたしは手のひらを前に差し出した。
そこに乗っているのは透明なガラスのオーナメント。

「これ、ツリーの飾りでしょ。
 きっとコレが引っかかったんですよ」
「そう……なのかなあ。でも……」
「もういいじゃないですか。やめましょうよ、こんな事。
 あたしはののを信じます。
 だから飯田さんも信じてください」
7 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時29分10秒
飯田さんだってののを信用してないわけじゃない。
でも、やっぱりリーダーとしての立場がある。
それに多分納得できないことをそのままにしておくのが嫌いなだけだ。
それでも飯田さんは大きく頷いた。

「……ん。わかった。
 圭織も信じる事にする。
 ごめんな、辻。疑ったりして」
「よし。それじゃ気分変えましょ。
 撮影おしてるんですよね。
 あたし何か飲み物買ってきますから」

代わりに行こうと立ち上がりかけた小川を軽く制してにこっと笑う。

「いいからいいから。
 今日は4期の連帯責任ってことで、加護と二人で行って来る。
 あ、お金は梨華ちゃんが出してね」
「え! なんで!!」
「だから連帯責任」
「ちょ、ちょっと!!
 だからってなんであたしだけ──」
「だって梨華ちゃんが一番疑ってたし」
「ち、ちが、あれは……」
「さ、行こ。加護」

喚く梨華ちゃんを残して立ち上がる。
ようやく笑い声の上がった室内。
でも、笑いながらも飯田さんはまだ納得できてない顔をしていた。

分かりやすい人だ。
ま、でも仕方ない。
さっきのあたしの話は全部嘘だし。
オーナメントも部屋の隅に転がってたのを拾っただけだし。
8 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時29分59秒
ガチャン。
耳障りな音を立てて缶が落ちる。

「よっすぃー、何にする?」

あたしがローヤルゼリー入りの健康ドリンクの名前を言うと、加護はむははと噴出した。

「よっすぃー、おっさんくさーい。
 もー、変な趣味してるねぇ」
「ねえ、何であんな事したの?」

ボタンの上で加護の指が止まった。
一瞬の後、ガチャンとまた耳障りな音が響いた。

「なにが?」

振り向いた顔は笑顔だった。テレビで見るのと同じあどけない笑顔。

「あのツリー倒したの……加護でしょ」
「なに言ってるの、よっすぃー。
 加護はぁ、あのとき楽屋にいなかったんだよ」
「そう、だからタイマーを使ったんだ」
「タイマー? そんなものどこにあったの?」
「作ったんだ。傘と……雨で」
「…………」

笑顔を浮かべたままの加護の顔をあたしはじっと見つめた。
9 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時31分13秒
「ツリーに紐を結んでおく。
 オーナメントに結んどけばいいかな。
 その紐を傘につないで窓の外に出しておく。
 ああ、傘は開いたままね。
 さっきまで外は凄い雨が降ってた。
 当然、傘の中にはどんどん雨が溜まっていって重くなる。
 そして──」

傘に引っ張られたツリーはついに倒れてしまう。
ツリーから外れた紐は傘ごと裏庭へ落ちる。部屋には何も残らない。
あとは隙を見てそれを回収しておけばいい。
それぐらいトイレにいく振りをすれば何時でもできる。

「ののが寝てたんなら、この仕掛けは最後に楽屋を出たあんたしかできない」
「面白いね。よっすぃー探偵みたい」

加護はまた微笑んだ。
そのまま静かにじっとこっちを見返してくる。

「あたし見たんだ。加護の傘が干してあったのを」
「傘?」

首を傾ける加護にゆっくりと頷いてみせる。

「傘の柄から水が滴ってた。
 普通、傘の内側が濡れることはないよ。
 反対向きにでもしない限り」

あたしは口を閉じた。
加護も何もしゃべらない。

静かだった。
通りがかる人もいない。
まるで世界に二人だけになったみたいだった。
自販機のうなるような音だけが響いている。
10 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時32分23秒
「なんであんなこと──」
「ののってさ、最近変わったよね」

耐え切れなくなったあたしが口を開くと、違う話をするかのようにポツリと加護が呟いた。

「なんかさ、黒い服とか着ちゃって。
 マニキュアとか塗ったりしてるんだよ。
 この間はピアス開けたいとか言ってたし」

斜め下に目をやって、加護はゆっくり話し始めた。
あたしは黙ってその話を聞いていた。

「髪型も前みたいにおだんごにしなくなった。
 真っ直ぐに下ろして、なんか別の人みたい。
 加護はずっとおだんごのままなのに」

確かに最近の辻は前のような髪型をしなくなった。
スタイリストさんにもいろいろ注文出してるのを聞いたことがある。

「加護も変えればいいじゃん」
「できないよ。分かってるでしょ、よっすぃーにも」

言い返されて言葉に詰まった。
あたし達アイドルにとってはイメージが重要だ。
髪型にしたって好きにできるという訳ではない。
……特に人気があればあるほど。
11 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時33分05秒
「おかしいよね。もうすぐ高校生なのにこんな格好して。
 いつまでも子供みたいでさ。
 普通いないよね。
 ……でも、ののはどんどん変わっていく。
 あたしは……あたしはずっと子供のままなのに」

大人になりたくても大人になれない。
見た目以上に加護が大人な事は知ってる。
でも周りが求めているのは永遠の子供。
ネヴァーランドのピーターパン。

同期で同じぐらいの年で。
常に比べられてきた二人。
本人達だって意識しないわけがない。

一緒にがんばってきているときなら良かった。
でも片方だけが先に進んでしまったとき、まるで自分がとり残されたように感じる。
このままでいいのかという不安。

それは仕方のないことかもしれない。

一番仲が良くて一番負けたくないライバル。
だからつい──
12 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時34分30秒
「でも……でもだからって──」
「なーんてね。んな訳ないじゃん」
「え?」

加護はまたこちらを向いた。
その顔には悪戯っぽい笑みが浮かぶ。

「ののは大切な友達だよ。そんなひどいことしないよ」
「加……護……」
「今日はさ、あんまり雨がすごかったから、ちょっとはしゃいじゃって。
 傘振り回したりしたんだ。だから中まで濡れちゃったのかな」

音の外れた『雨にうたえば』をハミングして陽気にくるりと回ってみせる。
そして両手に缶を抱え、あたしの前を通り過ぎていった。
あたしは立ち尽くしたままその背中を眼で追った。

「さ、早く戻らないとみんな待ってるよ」
「ねえ、加護──」
「よっすぃー」

こちらに背中を向けたまま、加護は立ち止まってあたしの名前を呼んだ。

「よっすぃー、梨華ちゃんのことすき?」
13 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時35分18秒
──あったりまえじゃん。好きに決まってる。

それだけの言葉がなぜか口から出てこなかった。

同期で同じぐらいの年で。
常に比べられてきた二人。

そう、本人達だって意識しないわけがない。

一緒にがんばってきているときなら良かった。
でも片方だけが先に進んでしまったとき、まるで自分がとり残されたように感じる。
それは──仕方のないことかもしれない。

──ううん、違う。あたしは別にとり残された気持ちになってたりしない。

そう言いたかった。
でもやっぱり声は出てくれなかった。

加護がこちらを向いた。
ふぅっと笑う。
それはなぜかひどく無邪気なものに見えた。
そのまま振り返ってひとりで楽屋に戻っていく。

ブウン、と自動販売機の音が聞こえる。
それを聞きながらあたしは動けないままでいた。

……いつしか、窓の外にはまた強い雨が降り始めていた。

やっぱり冬の雨は嫌いだ。
暗くて冷たくて、心が陰鬱に沈んでしまうから。


──END
14 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時35分52秒
15 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時36分33秒
16 名前:36番 冬の雨 投稿日:2002年12月09日(月)21時37分07秒

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