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十五の思い出

1 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時15分16秒
 それは、突然の思い付きだった。
2 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時16分18秒
 一面の銀世界。地面を踏みしめれば、キュッという小気味のいい音が響く。
 オッケーです、という監督の声を聞きながら、辻は晴れやかな笑顔を見せた。
「希美ちゃんお疲れ」
 四方から降りかかってくる労いの言葉一つ一つに丁寧な会釈を返し、そのままロケバス
へと戻る。
 バスの中には既に残りのメンバーが待機していて、後は辻を待つのみだった。お待たせ
しました、と運転手に声を掛けいそいそと席に着く。

「お疲れ様。やっぱり一人は辛い?」
 辻が腰を下ろすと同時に、隣りの席に座った高橋が気遣いとも皮肉とも取れる言葉を投
げかけた。
 いつものことだ。そう割り切って辻は曖昧な笑顔を返す。辻は辻なりに彼女のプライド
の高さは理解していたし、そんな彼女が、腹を割って話せる数少ない友人の一人だという
こともまた事実だった。
3 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時16分51秒
 数十分間バスに揺られた後、辻たちは町の外れにある旅館の前にいた。
 今日はここで一泊して、明日はそのままオフ。年末特番の収録のため、過密なスケジュ
ールに追われるメンバーにくれた、事務所からのご褒美だ。
 なにか裏があるんじゃないか、などとメンバー同士で冗談を言い合いながらも、久しぶ
りに手に入れた北国での休日に、滲み出る笑顔を抑えきれないでいる。

 そんな理由もあったのかもしれない。
 もしくは、大切な仲間であるはずの高橋たちとのライバル関係に、嫌気がさしたのかも
しれない。
 辻はどうしようもなく加護に会いたくなった。

 加護は辻のかつての親友だった。
 三年前に彼女が卒業するまで、二人は何処に行くのも一緒。しかしこの三年間、辻は彼
女と一度たりとも連絡を取ってはいない。

 辻は、マネージャーの視線が自分へ向いていないのを確認し、白い世界へと飛び出した。
4 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時17分37秒
 駅までの道程。
 雪に乱反射した太陽の光は、辻の瞳をくらませ、見慣れたはずの青空をいつもと違った
色に映した。
 瞬きを何度も繰り返しながら、財布と携帯電話の所在を確認する。東京に戻るだけのお
金は十分にあったし、携帯電話の電池も満たんまで充電されていた。
 そのことに安堵しつつ、辻は携帯電話の電源を切った。
 駅に着いたら、マネージャーに電話をしよう。そしたらもう一度、電源を切ればいい。
東京に着く辺りまで。

 電源が落ちると、辻は不思議と気持ちが軽くなった。
 そうして、色々なことが浮かんでくる。


* * *
5 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時18分14秒
「雨だね……」
「うん。これが雪だったらなぁ」
 窓から外を眺める辻と加護。後ろの方で、くすくすという笑い声が聞こえた。
「二人を北海道に連れて行ってあげたいなぁ。ね、圭織」
「だねぇ」
 二人の話を聞いていたらしい安倍と飯田が、柔らかい笑みを浮かべながら話に加わる。
「やっぱり、雪、すごいの?」
「そりゃあねぇ。辺り一面まーっ白で、すごかったなぁ……」
 二人は安倍の言葉を聞き、遠い地へと思いを馳せた。見渡す限りに綿菓子のような雪。
「でっかい雪だるま作れるかな」
「ねー!」
 安倍と飯田は、微笑んだまま、二人のはしゃぎ声に耳を傾けた。


* * *


 辻は辺りを見回し微笑んだ。きっと、安倍や飯田の言っていた世界は、こんな風だった
に違いない。
 辻は、あの二人とももうしばらく会っていないことを思い出した。
6 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時19分12秒
 辻は日が暮れるのを待って、夜行列車に乗ることにした。
 幸いなことに明日はオフだ。仕事に支障が出る、ということはないだろう。
 駅のホームのベンチに腰掛け、辻は北国の空を見上げた。太陽が出ているにも関わらず、
空は灰色にくすみ、目の前の大地に白い花を降らせる。
 東京にも雪が降っているのだろうか。
 いや、きっと雨だろうと辻は思った。何故だか、そんな気がした。ここに積もった雪よ
りもずっと冷たい雨が、東京には降る。

 ふいに辻は、遠い昔を思い出す。
 三年前。自分がまだ十五歳だった頃の、加護との思い出。


* * *


「うわっ……」
「どうしたの、あいぼん」
 あからさまに顔をしかめる加護に、辻は首をかしげた。
「ほら、雨だよ」
「ほんとだ……」
「のの、どうしよっか?」
「んーと……」
 そこで辻はにやりと笑った。その視線は店内にあるビニール傘には注がれていない。そ
んな辻の表情を見て、加護も笑った。二人で大きく頷きあう。
「いこー!」
「おー!」
 二人はいっせーので、夕立の街に飛び出した。髪も服もびしょびしょに濡らしながら、
二人はずっと笑い続けた。

7 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時19分44秒
 辻と加護の真上には、お日様が燦々と顔を覗かせている。鮮やかに色づく若葉や、灰色
のコンクリートにこぼれた雫が、陽光をプリズムのように反射させる。
「お天気雨だぁ」
 辻の舌ったらずな声。加護はその言葉に反応せず、遥か先に視線を這わせ、指差した。
「のの、のの。あれ!」
 辻もつられて、加護の人差し指の先を見る。
「わぁ」
 辻が笑った。それを見て加護も笑う。
「虹だ……」
 地平の先にかかる虹。七色に輝いていた。



 耳をつんざくような豪雨。短い間隔で轟く雷鳴。
「あいぼん……」
 真夜中の辻の家は、深い闇に包まれていた。
 停電。両親は既に寝てしまっていて、二人だけしかこの世界にいないような感覚に襲わ
れる。
「キャッ!」
 一際大きな稲光に、辻は加護の腕にしがみついた。
「だ、だいじょーぶだよ。加護がついてるから」
 震える声で、それでも気丈に言い放つ。金に輝く光は、ぴったりと重なり合った二つの
影を一晩中映し続けた。

8 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時20分34秒
「おい、お前らちょっとは静かにしろよ!」
「だってぇ、ののが」
「だってぇ、あいぼんが」
 矢口の怒りを交わすべく、二人は共に相手の名前を口にする。それでも、依然睨み続け
る矢口に対し辻が情けない顔を浮かべた。
「ごめんなさ……あぁ! ちょっとあいぼん、ずるい!」
 謝っている隙に、加護は団子にかぶりついていた。
「返してよ!」
「もう食べたもーん」
「口からだせ!」
 花見の席が、メンバーの笑い声で溢れる。そんな二人を包むように、桜の雨がさらさら
と舞った。


* * *


 次第に夜の匂いを帯びてくるホームに、辻の笑い声が漏れた。そして、慌てて周りを
見渡し、誰もいないのを確認すると、もう一度声を出して笑った。
 今思い返しても楽しい思い出たち。一つ二つ三つと、出てきた思い出を指折り数える。

 そう言えば、こんなこともあった。


* * *
9 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時25分24秒
 夕暮れのレッスン部屋で一人、辻は涙を零していた。
 地面にへたり込み、規則正しく続くタイルをぼんやりと目で追う。室内にまで響く雨の
音が、いつもよりも余計に鬱陶しかった。
 自分のために遅れるダンスレッスン。辻より後に入った子だってしっかりやってるんだ
よ、と夏先生に言われてはもう返す言葉は持たない。
 レッスンが終わった後も居残りで練習を続け、気がつけば一人。ここまでやっても上手
くならないものか、と半ば自棄になっている頃だった。
10 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時27分38秒
「のの、まだやってく?」
 突然の呼びかけに身を硬くした辻は、それが加護だとわかるとぎこちない笑みを浮かべ
た。
「うん、まだぜんぜんだめだし」
 目を伏せながらの辻の言葉を受け、加護はなにやらごそごそとやりだす。取り出したの
は巾着袋。辻が持っているのとよく似たもの。
「じゃあこれで、元気だして」
 そう言って取り出したのは一個の飴。促されるままに口に含む。甘かった。
「えへへ、雨の日に飴なんて、べッタベタだね」
「なっ……」
 照れ隠しに零れ出た悪態に加護が絶句する。少しの沈黙の後、二人で笑った。このとき
呟いた、ありがとう、と言う言葉はきっと加護には聞こえなかっただろう。


* * *


 そのまま、記憶の並に流されそうになっていると、澄んだ世界に、耳をつんざくような
轟音が鳴り響いた。
 夜行列車が雪に埋もれた線路を掻き分け、辻の前に姿を現した。
 緊張気味に乗車券を握り締め、車内へゆっくりと足を運ぶ。
 それから程無くして、登り列車が南へと走り出した。
11 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時29分22秒
 辻が目を開くと、辺りは既に深い闇に染められていた。車内にはガタゴトという音だけ
が鳴り響く。
 時計に目を落とすと時間は朝の三時。物音がしないわけだ、と今更ながらに納得する。
 もう随分と来たはずなのに、外には相変わらず雪が舞い散っており、雪に覆われた地面
を、ライトが橙に染め上げた。
 辻はもう一度瞳を閉じるが、短い睡眠しか取らない普段の習慣はそう簡単に抜けるもの
ではなく、悔しいくらいに目が冴える。

 しばらくして、辻は思いついたように天井へと向き直り、目を細めた。そして、再び遠
い記憶へと意識を溶かしていく。
 確か、あれも雨の日だった。
 加護が辻に卒業の意思を伝えた日。そして、辻が今も後悔している日々。


* * *
12 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時30分27秒
「……あのね、加護、もうすぐののと離れなきゃだめになるかもしれない……」
 傘を忘れた辻が加護の傘に入れてもらいながら歩いた帰り道。人気の少ない道路を、青
い車が飛沫を上げながら通り過ぎていったのと同時に、加護は口を開いた。
 何のことだかわからずに首を傾げる辻に向かい、加護は寂しそうに笑った。
「卒業、するかもしれない」
 今度は、語尾を濁すことなくはっきりと。
「え、え?」
 加護は、ごめん、とだけ言って、辻に傘を預け走り去った。



 次の日、雨は上がることもなく、街はしっとりとした雰囲気に包まれていた。
 辻は傘を二本持って加護の家に向かう。電話では駄目な気がしたのだ。実際、昨晩は電
話を掛けることをなかったし、掛かってくることもなかった。
 加護の家に着く頃には、靴下はびしょびしょになっていたから、おばあさんに頼んで、
加護を外まで連れて来てもらった。加護は、目を合わせようとはしなかった。
「昨日の、どういうこと」
 加護はごめんとだけ言って、他に何も答えない。傘を放り投げ、辻は加護の肩に掴みか
かった。
13 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時31分11秒
「黙ってちゃわかんない」
 それでも、加護はごめんと繰り返すばかりで、辻の目を見ようとはしなかった。
「わかった」
 辻がゆっくりと背中を向ける。そこで初めて加護は顔を上げた。次第に遠ざかって行く
背中。
「ののっ!」
 辻は振り返らない。その後辻に向かって叫ばれた言葉は、彼女の耳に届くことなく、霖
雨のざわめきに吸い込まれていった。

 それから辻は、加護を避けるようになった。



「おつかれさまでしたー」
 収録も終わり、辻は大きく伸びをしながら外を見やった。
 今日も雨。あの日から続く、憂鬱な雨。
 帰り支度を整えて傘立ての前に行くと、加護が辻の傘を持って佇んでいた。
「あ、のの、おつかれさま。これ……」
 差し出された傘をちらりと一瞥すると、辻はそのまま雨の街へ駆け出した。呆然と見送
る加護の表情を考えないように、ひたすらに走った。

14 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時31分59秒
 帰り道。辻はいつも通り角のタバコ屋を右に曲がろうとした。その時目に止まったもの。
(あいぼん……)
 青いビニール傘を差した加護が、壁に寄りかかるようにして天を見上げていた。吐く息
は白く、星の見えない空に舞い上がっていく。
 辻は自然とその道を真っ直ぐに歩いていた。右目に映る加護の姿。気付いている様子は
ない。
 辻はそのまま歩みを速めた。零れ出る息が白かった。



 コマーシャルの撮影。雨の中ではしゃぎまわるメンバーを、カメラが追う。
 卒業間近の加護が参加する最後のコマーシャル。そんな時でもやはり、辻加護は辻加護
だった。
 二人で手を繋いでぐるぐる回る。雫に髪を濡らしながらぐるぐる回る。
 辻が笑って、加護も笑った。二人のシーンでも上手く笑えた。
「ハイ、カットォ! 加護ちゃん、もうちょっと楽しそうに笑って」
 申し訳なさそうに加護が頭を下げる。笑えなくなっていたのは、加護の方だった。

15 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時34分01秒
「希美、亜依ちゃんが来てるわよ」
「いないっていって」
「いないって言えって……」
 辻の母が顔をしかめながら玄関に向かう。
「亜依ちゃん、ごめんなさいねぇ。え、ずっと待ってるの?」
 しばらくして戻ってきた母に、今度は辻が顔をしかめた。
「希美、亜依ちゃんがずっと待ってるからって」
 辻は何も答えずに立ち上がり、玄関へと歩き出す。扉の向こうに気配を感じた。
 勢いよく扉を開け、視界に現れた少女に向かい叫ぶ。少女は、傘もささずにびしょぬれ
のままで佇んでいた。
「話すことなんてない! かえって!」
「……ごめん」
「かえって!」
 視線を切るように扉を閉める。辻はその場にしゃがみこんだ。もう時間がないのに。
 加護の卒業は明日だ。

16 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時34分50秒
「今までモーニング娘。として――」
 辻の耳に、否応無しに加護の言葉が吸い込まれていく。記者会見の場で耳を塞ぐわけに
も行かない辻は、唇を噛み締め、小さな手のひらに力を込めた。
「みんなで笑いあったこの――」
 不思議と涙は零れなかった。悲しくなかったわけなんかじゃない。毎日のように降り続
く雨は、意地っ張りな自分の心模様なのだろうかと思った。
 辻は顔を上げた。数多のフラッシュが視界を覆う。
 結局、辻のもとに残ったのは、加護が卒業するという事実。


* * *


 朝。日の光が車内にも浸食する。周りを気にしながらの囁き声も聞こえ始め、辻は東京
が近いことを悟った。
 外は未だに白で覆われ、列車を外界から遮断する。
 加護の卒業。自分の手で断ち切ってしまった絆。
 車内アナウンスが聞こえて、辻は荷物に手をかける。携帯電話の電源を入れようとして
止めた。まだ目的は果たしていない。
 辻はそのまま携帯電話に視線をとどめる。
 加護との最後の思い出は、卒業をした三日後のことだった。


* * *
17 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時35分24秒
「辻ぃ。加護とは連絡とってるのー?」
「いや、べつに……」
 飯田の質問をどうやってはぐらかそうかと思案する最中、机に置いてあった携帯電話が
激しく振動を始める。これはメールの振動だ。
「なーんだ。やっぱり連絡取ってんじゃん」
 ディスプレイに大きく表示された加護亜依の文字。慌ててメールを確認した。
 ――ごめんね。でも、ののがいつも一緒にいて、本当に楽しかった。
 携帯を持つ手が震える。
「辻、どした?」
 何でもないと首を振る。そしてもう一度画面を除き見た。
 今回も涙は出なかった。外には、卒業の日と同じように雨が降り続いていた。
 結局辻はメールを返すことが出来なかったし、加護からのメールももう届かなかった。


* * *
18 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時35分54秒
 午前の東京はうっすら白く覆われていて、未だに北国にいるかのように錯覚した。それ
でも少し上に視線を向ければ、高いビルの山が建ち並び、やはりここは東京なのだと実感
する。
 辻は真っ直ぐに加護の家に向かう。以前と同じ所に住んでいるというのは、吉澤から聞
いていた。三年の間に変わってしまった景色を噛み締めるように、ゆっくりと歩く。

 加護はいなかった。おばあさんの話によると、今日中に帰るかどうかわからないらしい。
家に上がってというおばあさんの申し出を、丁重に断った。
 また来てくださいね、と何度も言うおばあさんに笑顔を見せる。彼女が家の中に入った
のを確認すると、辻は壁にもたれかかった。しんしんと雪が舞う。

 夕方。一時間、二時間と過ぎても加護は戻ってはこなかった。白い息を吹きかけ両手を
こすり合わせる。
 時間が経てば経つほど辻の胸は締め付けられた。三年という空白の歳月。加護に突きつ
けた一方的な別れ。考えるほどに胸が苦しくなってその場にしゃがみこむ。
 もう帰ろう。そう思ったときだった。
 街灯の灯かりが、暗い影を落とす。
19 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時36分27秒
「風邪、ひいちゃうよ?」

 見上げると、傘を持った女性が辻の頭の上にそれを差していた。雪はいつのまにか雨に
変わっている。
「……あいぼん」
 それは、間違いなく加護だった。辻と会わなくなってから、三年後の加護亜依。
「驚いたんだから。おばあちゃんから、ののが来てるよって電話が入って」
 そう言って加護はちらりと家を見る。カーテンの隙間から、おばあさんの笑顔が覗いた。
「どうしたの?」
 加護は柔らかく微笑んだ。この三年間も、辻の一方的な怒りもすべてなかったかなよう
に微笑んだ。
 辻の頬に雫が伝う。傘を叩く雨音が激しさを増す。
 全てがわかった。卒業の日も、加護との最後のメールでも涙が出なかったのは、足りな
いものがあったから。
「これで、元気出して」
 ポケットから飴を取り出し、辻の手のひらに載せる。口に含むと懐かしい味がした。
「えへへ、雨の日に飴なんて、べッタベタだね」
 全てが温かかった。傘を伝う雨粒も、口の中に広がる甘さも、以前と変わらないやり取
りも、加護の微笑みも。
20 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時37分21秒
「あはは、そうだね」
「え……」
 加護が綺麗な標準語で返事を返す。微かに感じる違和感。
「そうだ。のの、携帯の電源切ってたでしょ。何回かけても繋がらなかったんだから」
「あ、うん」
 加護の言葉に促され、慌てて電源をつける。メール三十通。
「ほら。みんなに心配かけて」
 事務所からの怒りのメールも入っているだろう。一体何件が事務所からだろうと、恐る
恐るメールを見る。
(え……)
 高橋。高橋。紺野。事務所。高橋。紺野。高橋。高橋――

 突然、携帯電話が振動を始める。ディスプレイには高橋の文字。
「あ、ごめん、のの。電話」
 加護が慌てて電話を取る。辻は右手に振動を感じながら加護の表情を伺った。笑顔の加
護。
21 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時40分02秒
 電話を切ると、申し訳なさそうに辻を見る。
「あの、ごめんね。さっきののが来てるからって、無理矢理抜けてきちゃったんだ」
 辻はそれをきいて、ニコリと微笑んだ。
「わかってる。いいよ、気にしないで」
 変わったのは加護だけではない。辻にもそれはわかっていた。三年という歳月から、目
を背けていただけ。
「傘、貸すよ。今度遊ぶときに返しに来て」
「うん」
 辻は雨の中走り去る加護を、黙って見つめた。あの頃の自分と、あの頃の加護。きっと
これが、最後の思い出になるのだ。
22 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時40分54秒
 辻はいつまでも振動の鳴り止まない電話を取る。
「もしもし」
「ちょっと、何処にいるの!」
「東京」
「……東京って。みんながどれだけ心配したと思ってるの!?」
「ごめん……」
「謝るくらいなら最初からしないで!」
「うん、ごめんね……。心配してくれてありがとう」
「……」
「ねえ、愛ちゃん」
「……なに?」

 傘を雫が伝う。次にこの傘を返しに来たときは、思い出の中の二人ではなく、今の二人
として会うのだろう。そのときには空は晴れているのだろうか。
 加護の背中が見えなくなり、辻は意識を電話に戻す。


「――大好きだよ」


 冷えてきた空気は再び雨を結晶に変える。涙を拭い、電話越しに笑いかける。
 口の中の飴は、いつのまにか無くなっていた。



十五の思い出 ―― 完
23 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時41分38秒
24 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時42分09秒
25 名前:31 十五の思い出 投稿日:2002年12月08日(日)08時42分52秒

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