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破片世界のサヤカ
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)07時59分39秒
- すべてが違っていた。
ナオキ君とケンカしちゃったのも、タイセーさんに詩の書き直しを言われたのも、仕事が
夜中まで延びたのも、雨が降り出したのも、タクシーが拾えなかったのも。
「なんなんだよ、もぅ」
雨にかき消されるのを承知で私は口を尖らせる。
ここぞとばかりに高値で売られる安っぽい傘達も、私の苛立ちに手を貸した。誰が買うか。
駆けていた。
私はバッグを頭にかかげ、指先がかじかむたびに手を取り替えて走った。
うつむいたまま、地面だけを見て足を交互に運ぶ。
スニーカーのかかとは水や泥を跳ね上げていて、きっとジーンズも買ったばかりの
コートも汚れてるんだろうな、なんて思いながら。
- 2 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時00分17秒
- 「買えばよかった」
まだ家まで半分も来ていないのに、雨は滝のようになっていた。私は「ふぅ」と息を吐く。
あきらめて歩くことにした。
服が肌にまとわりついて、スニーカーもぐちょぐちょ音をたてる。
孤独だ、と思った。
横からヘッドライトに追い抜かれる度に泣きそうになった。
「でも謝らないよ。ナオキ君だって悪いとこあったし、それに――」
頭に浮かんだ顔に声を出して反発する。
「タイセーさんなんか私の詩、ちらっとしか読んでないじゃんかぁ」
濡れた顔を袖でこすった。
- 3 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時01分04秒
- ふいに。
甲高い音が鳴り響き、視界に光りが割り込む。そして私に向かって突っ込んでくる乗用車が
目に映った瞬間、その色彩も消えた。
まるで映画。
フラッシュのように断続的な視界の中で、運転席で男の人が携帯を握り目を見開いてるのが
見えた。助手席には眠っているのか、動かない女の人がいた。
フロントミラーにお守りが垂れていた。
世界が一瞬、揺れた。
ヘッドライトがきらきらと雨粒に乱反射していた。
きれいだ、と思うと同時に、死んだ、とも思った。私は目を閉じた。
- 4 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時01分46秒
- 真後ろからの、がしゃん、って崩れるような音ですべてが色づく。
振り返ると車が電柱に刺さっているのが見えた。前が完全に潰れて長さが半分になった鉄の
塊からは生命の気配なんて感じられなった。
「…うそ」
視線を正面へ戻す。
私の前には黒い線が二本、おそらくタイヤの急ブレーキの跡があった。
間違いない。さっきまでの車の位置と今の残骸の位置の直線上に、確かに私は居た。
「生きてる」
手のひらをみつめ、二回握った。
全身を叩きつける雨粒の感触もわかる。だんだんと動悸を速める心臓もわかる。
飲み込んだつばが喉を通り抜けていくのまでわかった。私は濡れた髪をかき上げる。
でもどうして?
遠くからサイレンが聞こえて、考えは中断される。
私はそっと「ごめんなさい」とつぶやくと、バッグを抱えそこから走って逃げた。
- 5 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時02分24秒
- 家に着くなり、水の鎧を脱ぎ捨てた。
冷えた身体をシャワーで温め、ドライヤーもいいかげんにベッドに飛び込む。
テレビはニュースが流れてないのを確認するとすぐに消した。食欲もなくて、サプリメントを
飲み込むのがやっと。
「ふぅ」
そっと目を閉じる。
勢いのおさまらない雨の、窓を叩く音だけが響いていた。
繰り返しのリズムとベッドの暖かさが私の記憶をあいまいによみがえらせる。
考えるべきか、忘れるべきか?
…どちらでもなかった。
体育の授業以来、久しぶりのマラソンのせいだろう。気を許した一瞬の隙に、私の意識は
奪われてしまった。
- 6 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時02分59秒
- 頬を連続的に叩きつける感触で目を覚ました。
…あめ?
声に出したつもりが、口唇が動かなかった。口だけじゃなく、手も、足も。
景色が垂直に曲がっている。身体は燃えているように熱いのに頭だけが冷めている。
夢だったんだ、と思った。
やっぱり私は跳ねられたんだ。この凍えるような雨が嘘だなんて思えない。気がついた途端
頭のてっぺんから足の先までずきずきと痛みが駆け抜けた。
内臓をぐるぐるとかき回されてるような感覚。全身に棘を埋められたよう。
コートもジーンズも雨をいっぱい吸っちゃったな。
誰か友達の家にでも泊まりに行けば良かった。
視界にたったひとつ映る左手は、血が抜けたように白かった。
みんなとケンカ別れした後だってのに。
口の中にぬるい水が溜まる。
…きもち、わるい…。
遠くからサイレンが聞こえたような気がした。やっと助かる、と思った瞬間、意識が飛んだ。
目が勝手に閉じて身体が、がくん、と揺れた。
- 7 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時03分46秒
- 最初に目に飛び込んできたのは、枕元のテディベアだった。
続いて白い壁、青いカーペット、カーテンの隙間から漏れる陽射し。
私はそっと起きあがる。身体をさすると、どこも痛くない代わりに汗でびっしょりだった。
「ゆめ?」
信じられない。
顔にあたる雨、寝そべった道路の冷たさ、身体を突き抜けたあの痛み。すべてがリアルに
思い出せるっていうのに。
カーテンを開くと部屋が朝日に包まれた。鳥のさえずりさえ聞こえてきて、雨なんて降って
いなかったかのよう。
くしゃみが出た。
シャワーを浴びようと立ち上がると、目覚し時計がじりじりと鳴った。
私はその呼びかけに「起きてるよ」と答えながら、左手でスイッチを切った。そのまま
見つめた手のひらがやけにきれいに思えた。
- 8 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時04分25秒
- くしゃくしゃの頭をていねいにブローする。テレビからは朝のワイドショーが流れていて
私は鏡に映る画面と自分の髪と、交互に視線を動かしていた。
そして。
「続きまして交通事故のニュースです。昨夜遅く乗用車が――」
私はブラシを持ったまま、鏡に映る画面に顔を寄せる。
雨によるスリップ事故。制限速度を遥かにオーバーしていた乗用車は電柱に衝突し、乗っていた
人はふたりとも助からなかったそうだ。住所もあってる。夢じゃない。
事故は起きたんだ。
目を見開いた男と目を閉じた女を思い出して、私は静かに悲しい偶然に祈った。
「ごめんなさい」ともう一度、口にする。
どちらが夢でどちらが現実か考えた。リアルで溢れたふたつの世界と向かい合い、そして私は
一番簡単な結論を出した。
- 9 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時05分02秒
- いつもより早くスタジオに入った。一番乗りだった。
壁にかけるのは代わりのコート、床に置くのは代わりのバッグ。ソファにもたれると、時計の
音だけが耳に響いた。
目を閉じると同時にドアの開く音がした。顔を上げると今来たばかりのナオキ君と目があって
そして一瞬でそらされた。構うもんか、と私は駆け寄る。
「おはよう」
私の挨拶にナオキ君は「あぁ。おはよう、イチイちゃん…」と、やっぱり目をそらしたまま
言った。そのうつむいた顔にそっと両手をそえると、力ずくで視線を合わせた。
「ナオキ君、昨日はゴメン。私、言い過ぎたね」
えっ、って顔をされるけど返事なんか待たない。私は「仲良くやろう」と笑顔を見せた。
- 10 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時05分49秒
- そして二度目のドアの開く音。タイセーさんだ。私はナオキ君の頬から手を離すと
ドアを振り向き叫んだ。
「タイセーさん、おはようございます。ちょっと詩のことで打ち合わせしませんか!」
「今すぐかぁ?」
タイセーさんがコートを脱ぎながらあきれた顔をした。
私は「今すぐ、です」と、バッグからノートを持ってこようとして。
「イチイちゃん!」
そっとナオキ君を見た。
「…実は俺も、言い過ぎたと思ってた。ゴメン」
三つの破片が繋がりひとつの大きな破片になる。私はナオキ君の頭をくしゃくしゃに撫でた。
- 11 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時06分28秒
- レコーディングは昨日とうってかわって順調に進んだ。
気を良くしたタイセーさんが「昨日遅くなったから今日は早く終わろう」と言って、六時前に
解散になる。私達三人は駅まで一緒に帰り、そしてそれぞれ別の電車に乗った。
みんな笑顔で別れた。
「ふふっ」
吊り革に捕まり、私はひとり微笑んだ。たったあれだけのことで、まるで昨日が嘘のよう。
走り出す電車。日が落ちて暗くなった冬の夕方は、電車の窓に景色を映さなくて、見つめた
窓からは、もうひとりのサヤカが見つめ返していた。
笑顔は消えていた。
…わかってる。
小さくうなづき、私は回りに視線を移す。
毎日乗り合わせる人達は単なる背景で、それぞれに人生があることなんて忘れていた。
新聞を広げるサラリーマンにも、携帯をいじる女の子にも、口を開けて眠るおじいちゃんにも。
そしてもちろん、私にも。
電車が停まって人が動く。目の前の席が空いて、私は迷わず座った。
――すべての破片がないと完成しない。
ひざの上にバッグを置いて、電車の揺れに身体を預ける。私は目を閉じた。
- 12 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時07分35秒
- …病院じゃないの?
目を開けてすぐ、そう思った。私の身体はまだ滝のように降る雨の中に転がっていた。
吐く息は白く、あちこちの肌が切れたように痛い。
だってさっきサイレン聞こえたじゃない。もしかして、車の中の人だけを乗せて病院に
行っちゃったとか?
さっきからどれだけ時間が過ぎてるかもわからない。瞬く程の時間か、一日過ぎてるのか。
辺りを見回そうにも首は動かなかった。
真っ白な左手の指先を見て、私は簡単な笑みを浮かべる。思った通りの結果。目を閉じる
だけで私は、おそらくあの幸福な世界に移動する。
でも。
私はこのために来たんだ。凍えるこの世界で、声を絞り出してみせる。
口の中に溜まった血を吐き出す。咳き込むと肺に切られたような痛みが走った。
気絶しそうな私を、視界を占める左手だけが支えてくれた。
「…て」
やっとの想いで喉から洩れた声は、私を絶望に突き落とす。
降り注ぐ雨音の中で、こんなかすれた声が誰かに届くのだろうか?
「た…け…」
寒い。熱い。身体中が痛い。なにも感じない。耳鳴りがする。聞こえない。
雨粒が目に流れ込み、私は目を閉じた。
- 13 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時08分37秒
- 電車は駅に着いていた。私はあわてて「降ります!」と叫び、外に飛び出す。
動悸する胸を抑え脂汗を拭きながら、改札を抜けて駅を出た。
走ろう、と思った。
昨日と違う道を選んで家へ向かう。すべてが違っていた。
着てる服も、持って行ったバッグも、遠回りした道も、晴れ渡った夜空も。そして家までを
走り抜いたことも。
「はぁ、はぁっ…」
痛む脇腹を手で覆い、まとわりつく唾を飲み込む。寄り掛かるようにドアを開け、倒れながら
部屋に入ると、電気も点けずコートのままベッドに倒れ込んだ。
私には、私しかいないんだ。
這ってでも助かってやる。そう思いながら目を閉じた。
やがて荒い息と鼓動は静かなリズムに戻り、暗闇と沈黙が私を包んでいった。
- 14 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時09分29秒
- 「…えっ?」
暗闇に慣れた目が最初に捕らえたのはテディベアだった。
そんな、と私は身体を起こす。
視線を移した身体はコートとスカートを着ていて、何より痛くも冷たくもない。
たったひとつの希望を込めて左手を延ばす。手にした時計は午前二時を示していた。
手が届く寸前で、砕け散った私の破片。
「ごめんね」
雨の中でうずくまるもうひとりのサヤカを思って、私はしばらく泣いた。
終
- 15 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時10分07秒
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- 16 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時10分53秒
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- 17 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月07日(土)08時11分26秒
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- 18 名前:29.破片世界のサヤカ 投稿日:2002年12月07日(土)08時18分21秒
- 名前入れ忘れた・・・
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