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サーカス
- 1 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時19分39秒
―――――加護にとって辻は真実で、辻にとって加護のいる世界は常に正しかった。
家を飛び出し、町の商店街を抜け、幾つ目かの角を曲がると保田ばあちゃんが住んでいる
空き地がある。空き地に鬱蒼と生い茂るススキの葉は、加護と辻の頭をすっぽり隠す
ほど背が高かった。加護と辻と保田ばあちゃんは雨の日以外、毎日ココで顔をあわせた。
―――
加護と辻が小学校四年生になって迎えた、ある秋の日の夕刻のこと―。
少し薄暗くなった空き地には、風情を感じさせる無数の赤トンボが舞っていた。
保田ばあちゃんと加護は、空き地の中心に積み重ねられている土管の頂点に座って、
トンボのぎこちない動きをぼんやり眺めながら辻が来るのを待っていた。
「のの今日は遅いなぁ。時間かかってんのかなぁ」
加護がそう誰に言うのでもなく呟いた時、向こう側の鉄橋の上を
小粒のような辻が一所懸命走っているのが見えた。
日が沈むのが早くなったこの頃、加護は少しでも早く辻と会いたかった。
辻は二人が座っている土管の前まで止まらず走ってやって来た。
恒例の傷の見せあいっこを行わないまま、
辻はある紙切れを保田ばあちゃんと加護の前に突き出した。
- 2 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時21分51秒
- 「・・・・・これ。」
辻は息を整えた後、改めて紙切れを土管に座っている加護の眼前に持っていく。
加護は紙切れを受け取り、内容に目を通すと、口を尖らせて悄然とした声を出した。
「なんやねん?のの。これ」
「・・・・・サーカス」
辻は嬉しそうに、テヘテヘと八重歯を覘かせて笑った。
でも、加護はつまらなそうに冷たく言い放った。
「そんなん、いけるわけないやん」
辻が持ってきた青刷りの安い紙切れには、あるサーカス団がこの町にやってくるという
旨が簡単に書いてあった。
でも、小遣いも貯金も無い二人にはそんな事、凡そ縁の無い話だった。
だから加護は諭すように、辻の淡い期待を諦めさせた。
「無理やって、一人二千円なんて、あるわけないやん。な?のの」
「・・・・・・」
「それより、今日は顔やられたん?痛そうやなぁ」
辻の左瞼はプックリと突き立ての餅のように垂れ下がり、紫色の痣になっていた。
加護は土管から降りて、吟味するように辻の左瞼をまじまじと見る。
辻が顔に傷をつけてくる日は珍しくて、加護は幾らか怪訝に思った。
「のの、ウチも見てみ、これ」
- 3 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時22分40秒
- 自分も負けじとと、加護は辻に背中を向けると、
色褪せたピンク色のトレーナーの裾をスルリと捲り上げた。
加護の背中は全体が真っ赤に腫れていて、所々が水脹れになっていた。
こんな風になるのは、表面が柔らかいモノで打たなければ、凡そ付かない傷だった。
* * * * *
加護と辻の家庭環境は極めて酷似していた。
二人の『お母さん』は決まって二人が小学校から帰って来ると、
何かしらの暴力を二人に振るった。
加護の母親は何度も父親を換え、加護は新しい父親の機嫌を損ねる度に母親に叱られた。
毎日毎日、加護は学校から帰って来ると、母親から躾けを理由に打たれた。
辻の母親は慣れない近所付き合いのストレスから、辻の事を毎日打っていた。
ごめんなさい、と泣きながら自分を打つ母親を、辻はどうしても理解する事が出来なかった。
その内に辻の見ていた世界は鈍色から、キャンパス一杯真っ黒になってしまった。
『おかんはカワイソウやねん。だから、仕方がなくウチらを叩くんや。
のの、だからな、なんも悪くないねん。おかんも悪くないし、ウチも悪くない。
そんで、ののも悪くない。だからウチは今、すっごい幸せやで』
- 4 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時23分25秒
- いつか言った加護の言葉は、辻の心を激しく揺さぶった。
加護の見ている世界は明色で幸福で。
その中に自分もいると思った辻は、漸く現実を認めることが出来た。
二人はいつも二人っきりで行動した。いけ好かない同級生や、
傷を持たない人間は、誰一人として二人の領域に入れようとしなかった。
その中で、保田ばあちゃんだけは特別だった。
保田ばあちゃんはこの近所では評判のボケ老人だ。
毎日家族の目を盗んでは空き地に足を伸ばし、幾ら注意しても懲りない保田ばあちゃんを
家族は諦めて野放しにしてしまっていた。
辻と加護がこの空き地を発見して、そして保田ばあちゃんに出会った日の事は今でも
二人の脳裡に鮮明に記憶されている。――おお、天使が二人あそんどるわ。
背の高いススキの葉の中でかくれんぼをしていた時、突然頭上から声が降って来た。
ボロ雑巾を纏ったような服装で、嗄れ声の保田ばあちゃんを、加護は最初とても怖がった。
加護が怖がったから辻も同じように保田ばあちゃんを怖がった。
二人は恐怖を軽減するように手を繋ぎ、
それから加護は辻を庇護するようにして、保田ばあちゃんを睨み付けた。
- 5 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時24分40秒
- 埃の交じった風が拭いて、加護は睨みつけていた目を何度もパチパチさせた。
「なんやねん!」
と、加護が凄んでも、保田ばあちゃんは平然と加護を見下ろしていた。
加護がそのまま睨み続けていると、保田ばあちゃんは何かに気付いたように
加護の睨みをスイと避けて、諦観するように加護と辻の首筋を交互に見やった。
―――お前らの首の痣はぁそれは絆じゃ
保田ばあちゃんに前振りも無くそう言われて、
加護は保田ばあちゃんを睨み付けたまま自分の首筋に手を当てた。
この日は加護も辻も同じように、母親に首筋を打たれた日だった。
「きずなってなんやねん?」
と、加護がカッコつけて言うと、保田ばあちゃんは、がはは、と突然笑い出した。
訳がわからないまま笑い続ける保田ばあちゃんに、加護は子犬が吠えるように叫んだ。
「笑うなや!ウチらのこと、笑うなや!」
それでも保田ばあちゃんは笑い続けた。そのうちに加護の目に涙が浮かびだした。
自分の言う事を聞いてくれないから、加護は泣きたくなったんじゃない。
辻と自分の本質を笑われたような気がして、急に泣きたくなったのだ。
- 6 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時26分20秒
- 加護は辻にいつも優しい言葉を掛けていたけれど、
それが本当じゃない事は自分が一番よく知っていて、
それを見透かされたようで、怖かった。
加護は歯を食いしばって、涙を堪えようとしたけれど、双眸からはポロポロと力無く滴が
落ちてくる。それを見た保田ばあちゃんは笑いながら加護の頭を乱暴に撫でた。
天使は泣かん、泣くんは凡俗だけじゃ、と保田ばあちゃんは確か言ったけれど、
加護には何を言ってるのかさっぱり理解できなかった。でもわかった事も一つあった。
保田ばあちゃんの嗄れ声は心に直接語りかけてくるみたいで、とても優しかった事。
だから、加護は保田ばあちゃんを好きになった。
加護が好きになったから、辻も保田ばあちゃんを好きになった。
その日から加護と辻は毎日のように用事を済ませてはこの空き地に遊びにきた。
辻と加護は保田ばあちゃんが話してくれる内容の、十の内、九はわからなかったけれど、
それでも時折とても関心する事を言ってくれたりする。
――天国なんかは無いし、死後の世界なんてモノも無い。
――神様なんかはいないが、それでもお前ら二人はしっかり生きとる。
- 7 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時27分21秒
- 保田ばあちゃんはいつも死んだ後とか、神様とか、そういう類の話を決まって二人に聞かせた。
加護には天国なんて必要なかったし、死後の世界なんて辻は全く興味が無かった。
二人はどっちが言い出した訳でなく、いつしか体の傷を見せ合うようになった。
保田ばあちゃんが傷を絆と言ってくれた事が、漠然と二人の心に残っていたのだ。
それは二人にとって紐帯で、それを見せ合う度に二人は繋がっていった。
* * * * *
サーカス団がやって来る前日の事だった。空は暗雲漂っていた。
風がビュンビュン吹いて、ススキは揃って体を仰け反らせていた。
加護はいつものように土管の上で、保田ばあちゃんと一緒に辻を待っていた。
辻は加護よりも多く母親に打たれる。だからいつも約束の時間を守れなかった。
加護はこの日、頭をいっぱい引っ叩かれた。別にたんこぶにはなっていなかったけれど、
なんだがむず痒い感覚がじりじり頭全体に響いていた。
それを煩わしがった加護が頭をポリポリ掻いていると、
隣で眠ったように座っていた保田ばあちゃんが、
持っていた巾着袋に手を突っ込んで、手をゴソゴソと動かしだした。
- 8 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時29分47秒
- そして保田ばあちゃんはそこからクシャクシャの千円札を四枚出して、加護に手渡した。
「なんやねん?これ?」
と、加護が不思議そうに訊いてみたら保田ばあちゃんは、
それで辻をサーカスに連れてってやれと言った。
辻はお前のようにしっかりしてないし、お前がいなけりゃ明日も見えん。
と、後から付け足して保田ばあちゃんは確か言った。
そうすると加護はいよいよ訳がわからくなって、
「そんなん、四千円もいらんやん。ののだけやったら、二千円で済むやろ?」
と訝しそうに問い掛けた。すると保田ばあちゃんは、がははと笑ってこう言った。
――お前も道化はみなきゃならん。道化はこの世の縮図じゃ。
保田ばあちゃんはいつも訳のわからない事を言う。
だから加護はその話には適当に相槌だけを打った。
やがて辻がやってきて、加護が保田ばあちゃんにお金を貰った事を説明したら、
辻は目一杯に光を溜めて喜んだ。加護はまるで自分が辻を喜ばせてやったような
心持ちになったから、辻に向かって得意げに笑って見せた。
- 9 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時30分34秒
- 「よかったなあ、のの。明日は学校終わったらすぐ行こうな。」
「うん!」
辻の左瞼はまだプックリ腫れていたけれど、その瞳は希望に溢れていた。
空は暗雲漂っていて、雨の匂いがクンクンしたけれど、それでも明日はサーカスだった。
――――――――
サーカスの日。
生憎、空は低くて黒い雲に覆われて、今にも雨が降ってきそうな天気だった。
学校に行って、それからすぐに家に帰って用事を済ますと、
加護も辻もいつもより急いで空き地に向かった。
湿った空気や太陽が無い所為で、時間はまだ夕方なのに夜みたいに暗かった。
二人とも蛍光色を使った雨合羽を着ていて、加護は黄色い合羽、
辻は黄緑色の合羽を着ていた。
まだ雨は降っていなかったけれど、それでも二人は合羽のフードをしっかり被り、
いつ雨が降っても大丈夫なように備えていた。
「じゃあ、行こうか。五時からやろ?」
「うん。」
辻は合羽のポケットから青刷りのチラシを取り出し、それを見ながら頷いた。
- 10 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時31分23秒
- その後、加護が保田ばあちゃんに行ってきますと言うと、
保田ばあちゃんは空を見ながらがはは、と豪傑に笑い出した。
保田ばあちゃんは時折意味も無く笑い出す。だからボケ老人と罵られる。
でも、加護も辻もそんな保田ばあちゃんの事が好きだった。
二人は手を繋いで、サーカス小屋が来ているはずの公園に走って向かった。
空はどんどん暗くなり、加護にはなにやら訳のわからない胸騒ぎが始まっていた。
彼岸花で区切られた畦道を突っ切り、商店街を抜けて、そのまま川沿いの道を真直ぐ走る。
二十分ほど走っていると、河川敷の脇にある公園のグランドに
でっかいテントのような建物があるのが見えた。
軽く人だかりが出来ていて、両親と一緒に来ていた惚けた顔の同級生や、
いつも辻の事を苛めていた一組のYの姿もあったけれど、二人は全く気にする事なく
長蛇になっていた列の最後部に並んだ。
ゴロゴロと、雷の唸り声が聞こえて二人は顔を上げてみた。
空には命があるかの如く、黒い雲はうねりながら慌ただしく動いていた。
雨の匂いがきつくなった気がした――――。
- 11 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時33分35秒
- プレハブで出来た交換所の前に二人の順番が回ってくると、
加護は合羽のポケットから四千円を取り出して、受付をしていたピエロに手渡した。
ピエロはお金を両手で丁寧に受け取ると、奇怪な動きをしながら半券を二人に手渡し、
それから口を大きくパクパクさせてサーカス小屋の方に右手を差し出した。
加護はニマニマしながらピエロに、ありがとう、と言うと、
まだピエロに興味を持っていた辻を引っ張っるようにしてサーカス小屋の方へ向かった。
「ピエロは喋れへんねん。だからみんなに笑われんねん。」
と加護が知ったかぶって言うと、辻は納得したように二度頷いた。
――
ゆったりとした緩慢な空気の停滞。高い梁から広がる少し垂れた布の屋根。
広い空間に円を書くように並べられたパイプ椅子。
何本かの裸電球が屋根から垂れ下がっただけの薄暗い小屋の中には、
常識さえも覆してしまうような、絶対的な特有の雰囲気が存在していた。
そこはまるで、子供が踏み入れてはいけない夜の味――
- 12 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時34分44秒
- 加護と辻は小屋に入った途端、全く違う世界に入り込んでしまった錯覚に陥った。
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりとココでは時間が流れている。
二人は暫くサーカス小屋の内装を出入り口の所で見渡した後、半券に記されて
あった番号の椅子を見つけて腰掛けた。
「天井高いね」
辻が天井を見上げて感心したような声を出すと、
「ブランコとかいっぱいするから、高くしなあかんねん」
加護は知ったかぶって得意げに答えた。
天井には吊るされている向かい合った二つのブランコが、
客席からのざわめきに呼応して、ユラユラ揺れていた。
「あのピエロもなんかするのかな?」
「そりゃあするよ。ピエロは笑われるのが仕事やねん。玉乗りして、ワザとこけんねん」
「なんで、ワザとこけるの?」
「みんなが喜ぶからや」
そう加護が言った所でサーカス小屋の明かりが消え、ざわめきはより一層大きくなった。
それから二人は息を殺して、これから始まる興に備えた。
- 13 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時36分45秒
- 真っ暗になった後、幾色ものライトが舞台袖からサーカス小屋を別世界のように照らし、
高いシルクハットを被った司会者らしき男が裏口から出てきて、なにやら挨拶をした。
そこからアップテンポの音楽と共に様々なショーが始まった。
辻が楽しみにしていたブランコや、くるくる回る落下傘や――――
何番目かのショーが終わり、受付をしていたピエロが小屋の裏口から
大きな玉に乗ってやってきた。ピエロは客席をすり抜け、小屋の真ん中辺りまで来ると、
ズテン、とお約束のように勢い良くこけた。観客から一斉に笑い声が生まれる。
加護も辻もそれを見て大きく笑った。ピエロはそれから気を取り直したように
立ち上がり、真剣にいろんな事に挑戦しようとするが、どうしても上手くいかない。
その度に観客からは笑い声が発生した。そして、ピエロが逆立ちを失敗した時だ。
バタバタバタバタと雨が強く降ってきた。
布張りの天井は雨音を反響するように大きく轟かせ、サーカス小屋は
緩慢だった世界から、ノイズが醸し出す忙しない空気に包まれた。
- 14 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時37分27秒
- 二人は誘われるように大きな音を立てる天井を数秒見つめた後、もう一度
ピエロのショーに注意を戻した。そこで、二人は奇妙な感覚に覆われる。
無気力に口をパクパクさせていただけだったピエロが、何かを喋っていた。
二人は耳を済ませた。そしてピエロが何を言っているのか聞き取ろうとした。
しかし、大きな雨の音によって掻き消されて、どうしても聞きとれない。
ついさっきまで虚構だったピエロのその瞳は、何らかの意思を帯びていた。
ピエロは間違いなく何かを訴えていた。それは笑われる事かもしれないし、
ワザと失敗する事かもしれない。とにかく、何かを訴えていた。
二人が声を聴こうと一所懸命耳を済ませていると、無情にも雨脚は更に強くなり、
そのうちにピエロのショーも終わった。
―――
サーカスを見終えると屋外は真っ暗になっていて、白い太い筋をつけた雨が降っていた。
グランドには出来上がった水溜りに、大きな水紋がポチャポチャと音をたてて広がっていた。
加護も辻もまだ興奮冷めやらぬ様子で、二人手を繋ぐと、走って家路を急いだ。
- 15 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時38分11秒
- 「なあ、ピエロなんか言ってたよなあ」
「うん!絶対なんか言ってたよ」
二人ははにかんだ様な笑みを作って走りながら、サーカスのショーを幾つか思い出していた。
「ブランコも凄かったなあ」
「うん!」
川沿いの道をバシャバシャ音を立てて突っ切り、商店街を抜け、彼岸花で区切られた
畦道に差し掛かる。その途中で辻が躓いて転んでしまった。大きな水溜りの中に顔から
ヘッドスライディングするように突っ込む。
手を繋いでいた加護も引き摺られるようにこけそうになったけれど、
足を踏ん張って何とか堪える事が出来た。
加護は体制を整えると、うつ伏せで突っ伏していた辻を引き起こし、
泥だらけになった辻の顔を心配そうに覘き見ようとした―――その時だった。
二人の背後から、二つの明るいクリアライトをつけた車が突っ込んできた。
ライトによって雨が鮮明になり、加護も辻も思わずその方向に瞠目したびっくり顔を向けた。
車はスピードを落とさない。
ドン
- 16 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時39分38秒
- 辻が加護を力一杯両手で突き飛ばした。加護は咲いていた彼岸花の上に勢いよく倒れる。
加護がいなくなってしまうと思った辻は、無意識のうちに加護を突き飛ばしていた。
加護がいなくなった世界は、真っ暗で間違っている世界だ。
辻は倒れている加護に笑いかけた。泥だらけの顔でとにかく笑った。
加護は仰向けのまま大きく口を開けてパクパクしたけれど、声が出なかった。
辻は車に飛ばされて、それから運転手が出てきて、それから加護が辻のもとに駆け寄った。
加護は辻をブンブン揺らしたけれど、辻は骨を抜いたみたいに力無く、柔らかく――。
加護は錯乱する意識の中、祈るように空を見上げてみると、
雨の音だけが包んでいた黒い雲に突然、稲光のような形の亀裂が入った。
そしてその細い雲間から、一筋の金色の月光が辻を突き刺すように下りてきた。
加護は辻がその光に導かれるように行ってしまうと思ったけど、それを即座に否定した。
(死後の世界なんかは無い)
加護は涙と雨に濡れたグシャグシャの顔で辻を抱き上げると、それから時間を忘れた。
――――
――数日後
- 17 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時40分58秒
- 「なあ、ののは何処いったん?」
加護はいつものように空き地の土管の上に座って、保田ばあちゃんと一緒に辻を待っていた。
ススキは辻がいなくなった事なんてヘッチャラと言わんばかりに、
活き活きとピンと伸びている。
加護は世界を真っ赤に染めるこの秋の夕陽を全身で受けて、何故か瞬きを堪えていた。
―辻はいなくなってなんかいない、お前の中でしっかり生きとるよ。
「どういう意味なん?ばあちゃんいっつも訳わからん事言うから、説明してや。」
加護は鉄橋の方を見ながら凛とした声を出した。この日は箒でおなかを叩かれた。
―辻はお前の見てる世界を、これからはお前の中で一緒に見ることにしたんじゃ。
保田ばあちゃんの言う事の、十の内、九はわからない。
でも、何故か加護は急に泣きたくなったから、保田ばあちゃんの胸に顔を埋めた。
「泣いていい?」
加護が上目遣いで惚けたような声色でそう言うと、保田ばあちゃんは優しく頷いた。
保田ばあちゃんの胸はごわごわしてて、息苦しかったけど、優しかった。
――――
- 18 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時41分44秒
- それから加護は自分の意志を貫くようになった。
保田ばあちゃんの胸で泣いた翌日、加護は生まれて初めて母親に反抗した。
目に涙を溜めて、歯を食いしばり、拳に力をいっぱい込めて反抗した。
加護は母親をカワイソウだと辻に言ったけれど、そんなのは嘘っぱちだった。
母親はそれでも加護の事を叩いたから、加護は母親の二の腕に噛み付いてやった。
加護は中学一年生になるまで母親と毎日諍いを起こしていたけれど、
中学生になってからはもう、母親は何もしてこなくなった。
加護は友達をいっぱい作った。加護の友達は辻の友達だった。
そして嘘をつく事を止めた。優しい言葉も本当の時以外使わなかった。
―――――
- 19 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時42分34秒
- 加護が中学三年生になった時、また秋がやってきた。
空き地はもうマンションになってしまって、
保田ばあちゃんも前の年に亡くなってしまった。
加護は一人ぼっちで、公園のグランドが見渡せる丘の草原に座った。
黄昏の中、うろ覚えのサーカス小屋を公園のグランドに蘇らせる。
優しい横風がサラサラと吹いた後、計ったように天気雨が降ってきた。
加護は今になって漸くピエロが何を言いたかったのかわかった気がした。
保田ばあちゃんが言っていた様々な事も。
秋の日に雨を見ると、加護はどうしても胸が苦しくなって泣きそうになる。
でも自分が無くという事は辻が泣く事だ。加護は歯を食いしばって涙を堪えた。
丘にはあの頃と全く同じように赤トンボがいっぱい飛んでいた。
偽る事は、間違いだった。辻があの頃の自分の世界に安心していたのなら、
それは大きな間違いで、加護は心の中で何度も辻にごめんを繰り返した。
雨はいつしか止んでいた。
- 20 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時44分30秒
加護は胸を張って希望の赴くまま、辻の為に正直に生きた。
辻は加護の胸の中でずっと生き続け、そして同じ世界を見ていた。
- 21 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時45分08秒
―――――加護にとって辻は真実で、辻にとって加護のいる世界は常に正しかった。
- 22 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時45分45秒
- お
- 23 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時46分16秒
- は
- 24 名前:21 サーカス 投稿日:2002年12月05日(木)03時47分05秒
- り
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