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中澤組四代目 〜残侠伝

1 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時05分43秒
幾重にもきつくサラシを巻く裕子。無言で矢口がそれを手伝う。
あでやかに着流しをまとうと、頬に薄紅を引く。
「極道稼業もウチで終いや」
小さくつぶやくき、手渡された刀を静かに抜いた。
しばし刀身の鈍い輝きを見つめていた裕子が、ゆっくりと振り返る。
「今度はヤクザの姉妹やない。カタギの夫婦で生まれてこよな」
無言でうなずく矢口の頬を、静かに涙が伝った。

「行って来るで」
番傘を勢いよく片手で開くと、もう裕子は振り向かなかった。
唇をかみしめ、震えながら見送る。
裕子の姿が闇に消えても、一歩も動くことは出来ない。
その場にへたり込み、声もなく泣いた。
小さな背中に、冷たい雨が注いでいた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「お世話になりやした」
「もう戻ってくるんじゃないぞ」
看守のあたたかな言葉に、文太は軽く微笑む。
全ては渡世の義理。抗うことなど出来ぬ任侠の宿命。
戻るも戻らぬも、己の決められる事ではない。
「菅原。頑張れよ」
人情より義理を選んだ自分にかけられるささやかな情け。
「お世話になりやした」
再度深々と頭を下げる。それは文太の、心からの言葉だった。
2 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時08分34秒
刑務所の外に横付けされた黒塗りの車。脇には傘を差す人影。
「文ちゃん。お務めごくろうさま」
5年ぶりの姿に、過ぎた月日の長さを思い知らされる。
「裕ちゃん綺麗になったのう。ああ、もう組長さん呼ばなイケンかったんじゃの」
文太の言葉に優しく微笑んだ裕子。
「堅い話は抜きや。かわらず裕ちゃん呼んでや。まあ乗った乗った」
車に乗り込むと、運転手に指示を出す。
「したら、空港まで送ったって」
互いに言葉を探しながら、無言の時が過ぎる。

二人にとって、この5年は決して短いものではなかった。
塀の中にも、風の便りは届く。
先代中澤組長の死。それにともなう裕子の四代目襲名。
文太には、尋ねるべき事が山ほどあった。
もちろん裕子にも、話さねばならぬ事が山ほど。
しかし二人とも今は、心地よい時間に身を委ねていたかった。
窓を優しく雨が濡らしていた。

つぶやくように文太が口を開く。
「暁じゃぁ、もう雪降っとるんじゃろか?」
「まだやね。今年はちょっと遅いみたいや」
「そうかぁ、あの雪が恋しくてのう。塀の中でん、よう夢に見たんよ」
「そんなんほっといてもイヤなる程見れるわ」
「そりゃそうじゃのう」
3 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時09分36秒
――暁町 北の小さな港町。
炭坑の拠点としてのかつての賑わいは、最早見るよしもない。
もう終わってしまった街。人はそう言うのだろう。
しかしこの街こそが文太の帰る街。
塀の中の月日で、焦がれ続けた街。
飛行機の中、そして空港からの道。文太は暁町に流れ着いた昔を思い出していた。

当時は空港などもちろん無い。それどころか舗装された道すらまばらだった。
炭鉱労働者と船に揺られ、港に降り立った文太。
故郷を追われ、行く先などどこでも良かった。
凍てつく大気。降りしきる雪。
随分遠くまで流されたものだと、自らの境遇に苦笑する。
働くつもりなどサラサラない。女にたかりながら、悶々と荒れるばかりの日々。
荒くれの多い炭坑町でも、名の通った与太者。誰しもが文太を恐れ、避けて通った。
無論すり寄ってくる輩も少なくはなかったが、クソにたかる銀蠅のようなもの。
「みんなあんたにゃウンザリしてんのさ」
ある夜20人から徒党を組んで、袋だたきにされた。
いつも「兄貴兄貴」と付いて回ってきた顔をそこに見付け、
ここにも自分の居場所はないのだと、文太は悟る。
4 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時10分59秒
路地裏でボロ雑巾のようにへたり込む文太に、真っ白な雪が降る。
骨の二三本も折れているのだろう。体が言うことをきかない。
表通りからこぼれる街明かりが、やけに眩しく感じられた。
「わしゃ、雪もこの街も嫌いじゃき…」
とっくに枯れていたはずの涙が、静かにホホを伝う。
北の街の冷え込みに、次第に遠のく意識。誰からも省みられず、薄汚れた街角で尽きる命。
嫌われ者の自分に相応しい最期かもしれない。涙と共に何故か笑いがこぼれた。

そんな時少女が立ち止まった。和服の老人に手を引かれている。
「おとん。人落ちとるで」
そう言って無邪気に文太を指さす。
「何見とるんじゃ!」
文太が凄んでも、まったく意に介さない。
「おとん。このままやと多分死ぬで」
「裕子。人間は死ぬもんや」
「このおっちゃん泣いてるやんか。多分死にたないんちゃう?」
「死にたなくても死ぬときは死ぬんや」

二人の淡々としたやりとりに、思わず顔を上げる文太。
手を引く老人には覚えがあった。中澤組三代目。
文太の様な一介のチンピラですら、その存在を知らぬはずがない。
暁町一の侠客として、みなから広く信服を集める男だ。
5 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時12分33秒
「ほな裕子帰るで」老人は少女の手を引いた。
あてもなく流れ着いた北の街。雪の中で町一番の親分に引導を渡される。
チンピラにしちゃ上出来の最期だろう。去ってゆく後ろ姿に、文太は不思議と感謝さえ覚えた。

遠ざかると思われた背中が不意に立ち止まった。
「泣いとるもん見捨てていく訳にいかへん」
どうやら少女が引き留めているらしい。
「裕子。このおっちゃんは悪者や。悪さばっかしとるからこんな目おうたんやで」
「そんなん関係あれへん」
あきらめ顔の老人に、少女は毅然と続ける。
「ここはウチの街や。ウチの街で誰かが泣いてんの見過ごすわけいかへん」
振り返った少女の言葉、その笑顔。今でも文太は忘れない。
「何も一人で泣いとることないやろ。ウチ来るか? 面倒見たる」
親子ほども年の離れた少女に、知るはずのない母の面影を見た。

何故あのとき自分は頷いたのか、今でも文太には分からない。
しかし雪の降る街角、みなし子で与太者の文太は死んだ。
そして任侠としての「菅原文太」が生まれた。
そうあの日の、雪が降る街角で。
6 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時14分23秒
町はずれの墓地、先代の墓に手を合わせる。
「お世話になっときながら葬儀にも出れんと、務め中とはいえ…」
文太の言葉を制し裕子は笑う。
「おとんも文ちゃんも極道や。会いたい時に会えへんのは宿命やろ」

心筋梗塞による急逝。文太が服役して4年目のことだった。
葬儀は、組関係者はもちろん、多くのカタギの参列も集めた。
炭坑閉鎖で町を去った者たちが、たよりを聞きつけ訪れたのだという。

「お上出てくると、丸く収まるもんも収まらん」先代中澤の口癖。
法では救えない本当の弱者。それを守り続けたのが先代だった。
高台に建つ屋敷を、地元の者たちは御殿と呼び、
金の無心・揉め事の仲裁と、訪ねる者は後を絶たなかった。
実際はそれは御殿などと呼べる代物ではない。
しかしそこには自分たちの痛みに心を砕いてくれる者がいる。
それはまさに町にとって最上の宝だった。
町の者から親しみ慕われる一方、ヤクザ内では、"暴れ龍"と恐れられる武闘派。
弱きを助け強きをくじく。昔気質の田舎ヤクザ。
暁町の盛衰を見守り、常に日陰から町の人々を支えた。

「おやっさんこそ、ホンマの極道じゃった…」
文太のつぶやきに、再度裕子は明るく笑う。
7 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時15分31秒
「まあエエおとんやったけどなぁ。この癖がな」
小指を立て、小さく左右に振った。
先代の女癖。これもまた知らぬ者はない。
終生妻はめとらなかったかわり、日本各地に妾を持った。
妾との間にもうけた子が、何故か娘ばかり二十人近く。
「辻加護なんて一回り以上もちゃうねんで」
そう言って笑う長女の裕子すら、京都の芸者との子だという。

しかし無責任な男ではない。女が許せば、みなを手元に引き取って育てた。
そんなこんなで屋敷には、なんと十人の娘たち。
ご丁寧に、みな別の名字だというのだから天晴れなもの。
中澤組と区別して、通称"中澤一家"。
町のみなは娘たちを"中澤一家"と呼び、これまた暖かく見守ってきたのだった。

「みんな戻ってきとるで」
言葉の通り屋敷には娘たち十人が勢ぞろい。
今では独り立ちをした者も多く、家に残るのは辻・加護・矢口・裕子のみ。みなが揃う機会も決して多くはない。
「文ちゃんお帰りー!」
「みんな大きゅうなったのぅ」
成長した娘たちの姿に、文太にも笑みがこぼれる。

「矢口、支度できとるか?」
「バッチリ!」
「したら文ちゃん、飯にしよか」
文太が到着するや否や、歓迎の宴が始まる。
8 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時16分31秒
「カオは札幌でOL!」
「なっちは室蘭の食堂にいるべさ」
「保田は遊園地で経理してます」
「矢口は高校出て家事手伝い。かな?」
「ごとーはそこの小料理屋に居るから、今度来てね」
「石川は牧場で頑張ってますよ!!」
「吉澤は漁師見習いです!」
座敷での食事、みなが次々に近況を告げる。出所したヤクザの出迎えとは思えない、賑やかな夕食。
「どや文ちゃん、帰ってきたなぁ言う気するやろ」
からかうような裕子の言葉。そう、これが"中澤一家"の雰囲気。
絶えることのない会話、はじける娘たちの笑顔。

「裕ちゃんのおかげやな。みんなエエ子になったのぅ」
目を細める文太に裕子は苦笑い。
「まあ。辻加護以外はな」
ごちそうの取り合いに夢中な二人に、皮肉な視線を送る。
「ののはいい子れすよ!」
「そやそや、ウチらだけエエ子の間違いちゃうんかい」
頬を膨らませる二人も、随分と大きくなった。
「ののちゃん、あいぼん。何年生なったんじゃ、6年生位かのう?」
「うわっ文ちゃん、ウチらもう中学生やで。ムショ行ってボケたんちゃうか?」
「ひでーのれす。ぴかぴかの1年生れすよ」
そして一家を笑いの輪が包む。
9 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時17分29秒
食後みなを座敷から出すと、裕子は静かに封筒を手渡す。
「まだ時間も浅いし、これで遊びにでも行ってや。街の子らも喜ぶで」
中身もあらためず首を振る文太。静かな緊張が二人を包む。
「それより裕ちゃん。光男の話を聞かしちゃもらえんかのぅ」
絞り出すような文太の言葉に、裕子の表情が曇った。

寺田光男。
彼もまた文太同様、裕子に、そして先代に救われた者の一人。
何年前の事だったろうか、暁町へ流れ着いた寺田は薬物中毒だった。
娘たちの献身的な看護の元、立ち直った寺田は中澤組の一員となる。
お調子者で憎めない気のいい兄ちゃん。町のみなは親しみを込め、彼を"つんく"と呼んだ。

「つんくは組出たんや。ホンマは真っ先に知らせなアカンかったんやけど。スマンかった」
裕子は額を畳にこすりつけた。

裕子の四代目襲名後、寺田は組を割り「寺田興産」を起こした。
かつての知り合いらを呼び寄せ、今では十人を超える組員を抱えるという。
「今じゃ立派な組長さんや」
裕子の説明は、刑務所で聞いた噂と大差のないもの。
だが"かつての知り合い"、文太にはこの言葉が引っかかった。
10 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時18分20秒
文太の服役もまた、寺田の"かつての知り合い"を巡っての事件だった。

寺田を頼り暁町にやってきた男。彼も寺田と同じくクスリに冒されていた。
薬物による錯乱、そして拳銃の乱射。その流れ弾が町の者を傷つけた。
カタギを傷つけられ黙って見過ごせるはずもない。
駆けつけた文太は有無を言わさず彼を刺した。
「文兄ぃ堪忍したってや。コイツも可哀想な奴なんや」
泣きながらすがる寺田がいなければ、殺人は未遂で留まる事もなかっただろう。

あのときの寺田は、友に涙する優しい男ではなかったか。
何故彼が組を捨てたのか、到底裕子の説明で理解できるはずもない。
しかし裕子は、それ以上のことを語ろうとはしなかった。
「つんくも元は中澤の子や。ウチ、信じてやりたいねん」
そして代わりに、寂しげに微笑んだ。

しばしの沈黙の後、裕子は静かに口を開く。
「なぁ文ちゃん… ウチ看板降ろそう思てるんや」
「こんな小さな町に組は幾つもいらへん」
そしてまた、それ以上は何も語らない。
「裕ちゃん。アンタに全部まかせるけん」
だから文太も、何も聞こうとはしなかった。
11 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時19分26秒
あくる朝食。勢ぞろいした娘たちの前で、裕子は言った。
「組の看板降すで。昨日文ちゃんとも相談した」
突然の申し入れに娘たちみなが茫然とする。
「裕ちゃん何でよ! シマの人たちはどうすんの!」
飯田の言葉を皮切りに、次々と娘たちが口を開く。
「シマは全部つんくんとこに継いでもらう。いくつも組あったら、困るんは町のみんなや」
「町のために組やめるんや。おとんかて許してくれやろ」
「でも…」
娘たちの言葉を制して裕子は続ける。
「確かに中澤組はこれで解散や。そやかてウチの生き方まで変える訳やないで」
「看板降ろしても、ウチは町のために働く。それはちっとも変わらん」
静かな言葉にうかがえる裕子の決意。
最早変えることは出来ない決定なのだと、みなが悟る。
しゃくり上げる辻や加護ばかりではない。娘たちみなが、うっすらと涙を浮かべていた。

「まあ言うても、今日明日に解散しますってな風にはいかへん」
「今度の週末にでん、つんくんとこ行って、段取りつけてくる。全部はそっからや」
「それまでこの話しは人に言うたらアカンで。町のみんな不安がるやろからな」
「エエな!」
裕子のかけ声に、みなが静かに頷いた。
12 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時20分53秒
みなが出払った家。
「今日は久しぶりのお天気だ、ヨカッタヨカッタ」
嬉々として洗濯物を干す矢口を、文太が暖かく見守っていた。

「まりっぺはホンマお母さん言う感じじゃのう」
文太のつぶやきに、軽くしかめっ面。
「ウチには手のかかる赤ちゃんばっか。辻加護に裕ちゃん、おまけに文ちゃんまで帰ってきたから、大変大変」
「そりゃ、すまんかったのう」
「まったくウチは、年上ほど赤ちゃんだから」
二人を包む笑い。矢口は仕事の手を止め、縁側に腰掛ける。
「文ちゃん、お帰りね。それとありがと」
そしてちょこんと頭を下げた。
「裕ちゃんね、もし文ちゃん嫌がるようなら、組続けるって言ってたの」
「みんなには言えないけど、あたしはちょっとホッとしてる」
遠くを見つめ、つぶやくように続ける。
「正直怖かったんだ。父ちゃん倒れてから、裕ちゃんあんま笑わなくなったから」
「顔は笑ってるんだけどね。何て言うの… 心から笑ってない、そんな感じなんだよね」
「笑えないのは仕方ない、いろいろあったし。でも、あたしの前でまで作り笑いされるのは辛かったな」
そう言うと矢口は、おどけるように眉をひそめた
13 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時21分56秒
「でも昨日は昔みたいに笑ってた。文ちゃんのおかげだね」
「これからは、ずっとみんなで笑って暮らせるよね」
そして文太の顔をのぞき込む。
「組解散したって、文ちゃんも変わらず家族だよ。出てったりしたら泣くからね。いい?」
「まりっぺ。すまんかったのぅ」
決して弱音を吐かない矢口の漏らしたつぶやき。
あくまで明るく振る舞う影で、どれだけ小さな胸を痛めてきたのか。
それを思うと文太には、他にかける言葉がみつからなかった。

そんな視線に気づいてか、わざとらしく真剣な表情を作り矢口は言う。
「で、だ」
「早速"中澤一家"のお仕事頼んじゃっていいかな?」
「何ね? エエよ」
「ホントにいい?」
「何ね?」

「布団干すの手伝って。お願い! 」
もったいぶって返ってきた答えに、文太は笑顔でうなずく。
「お母さんのお手伝いするなんて、刑務所入ったらホントいい子になったね」
ポンポンと文太の肩を叩きながら笑う。
「言うこと聞かんと、エラい怖いからのう」
「そりゃそうだ。敵に回すなら飯抜き位は覚悟してもらわないとね」
そして二人を再度笑いが包んだ。
14 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時23分31秒
それから屋敷には、文太の帰りを知った町の者たちが次々と訪れる。
「あの子がこんなに大きくなったんですよ」
「今度ウチの店にも飲みに来てね」
「文ちゃんちっとも変わらんねぇ。俺はごらんの通りつるつるだよ」
「甘いもの持ってきたから、食べてよ」
町のみなの変わらぬ笑顔。塀の中で思い描いていた通り、いやそれ以上のぬくもり。

学校を終えた辻加護が加わると、さらに屋敷は大騒ぎ。
文太の膝を奪い合う二人を、みなが眩しげに見つめる。

結局は5分交代で膝を利用するとのこと。先ずはじゃんけんに勝った加護が腰掛けた。
「ウチ大きゅうなったら文ちゃんみたいになんねん」
朗らかに文太の顔を見上げる。
「なんじゃあいぼん。ワシみたいな刑務所入るようなモンなったらいけんよ」
「みんなのために体張って生きんねん。町のみんなウチが守ったるんや」
無邪気な言葉に皆が微笑みを浮かべる中、文太は幼き日の裕子を思い出していた。

一家に流れる思い。町を愛し、町のために尽くす。
例え組を解散しても、それが変わることなどないだろう。
15 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時27分24秒
「ズルいのれす。ののが文ちゃんになるんれすよ!」
膝を奪われ、話しまで持っていかれたのではつまらない、辻も必死だ。
「アカンのの。文ちゃん"れす"とか言わへん。"じゃけん"って言えへんとダメや」
「あいぼんらって"やねん"止めないと文ちゃんにはなれないれすよ」
訳の分からぬ言い争い、真剣ににらみ合う二人。

みながニコニコと見守る中、キツイげんこつが落とされた。
「下らんことで何騒いどるんじゃ!」
「下らなくないのれす!」「そや!めっちゃ大切なことやんか!」
げんこつをあいさつがわりに帰ってきた裕子は、二人の苦情など気にもとめず、集まった人の数に目を丸くする。
「ヒマ人ばっかようさんおったもんや。こりゃ飲まん訳にいかんな」
「矢口ぃ〜、何か持ってきてんかぁ〜」

そして急遽宴会が始まった。
ぱたぱたと給仕に走り回る矢口。町の女衆や辻加護が、お喋りも賑やかに手伝いをする。
楽しく酒に酔う男達。溢れる笑顔。
そして笑いにつられるかのように、続々と人が集まる。

日陰から町を支えるだけではない、笑顔で町を照らす。
裕子が受け継ぎ、そして築き上げた、"中澤一家"の姿だった。
16 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時30分37秒
席を外し壁にもたれかかった文太。
目を閉じて、遠くに聞こえる笑い声を聞いていた。
一人街角に涙していた自分が、みなと共に笑い、酒を酌み交わしている。
瞼には、あの光景が今も鮮やかに浮かぶ。
街灯の照らす雪の街角、手をさしのべる少女の微笑み。
すべてはそこから始まったのだった。

人の気配に気づき目を開ける。
「文ちゃん、泣いてるんれすか?」
不安そうにのぞき込む辻の姿があった。
言われてみれば確かに、頬を涙が濡らしていた。
「誰かにいじめられたの?」
「ののちゃん、こりゃ違うけん。ワシャもう年取ったけんのう、嬉しいとすぐ涙が出るんよ」
なんとも涙腺が弱くなったものだ。苦笑しながらの説明を、きょとんとした顔で聞いていた辻。
おもむろに文太の膝に座ると、無邪気に笑った。
「嬉しい時れも、悲しい時れも、ののを抱っこしてた方があったかいのれす」
「そうじゃね、ののちゃん、ありがとな」

いつまでも止まない賑やかな笑い。宴の夜は更けてゆく。


穏やかな数日が過ぎた。永遠に続くかと思われた幸せな日々が。
しかし週末を待たずに、ついにその夜は訪れる。
17 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時32分34秒
「ガキどもどうした?」
洗い物をする矢口に裕子が声をかける。
「もう寝ちゃったみたい。手伝いもしないでさぁ、まったく」
「文ちゃんは?」
「ちょっと飲み行って来るって、さっき出てった」
洗い物の手を止めず、矢口は続ける。
「裕ちゃんはどうする? 外行くなら傘持ってった方がいいよ」
「夜半から降るってさ。もしかしたら雪になるかもって言ってた」
「それとも今日は家で飲む?」

間をあけて返ってきた裕子の言葉に、得も言われぬ不安が矢口を貫く。
「ウチはちょっと仕事や」
裕子は普段決して"仕事"などという言葉は使わない。青ざめて振り返る。
いつもの裕子ではない。極道の顔をした"中澤組四代目"の姿がそこにあった。

「出入りや」
「出入りなんてどこ行くのさ!」
「つんくんとこや」
「でも裕ちゃん組たたむって。後はつんくさんに任せるって言ってたじゃない!」
「ああ、確かに言うたな。せやけど、あんクズに街は任せられん。よう分かったわ」
そして、小さな包みを机の上に放った。

「これってもしかして?」
「そうや。ヤクや」
「つんくのダボ、ウチの街にクスリ流しよった」
18 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時33分36秒
「矢口。支度せい」
「イヤっ!」
その場に泣き崩れる矢口。
「裕ちゃん死んじゃうよ。つんくさんとこ沢山人がいるんだから。ピストルだっていっぱい持ってるんだから」
「何でそんなとこ裕ちゃんが行かなきゃいけないの。警察だってあるじゃんか」
「一人でなんか行かせられない。裕ちゃん行くなら、あたしだって一緒に行く…」
子どものように泣き続ける矢口に、裕子は冷ややかに答える。
「アカン。ウチ一人で殺る」
「つんくのアホ拾てきたんはウチや。ウチがけじめ取る」

矢口には分かっていた。
こうなってしまっては、もう誰にも止めることはできない。
これは裕子に流れる極道の血の顕れに他ならないのだから。
矢口にはその血のたぎりを、否むことなど出来ない。
極道の血。それは裕子と矢口を繋ぐ、最も確かな絆と呼ぶべきものだから。
遠く離れた街で生まれた二人を、北の街へと呼びよせた運命。
この極道の血こそが、正に二人をこの世に生み出し、巡り会わせたもの。
唇をかみしめ、袖で涙を拭う。

「支度や」
繰り返された裕子の言葉に、矢口は無言で頷いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
19 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時34分39秒
夜道を行く裕子を、体の底からわき上がる怒りが満たしていた。
「信じてやりたい」それが先刻までの偽らざる気持ちだった。
しかし手に入れたのは鮮やかな裏切り。
この怒りは積み重ねられた裏切りへの私憤に過ぎないのか。裕子にはもう判然としない。
ただ寺田は、触れてはならぬものに触れてしまった。
町を守りたい。シマの人々の笑顔のため。骨の髄まで染み込んだ裕子の生き方。
それとて矢口の言う通り、何も自分が行くべきものではないのかもしれない。
寺田を殺せばそれですむ、そういった問題でもないのだろう。
しかし裕子に流れる血は寺田を許さない。もはや理屈を越えた押さえようのない怒り。
一刻も早く奴を切らねばならない。

そして裕子が道を急くのには、もう一つの理由があった。
寺田がクスリをまいている。
狭い町でのこと、これを文太が知るまで、そう多くの時間は要さないだろう。
それを知った文太が、黙っていられるはずがない。
自分の不甲斐なさがまいた種。自らで手を下さねばならなかった。
何としても文太が知る前に。
裕子にとっては、文太もまた守るべき者の一人であったから。
20 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時35分24秒
しかし駆けつけた寺田事務所の光景に、裕子は舌打ちする。
事務所へ上がる階段には、拳銃を手に血まみれで横たわる組員たち。
文太の仕業に違いなかった。

これもまた取り返しのつかぬ過失だった。
寺田の行いを知ったとき、何故そのまま殴り込まなかったのか。

矢口との別れ、辻加護への思い。
捨てねばならぬはずの情が、出足を鈍らせた結果だった。
それはわずか小一時間の事だったかも知れない。しかしもはや取り返しはつかない。
己の甘さに歯がみする裕子。
文太は無事なのだろうか。えもいわれぬ不安が包む。

「パンパンッ」
そんなとき、事務所から乾いた銃声が響いた。
青ざめながら裕子は、急いで階段を駆け上がる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
21 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時36分28秒
事務所内をおたおたと逃げ回る寺田。
「イヤやわ文兄ぃ。そんなモン振り回して、何ででんねん」
血まみれの文太は、足を引きずりながらもゆっくりと追いつめていく。
「オドレ街にヤク流しとろうが」
「しらんがな。しらんがな。何か証拠でもあるんかいな」
「阿呆。証拠なんかいるかぃ。ワシがそう言うたらそうなんじゃ」
「文兄ぃ信じてえな、ホンマ俺しらんねん」
寺田の涙ながらの懇願も、文太は聞き入れない。
「ならココで腹さばけ、したら信じちゃるけん」

部屋の隅まで追いつめられた寺田は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「兄貴、俺まだ死にたないねん。腹切るんイヤやわ」
「パンパンッ」乾いた銃声が部屋に響く。
足下にうずくまる文太。壁に隠していた拳銃を手に寺田が冷ややかに微笑む。
「ヤクザなんて所詮は金儲けや、あんまうるさいこと言わんでや」
「パンッ」笑いながら打ち込まれた弾丸は、見事に文太の腹を貫いた。

「何しとるんじゃっ!」
そして部屋に響き渡る叫び。寺田は落ち着いて、入り口に目を向ける。
息を切らす裕子の姿。
「文太! 死んだらアカン!」
必死の叫びにも、文太はもう答えることはない。
22 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時39分30秒
「これはこれは中澤組の四代目さんやないかい。組たたむ決心はついたんかいな」
寺田の銃口はしっかりと裕子の額を捉えている。
「ああ。中澤組はウチで終いや」
「そんならシマは全部もらいうけるで。しっかり解散届にでも書いたってや」
勝ち誇る笑顔。
「オドレに任せられるシマなぞあるか。殺れるもんなら殺ってみや。枯れても中澤の四代目、オドレも地獄に道連れじゃ!」
裕子の言葉にスッと表情が変わる。

「刀振り回してカタギのためカタギのため、お前らもう時代遅れなんや!」
「文兄ぃも、お前もな。あの世行って先代と任侠ごっこでもしてたらええねん」
忌々しげに言い捨てた寺田。
わざわざ文太の体を踏みつけながら前に進み出ると、ケタケタ笑いながら続けた。

「なぁ、知っとるか? 三代目も俺が殺ったんや。毒盛ったらチョロいもんやったで」
「親子で俺に殺されるっちゅうのも、なかなかおもろいんちゃうか?」
23 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時41分55秒
驚くほど落ち着いた眼差しで、裕子は静かに言った。
「知っとったよ。この前医者さんが教えてくれはったわ」
寺田の笑いが止まる。凍るような沈黙が二人を包む。

「おとんはヤクザや。ヤクザがヤクザ殺すんは目ぇつぶったる」
ゆったりとした足取りで、一歩一歩間合いを詰めていく裕子。
射すくめられたかのように動けず、銃にしがみつく寺田。

一転、天まで切り裂くような怒号が響く。
「カタギに手ぇ出したんがオドレの間違いや!」

裕子の中の押さえ切れぬ怒りが火を噴いた。遠間から一気に斬りつける。
しかしその距離はあまりに遠い。
裕子の刃が寺田に届くことはなかった。
だがまた銃弾も、紙一重で裕子の体をそれる。
鈍い音を立て壁がえぐれた。

そして静まりかえる室内。声もなく崩れ落ちる寺田の姿があった。
胸には、背中から貫く刃の光。
息絶えたはずの文太が、渾身の力で寺田に引導を渡したのだ。
24 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時43分26秒
駆け寄って文太を腕に抱く裕子。
「文ちゃん、傷浅いで大丈夫や。病院いこな」
荒い息づかい、おびただしい出血。裕子は涙が止まらない。
「裕ちゃんは優しいのう。わかっちょる。ワシャもうダメじゃ」
「アホ。不死身の文太がダメなわけないやんか」
「裕ちゃんの腕ん中で死ねるなら本望じゃ」
「気色悪いこと抜かすな」
言葉とうらはらに、裕子はきつく文太を抱きしめた。

「もっぺん暁の雪が見たかったんじゃがのう」
切れ切れの文太の言葉。
「もう目じゃってよう見えん。裕ちゃん。雪は降っとるじゃろか」
裕子は窓の外に目をやる。
そして優しく微笑んだ。
「文ちゃん、降っとるで。初雪や」

裕子の言葉、そして微笑みは、文太に届いたのだろうか。それは誰にも分からない。
文太は裕子の腕の中、微笑みを浮かべ息絶えていた。

窓の外には、変わらず降り注ぐ冷たい雨。
見つめる裕子の頬にも冷たい涙が伝っていた。
「文ちゃん。あんたホンマの極道やったよ…」


暁町に初雪が記録されたのは、それから三日後のことだった。


〜終
25 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時44分22秒
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26 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時45分14秒
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27 名前:06.中澤組四代目 〜残侠伝 投稿日:2002年12月02日(月)20時45分51秒
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