25 天使の精選
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:11
- 25 天使の精選
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:11
- 「ねぇ、今日はどうする」
どんよりとした雨音の間をぬって、安倍さんが話しかけてきた。
「安倍さんはどうしたいですか?」
「なっちは探しに行きたい」
安倍さんがそういうなら仕方ない。
これだけ空が暗い雨雲に覆われて外出を控えたいこんな日でも、彼女の命令は絶対だ。
私は簡単に支度をすませて外に出て、湿気の多い大気に身を包まれながら安倍さんの手をひいて目的地に向かった。
好き放題に伸びきった雑草の下にあったはずの芝生を踏みしめながら、家のような場所から遠のいていく。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:12
- やがて着いたひらけた場所のそこには、大きな岩が沢山地面から押し出されるように盛り上がって顔を出していた。
「よっすぃ、次はどれ」
「その右端の手前のやつです」
右手で握っていた安倍さんの手は簡単に外れて冷たい雨の中に飛び込んでいった。
雨を防ぐために左手で握ってる傘みたいなものに守られながら私はそれを見守ることしかできない。
安倍さんが行き着いた先にある岩の周りにも、同じように形が不揃いの岩が地面から這い出ている。
まるでどの岩にも顔があるように、そこには模様のような表情があった。
安倍さんの左斜め後ろには、ばらばらになった岩の破片が水溜りのように横へ広がっていた。
昨日来た時に割られたものだ。
その後ろには量が違うけど同じように砕かれた破片の塊。
同じような破片の塊が何個も間隔をあけて連なっていて、一番最初に砕かれたものはゴミ粒ほどに小さくて、きっと今私が立ってる場所にあった。
「はじまる」
準備が整ったのか、安倍さんがいつもの合図を送ってきた。
同時に私は体を180度後ろへ回転させて、来た道を戻る。
明日になったらいつもと同じようにちゃんと安倍さんは帰ってきてるだろう。
私は雨に濡れることのない白い道に体を乗せて、今日一日の仕事もこれで終わったと目を閉じた。
道は光を放って元きた方向へ向いてくれた。
左手に持っていたはずの傘みたいなものもなくなっている。
雨はやんだみたいだった。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:12
- ○●○
目を覚ますと、安倍さんが横で寝ていた。
外を見ると、今日は雨は降ってないみたいで、すがすがしそうな晴天が広がっている。
昨日もいつの間にか寝ていて、今日も勝手に目が覚めた。
きっとまた一日が経ったんだろう。
私の仕事はここから始まる。
まずは安倍さんを起こすこと。
「安倍さん、おきてください」
体を揺らしてみると、安倍さんは必ず薄目を開けてから3回まばたきをして上体を起こす。
そして真っ白な色の服みたいな光みたいなもので身を包んだパジャマを揺らしながら、私の前に真っ直ぐ立つのだ。
「おはよう、よっすぃ」
「おはようございます」
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:12
- 私はいつものように外が見えるように造られた窓みたいな仕切りまで歩いて外を見る。
天気がその人を左右することがあるから、毎日必ず確かめないといけない、と聞いたものの、安倍さんにはあまり関係ないみたいだ。
昨日初めて降った雨の中歩いていったことを思い出しながらそう思った。
そうして今日の晴れ晴れとした空を眺めていると、いつものように後ろから声がかかる。
「ねぇ、今日はどうする」
「安倍さんはどうしたいですか?」
「なっちは探しに行きたい」
私が安倍さんと知り合って、ちょうど10日目のことだった。
同じことが続けられる毎日。
違っているのは、昨日そこにあった固そうな石の塊が粉々に砕け散って姿を変えてること。
それだけが、私に「日」を教えてくれる唯一の手がかりだった。
○●○
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:13
- それがもう104個割られて、1日目のやつなんて欠片も見えなくなったようなある日。
私は初めての体験をした。
目を覚ましたら、その日は明らかに今までの日常と違っていた。
私の頭の中に、この104日間の生活と全く違う記憶が刻印されていたのだ。
どうして忘れていたんだろうっていうほど、今は不思議なくらい鮮明に頭の中にある。
そういえばここへくる時の説明で聞いた気がする。
いずれ夢を見るときもくるだろう、と。
私は夢が思い出させてくれた記憶の欠片が散らばる頭を振りほどいて、いつも通り安倍さんを起こし、空を見に窓の近くへ寄った。
「ねぇ、今日はどうする」
「安倍さんはどうしたいですか?」
いつもと同じ会話。
もう何の感動も感慨もわかない。
繰り返される日常。
私は返答を待たずに出かける準備を始めようと体を動かしかけた。
その時。
「なっちはここにいたい」
珍しいこともあるもんだ。
初めての夢体験の次は初めての待機体験。
どれだけ空が淀んでいても出かける安倍さんは、雲一つない思わず散歩したくなるようなこの日に、待機を選んだ。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:13
- それから私は、104日前に聞いた忘れかけてた仕事内容をゆっくりと丁寧に思い出し、安倍さんを誘導した。
待機のときの、私がするべきこと。
まずはいつもと同じように安倍さんの手を引いて、いつも私たちが寝ているベッドと思われる、この部屋に唯一ある凹凸に腰を下ろす。
そして手を握ったまま、安倍さんが何をしたいのか、何を望んでるのかを聞く。
「安倍さんはここにいて何がしたいんですか?」
「なっちはおはなし聞きたい」
次に私はこの望みに答えなくてはいけない。でも少し困った。
困った時は質問も許される。
「何のお話が聞きたいんですか?」
「よっすぃのこと」
思わぬ答えが返ってきて、思わず首を傾げてしまう。
安倍さんの口から私のニックネームが呼ばれる時、それはいつもついでのようにつけられたものばかりで、私自身が主になって呼ばれることはなかった。
しつこいようだけど、困った時は質問が許される。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:13
- 「私のことの、何が聞きたいんですか?」
「よっすぃのこと。よっすぃは何でここにきたの」
茶色いその瞳が真っ直ぐと私を見据えてきた。
全く不意をつかれた私は思わずその瞳を凝視してしまう。
こんなに意識をもった瞳を向けてくる安倍さんは初めてだ。
私は初めて、安倍さんという人格を意識した。初めて、感情の個性がみえたのだ。
質問の具体性がわかってしまった今、困ってない時は新たな質問は許されない。
私は答えることしか許されない。
私は一つ咳払いをしてから答えた。
「最大の試練を乗り越えられなかったからです」
安倍さんが無表情な顔をしながら首を傾げる。こんな人間のような表情も初めてだ。
「私は償いにきたんです。私の罪を」
そして私は今日みた夢を思い浮かべて記憶の断片をつなぎ合わせた。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:13
- 私は日本という国に人間として住んで、生きていた。
そして死んだ。
今日みた夢はそのときのだった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:14
- そして私は『ここ』にやってきて、安倍さんと会った。
安倍さんと会う前、真っ白な服を着た、いかにも神様みたいな人にこれからの私のすべきことを聞いた。
私はここで、安倍さんが天使になるのを見届けるために付き人にならなくてはいけない。
それが私の、ここで課せられた義務で、仕事だった。
決められたルールは絶対で、それに背いてはならない。
安倍さんが無事天使になれたとき、私の罪も、許される。
きっと私はラッキーで、地獄じゃなくて天国に来れたんだと思う。
でもここは明らかに平和だけど、地獄で毎日痛い思いをしながら同じ労働をさせられてる人達と、結局はきっと大差ない。
それでもまぁ、痛いことはないからそれだけで感謝しないといけないんだけど。
「つまり、私は安倍さんが天使になるのを見届けるためにここに来たんです」
「よっすぃはなっちの奴隷になるために来たんだね」
天使のような顔をした、天使の卵が無表情のまま言う。
「…まぁそうともいえます。これで質問には答えました。他に何かありますか?」
「ないよ。今日はこれでおしまい」
そうしてその日の私の仕事は終わった。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:14
-
それからまた何日も同じ毎日が続いて、安倍さんは待機の日以外人間らしいことを口にしない。
でも必ず104日経った日には待機を選んで私とおはなしをする。
「よっすぃは何で死んだの」
2回目に聞かれたのがこれだった。
私は少し躊躇してから、沈黙は許されないから答えた。
「自殺したんです」
自殺したことは今でも後悔してない。
それに特別な理由なんて今思えばなかった気がする。
あの時にはそれ以外道がなかったし、私に未来なんてなかったと思う。
寿命というものが存在するなら、きっとそれのせいなんだと思った。
私の寿命は、私が自殺をしたあの日までだったんだと、自信をもって言える。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:14
- でも自殺しようと思ったきっかけならある。
ある日、理由もなくネットでいろんなサイトを見てたら、全裸で崖の上から海へ飛び込んで自殺した女性の話を見つけた。
海外の話だった。国は覚えてない。
飛び込む直前までの様子が女性自身によってビデオ撮影されていて、私はその動画を裏サイトみたいなところで偶然見ることができた。
今となってはそれも必然だったのかもしれない。
映像の中の女性はとても不思議な雰囲気をかもし出していた。
むき出しにされた真っ白な肌。そして洗練された身体。
なんとも妖艶で、それでいて官能的だった。
死を直前にした人間の生がこれほど美しいものなのか。
何の迷いもない真っ直ぐな姿勢。
ためらいもなく身を投じるその気品に満ち溢れた一歩。
跳んだ瞬間、背中に翼が生えたかと思った。
私はそれを見て純粋にかっけーと思った。
こみ上げてくる情動を抑え切れなかった。
どうせいつかはどこかで死ぬんだから、少しでもかっこよく死にたい。
死を目前にした人間の美しさ、儚さ、毅然さ。
私はその時、生まれて初めて自分のしたいことを発見した。
「あれはまるで天使のような人でした」
「よっすぃは会ったこともないその人のために自殺したの?」
「簡単に言えばそうです。その人のため…そうかもしれません」
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:15
- ○●○
前々から疑問に思ってることがあった。
安倍さんは天使になるためにあの場所へ行って岩を砕いて何を探してるのか。
私の役目は安倍さんをあの場所まで連れて行って後は一人で帰ってくること。
いつ見つかるか分からない、私も知らない『それ』を安倍さんは毎日探し続けている。
でもある日、安倍さんが探しものの正体が分かった。
何回目かの104日目が巡った時のおはなしの時間。
安倍さんは私に何か聞きたいことはないかという質問をしたのだ。
私は即座に言った。
「安倍さんは毎日何を探してるんですか?」
珍しく少し沈黙があって、人間みたいに少し俯き加減に言った。
「翼」
まるでメルヘンの世界だ。
この場所に来たときから何となくそう思ってたけど、やっぱりそうだった。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:15
- 安倍さんはまるで天使みたいな風貌をしているけど、確かに天使に必要なそれがない。
安倍さんは天使になるために翼を探している。
「翼…」
私は呟いて窓の外を見た。
あの岩からいつか翼を見つけた暁には、この人はそのまま天へあがってしまって、私と二度と会うことはないんだろう。
それを見届けるのが私の役目。
でもおかしい。
安倍さんが翼を見つけるとき、私はそこにいないはずなのに。
いつも安倍さんが岩を砕いてるとき、私はそこにいないはずなのに。
まるで人として生きてた時に感じた、言い知れぬ感情が私を襲った。
○●○
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:15
- それから104個の岩が10回割られた日。
日数というものがあるなら、ここにきてもう1040日経ったということになる。
その日もやっぱり安倍さんはおはなしを望んだ。
「よっすぃの罪ってなんだったの」
私は久しぶりに困った。ここにきて初めて答えられない質問をされた。
私の罪は一体なんだったんだろう。分からない場合はどう答えたらいいんだろう。
「すいません、分かりません」
正直に答えると、安倍さんは遠くを見ながらあっさりと言ってのけた。
「自殺はそれだけで罪なんだよ。よっすぃ、分からなかったんだ」
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:15
- それから安倍さんは、命を自ら絶つことはそれだけで罪だと付け加えた後、「でもね」と初めて顔を綻ばせる。
「最初から自殺が寿命と決められてる人は少し違うんだよ。
寿命がまだ残ってるのに自殺しちゃう人と、そこで死ぬのが当たり前で自殺する人。
これは少し違うの。でも自殺という行為はどこまでいっても罪は罪なの。
だからよっすぃはこんなとこでこんな簡単に罪を償えるの」
安倍さんは今までで一番よく喋った。その時の顔は、なぜだか輝いてみえた。
「だから、天使にだってなれるんだよ」
その時、安倍さんの背に、翼が生えたようにみえた。
でも一瞬で、瞬きしたらなくなっていた。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:15
-
次の日も同じ日常が繰り返される。
起きて安倍さんの手をひいて岩のある広場まで歩く。
まだ砕かれてない岩を安倍さんに教えて、合図とともに私は180度後ろを向いて来た道を戻る。
そのはずだった。
私は家みたいな場所へ戻ろうと光の道がある所まで歩いてみたけど、どうしてもその先へ進めなかった。
安倍さんのことが気になって仕方ない。
昨日一瞬見えた光の翼。
まるで最後の言葉みたいに妙に饒舌におはなしをしてくれた安倍さん。
全て、日常と違っていた。
だからこれも必然のように、日常じゃない今、日常じゃないことをしよう。
私はまた180度、体を回転させて安倍さんの元へ向かった。
見届ける。安倍さんが天使になる瞬間を。私は絶対に見届ける。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:16
-
澄み渡った青くて白い空。
体をリフレッシュさせてくれるような清々しい大気。
走っていることを実感させてくれる暖かい風の抵抗。
私は潜り抜け、広場にぶち当たる。
一瞬、目の前に太陽がやってきたのかと思うほど、辺りが光に包まれて何も見えなくなった。
眩い。とても眩い光。
でもその光の中心には、光以上に輝いている安倍さんがいた。
その姿は、いつも白い服で隠されてる部分が全て剥ぎ取られ、何も身につけていなかった。
純粋無垢な、生まれた時と同じその姿。
一点の汚れもないように、まるでこの世の負を知らないように、その体を象ってる肌は、透き通った水のように白かった。
すらっと地面へ向かって伸びる足。
きゅっと引き締まった腰。
絵にかかれたように整ったくびれ。
深く、まるで守られるように整った茂みで覆われている陰部。
そしてその完璧な体のバランスをいっそう保つように盛り上がった形の良い乳房。
その先にある、唯一肌色に染まっている突起。
すっと上へ伸びるうなじ。
そして端麗な美しすぎる顔。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:16
- そのパーツの一つ一つが、あまりにも輝かしくて、かっこよくて、耽美で。
私は見惚れていた。
まさに天使。
この世が生み出した、完璧な美。
その姿はまるで、まるで…あの裸体で飛び込み自殺をした、あの人を髣髴とさせた。
顔や形は全く違う。
だけどこれはあの人だ。
あの人の魂が、こんな近くにいたんだ。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:16
-
安倍さんの体は岩の上に浮かんでるようにして立っていた。
そして光なのかなんなのか、肉眼ではみえないオーラがちょっとずつ岩を砕いていく。
「これが、安倍さんの、本当の…」
そしてやおら、岩が大きく真っ二つに割れ、中から白いものがふわふわと浮かんできた。
それは安倍さんの背中の位置でぴたっと止まり、自然に、合体した。
あれが翼。天使の翼。
「よっすぃ」
「安倍さん、いっちゃうんですね」
安倍さんは穏やかな顔でこくっと頷いた。
「よっすぃ有り難う。掟を破って、ここへ戻ってきてくれて」
私が首を傾げると、安倍さんは微笑んだ。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:17
- 「なっちはよっすぃを縛ってたの。よっすぃはあの女性をみて、自殺という方法で命を絶ってしまった。
あの人は、なっちの前の姿。よっすぃが見たのは何十年も前の映像だったんだよ。
もう抹消されたはずだったのに、何かの悪戯でよっすぃと繋がってしまった。
よっすぃはなっちに縛られてたの。だからここでもそういう立場になってた。
だからよっすぃがここのルールを破ってくれた時、なっちもなっちの罪から解放されて、翼を見つけられる。
でもそれは決して自分の口から言ってはいけない。
それがなっちの罪の償いとしての、手段だったの。
よっすぃを縛ってしまってた。それがなっちの罪だった」
安倍さんはそっと手を差し出して、もう形がかわってしまっている手で私の頬をそっと撫でてくれた。
そのまま、もう無言のままゆっくりと翼を動かし、羽ばたき、天へ昇っていく。
昇天――。
その美しさに、私も一緒に昇天してしまいそうになる。
私は懲りずにまた、何も纏わぬその姿が妖艶で官能的で、美麗で、かっけーと思ってしまった。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:17
- END
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:17
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- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 23:18
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