べんたつ姫とふさぎの虫

1 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:39
べんたつ姫とふさぎの虫
2 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:39

7月23日(日)くもり
代々木国立競技場第一体育館

HELLO! PROJECT 2006 SUMMER
『WONDERFUL HEARTS LAND』
3 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:39
昼公演を終えて、夜の準備もそろそろという時だった。
久住小春がモニタースペースの折りたたみ椅子に腰掛けて
1人開演を待っていた。
昼公演直後の熱気は、もうどこかに散った。
残された空気はエアコンでひんやりしている。
幕間のこの時間、小春がこうして1人で何もせずに座っている。
開演前に何もせずに座っているなど、小春には珍しいことだった。

もう開場が始まっているらしい。ファンの人たちの声が遠く聞こえる。
夏だというのに冷えすぎた室内に、手足の感覚はいかにも不確かだ。
室内は暗く、遠くのほうは見えにくい。
それが考え事にちょうどよかった。
しかし
雑音も冷気も暗さも、小春の思い悩みを深くするばかりで
一向、この沈んだ空気が変わる予兆はない。

これでは
開演を待っていたというよりも
開演を間近にして途方に暮れていた、といった方が正しいかもしれない。

一つため息。

今日
先輩が卒業する。
4 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:40


熊井友里奈は須藤茉麻と一緒に、緊張を冷ますため歩いていた。
今日の夜公演で、先輩が卒業をする。
だからみんなが気合いを入れていた。
別のユニットの自分たちもいつもと違った。
いつもと違って、テンションが上がっていた。

2人は狭い楽屋通路を抜け、モニタースペースにたどり着いた。
ここでコンサートの最中、スタンバイしているメンバーが
置いてあるテレビでステージの様子を知る。
今は何も映っていない。
そのかわり、真っ暗なブラウン管に小春が写って見えた。
小春がモニターの前の椅子にかけて、顔を垂れている。

2人の位置からはその背中しか見えなかった。
ブラウン管上の顔はよく見えない。

「ねぇ、あれ……」

友里奈は小春を指差して、茉麻を見た。
茉麻は答える。

「悩みがあるみたい」
「そうなの?」
「うん。なんかこう、重いのが乗っかってる」

茉麻が言うと、友里奈は「そっか……」と息をつくように言った。
友里奈にとって、人の悩みにすぐ気づくことのできる茉麻は、不思議の的であった。

「卒業しちゃうもんね……」
5 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:40
友里奈のその声にも、小春は反応しなかった。
なるほど、よほど落ち込んでいるらしい。

友里奈が見ると、茉麻はじっ、と小春の方に目を向けている。
友里奈には目を向けず

「もうすぐ、DSEだよね」

と言った。
ハロプロのコンサートでは、開演前に出演者全員で円陣を組んで気合を入れる。

Dancing Singing Exciting!

頭文字をとってDSEと言う。

「熊井ちゃん。あと、どのくらい時間ある?」

あとどのくらい時間があるだろうか。
友里奈は時間を見たかったが、時計を持っていなかった。

「わからない。昼公演の時間もずれちゃってたし」
「小春ちゃんがいないと……。その後のショイだって」

茉麻はつぶやくように言った。友里奈も茉麻と同じ気持ちだった。
DSEも、その後モーニング娘。だけで行う「がんばっていきまっしょい!」も
今日は特別だ。全員が揃わなくては意味がない。

「最後だもんね。絶対にいないとダメ」
6 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:40
DSEは、雅が欠席のためどのみち全員とはいかないが
せめてモーニング娘。の最後の円陣には参加すべきである。
それが
どれだけ貴重なものか、友里奈は知っていた。
Berryz工房8人でした、最後の「行くべ!」の熱さは、今も友里奈の手に残っている。
2005年10月2日。大切な仲間が、旅立った日。

―――舞波。

それを知っているから友里奈は思う。
小春は円陣までに、元気を取り戻さなくてはならない。
友里奈は救いを求める思いで茉麻を見た。
この状況をどうにかできるのは茉麻しかいないと思った。
いつもメンバーの悩みにすぐ気づき、優しい声をかけてくれる茉麻なら
小春を勇気付け、卒業式に向かわせることができる。

「でも……」

茉麻は迷っているようだった。

「私たちが口出しすることじゃない」
「茉麻!」
「だって、モーニング娘。さんのことだし」

友里奈は思わず茉麻の手を取った。
睨みつけるように茉麻を見下ろして言う。

「あのコ、卒業式初めてなんだよ!」
「え?」
「小春ちゃん石川さんの卒業のときに入って来たんだよ」
7 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:40
そう、小春にとって卒業式は、初めての経験だった。
キッズは、多くの卒業を見てきている。
舞波を送り出して泣きもした。
でも小春はまだ初めてなのだ。
大切なメンバーとの別れは、これが初めて。

「だからきっと、どうしていいかわからなくて、困ってるんだ。
 それに、小春ちゃんの周りは年上の人たちばっかりだし……」

友里奈は茉麻の手を強く握った。
茉麻に助けて欲しかった。

「茉麻、時間がない」

この場を、茉麻に上手く運んで欲しかった。
追い詰められた小春の状況を、茉麻に好転させて欲しかった。

茉麻は一つ、ため息をついて下を見た。
そして

「上手くいくか、わかんないからね」

そう言って
小春の方へ、歩き出した。
8 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:41
友里奈は、安堵のため息をついた。

―――がんばって、べんたつ姫。

友里奈は心の中でエールを送った。
べんたつ姫とはスタッフの誰かが
茉麻につけた愛称だった。
いつもはトロく、メンバーをいらだたせてばかりの茉麻だったが、
へこんだメンバーを慰めさせると、敵うものはなかった。
優しく包み込むこともあったし、強く言って奮い立たせることもあった。
励ましの達人。「鞭撻姫」。

ずれたテンポが、心の傷に程よく効くのだ。
これまで、茉麻のスローペースには
いろんなメンバーが癒されてきた。

7月23日。卒業式の直前。
べんたつ姫が、久住小春へ向けて始動した。

<開戦>
9 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:41
小春はただ、ぼーっと前方を見ている。
焦点は合わず、ただぼーっと。
静かにただ存在するだけであったが
その悲壮さは、周囲の空気を沈ませるくらい
暗かった。
それでも
存在感だけ人一倍強く放たれているのは
さすが久住小春である。
いつもいるだけで周りを明るくさせる元気娘。
その小春の存在が今日は、完全にマイナスに作用して
背中を見ている友里奈にも重くのしかかってくる。

―――強烈……。

圧倒的で強力な陰鬱。
誰も寄せ付けぬ暗澹。
そこへ
茉麻はゆっくりと移動していく。

その動きは自然だった。
まるで当たり前のように隣についた。
小春の張った暗然のバリアの中へ
入り込むようにすっ、と。

そして小春の隣に腰をかけた。

空気の流れのように見えた。
いるだけで空気を変えてしまう久住小春の
張り詰めたフィールドに
やわらかすぎて気づかない風のように、茉麻は入った。
10 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:41
小春は、何の反応も示さない。
茉麻はそのまま、正面を向いたまま。
場は、流れを忘れたように停止している。

―――待ち、に入った。

友里奈は知らず、手を強く握り締めていた。
茉麻はじっと待つ。
相手が、自分の存在に馴染んで
そこにいるのが当たり前になるまで
たっぷり時間をかけて待つ。
すると
一人になりたがっていたはずのメンバーが
茉麻が隣にいてくれるのを、自然だと思い込むようになるのだ。
そうなるまで、べんたつ姫は空気となる。
茉麻の存在があまりにやわらかく
あまりに自然であるため
メンバーは何の違和感も感じる暇がない。

実際
人から声をかけられるのを避けて、ここにいるはずの小春も
茉麻が隣にいるという状況を、違和感なく受け止めるようになっていた。

―――場が軽くなった。

さっきまで暗かったはずの光景は
茉麻に中和され
ただの空間になっていた。
何も語らずに茉麻は
小春を包む暗さを和らげた。
11 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:41
ここからである。

小春のネガティブな空気は
すでに茉麻が収縮させた。
友里奈にも手に取るようにわかるほど
はっきりと流れを変えたはずだった。

―――どうした?

それなのに
まだ茉麻は次の手を打たない。
茉麻が着席してから3分以上が経過している。
いつもより、遅い。

―――茉麻……時間が……

友里奈は不安のまま茉麻を眺めた。
表情を見たかったが
後ろからでは見ることができなかった。

いつもと何か
条件が違っている。

やがて
茉麻はぼそっ、と言った。

「ふさぎの虫さん」
12 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:41
小春は顔を上げない。
茉麻は小春の方を見ようともせず
そのまま
前を見たまま続けた。

「今日で最後だし、何かしなきゃいけない。
 なのに、何もしたくない。動きたくない。
 小春ちゃん……」

小春は顔を上げない。

「ふさぎの虫さんがいる」

友里奈は強く手を握った。
茉麻が、攻め始めた。

「いなくなっちゃう人と、もっと話したい。
 残された時間を、せめて一緒にすごしたい。
 小春ちゃんにも、わかってる。
 でもそんな気分になれない」

そこで
反応があった。

小春は一瞬、顔を上げて茉麻の顔を見た。
しかし、
重い鉛に引っ張られるように
またがくんと顔を下げてしまった。
13 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:41
友里奈はその小春の動きを

―――今……

注意深く見ていた。

―――今何か、言おうとした。

眉を寄せて泣きそうな顔で、口を開きかけていた。
しかし
何かが邪魔して言い出せない。
何かが小春の邪魔を……

―――ふさぎの虫が……

なるほど、茉麻の見立てどおりの
虫が小春の中にいるようだ。

―――見立ては完了。

友里奈は一つ、息をついた。

悩みに嵌っている者はほとんど
自分の鬱の正体が、つかめていない。
だから、このままではいけないとわかっていても
どう自分を奮い立たせていいかが、わからない。
敵が見えないのだから、戦いようがない。
そこで茉麻の「べんたつ」はまず
症状に名前をつけるところから始まる。
名づけることによって、悩みの輪郭がはっきりと認識できる。
場合によっては、名前をつけてもらうだけで、悩みが晴れることだってある。
14 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:42
小春を蝕んでいるのは
ふさぎの虫。
一つ目の壁はクリアしたようだ。

「私も、いろんな卒業を見たよ。
 いっつもみんな寂しくていっぱい泣く。
 でもね……みんな最後には、いい顔をするんだ」

茉麻は早速

「寂しいなら……」

次の手を打つ。

「寂しいって言っていい」

小春の身体が小さく震えて……

「ふさぎの虫を、外に出しちゃうんだよ」

顔が歪むのが、友里奈からも見えた。
小春が

「ふぇ……」

情けない声を出した。
15 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:42
―――効いた!

小春はじっとうつむいたまま
泣き出すのをこらえている。

「我慢することない」

友里奈は見た。
小春の手が、ゆっくりと手探りをするように移動して
茉麻の袖をつかんでいた。
茉麻がその手を取って、ぎゅっと握ってやる。

ふと
友里奈の心を
何か温度の低いものが
抜けていった。

友里奈に背中を見せたまま、2人の手はつながっている。
2人とも相手の顔を見ようとはしなかった。

「また、モーニング娘。が新しくなるんだね。
 小春ちゃん明日から頑張らないと」

手をつないで、そのまま。
やわらかく温かい時間。
それは長く続く……はずだった。
16 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:42

しかし

「だから…、今日は泣けばいいよ」

その茉麻のセリフの直後
唐突に、場に緊張が走った。
小春の手がぱっ、と茉麻から離れて小春自身のひざの上に乗ったのだ。

一体どうしたのか、友里奈にもわからない。
ただ友里奈から見える小春の背中は
さっきにもまして頼りなげだった。

―――べんたつの効果が切れた。

何があったのだろう。
効き目が切れるには、あまりにも早すぎる。

―――小春ちゃん……

小春の背中が丸まっている。
顔はほとんどひざに埋もれていた。

「小春ちゃん……がんばろう!」

茉麻が追い討ちをかけるように小春の背中を叩く。
17 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:43
小春に異変が起きた。
小春は、はっ、と顔を上げた。

「がんばる……私が?」

顔は相変わらず茉麻を見ようとはしない。
ただ
異様に早口になっていた。

「どうして?……卒業しちゃうのに……」
「小春ちゃん、どうしたの?」
「そんなの……そんなのそんなの……」

明らかに様子がおかしい。

「小春ちゃん!」

思わず友里奈は小春の方へ走っていた。
目の前へ出ようとしたとき……

―――!!

一瞬の出来事だった。
友里奈は立ち止まってしまった。

―――……小春ちゃん

気圧された。
小春が、真っ赤に腫れた目で
友里奈を睨んだのだ。
見えない力に
友里奈は押しとどめられた。
18 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:43
小春はすぐにまた、下を向いてしまう。

「そんなの……」

小春は小さく
本当に小さく

「馬鹿みたい」

そう言った。
その声はそのまま沈んで床に染み入る。

そのとき
遠くから呼ぶ声がした。

あれは吉澤の声。

とうとう円陣が行われるのだ。
こうなったら強引にでも連れていかなくてはならない。

「時間だ!」
「小春ちゃん!」

友里奈と茉麻は同時に動いた。
2本の手が小春へと伸びる。
小春はそれを避けるように立ち上がった。
赤い目が、こちらに向く。

「もういいよ!!!」
19 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:43
耳を劈く甲高い声が響き
友里奈と茉麻を停止させた。
小春は、
何かに耐えるように身体を震わせて
しかし目線は相変わらず下を向いていた。

「ごめん……。慰めてくれてありがと。
 もう……いいよ……」

小春はそう言うと駆け出した。
茉麻と友里奈の間を抜けて
みんなの所へ向かおうとする。

ちょうど友里奈の脇を抜けるとき
小春の顔を覗き込んだ。

友里奈は息を呑んだ。

小春は
笑っていた。

他のみんなに心配をかけないために
小春はものの数秒で、本心を押し隠して
笑った。

―――……小春ちゃん
20 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:43
あれだけ落ち込んでいた彼女のどこに
笑顔を作る余裕があったというのだろう。

あの笑顔は
あの一瞬で作り上げた笑顔こそが
これまでやってきた
小春の仕事。

―――なんてこと……。

心の鬱積を、胸に封じたまま
小春は、円陣に向かわなければならない。

「……ごめん熊井ちゃん、失敗した」
「ううん…。一応、行ってくれたし」

結果的には、小春を怒らせてしまったが
円陣に参加させることはできた。
一応の目的は達成できたことにはなる。

外ユニットの茉麻にしては
いい仕事であったと言える。
それでよかったのかも知れないが
なんとも後味が悪い。

―――もう……いいよ……

あんなことを言われては
もう何もしてやれない。
それはべんたつ姫の敗北だった。
21 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:43
茉麻は、友里奈の手を取る。

「急ごう。私たちも円陣に行かなきゃ」

友里奈の手を引くようにして走りだした。
茉麻の顔には、納得のいかない事態への悔しさが見えた。

<第一ラウンド 了>

22 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:46
円陣はいつも以上の熱気をもって盛大に行われた。
モーニング娘。の顔は
それだけで友里奈たちをジンとさせた。

そして、各ユニットの円陣へと移る。
友里奈は「行くべ!」をしながらも
小春のことが気になっていた。
それはきっと、茉麻も同じだったろう。
友里奈はさっきのことを思い出している。
べんたつは途中まで、上手くいっているはずだった。
しかし、茉麻が「がんばれ」と言い出したあたりから
おかしくなってしまったのだ。
茉麻のべんたつに、手違いはなかったはずだ。
友里奈は思い返す。

待ち、続けて見立て、一度相手の悩みを抱え込み、最後に激励。

何も間違いはなかった。
それなのに、上手くいかなかった。
何かが
掛け違えてしまった。

円陣を終えても
友里奈と茉麻は、楽屋スペースにとどまった。

<作戦会議>
23 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:46
「熊井ちゃん、私は掛け違えてた」

茉麻は友里奈が考えていたのと同じ言葉を発した。

「うん……どうしてだろう。どうして励ましが通じなかったの?」
「私の励ましは……」

茉麻の手がつよく、友里奈の手を握った。

「Berryz工房にしか、効かない」
「え?」

友里奈は
うつむく茉麻の顔を
覗き込むように見た。

「もっと早くに気づくんだった。
 私は、円陣でのモーニング娘。を見るまで、気づかなかった」
「どういうこと?」
「私、『がんばろう!』って言っちゃった」
「うん、言った」

それのどこがまずかったのだろう。

「小春ちゃんはその後『卒業しちゃうのに』って言ったよね」

―――どうして?……卒業しちゃうのに……

「うん」
24 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:46
友里奈は疑問に思っていたことをぶつけた。

「紺野さんたちが卒業しちゃう。
 だから小春ちゃんにがんばれ、って言ったんだよね。
 それなのに、どうして小春ちゃんは……あんなこと」

―――馬鹿みたい

茉麻が答える。

「卒業しちゃうのに、がんばっても仕方ない。
 あのコはそう言ったんだよ」
「そこがわかんない……まるで……」
「うーんと……だから……
 どうせ卒業する身で、苦しい思いなんてしてもしょうがないってこと」
「でも、それじゃまるで」
「そう」

まるで、小春自身が……

「小春ちゃんは、自分のことで悩んでいたんだ!」
「ええ!?」
「先輩たちが、卒業する。
 小春ちゃんにとっては、初めてのお別れだった。
 小春ちゃんが入る前からずっと活躍してた先輩だよ。
 目標にしてる部分もあったかもしれない。
 でも、そんな人でも、いつかは卒業しちゃうんだ……。
 誰だって……」
25 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:46
茉麻の声は暗く、小さく
ほとんどささやき声になっていた。

「モーニング娘。は必ず、どこかで卒業しなきゃならない。
 小春ちゃんは、今回の件でそのことに気づかされた。
 ずっと意識しないようにしていた『卒業』が
 今日になって大きな不安になってしまったんだ。
 私の励ましは……そんなこと前提にしてなかったから……」
「ちょ、ちょっと待って…」

友里奈は茉麻を制した。話の展開についていけない。

「茉麻の言った、掛け違えてたってのは?」
「Berryz工房は、私たちがスターティングメンバーで
 全部、1から作ってきたでしょう?
 ファンの人の数も少しずつ増えていって……」
「うん」

友里奈も、茉麻と同じように、知らず声が沈んでしまった。

「ちょっとずつでも先に進む。それがBerryz工房だ。
 だけど小春ちゃんにとってのモーニング娘。は全然違う」
「つまり……入ったときにはもう、できあがってて……」
「そう。もう小春ちゃんには、目指すべき道がしっかりとあった。
 長い時間をかけてきたグループ。憧れの先輩たち。
 そしてその先輩は……」
「1人、また1人と減っていく……」
「そして、いつかは自分も、グループを去る。
 苦労も涙も感動も、全て置いて旅立つ日は、必ずやってくる。
 モーニング娘。にいる限り、いつかは終わる運命。それが……」
26 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:47
ちょっと、沈黙をはさんで
茉麻は再び口を開いた。

「ふさぎの虫の、正体だ」

茉麻がさらにぎゅう、っと手を握る。
友里奈は強く握り返した。
もし、茉麻の言ったとおりだとしたら
さっきの茉麻の励ましは、とんだ的外れになってしまう。

―――また、モーニング娘。が新しくなるんだね。

あれでは、ふさぎの虫を、大きくするだけ。

―――小春ちゃん明日から頑張らないと

励ますどころか、悪化させていたことになってしまう。

「だから、私がいくら励ましても、掛け違えちゃうんだよ。
 先を見続けてきたBerryz工房と
 通過点にならざるを得ないモーニング娘。では
 原理が違いすぎる」
「茉麻……」
「ふさぎの虫は……私の手には負えない」

友里奈は、何も言えなかった。
身体は重く硬直して、力が湧いてこない。
27 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:47
先輩の卒業に、自分の終わりを見てしまった小春。
それは、友里奈たちには決して見ることのない……大きな不安。
どんなに華やかにステージで踊っても
やがてどこかで、卒業する日が来る。
ふさぎの虫は、卒業への不安だった。

「ねえ茉麻……」
「何?」
「私たちの中にも、もしかしてふさぎの虫が」

Berryz工房は終わらないと思っていた。
でもそれは、幼稚な幻想に過ぎないのではないか。
友里奈はずっとこれまで、自分たちの発展を信じていた。
舞波が、自分たちとは違う道を選んだのも
舞波自身の明るい将来のためと思って、どうにか納得した。
しかし
年齢が低いから、まだそういう話が出ないだけで
あと数年もしたら……。

「そう……かもね……。
 私たちだって、時間は永遠じゃないもんね」
「それに気づかないで……ううん、気づかない振りして
 はしゃいでた……。ねえ……茉麻……」
「ん?」

「私たち……」

周囲をバタバタとスタッフが駆けていく。
いつもは興奮する幕前の雰囲気も
今日はやけに遠く感じた。
28 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:47
「何してんだろうね……」

何をしていたのだろう。

「いつかは
 終わってしまうのに」

ひょっとしたらすぐにでも
終わってしまうかもしれないのに
そんなものに夢中になっていた。

心が沈んで、妙に静かだった。
コンサート前の興奮も
どこかへ置き忘れたみたいだった。
漏れ聞こえてくる客席の雑音。
心は取り残されたみたいに
静かで、重たかった。
力が、出てこない。

「友里奈!」

茉麻が

「え?」

友里奈の正面にまわる。
29 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:47
「ふさぎの虫を……」

両手を友里奈の肩にかけて
大きな目でじっと、友里奈を見た。

「抱えて、いこう」
「……茉麻」
「いつかは終わる寂しさに耐えて
 ステージに立つんだ。
 いつか終わるなら」

茉麻は、息を小さく吸い込んで言った。

「それまで輝いていればいい」

友里奈の中に熱いものがこみ上げてきて
それが動く力になる。

「そうだね!」

本当、茉麻のべんたつが身内にはよく効く。
2人は走り出した。

30 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:47
走りながら、
友里奈は小春の姿を探した。

もう一度、声をかけてやりたかった。
今度はおせっかいな通りすがりとしてではなく、
同じ不安と孤独を抱えた仲間として、
小春に伝えたいことがある。

去年
自分たちだって
寂しい思いをした。
その辛さを
忘れたわけじゃない。
むしろ苦しみは
友里奈の身体の奥深く、今も刻まれている。

あのとき、自分を奮い立たせてくれたのは
自分たちのキャプテンが舞波に送った言葉。

それを
小春にも教えてやりたい。

友里奈は必死に走った。
自分たちと小春は、入場口が違う。
時間がない。

友里奈のとなり、茉麻も一緒に全力で走っていた。
一緒の気持ちだった。

角をまがり、暗幕垂れる通路を走る。
その先に、小春が見えた。
31 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:48
「小春ちゃん!」

そこには、モーニング娘。のメンバーがみんないた。
みんな、ここに来るはずのない2人の登場に驚いている。
一番驚いていたのは小春だった。
友里奈は構わず、小春のもとに走って
言った。

「ね、これ佐紀ちゃんが舞波に送った言葉」

友里奈は一つ、息を吸い込んだ。
吸い込んだ視界の端に、紺野さんと小川さんが見える。

「キミの新しい時間が
 キミにとっても私たちにとっても誇らしいものでありますように
 私たちの精一杯の強がりと勇気と優しさで
 キミの旅立ちを祝う」

小春は、じっと下を向いたままだった。
その目に涙が見えた。

先輩たちが見守るように、小春を見ていた。
小春が落ち込んでいることに、きっと気づいていたのだろう。
そんな小春を同年代の友里奈たちが励ます。
先輩たちは見守っていた。

茉麻が友里奈の前に出た。

「ねえ、小春ちゃん。
 私たちのお仕事って、歌って踊るだけじゃないと思う」
32 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:48
小春が涙に赤くした目で
茉麻を見た。

「私たちは、自分の時間を一生懸命に生きなければいけないと思わない?
 与えられた時間を必死に生きて、ステージでは一生懸命
 楽しんで充実していかないといけない。
 それが、お仕事だと、考え……ました」

最後は、先輩たちの視線を気にして
口調が丁寧になっていた。

吉澤が2人の前に出てくる。

「もう、時間ないよ……行きな」
「はい」

振り向いて、走り出した2人の背中に
吉澤の声が聞こえた。

「サンキューな!」

帰りも全力で走った。

「ふさぎの虫さん……いなくなったかな?」
「ちょっとは、役に立ててたらいいね」

2人が位置につくとすぐに
客席のライトが落ちる。大歓声。そして、行進曲。
ステージが、始まった。

<第二ラウンド 了>

33 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:48
コンサートは、予定通りに進行していった。
月島きらり、小春のメインパートになった。
友里奈は出番の間、衣装換えをできるだけ早く済ませて
モニタースペースでステージを見守った。

月島きらりは、
元気で笑顔でリズムよく、
文句なしに月島きらりだった。

ただ笑った顔の中で
目だけがいつもより寂しそうに見えたのは
友里奈の思い過ごしだろうか。

その後は
友里奈も茉麻も自分の出番で忙しく
小春に声をかけることができなかった。

Berryz工房の出番が終わった。
美勇伝が歌っている間
友里奈と茉麻は小春を探したが
見つける前に、モーニング娘。の出番となってしまった。

「大丈夫かな?」
「大丈夫……きっと」

茉麻は強くそう言った。
しかし、その目から不安は隠せていない。
モニターでは、美勇伝がモーニング娘。の紹介をし
照明が一旦暗くなっていた。
34 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:48
「熊井ちゃん……私のしたことって、よかった?」
「え?」
「私が小春ちゃんにしたことは、正しかったのかな?」

質問の意図が、うまくわからなかった。
友里奈は何も言えず、ただ
茉麻と同じく、モニターを見守るだけだった。

すると
茉麻がぼそぼそと続ける。

「いくら言葉で励ましたって、グループの違うあのコに
 伝わったのかな……」

友里奈は
何も言えない。

「……わからない」

茉麻は独り言のように言うと
突然
友里奈の肩をたたいた。

「行こう!」

35 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:48
新曲を踊りきり
一度メンバーがはける。
そしてステージは
紺野と小川によるMCに入った。

これが終わると、卒業式。
ステージでメンバーが卒業生に
最後のメッセージを伝える。

階段の下で待っていた2人の前に
小春が現れた。

―――小春ちゃん……

小春の顔を見た友里奈は思わず息をのんだ。
小春はふらふらと階段を下りてくる。
大きく見開かれた目は、焦点を結ばず遠くを泳いでいた。

その登場は
モニタースペースで最初に見たときよりも
はるかに重く、周囲の空気を澱ませる。

―――やっぱり……ここまで無理してたんだ……

あと少し、風が強く吹いたらバラバラになってしまうのではないか。
危うすぎて、触れることもためらわれる。
そんなギリギリの状態に小春はいた。

友里奈は小春のもとへ行こうと一歩踏み出した。
しかしそれよりも一瞬はやく茉麻が前に出ていた。
36 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:49
「小春ちゃん!」

茉麻が走っていく。
小春は、茉麻を認めると
逃げるように顔をそらした。

泣き顔を見せたくなかったのだろう。

「小春ちゃん!」

茉麻はもう一度叫んで一気に距離をつめる。
すぐに小春をつかまえた。

小春が茉麻を向く。
ボロボロになった顔を見せ小さく首を振り
なおも茉麻から逃れようとする。
その小春を
茉麻は両手をまわして抱きしめた。

「逃げなくていいんだよ」

茉麻の背中から見ていた友里奈には
小春の顔が一気に緩むのが見えた。
これまでぴんと張っていた力が抜けて
ふっ、と軽くなったような呆けた顔に
涙が一筋、頬をつたって流れる。

「大丈夫」

茉麻はさらに力をこめて小春を抱く。
37 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:49
ふと
友里奈の心の中から
熱という熱が外に出る。
想いという想いが質量を失う。

何だろう。
しびれるような
心が冷たくなるような気持ち。

茉麻は小春の肩をやさしく叩き

「大丈夫」

と再び言った。

「小春ちゃんの伝えたいこと
 必ず伝わる。紺野さんにも小川さんにも」

小春は顔をきつく歪めて
苦しそうな声を出した。

「最後の務めだよ。小春ちゃん……」

小春の顔が変わった。
涙で潤んだ目の奥に
強い輝きが見えた。
進むべき道を見つけたみたいに。
38 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:49
「ありがと。」

小春は
本来の笑顔を取り戻していた。

小春はふさぎの虫を退治したようだ。

「行ってくる」

小春は笑顔を見せて
2人に背中を向けた。
茉麻はその背中を、名残惜しそうに見送ると
友里奈のところに戻ってきた。

「戻ろう」

そして2人は
モニタースペースに戻った。

39 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:50
卒業式が進行していく。
メンバーが卒業生に
一人ひとり、思い思いを伝えていった。
その言葉全て、友里奈の心の中に沁みていった。

小春はボロボロの顔で
しゃくりあげながら必死に
自分の気持ちを言っていた。

その光景に、友里奈もジンとなった。

泣きながら話す小春。
内容は途切れ途切れで、まとまりはなかったけれど
きっと先輩たちには、伝わっただろう。

べんたつ姫、初の異種試合は
半ば成功、半ば失敗といったところか。

友里奈は
つられて泣きながら
不思議とすがすがしい気持ちになっていた。
40 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:50
卒業式を終えて
いよいよステージはフィナーレへ。

舞台に上った友里奈の目に
メンバー全員のきらきらした顔が映る。

この、かけがえのない時間のために
自分たちはいる。
この、かけがえのない瞬間のために
自分たちは歌う。

ステージの上で
全員が声をそろえて、最後の曲を大合唱した。

♪さあ つなげよう 今日から 明日へ♪

メンバー全員の声は大きく体育館に響き
友里奈の耳に、友里奈の胸に戻ってきた。

それが
友里奈の力になったと思う。
きっと力になったと思って
その力をみんなに見せてやりたくて
友里奈はめいっぱいの笑顔で踊る。

最後に小春とすれ違うとき
小春も友里奈と同じ笑顔だった。
41 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:52

<べんたつ姫とふさぎの虫 了>
42 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:52
 
43 名前:べんたつ姫とふさぎの虫 投稿日:2006/11/04(土) 22:52
 

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