01 理由
- 1 名前:01 理由 投稿日:2006/10/25(水) 21:50
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01 理由
- 2 名前:理由 投稿日:2006/10/25(水) 21:51
- ある日家に帰ると、市井ちゃんがあたしの部屋にいた。
「よお、後藤」
平静を取り繕って、ずっとあたしのベッドで週刊誌を読んでいたみたく。
でも無理があった。今朝はこんなに散らかってなかったし、通帳が入ってるタンス
だってあんなふうに開け放たれてなかったし、窓ガラスの鍵の位置に丸い穴だって
なかった。
「久しぶり。でもどうして」
「週刊誌読みにだよ」
「わざわざ?」
「わざわざ」
- 3 名前:理由 投稿日:2006/10/25(水) 21:51
- 市井ちゃんはこれ見ろよ後藤笑っちゃうぜとわざとらしく記事を指差した。笑っち
ゃうねと言いながら、あたしは気が気じゃなかった。
「政治家が汚職事件だってよ」
「みたいだね」
「終わりだな、日本」
「終わりかな」
「終わりだよ」
市井ちゃんは断言して、ベッドの布団の中から靴を取り出してフローリングに置い
た。まるで空き巣が逃げるさいちゅう、家主が帰ってきて思わず隠したみたいな場
所だ。
「こいつらがちゃんとしないから、苦しい庶民が泥棒みたいなマネしなくちゃいけ
ねえんだ。悪いのは全部」
- 4 名前:理由 投稿日:2006/10/25(水) 21:52
- 独り言を呟きながら冊子から目を離さない市井ちゃん。とりあえずあたしはトイレ
に行くことにした。ガマンしていたのだ。もちろん小さいほうを。
用を足して部屋に戻るとそこに市井ちゃんの姿はなく、階段を降りてみると、玄関
からこっそり消えようとしているところだった。
「何処行くの市井ちゃん」
声をかけると一瞬、バツの悪そうな顔をする。
「タバコ買いにだよ」
- 5 名前:理由 投稿日:2006/10/25(水) 21:52
- じゃああたしも付いてくと言うと、市井ちゃんは、ああもう全然吸う気なくなった
さっきまですごかったのにちきしょうちきしょうお前のせいだからな後藤、と部屋
に戻った。ポケットから何か落ちた。
追いかけるように登った七段目。あたしのシルバーアクセが。ついさっきここを通
った時はこんなの、なかったはずなのに。
- 6 名前:理由 投稿日:2006/10/26(木) 21:23
- 部屋のドアを開けると市井ちゃんは、窓から半身を乗り出しているところだった。
あたしがもう部屋に戻ったことに気づくと、窓を閉め、ベッドに寝っ転がって、週
刊誌を手に取って、おもしれえなこれと言った。
おもしろいよねと言いながら、あたしは気が気じゃなかった。
- 7 名前:理由 投稿日:2006/10/26(木) 21:24
- 不思議とこのあとの展開がわかった。ああ神様とあたしは祈りっちんになる。どう
かこのまま時を止めてください。それが無理なら市井ちゃんが突然気を失うとか、
突然大金持ちになるだとか。そんなことが起こってください。いや、それよりもむ
しろ一思いに。
そのあたしの儚い願いは叶ったかのように見えた。今頃起こってるであろうはずの
ことは全然起こらない。
あたしは感謝っちんになって、神様にお礼を言った。心の中で。
「ねえ、市井ちゃん」
「何だよ、うるせえな」
「神様って信じる?」
「信じるも何も、いるに決まってんだろ。そんなもん」
- 8 名前:理由 投稿日:2006/10/26(木) 21:25
- この答えは意外だった。でも、だよねとあたしは笑う。意見が一致するのも久しぶ
りだ。あたしは嬉しくなって、だよねだよね言うっきゃないかもねそんな時ならね
と調子に乗った。市井ちゃんも笑った。ドキンとした。
神様はいるのだ。こうやって市井ちゃんを連れてきてくれたし、運に見放された助
けてっちんに奇跡を起こしてくれた。週刊誌なんて、普段は買わない。買ったから
には理由があるのだ。市井ちゃんにそれを気づかせないでくれた。ああ神様、これ
からあたしはあなたを疑いません。どうかこのか弱き子羊を云々。
- 9 名前:理由 投稿日:2006/10/26(木) 21:25
- 週刊誌の記事を隅から隅まで読み終えた市井ちゃん。ようやく顔を上げた。
「神様っていいやつだよな」
あたしはおおいに頷く。それがあたしの信仰の最後の瞬間だとも知らずに。
「こんなタイミングでわたしにこれを読ませるなんて」
そんなことアルwakenaiyone。
「ちょっと待って」とあたしは言った。「神様はいないの?」
「いるよ」と市井ちゃんは言った。「福沢諭吉がそうだ」
- 10 名前:理由 投稿日:2006/10/26(木) 21:26
- え、でも神様がいるとしたら市井ちゃんは知らないはず。頭がぐるぐるした。って
ことはつまり、市井ちゃんは知らないんだ。知らないのに記事を読んで気づいたっ
てことは知ってるからで、知らないけど知ってる。知らないけど知ってるってこと
は神様は福沢諭吉で、市井ちゃんはいいやつ呼ばわり。福沢諭吉がいいやつってこ
とは市井ちゃんは、えっと、市井ちゃんって誰。
プスンプスン煙を上げるあたしの頭。市井ちゃんはそれをちらりとも見ない。震え
る手で雑誌を握り締め、だから雑誌はくしゃくしゃになった。顔はいつかのように
野心的な笑みだった。ドキンとした。
「明日香のやろう、うまいことやりやがって」
- 11 名前:理由 投稿日:2006/10/31(火) 21:49
- あたしは慌てて市井ちゃんに飛びつく。ポケットにあるはずのものを探した。ポケ
ットからはあたしの通帳やら印鑑やら家の権利書やらが出てきて、手間取った。で
も何とか、携帯を奪うことに成功した。
「何だよ後藤、いきなり。もしかして久しぶりに」
「ダメだよ」とあたしは言った。
「何が」
「そんなことさせないよ」
「だから何がだよ」
「市井ちゃんはアレコレあったことなかったことデタラメから下ネタまで週刊誌に
売るつもりなんだ。そんなことになったらみんなが」
「しねえよ、そんなこと」
- 12 名前:理由 投稿日:2006/10/31(火) 21:50
- 市井ちゃんはあきれたみたいに笑う。
「売るなら、アサヒ芸能よりもっといい(注:大金を落とす)相手がいるだろ」
意味がぷーだ。だいたい会話の中に妙なものを入れられてもあたしにはわからない
ことになっているのだ。それに。
「ダメだよ、市井ちゃん」とあたしは言った。
「何が」
「安易に実際の商品名とかあげちゃ。『薔薇ライク』も隣であんなことに」
「あれはジャニだからだろ」
「でも」
市井ちゃんは反論するあたしを制し、その時はその時だと言った。
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