31 愛を求めし娘へ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:13
- 31 愛を求めし娘へ
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:14
- 高橋家の一人娘は、とても器量が良かった。
華、茶、琴などを嗜み、筆を取り描き出す字は少女のあどけなさを残しつつも強さを滲ませ、
近隣に笑顔を絶やすことなく、屋敷内の評判も良かった。娘は十九歳になり、地元の富裕な商人達
から、ぜひ嫁に、との申し出が多くなってきた。尤も、娘が十六にもならぬうちから縁談の持ち掛
けは内々にあったのだが。話を悉く断ってきたのは、御眼鏡に適う相手がいなかったからではない。
娘には結婚をせずに務めるべき大事な役目があった。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:15
- 高橋家は江戸中期から貿易を主とした商売をしており、地元において名士であったが、緩やかな
がら凋落の道を辿っていた。娘の祖父が行った開発事業が失敗に終わり、資産は半分以下に減り土
地を手放し、事業も二、三を売りに出した。華やかに見える高橋の家、下々のものと比べれば貴族
であったが、その屋敷をまるで梅雨時のようなじっとりとした不安が取り巻いていたのである。
勿論、何の策も講じない高橋家ではない。娘の父は官に大きく関わった開発事業に見切りをつけ、
中国をはじめとする新興の国々に臆することなく投資をした。投資事業から三年、高橋の資産は全
盛期の値を取り戻し、それから一年、さらに倍にまで伸ばした。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:20
- とある富裕商人の集まりに高橋家は参加していた。その集まりの名を『白銀』という。創設期に
尽力した藤堂家が銀を主とした金属類を商っていたことと、藤堂家の初代当主が蓄えていた白髭が
見事だったことに由来している。現在、高橋を含め七つの家が『白銀』に属しているが、資産で一
位に立っているのは高橋、ついで紺野、道重。遠く離れて藤本亀井新垣小川という序列になってい
た。高橋が一位に立つ前、一位に居たのは紺野だったが、高橋の海外投資による資産増加により
二位に甘んじる結果となった。紺野の当主は歯を軋ませる思いである。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:21
- 白銀の会合は、年に四回、某県郊外の山深く、老舗の日本旅館で行われるが、会合に出席できる
のは当主の子、しかも娘だけである。以前は、多忙を極める各家の当主に変わり、次期当主ともい
うべきその息子達が会合に参加していたのだが、なにせ富豪の子、傍若無人に振る舞い、喧嘩が絶
えなかった。ある家の子息が、ある家の子息の腕の骨を折ってしまったことから、男子ではなく淑
やかな女子に会合を任せるべきとの意見が多数を占め、現在のような娘のみとする制度が出来上が
っていった。二十年前のことである。
女子しか参加できない会合となってからの白銀会は、急速に力を失っていく、かに見えた。事実
白銀に属する家のほとんどが、その会を軽んじていた。相互扶助的な役割のため組織された白銀も、
各々の家が独立してどのような商売も切り回せる時代となった今、その必要性を疑問視される声す
ら上がっていたのだ。だが、それは時の商売人の判断の及ばぬ、言うなれば、男の与り知らぬ少女
の魔性、清廉潔白ながら残酷で、正義でありながら利己的な力によって、気付いたときには各々の
家を支配するほどの権力を白銀会が持つようになっていた。白銀に属する家の色がらみの不祥事が
偶然重なったこともあり、少女だけで構成される白銀会の力はもはや絶対的なものに固まりつつあ
った。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:23
- 白銀の決定はいつしか各家の経営方針にまで影響を及ぼすようになり、各家は、跡継ぎとしての
男子に加え、白銀会で力を発揮できる女子、知性と教養、美貌と器量を兼ね備えた、人を統べるこ
とができる娘を育て上げることへも心血を注ぐようになってゆく。男子は経済人として育て、女子
は政治人として育てる。これが経済界の暗黙の決まりとなっていったのである。
現在、白銀会の一位である高橋家。その娘は、屋敷の離れ、自室の机にて本を読みながら悩みの
表情をその端正な顔に浮かべていた。今度の白銀の愛姫を決める会議で、なんとか自分が姫の立場
を手にしたいと案をめぐらせてるのである。愛姫、というのは、白銀における最高権力者の称号で
あり、江戸時代のとある名士の家に生まれた愛姫という、娘の名から来ている。七国を越えて噂轟
くほどの美しさであり、時の為政者の元でその手腕をも発揮したと伝えられる、歴史に名高い姫で
ある。
『白銀の愛姫』となったものには、愛、という名前が与えられる。高橋の娘は物心付いた時から、
愛という名に憧れていた。娘の名は、ここでは触れないが甚だ古めかしくお世辞にも可愛いと言え
る様な名前ではなかった。娘は、自然と愛姫を目指すようになっていった。もちろん、欲しいのは
名前だけではない。白銀の愛姫に成れば、毎年数兆円を意のままに使うことができる。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:26
- 「お嬢様」
障子戸の向こうから、召使いの声が静かに聞こえた。娘は、読んでいた本を閉じる。
「なんでしょう」
「道重家のさゆみ様から、お手紙が届いております」
「戸の間に挟んでおいて下さい」
「かしこまりました」
すっ、と手紙が差し込まれ、召使いの気配が消える。娘は机から離れ手紙をそっと抜き取ると、
丁寧に開いた。可愛らしい字でしたためられている。白銀のものとしては手紙を筆で書くのが常
識なのだが、この手紙は鉛筆で書かれていた。所々、色鉛筆で装飾がなされ、手紙に華やかな趣を
重ねている。
「さゆみは、もう」
そう呟いて微笑むと、娘は手紙を読み始めた。愛姫の決まる会議を控えたこの時期に送られてく
る手紙には、いやおうにも緊張するが、さゆみの手紙からは朗らかな陽気が伝わってくるようだ。
さゆみとは旧知の仲である。もともと白銀の中でもお互いの親の仲が良く、幼少の頃から二人はよ
く遊んでいた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:26
-
姉様、お元気ですか。
さゆみは、健康に過ごせています。
もうすぐ愛姫の選ばれる日ですね。
さゆみは、姉様に票を入れます。
姉様のお考えが、さゆみは好きですから。
そうそう、こないだ庭池の鯉が――
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:28
- さゆみの手紙は取りとめもないことを綴り、可愛らしい兎の絵で結ばれていた。手紙を丁寧に折
りたたんでしまうと、記憶の中に残るさゆみの笑顔を思い出す。さゆみは道重家の次女である。長
女はというと、愛姫となるべき教育を四六時中施される自分の環境を呪い、十四のときに海外へ単
身留学してしまった。慌てたのは道重の家である。命運を左右する愛姫候補が突然旅立ってしまっ
たのだ。説得するも頑として帰国しない長女を諦め、次女であるさゆみに愛姫教育を施しはじめた。
当のさゆみも面食らうばかり。白銀の政争には関わらないものとばかり思っていたところに突然
白羽の矢が立ったのだ。のんびり悠々自適、裕福な家庭のご令嬢という立場から一転、道重の家の
今後を担う大役を仰せつかってしまった。さゆみは以前、密かにこう零していたことがある。
「さゆみ、愛姫に興味はないんです。姉上は日本に帰ってこないし。だから姉様がなりたいなら
協力します」
姉上、というのはさゆみの実の姉のことである。さゆみの姉も白銀に興味がないらしく、道重の
家に帰ってこようとすらしない。このような状況で、さゆみが白銀を拒否するのは無理なことだっ
た。拒否は道重の家の没落を意味する。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:29
- さゆみの協力は素直に嬉しい。道重の票が取れるのは政局的に大きいのだ。道重は資産こそ白銀
において三位だが、その力は実質一位といっても過言ではない。長女があのような形で白銀から
離れなければ、道重はおそらく、現在も白銀において一位の力を保持していただろう。それほどに
白銀の力は大きいのである。
冷静に戦略を練る。道重の票を取れるとしても、紺野に勝てるかどうか分からない。紺野の娘は、
頭もよく回り、財界での受けが良かった。それに、中年男性の嗜好を突付くような姿形をしている。
会外の票を一番集めてこれそうなのは紺野の娘だった。
白銀会の愛姫決めは、会員七人の七票、非会員で財界から選ばれた六人の六票、計十三票により、
行われる。候補者は白銀会の七人。愛姫になるには、過半数の票を得る必要がある。つまり七票だ。
過半数票獲得者が現れなかった場合、半月後に、上位二名による再選挙を行い、決する。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:33
- 道重の協力を仰げるということは、非会員の票を取れるということ。さゆみも紺野の娘と同じく、
中年男性の受けが良い。そして更に、さゆみは道重の娘だ。道重と長い付き合いをしている企業人
が多数存在する。非会員の票がどう動くかに、全てがかかっている。白銀会の票はほぼ固定されて
いて、読みでは、高橋三、紺野三、浮動票一だろう。この浮動票も軽視はできないが、非会員の
六票を四つ取ることが出来れば、勝ちを得る。
非会員のほうでも白銀の動向は把握している。白銀内の票が真っ二つに割れていること。はっき
りと一位、二位が示されていれば自然の理だ。強者に阿るほうが賢いやり方に決まっている。つま
り、白銀の愛姫を決するのは非会員である、と言ってもいい状況。
ここまで考えて、高橋の娘は額を押さえて溜息をつく。固定票の更なる固定。浮動票の確保。
やるべきことはこの二つだ。暦を見る。今日は九月の十日。白銀の選の期日、十四日まで後三日。
廊下から振り子時計の鳴る音が聞こえた。無意識に数える。十、十一、、、、十二。もう十二時
か。娘は寝床に入り、目を閉じた。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:35
- ――――
小鳥の囀りで目を覚ました。娘は寝床の乱れを整えると、寝巻きをとり、洋服を着た。本日の予
定は、高橋家に近しい亀井家への訪問。次いで中立の立場である新垣家への訪問。正午より、紺野
の娘との会食。夕方に道重家を訪問。なかなかに多忙である。
亀井家へは車で四十分ほど。一昨年建てられた荘厳な門構えの家である。亀井は特に高橋家が目
をかけている家であり、亀井からの票が他に流れるなどはありえないことだ。新興である亀井家を
白銀会に誘い入れたのも高橋なら、事業の思わぬ失敗で窮地に陥った亀井家を救ったのも高橋であ
る。亀井の人間は高橋家に足を向けては寝られない。
亀井の門をくぐると、すぐに亀井家の当主、亀井禅吾郎が迎えに上がった。
「高橋のお嬢様、お待ちしておりました」
「亀井のお嬢様はおられますか」
「申し訳ございません。絵里は只今、習い事に小笠原家へ出向いておりまして」
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:44
- 高橋の娘が、亀井のお嬢様、と呼んだのには理由がある。白銀の選を控えたこの時期に、愛姫の
候補者である娘の一人を名前で呼ぶのは非礼であるのだ。愛姫に選ばれたものは、愛、と名を変え
ることになる故、現在の名を強調することは礼儀として避けるべきだ。逆に亀井の側では、愛姫な
ど恐れ多い、という意を表すために敢えて、絵里、と名前で己が娘を呼んでいる。
「そうですか。ではこれで失礼致します」
「ご足労をおかけして申し訳ございません」
「お気になさらないで下さい。約束もせず寄ったのですから」
これ以上の言葉は無用だ。高橋の娘がこの時期に訪ねた真意など、承知しているはず。亀井の娘
が高橋に票を投じさえすればそれで良い。高橋の娘は、帰り際、門に手を掛ける。
「良い造りですね。どなたの作ですか」
「は、藤原高円氏にお願いを致しました」
「藤原の三代目ですか。良い仕事をされる」
藤原高円は、高橋家が育てた職人である。それを亀井に紹介したのも高橋だ。この何気ない会話
の中にも、高橋家の重みを意識させる意図が隠されている。
亀井は案ずることなし。これは昨晩にも結論が出ていたこと。石橋を叩きに来ているのである。
それでは、また、と亀井の当主に高橋家としての念を、視線を通して押した。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:45
- 新垣家まではここから徒歩で十数分の距離だ。高橋の娘は、歩を散らすことにする。新垣は思想
的にみれば高橋寄りなのだが、事業の種類としては紺野に近く、浮動票とされる所以である。
――思想の部分でより共感を。
高橋の娘は白壁伝いに石畳を歩きながら、思想を今一度確認する。高橋の政治観は、中央一極集
中ではなく寧ろ地方分権である。しかし単に地方を切り離すだけでは下策。地方としての事業を育
ててからでなければ地方の自立は成し得ない。紺野はこれに対し、地方を庇護すべきというところ
は同じでありつつも、その為には中央からの命令系統が必要不可欠である、との考えだ。詰まる所、
地方は中央の子飼いであるべき、という思想である。
高橋と新垣は共に、地方を主力とした経済主体を持っており、中央からの指示を仰ぐばかりでは
いずれ破綻する、との危惧を持っている。この点は非常に重要な共通点であり、紺野との大きな差
だが、しかし紺野と新垣の主力事業はその八割までもが重なっているのである。仲の深く無かろう
はずがない。
新垣家の門を叩く。
「高橋家のものです」
重い鍵が外される音がした。鉄が摩擦する音が耳を障り、扉が開く。新垣家の女中が、これはこ
れは高橋のお嬢様、と些か丁寧にすぎる口調で招き入れる。高橋の娘が邸内に入ると、新垣の娘が
庭先で子供達と戯れているのが目に入る。新垣の娘は子供が好きなようで、将来は教師を目指して
いるとも聞く。高橋の娘が一礼すると、新垣の娘は深々と頭を下げた。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:48
- 「しばらくですね、新垣様」
「こちらこそ、高橋のお嬢様」
「子供達と遊んでおられたのですか」
「はい」
「よいことですね」
「無邪気さに、こちらの心が救われます」
新垣の娘は子供達が駆けて行った方を見、微笑を浮かべる。
「きょう参ったのは他でもありません。白銀の選のことです」
「はっきりと仰いますね」
「高橋の、わたくしの思想は、貴女の思いと重なる部分が多いはずです。お送りさせていただいた
お手紙で、お分かりいただけると存じます」
「わたくしは、自らの意思に従って心を決め、
票も、そのようにと考えております」
新垣の娘は高橋の娘を真っ直ぐ見据える。意思を湛える瞳。これ以上言を労するは愚。高橋の娘
はそう悟ると、失礼致します、とだけ言い残し、深く一礼して新垣邸を後にした。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:51
- ――――
正午の会食は、白銀会の者が顔を揃えるに頻繁に使われる、とある料亭にて行われた。この会食
の参加者は、娘二人のみである。高橋の娘が部屋に通されると、其処には既に紺野の娘が、正に座
して待っていた。高橋も静かに、美しい所作につとめて座布団に座り、紺野の娘と相対する。
――不思議な娘だ。
と、高橋の娘は思った。真円を描く顔、びいだまの瞳。幼さを残しながら、漂う色気がある。
「どうですか」
と紺野の娘がか細い声で聞いた。どういう意で問われたのか直ぐには判断つきかねたが、紺野の
娘が急須を両手で提げているのに気付く。高橋の娘は湯飲みを両手で差し出す。温かな茶が、高橋
の娘の掌の中に納まってゆく。こういう簡短な茶も悪くはないものだ。高橋の娘は、湯飲みを三回
回し、口をつける。
「結構な、御手前で」
「行き届いておられる」
紺野の娘は微笑む。高橋の娘は微笑の意を掴めず、中庭の池に目をやった。獅子威しが乾いた音
を奏でる。紺野の娘が、お聞きしてよろしいですか、と言った。なにをです、と返すのも無粋ゆえ、
高橋は口を結んだまま次の言葉を待つ。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:53
- 「日本の行末、どのように考えておられますか」
抽象的に過ぎる。当惑するが、素直に答えるより他に無し、と考えを述べる。
「まず経済は、中央から地方への支配系統を段階的に外しつつも、地方の自立を促す政策が必要で
あります。政治においては、職業議員を廃止。立候補に際しては、年収制限、貯蓄制限を設けたい
と存じます。教育について、初等科での日本語教育を徹底し、各科目の授業時間を増加。平日に負
担が生じるようであれば、週休二日制を廃止したく」
ここまで話し、些か熱が入り過ぎてしまったようだ、と高橋の娘は顔を赤らめた。紺野の娘は高
橋の所信を静かに聞いていたが、こめかみを右手の薬指で押さえ、首を傾げた。
「貴女のお考えは以前も伺いましたが、私を迷わせますね」
紺野の娘には、物事をはっきりと言わない癖がある。何かを示唆するような述べ方をし、真意を
語ろうとはしない。それを高橋の娘も熟知している。じっとびいだまの瞳を見つめていると、紺野
の娘は微笑んだ。
「大変失礼かと存じますが、これで失礼させていただきます」
と言うと、紺野の娘は立ち上がり、部屋を去っていった。
――相変わらず不思議な娘だ。
高橋の娘は、温くなった茶に口をつけ、喉を鳴らして飲んだ。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:55
- ――――
料亭を出、道重の家まで車で向かう。子供の頃から幾度と無く通い、慣れた道行きだ。車窓を流
れていく風景に些細な違いがあれば、すぐに見つけてしまう。それほどにこの道と道の風景を良く
知っている。道重の家は竹藪を抜けた山間に位置し、麓の村々を一望にできる。子供の頃、さゆみ
と二人、点々と豆の様に散らばる家々を数えて遊んだ記憶がある。
道重の家からわずかに離れた場所で車を降りた。懐かしさに、歩きたい心持ちがした。竹林の間
を続く石階段を、一歩一歩、踏みしめて行く。
「姉様」
と不意に横から声がした。驚いて振り向くと、笹の葉を両手一杯に持ったさゆみが、微笑んでい
た。竹の緑に包まれた空間に佇むさゆみは、都会の喧騒で見るよりも美しい、そんな気にさせられ
た。さゆみにはこの場所の景色がとてもよく似合っている。
「久しぶり。手紙、ありがとう」
「また送りますね」
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 22:56
- 高橋の娘とさゆみは、静けさ漂う竹林の中を、道重邸へと歩いていく。さゆみが聞いた。
「根回しは、どのような運びですか」
「紺野の娘は、相変わらずよく分からない人物だったよ」
「やはりふかしぎ嬢、ですか」
さゆみは微笑む。紺野のお嬢様が不可思議なのは有名で、不可思議嬢、などと呼ばれている。
「亀井と新垣の娘にはしっかり梃子を入れてきた」
「後は、会外の票ですか」
「その通り。やはり道重の力を借りたい」
「任せてください。姉様の力になりたいもの」
さゆみは嬉しそうにそう言い、跳ねるように歩を速めた。二人の仲はとてもいい、が、やはり高
橋と道重という家の立場を忘れては生きられない。どこか丁寧になってしまうのもその為、あるい
は、家から受け継いだ礼儀が身についている為、とも考えられる。
道重の家に着き、懐かしさ漂う玄関を潜る。道重の住まいは瀟洒でなく簡素なものだ。本邸は別
のところに建っている。道重の当主が大袈裟な家を嫌うが故である。このような考えに高橋の娘も
感銘を受けるところがある。
さゆみの部屋で、綾取り、お手玉、等して戯れの一時を過ごす。真に心を許せるのは、もはや
さゆみだけ。高橋という大きな家の宿命。これは道重のさゆみも同様だ。二人の娘は、束の間、
子供に還って遊んだ。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 23:00
- ――――
九月十四日、吉日。
京都の老舗旅館にて、投票は行われた。選にあたる委員は、白銀との縁深く且つ現在において直
接の利害を持たぬ者から三名。その三名を上座に据え、右手に白銀会の七名。左手に会外の者六名。
白銀会の娘、会外の者、と交互に一人ずつ立ち上がり、票を投じていく。
数刻の後。
明かされた結果は驚くべきものだった。高橋に十一票、紺野二票。うち白銀会の内票七が、全て
高橋に投じられていたのである。
紺野は選の結果を聞くやいなや、旅館を去ろうとした。高橋の娘が押し留める。
「紺野様」
「不思議な顔をなさらないで。貴女が白銀を、日本を統べるにふさわしいと、そう判断したまでです」
紺野の娘は静かに微笑むと、藤本小川と共に、旅館を去っていった。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 23:00
-
高橋の娘は、望みであった名と実をも手に入れ、高橋愛、となった。白銀会の愛の名がどれほど
の力を発揮するのか。それは高橋の娘、いや、高橋愛が、その身を持って知っていくことだろう。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 23:01
- 愛
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 23:01
- 求
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 23:01
- 娘。
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