23 名前をつけてやる

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:17
23 名前をつけてやる
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:18
昼間の陽光が窓から差し込んでいた。
暖房がいらない程度には暖かくなったこの東京のマンションの一室で、
あたしはベッドに背をもたせかけうとうととしていた。福井と比べると、東京のほうが暖かい。
気持ち良く眠りに入ろうとしていると、鍵穴に鍵を突っ込む音が聞こえ、がちゃりとドアが開いた音がした。
それからキッチンとひとつだけの部屋とを仕切るドアが開かれると、梨華がひょっこりと顔を出した。
あたしはその物音と気配で目を覚ました。瞼をこすって、髪が乱れてないか手ぐしですいて確かめる。
「居るんだから、チャイムならしてくれれば出るのに」
あたしが抗議すると梨華は悪びれず、
「合鍵使いたかったのー。ほら、お昼まだでしょ? お弁当」
と、手に持ったビニール袋を差し出した。たしかに昼ごはんはまだ食べていなかった。ありがたく受け取る。

小さなちゃぶ台代わりのテーブルをひっぱり出して、クッションをすすめてから対面して割り箸を割る。
「今日は大学は?」
「休講。梨華ちゃんは?」
「自主休講」
「それはサボりと言うんだよ」
あたしが箸で顔を指し、たしなめると、また悪びれた様子もなく梨華は笑った。
あの教授の講義は眠たいとか、現在進行形のレポートがどうだとか、普通の大学生の他愛のない話が、
食事中ははずんだ。弁当代を払う、とあたしが財布を取り出そうとすると、いいから今度なんかおごって、
と梨華が言ったので黙って財布を引っ込めた。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:18
「歯ブラシ、新しくしたんだ?」
「開いたから」
「あたしの分も買っといて」
「おっけー」
狭い洗い場の前に二人で並んで歯を磨く。歯ブラシ立て用においてあるコップにはいつもふたつの歯ブラシが
並んでいる。あたしの分と梨華の分だ。いつからふたり分並んでいるのかは、覚えていない。
「今日の予定は?」
「夕方からカテキョ」
「愛ならもっとかわいい服とか着られるバイトできるのに、なんでカテキョ」
「それ、バイト先の子にも言われた。単に自給がいいからやってるだけ」
「そんなに稼ぐ必要ないじゃん。家賃も親が出してるんでしょ?」
「まあね」
歯ブラシが立っていたコップを手に取り口をゆすぐ。んー、と梨華が唸ったのでコップを渡す。
ふたりで並ぶには洗面所が狭すぎる。もっと広い家に住めたらいいな、と思うけど東京の家賃ではそれは無茶だ。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:18
部屋に戻るといきなり押し倒された。
「ちょっと待って、シーツ替えてない」
「いいよ、そのままで」
口を口でふさがれる。まるで、悪い子は黙っておけとでも言うかのように。
「今日はやけに急じゃない?」
「そうかな?」
首筋に冷たい唇が触れる。舌でなぞられて、もう逃げるのは無理だな、と思った。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:19
梨華には彼氏がいるらしい。風の噂では相当のイケメンということだ。
あたしと梨華の関係は、なんていうんだろう、あたしはこの関係につけるべき名前を知らない。
「ねえ」
あたしのシャツのボタンに手をかけている梨華に話しかける。
「あたしたちの関係って、なに」
また口をふさがれる。梨華の舌があたしの歯を舐める。磨いたばかりだから不快感もない。
長く、続いて息が苦しくなる。息継ぎをしてあたしは梨華の首に腕をまわした。
「そのうち、教えてあげる」
どんな表情で言ったのかはわからないけど、梨華が言った。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:19
 
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:19
夜中、電灯を消してベッドにはいったときだった。どんどんと玄関のドアを拳で叩くような音が
聞こえ、「愛ー開けてよー」と梨華の声が聞こえた。あたしは首元までひっぱっていた掛け布団
から抜け出し、冷たいフローリングに裸足の足をついて玄関までひたひたと歩いた。
覗き穴で確認するまでもなく、チェーンロックと鍵を解くと梨華がしなだれかかってきた。
「うわ、お酒くさ」
「飲んだんだもん。あたりまえでしょー」
とりあえずあたしは梨華を玄関にひきずりこんで、玄関の電灯をつけた。
「靴、脱いで」
「脱がせてえ」
「はいはい」
靴を脱がせてたたきから上にひきずり上げて、鍵をかけなおした。梨華はべろべろに酔っ払っているらしく、
焦点が定まっていない目でキッチンをぼやっと眺めていた。どうしたものか、あたしは思案する。

「なんで自分の部屋帰らないの」
「なによ、愛、つーめーたーい」
梨華は節をつけて言い、あたしのパジャマのすそをつかむ。
夜はまだ空気が冷えた。裸足の足から冷たさが伝わってくる。

「死んじゃった」
「え?」
突然出てきた物騒な言葉にあたしはぎょっとする。「誰が?」反射的に聞き返していた。
「カレシ。いや、もう元カレ?」
あはは、と梨華が乾いた笑いをもらす。薄暗がりで見える表情からはなにもつかめなかった。
「とりあえず、あがれば?」
手をひっぱって立ち上がらせ、依然ふらふらとする梨華を部屋につれていく。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:19
いつかと同じように小さなテーブルを引っ張り出し、クッションに座らせてからあたしはキッチンに
水を汲みにいった。水が入ったコップを手に部屋にもどると梨華はもぞもぞとベッドにもぐりこもうとしていた。
「こら、梨華。水飲め」
「なによー、えらそうに」
減らず口を叩きつつ、梨華はあたしの手からコップを受け取り、ぐいっと一息に飲み干した。
そらからもう用なしだという風にひらひらと片手を振ってコップを手放し、ベッドにもぐりこんだ。

「なに、寝るの?」
「あんたも寝るの。いらっしゃい」
ベッドの中から手招きしてあたしを呼ぶ。あたしは他に行くところもなかったから、シングルベッドに
滑り込んだ。ベッドの中でもぞもぞと梨華が服を脱いではベッドの外に放り投げた。ためしに梨華の頬に触れて
みると、酒のせいか熱く火照っているようだった。見かけにはわからなかった。

その夜、あたしは初めて梨華を抱いた。
今までそうなったことがないことは、事のあと、梨華がこぼした一言で気づいた。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:19
 
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:20
それからしばらく、会わない日が続いた。
いつも特に約束をするわけでもなく会っているので気にすることはなかった。
同じマンションの階を隔てて上下に住んでいるので、ともすればエレベーターで会うこともある。
梨華はあたしの部屋の合鍵を持っているけど、あたしは梨華の部屋の鍵を持っていない。
今日は家庭教師のバイトの日だった。馬鹿みたいに晴れていて、空はひらべったく広がっていた。

「先生は彼氏とかいないんですか?」
「ん? いないよ?」
家庭教師をしている高校生は、まあ今どきの普通の子だ。色が白くて、かわいい。
「えー、かわいいのに」
「まあ、あたしのことは置いといてさゆみちゃんは?」
「えへへぇ」
さゆみちゃんは頭をかいて照れたように笑った。微笑ましいことだ。

大学に入ってからは恋愛らしい恋愛をしていない。
梨華が唯一、その対象と言ってもいいような気がするけど、付き合おう、とかいうことを言ったことはない。
淡白なようで、その実ねちっこい付き合いはもう半年以上続いている。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:20
気まぐれに部屋に来てはなんだろう、襲われる、という表現が近いかもしれない。
抵抗なく受け入れてしまっている自分自身にはじめこそ驚いたが、今では成り行き上、
そうなれば、そういうこともする。
この関係にまったく疑問を抱かないかと訊かれれば、ノーと答えるし、あたしは答えを知らない。

バイトを終えてマンションに帰る途中、レンタルビデオ店に寄った。
梨華がバイトをしている店だ。ふらりと中に入ると流行の邦楽がかかっていて、平日の夕方だというのに客
は多かった。レジ打ちをしている梨華はすぐに見つかった。入り口で突っ立っていると後ろから入ってきた人が
迷惑そうな顔をしてあたしをよけて店内に入った。入り口近くでレジをしばらく眺めて、店を出た。

外に出るとオレンジ色に空を染める夕日が眩しかった。空の隅では風が吹いているのだろうか、
不吉な黒い雲がすごいスピードで流れていた。今日の天気予報はなんだったっけ、思い出せない。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:20
レンタルビデオ店からマンションにたどり着くまでには、コンビニの前、小学校の裏を通る。
コンビニの前を通ったあたりから、ぽつぽつと、雨粒が落ちてきた。あたしは歩みを速める。
小学校の裏を通るとき、段ボール箱を見かけた。通り過ぎ、振り返る。段ボール箱は動いていた。
雨脚が強くなってきて、とうとう本降りになってきた。黒いアスファルトの上を雨水が流れる。
あたしは小学校の裏まで引き返して段ボール箱を覗き込んだ。仔猫が一匹、こちらを見上げた。

雨の中、あたしはどれくらい立っていたのだろう。
ばちばちと頭にも肩にもぶつかる雨粒が痛かった。深呼吸をして、あたしは段ボール箱を抱えた。
「愛? なにやってるの」
振り向くとピンクの傘を差した梨華がいた。
あたしは笑おうとしたけど、顔がこわばっただけだったかもしれない。
手招きされて傘の中に入る。段ボール箱の蓋をあけて見せると、梨華はわあ、と幼い声をだした。

仔猫には、あたしが名前をつけてやる。

「あたしたちの関係に、名前はある?」
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:20
 
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:20
 
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/10(金) 01:20
end

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