19 「谷間の世代」より“愛”をこめて
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:40
-
19「谷間の世代」より“愛”をこめて
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:40
- ハーフタイムの休憩は7分間。
私たちは円陣を組むようにして正座しながら、お互いの顔を眺めている。
あさ美ちゃんは栄養補給にばっかりご執心だし、
まこっちゃんはバナナを頬張りながらにこにこ笑っているし、
里沙ちゃんはそんなふたりを見て眉をしかめてる。
不安にかられて視線を相手チームへと移したら、さゆが気づいて首をちょっとかしげてみせた。
そんな表情しないで、って思う。私たちにはもうあとがないんだからさ。
スコアボードには「2-0」という文字が貼りつけられている。
2点とってるのはあっちで、0点なのはこっち。
――このままいくと、負けちゃう。
そんな思いが頭の中をかけめぐる。
悪循環にゆっくりとハマっていきそうになっているのがわかる。
でも止められない。止められないから、今までチャンスを逃してきた。
だから私たちは、「谷間の世代」と呼ばれてきた。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:41
- 前回の冬季オリンピックで、一躍注目を浴びた競技がひとつだけあった。
カーリング。氷の上で石を転がして、必死になってホウキで掃く、アレ。
超マイナーでほとんど見向きもされなかったスポーツだったのに、
たった4人の女の子たちが鮮やかに状況を変えてみせた。
「ヨンキーズ」
ヤンキースのつづりを間違えて命名されたというカーリングチームは、
その抜群のチームワークと爽やかなプレーで、日本中の視線を釘付けにしてみせた。
石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依。
彼女たちの活躍(でも惜しくもメダルは逃した)は、カーリング人口を爆発させた。
かく言う私、高橋愛もそんなふうにヤラれちゃったひとりで、
当時中学生だった私は、テレビ中継を見た次の日から、
休み時間にカチンカチンになった学校のプールの上で同級生と掃いては遊んだ。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:42
- オリンピックが終わって、ヨンキーズは解散した。
しかしメダルまであと一歩に迫ったこの競技、このまま下火にさせるわけにはいかない。
そういう思惑があってか、日本代表を目指す女子チームのオーディションが開催された。
このチャンスを逃すわけにはいかない、そう思った私は、
宝塚音楽学校へ進む夢をあきらめ、カーリング一本にしぼることにした。
オーディションに合格したのは、私と、北海道の子と、新潟の子と、なぜか沖縄の子だった。
ウィンタースポーツとは無縁の沖縄の子が選ばれたことが、あのときはすごく不思議だった。
研修期間が終わると、私たちはさっそく試合に出場することになった。
「ヨン」の次は「ゴ」だからって理由で、私たちのチーム名は「ゴキーズ」になった。
あのヨンキーズの後釜ってことで、世間の注目はすさまじかった。
言い訳じみて聞こえるけど、それがプレッシャーだった。
息もまだ全然合ってないのに、結果だけが求められる。
全然目立てないで苦しんでいたところに、紺野さん(って当時は呼んでた)が膝をケガした。
それが一番の話題になるくらいの状態で、いつしか私たちはお荷物扱いされていた。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:43
- 新しいチームのオーディションが開催されると聞いたとき、私の目の前は真っ暗になった。
今までなんだかんだ厚遇されてきて、結果が出せないままでいて、
ついに隅っこに追いやられちゃうときが来たのかな、と思うと、自分のことがすごく情けなかった。
追い討ちをかけたのが、ミキティこと藤本さんの存在だ。
フィギュアで4回転ジャンプを決めたスター選手が、突然のカーリングへの転向を表明。
新チームのスキップ(主将)になるっていう話が飛び込んできたのだ。
「ゴ」の次、「ロッキーズ」が結成されると、彼女たちはじわりじわりと成績を上げていった。
ウィンタースポーツなんかほとんどしたことのなかった3人が、絶妙のチームワークを見せる。
世間の注目はどんどんそっちに流れていって、対照的に私たちの周りは寂しくなっていった。
もう負けられない。この大会で負ければ、私たちは完全に過去の人になってしまう。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:43
- ハーフタイムが終わって、第6エンドから試合が再開される。
「ドロー」
先攻のロッキーズ、ハウスの上でミキティが仏頂面でリンクをたたいて指示を出す。
リードの亀井絵里がストーンを投げる。絵里のショットは狙いからちょっとはずれたけど、
相変わらずの笑顔で「ドンマイ」なんて言ってる。それだけ余裕があるってことだろう。
私はちらっとさゆを見た。やっぱり気づいて、軽く指先を振ってみせた。
いつもならぎゅっとブラシを握り締めて、まこっちゃんのショットに備えるところだけど、
そうもいかない。なぜなら、今日は私がスキップだからだ。
ふだんは頭の回転の早いあさ美ちゃんがスキップなんだけど、
昨日のミーティングであさ美ちゃんから頼まれて、私が引き受けることになっていた。
「やっぱり愛ちゃんは頼れるお姉さんだから」
私全然そんなことないよ、と言おうとしたのをさえぎったのは、まこっちゃんだった。
「愛ちゃんに向かってストーンを投げるのも、楽しそう」
困って里沙ちゃんを見たら、「よし決まり!」ってとどめを刺された。
「今のままじゃいけないっていちばん思ってるのは、きっと愛ちゃんだから」
そうして私は今、慣れないハウスの上に立っている。
「ヒット・アンド・ステイ」
絵里の投げた石を押し出して、自分の石は止めるように。そう指示を出す。
まこっちゃんは神妙な表情でうなずくと、思いきりよく滑って、手を離した。
石は糸を引くように転がって絵里の石にぶつかると、エネルギーをそのままバトンタッチして、
狙い通りにハウスの真ん中で止まった。
もう一度さゆを見たら、人差し指と人差し指で、ちっちゃく拍手していた。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:44
- 勢いを失って久しいゴキーズが練習を終えたある日のことだ。
帰ろうかと思ってエントランスを出た私に声をかけてきた子がいた。
「すみません、高橋愛選手ですよね」
振り向くと、どこかで見た顔だった。今まで会ったことはないけど、最近どこかで見かけた。
「わたし、道重さゆみっていいます」
名前を聞いて、私の中で何かが弾けるような感触がした。
そうだ、目の前にいる彼女は、私たちを奈落の底に突き落とそうとしているロッキーズの一員だ。
体をこわばらせる私をよそに、彼女は手を差し出して言った。
「握手してください。わたし、ファンなんです!」
「え…」
「ゴキーズの皆さんに近づけるように、がんばりたいんです!」
そのときは彼女の勢いに押されて、求められるがままに握手してしまった。そして手が離れると
「お互い、がんばりましょうね!」
と言い残して、彼女は走り去っていった。
その次に会ったのは、試合会場でだった。
結成間もないくせにロッキーズは好調を維持していて、私たちと接戦を演じていた。
最後はなんとかあさ美ちゃんのショットが効いて勝つことができたんだけど、
相手の予想以上の手ごわさに気持ちが沈んでいた。
そのとき、つつつと目の前に現れた道重さゆみは、強引に私とメアドを交換したのだ。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:45
- 「カム・アラウンド」
ガードしている石をよけ、ハウスの中を狙うように指示を出す。
カーリングは後攻有利で、点をとったチームが次のエンドの先攻になるというルールがある。
だから負けているとき、どこで点を取るかがすごく難しい。
ヘタに相手を後攻にしてそのまま最後の第10エンドまで突っ切られると困る。
でも点を入れないことには、押され気味の流れの中で試合を進めざるをえなくなる。
あさ美ちゃんは私の指示どおり、絶妙のコースにストーンを投げた。はずだった。
低い音を立てて転がるストーンは、急に妙な軌跡を描き出した。
そのとき、里沙ちゃんが思わず声をあげた。
「髪の毛!」
運悪く、誰かの髪の毛がリンクに落ちていた。そして、ストーンがそれに触れてしまった。
まこっちゃんと里沙ちゃんは慌ててスウィープするが、狂ったコースは戻らない。
ストーンはそのままあさっての方向に消えていった。
当然、ロッキーズは勝負をつけにくる。
こちらは後攻ながら相手のストーンを押し出すことで精一杯。
それでも、顔には出さないけどそうとう悔しいだろうあさ美ちゃんの指示が効いて、
なんとか1点取って大量失点を防ぐことができただけでも御の字、という結果になった。
私たちが得点してロッキーズが後攻になったことで、いよいよ苦しい展開になった。
ロッキーズはブランク・エンド、つまりわざと両チーム無得点のエンドを続け、
第10エンドの最後の最後で一気に勝負をつける意図が見え見えだった。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:46
- せっかく納得のいくショットを決めても、ことごとくロッキーズの次のショットではねつけられる。
今までずっと苦しめられてきた焦りの渦に、またしても引き込まれているのがわかった。
スキップの私が投げる番が来た。代わりに、サードのあさ美ちゃんがハウスへと移る。
ハウスの中には私たちの赤いストーンが2つ、赤い輪に引っかかるようにして止まっている。
そしてそれを取り囲むように、いつでも攻め込めるように手ぐすねを引いて、
相手の黄色いストーンが4つ、いびつなダイヤモンドを描いていた。スコアは2-1で負けてる。
「フリーズ」
相手のラストショットの前に、できるだけ弾かれにくい形をつくらないといけない。
片方の赤のすぐ手前を狙って、ショットを放つ。まこっちゃんと里沙ちゃんの丁寧なスウィープで、
ほぼ狙い通りの位置につけることができた。
「ピール」
ロッキーズのサード、さゆは余裕の指示を出す。
ミキティが投げたストーンは指示通りに、ひとりぼっちの方の赤いストーンをかき出した。
攻めながら守らないといけない。次に私の投げるショットは、得点を狙いつつ、なおかつ
ハウスの中にいる赤いストーンを、相手のラストストーンから守るものでなければならない。
そう思えば思うほど、胃が痛くなってくる。ちょっとめまいがして、足元がふらついた。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:47
- 私はタイムアウトをとった。みんなが集まってくる。
「愛ちゃん、硬くなってるよ」
まこっちゃんが言う。なんか、うまく返事ができない。するといきなり、
「やあっ!」
里沙ちゃんが後ろから私の背中に触ると、思いっきりくすぐってきたのだ。
「ななな、なにー!?」
大声で反応してしまった私に、里沙ちゃんはいたずらっぽく笑った。
「力、抜けた?」
口を開けて目を丸くして(いたのを後でテレビで見た。恥ずかしかった)いると、
里沙ちゃんは優しく言った。
「スキップだからって緊張することないよ。愛ちゃん、いっつもサードだったでしょ。
だからまだ次がある、くらいの気持ちでいいよ」
里沙ちゃんの顔を見て、思い出した。なんでこの沖縄の子がチームに選ばれたのか。
それは、いちばん大切なのはハートなんだってこと。彼女のカーリングにかける思いは、
私たちのうちで誰よりも熱かった。誹謗や中傷をされても、彼女は負けなかった。
そうして毎日懸命に練習している里沙ちゃんの姿だけは、真実だった。
その真実を信じることができたから、私たちは決してあきらめなかったんだ。
「愛ちゃん、私たちにはまだ次がある。……そうだよね?」
そして里沙ちゃんは天井を指差した。
――そうだ。私たちには、まだ目指すべき次がある。世界が待っている。
「うん」
あさ美ちゃんが言った。
「私たちは『谷間の世代』って言われてるけど、谷間がないよりはあるほうがいいよね」
その視線の先には、ミキティとれいながいた。気のせいか、少しにらんでるように見えた。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:48
- 会場じゅうにこだまする私たちの爆笑の余韻がようやく消えたとき、
私はすっかり落ち着きを取り戻していたと思う。
そして、あさ美ちゃんの指示にうなずいて、ゴキーズのみんなに愛をこめて、ショットを放った。
ストーンはゆっくりと曲がり、吸い寄せられるように、ハウスの中心のほんの少し手前に止まった。
そのとき、さゆの表情が初めて曇った。わずかな迷いの後で、
「カム・アラウンド」
そう告げた。
ミキティはうなずくと、静かにスタートを切った。そうして、アウト・ターンをかけて手を離した。
黄色いストーンはするすると滑っていき、絵里とれいなのスウィープした跡を追いかけていった。
やがて目に見えて曲がりだしたストーンは、ゆっくりと左に舵をきり、赤いストーンに近づいてゆく。
そしてさっき私の投げた赤いストーンにかすかに触れると、そっと角度を変え、
ハウスの青い輪の上でその運動を止めた。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:48
- 瞬間、会場からは歓声が沸き起こった。
最初、何がなんだかわからなかったけど、それは私たちのことを祝福する声なんだと気づいて、
慌ててその場でぺこぺことお礼をした。そしたらまこっちゃんと里沙ちゃんが飛びかかってきて、
ハウスの向こうからはあさ美ちゃんが走ってくるのが見えた。
そのすぐ横で、今度はしっかりと手のひらで拍手をしているさゆも見えた。
私の体に絡みついてくるふたりを背負ったままで、私は腕を伸ばして天井を指差した。
そしたら、あと3本の人差し指も、同じように天井を差した。
その先にあるものは、世界でいちばん高いところ。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:49
- おしまい
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:49
- ◎
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:49
- ◎
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/09(木) 01:49
- ◎
Converted by dat2html.pl v0.2