金糸雀

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:07
金糸雀
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:12


空に向かい、歌を歌う。
そんな簡単なことさえ、できなくなっていた。
今の私の喉からは、詰まった下水パイプのような音しか出ない。
どうしてこんなことになったのか。

どうして・・・
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:15
私が大物歌手の寺田光男さんに拾われたのは、町内会で開かれた
のど自慢大会でのことだった。

「自分、エエ声してるやないか。どや、俺んとこ来る気、ないか?」

準優勝さえできなかった私だったから、最初は単にからかわれている
んだと思った。でも、寺田さんが出歯を突き出して熱心に話している
のを見て、口車に乗ってみてもいいかな、と思った。

そう、きっかけはいつでも、単純なことから始まるのだから。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:20
私には時々、衝動的になることがあった。

4歳の時にバレエ教室に通い始め、10歳の時に進学塾に通い始め、
そして16の時に少女買春クラブに通い始めた。誰に薦められたわ
けでも、誘われたわけでもなくて。ただただ、衝動的に。
衝動的に行動した結果得られたものは何もなかった。その代わり失
うものも何もなかった。

時間と白いトーシューズと参考書とたくさんの男の体が私を通り過
ぎていった。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:26
寺田さんのレッスンは思いのほか、厳しかった。
のど自慢大会に出るくらいだから私にも多少なりとも自信があった
はずなのだけれど、それらはまるで硝子でできた彫刻のように次々
と破壊されていった。

「歌なめてる人間はな、最低の人間やで」

寺田さんは上手く歌うことの出来ない私をそう言って詰った。
誘ったのはあんたのほうでしょ、そう言いたかった。けれども、そ
れまでと同じように衝動的に歌を歌うことをやめることはできなか
った。歌を歌うということの中に、私がそれまで求めて止まなかっ
た何かを見つけたからかもしれない。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:34
どうしても堪えられなくなった時だけ、寺田さんの事務所の近く
の小さな公園で一人、歌った。
青い空と遊具の数々、緑燃ゆる木々が、私の歌の観衆たち。
そんなことを続けていたある日、不意にぱちぱちという緩慢な拍
手の音が聞こえてきた。

「絵里、結構上手かとね」

田中れいな。
私と同じく寺田さんの弟子になっている彼女は、言わば姉弟子と
言ってもいい存在だった。

「あ、田中…さん」
「他人行儀っちゃねえ。れいなでよかばい」

田中さんは私の座っているベンチの隣に腰掛けた。
季節は夏、ベンチを緑の陰で覆い尽くす木々の切れ間から、蝉の鳴
き声が降り注ぐ。音のシャワー、という表現が合いそうだった。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:39
「寺田さんはああ言ってるけど、れいなは絵里の歌、結構好いとう
よ?」
「えっあっ…ありがとう…ございます」

そう返すのがやっとだった。
私は密かにこの才能のある年下の先輩に憧れていた。彼女のように
なれたら、と何度思ったことだろうか。そんな人に秘密の場所を見
つけられ、さらには歌を褒めてもらってしまった。

「じゃ、れいなこれからレコーディングやけん。絵里もレッスン、
がんばって」

田中さんはそう言って笑って去っていった。
心を覆う霧のようなものが、少しだけ晴れたような気がした。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:50
それから私と彼女の公園での交流がはじまった。
見た目のクールな感じとは裏腹に、彼女は人懐こく、そして寂し
がり屋だった。
私はいつの間にか、彼女を苗字ではなくれいなと呼ぶようになって
いた。

時は過ぎ行き、秋が深まろうとしていた。
私の歌う歌に、枯葉が立てる乾いた音が伴奏する。その音に何とな
く寂しさを覚え、感情はそのまま歌に伝わっていった。

「絵里は、夏なら夏の、秋なら秋の歌い方をするっちゃねえ」

それまで黙って私の歌を聴いていたれいなが、ぽつりとそう言った。

「どういうこと?」
「目に映る景色を歌に乗せることができるって言うか、情感溢れる
歌い方が出来るって言うか…」

しばらく言葉を重ねた後、れいなはくしゃくしゃと頭をかき乱す。
そんな姿はまさに年相応と言ってもよく、私は思わず噴き出して
しまった。

「な、何がおかしいと!」
「だってー」
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 23:57
れいなは常に、周りの目を意識して大人のような振る舞いをして
いた。それが、私と公園で会ってふとした時に彼女本来の素顔が
垣間見える。そのことが、私だけに与えられた特権のように思え
たのだ。

こんなれいなを、他の誰にも見せたくない。
そう思うようになったのは、いつの日からだろうか。
傍から見れば醜いただの独占欲だったのかもしれない。でも、欲し
いもの、かけがえのないものを独占したいという気持ちは決して咎
められるべき種類のものではない。

そう、私は思っていた。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 20:13
冬の到来とともに、思いがけないニュースが飛び込んできた。
寺田さんが、私を歌手デビューさせてくれると言うのだ。

「何っちゅうかなあ、声に色気みたいなもんが出てきたなあ」

いつもの厳しいレッスンの時からは考えられない、満面の笑み。
私は寺田さんからもたらされたこの話が本当のことなんだと実感す
るとともに、れいなのことを思い描いていた。
彼女がいなければ、あの公園はただの逃げの場所になっていただろ
う。でも、れいなが私の歌を褒めてくれた。もう少しがんばってみ
ようと思った。
だから、ここまで来れた。れいながいなかったら、私は。

私の足は自然と、あの公園に向かっていた。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 21:10
「おめでとう、絵里」

れいなは、いつものベンチに座っていた。
こぼれた笑みから、白い吐息が漏れる。
私は寒さから逃れるようにして、れいなの隣に座った。

「さすが寺田さんが見込んだだけのことはあるっちゃ。あれから一年も経って
ないのにデビューできるなんて」
「そんなことないよ…それより、あたしね」

歌手デビューの第一報を聞いたときから、ずっとれいなに言おうと思ってた
ことがあった。今までなかなか言えなかった、そんな言葉。
れいなのほうに向き直る。彼女の意思の強そうな眼差しが、私の瞳に集中する。

「私が歌手になれたのは、れいなのおかげだよ。れいながいなかったら、とっ
くの昔に何もかも放り出してたかもしれない。れいながいるから、今の私がい
る、そう思ってる。今までずっと言えなかったけど、ありがとう」

胸があつくなった。涙が出そうになった。
けど、れいなは突然の行動で私を驚かせる。

「じゃあ、れいなも今まで言えなかったこと、言う。れいなは……」

れいなと私の唇が、重なった。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 21:18
「れいなは、絵里のことが好き」

言葉と共に、私の喉を通過する、何か。

「え、れいな。何を…」

そしてそれは、喉の奥で思い切りはじけた。
見計らったかのように、れいなはあるものを差し出した。
折れた硝子の管の中で、銀色の液体が光っていた。

「れいなは絵里が好き。絵里の歌が、好き。だから、誰にも渡した
くなかった」

水銀。
確かそんな名前の金属だったような気がする。
昔読んだ漫画で、付き人が復讐のために演歌歌手に水銀を飲ませると
いう話があったことを思い出した。

「こうすれば、絵里の歌はれいなだけのものになる。だって、そうし
たかったから。独占、したかったから」

意識が遠のいてゆく。景色は水あめのようにぐにゃりと曲がり、渦を
巻いてやがて一つの点になっていった。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 21:27



真っ白な、病室。
白く塗り込められた空間に、私一人がぽつねんと取り残されていた。
一命は取りとめたものの、私の声は失われた。
れいなは、姿を消した。そして周りの人間は彼女の思惑通り、やが
て私の歌声など忘れてしまうのだろう。そしてれいなの記憶の中に
だけ、とどまるのだろう。
たぶん。
私がれいなを独占したいと思ったように、彼女もまた私の歌声を独
占したかったのかもしれない。それは決して咎められる種類の行為
ではないのだろう。

けど、私は。
空に向かって歌さえ歌うことの出来ない私は、籠に閉じ込められた
囀ることも出来ない金糸雀。
あとは緩やかな死を待つだけ。それとも。
れいなはもう一度、私に会いに来る。なぜなら彼女は私のことを愛
しているから。そして籠の鍵が開け放たれたその時に。

私はれいなを独占してやろうと思う。
今はそれを夢見て、白い床に沈むだけ。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 21:27
ゆらゆら
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 21:27
ゆらゆら
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 21:27
ゆらゆらり

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