38 ジャックナイフ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/19(日) 23:31
- 38 ジャックナイフ
- 2 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:32
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追い詰められた獲物は仔鹿の様な目で私に懇願する。
そんなに濡れた瞳で何を乞い願う。
私からの解放か。
それとも、この場からの解放か。
いいだろう。私は目の前の哀れな存在を、解放してやる。
口を右手で塞いでそのまま壁に押し付け、左手に持ったジャックナイフで機械的
に二、三度。
銀の刃が現れ、沈み、ぬらつく赤を伴って、また現れる。
激しく痙攣した体がやがて静かになり、相手は生という柵から解放された。
私はべっとりと濡れた刃をハンカチで拭い、それから汚れたハンカチを倒れた女
の元に投げ捨てた。
ジャックナイフに白銀の輝きが、戻る。
- 3 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:32
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柔らかな日差しが降り注ぐ午後。
カフェテラスは多くの人で賑わい、辺りには喧騒が満ちていた。
親に連れられてきたのだろう、小さな子供がぜんまい仕掛けのロボットのおもち
ゃを片手に、店の中を駆け回っている。
そんな中、少し遅めのランチを取る二人の女。
「ねえよっちゃんさん、切り裂きジャック、って知ってる?」
よっちゃんさん、と呼ばれた女はそれまで目の前のサラダに向けていた顔をあげ
る。
「へえ、初耳だね。ミキティー、そういうのに興味あんの?」
ミキティーと呼ばれた女が首を横に振った。
「ううん。でもさあ、最近話題になってるじゃん。この前も三番街で美貴たちと
同じくらいの年頃の子が殺されたんだって」
そして皿の上の肉を切るために使っていたナイフを目の前にかざし、
「こんな感じのジャックナイフでさ」
と言った。銀色の刃には、肉の血が生々しく付着していた。
「おお怖」
よっちゃんさんはいささかオーバーリアクション気味に体を震わせる。
「ミキティー顔怖ええよ、顔」
「人相が悪いのは生まれつきですから」
美貴の言葉がツボに入ったのか、よっちゃんさんは腹を抱えて笑い出した。そし
てひとしきり笑った後に、まじめな顔つきでこう言った。
「それってさ。もしかしたら『機生獣』の仕業だったり」
- 4 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:33
- 「キセイジュウ?」
首を傾げる美貴。
「うん、機生獣。見た目は人間と一緒だけどさ…」
どん、という衝突する音。何かに躓いたのだろう、子供が転んで泣いていた。よ
っちゃんさんは子供が手放してしまったロボットのおもちゃを拾い上げる。
「中身はこんな感じの、生き物」
美貴のほうを向いてそう言ってから、子供におもちゃを返した。
「何それ。改造人間?」
「あはは、違うよ。機械と獣の、ハーフ。どっかの研究所が作り出した、かわい
そうな存在だよ。見た目は人間でも、中身がケダモノだから」
サラダの真ん中にのっていたトマトを、箸でぐじゅっ、と潰す。トマトは赤い液
体を流しながら独特の香りを周囲に放った。
「時々本能に従って人を殺しちゃうらしい」
「ふうん。よっちゃんさん詳しいんだね」
目を細めながら、美貴。その顔にはどことなく愉悦があるように思えた。
「あたしさ、大学でバイオテクノロジーを専攻してるんだ」
「それこそ初耳。じゃあさ、将来は吉澤ひとみ博士、とかになるわけ?」
いたずらっぽく美貴が、ひとみをからかう。
「まさか。なれっこないさ」
ひとみの表情に影が挿す。光注ぐカフェテラスでは気づかないほどに、そっと。
- 5 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:35
- こつこつこつ。
こつ。
こつこつこつ。
二人の足音に明らかに別の足音が混じってることに先に気づいたのは、ひとみだ
った。高架橋を潜る途中だったので、その足音は余計に目立った。
「…つけられてる」
「え」
美貴が驚くのを他所に、ひとみは高架橋を潜り抜けた先にあるガードミラーを目
で指し示した。
そこに映るのは、さきほどのカフェテラスで見た、黒ずくめの男。
血の気のない、青い顔が鏡越しにこちらを窺っていた。
「逃げよう!」
ひとみが美貴の手を取り、走り出す。
「ちょ、ちょっとよっちゃんさん」
握り締められた手は、思いのほか力強かった。
- 6 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:35
- メインストリートから横道に入り、物陰から辺りを窺う二人。
「って言うかさ、何で美貴たち追われてるわけ?」
ひとみは険しい顔になって、
「もしかしたら、ミキティーの言う切り裂きジャックなのかも」
と呟いた。
「まさか」
「あいつ、うちらのこと見てる間、コートのポケットから何かをまさぐってた。
それがナイフだって可能性もある。それに、あの生気のない、顔」
美貴の体がびくっと震えた。
「大丈夫、あたしが。あたしがミキティーを」
ひとみが言い終わらないうちに、横道の入り口に男が現れる。
「ちくしょう、もう見つけたのか!」
道路脇に置かれたポリバケツを、ひとみは力任せに蹴り飛ばす。バケツは男め
がけて一直線に飛び、中身の大量の生ごみを撒き散らした。
「今のうちに、早く!」
「うん!!」
再びひとみが美貴の手を取る。二人は、横道の奥へと走っていった。
- 7 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:36
-
雑居ビルを縫うように、道は続いてゆく。奥へと進むたびに道は狭くなり、時
々両側の壁が二人の肩を擦った。それでも、先に進まなければ男が追いつくの
は時間の問題だった。
「もうちょっと。もうちょっとであたしの家につくから!」
ひとみは普段から運動でもしているのか、呼吸の乱れもなく走り続ける。フッ
トサル、やってるんだ。三ヶ月前にはじめて美貴と出会った時、ひとみははに
かみながらそんなことを言っていたのを美貴は思い出した。
そんなひとみの足が急に止まる。
行き着いた先は、周囲を壁に囲まれた袋小路。
「え、行き止まり?」
美貴の疑問を他所に、ひとみは壁に向かって走り出す。そして、壁の表面を両
手でまさぐるが、その動きは止むことはなかった。
「よっちゃんさん、何を」
「見つからないんだ」
見つからない? 何が? 美貴は困惑する。
「この辺りに向こうの路地へと抜ける隠し扉があるはずなんだけど、それが見
つからないんだよ!!」
いつになく険しいひとみの表情。彼女もまた、迫り来る恐怖に対して、焦りを
感じているのだろうか。
苛立ちを顔に出すひとみ。遠くから聞こえてくる乾いた足音。成す術もなし、
そう思われたその時だった。
ひとみの横に、人影が見えた。
美貴はひとみの隣に移動すると、いとも簡単に隠れた扉を探し当ててしまう。
かちゃり、という扉の開く音がした。
「え、どうして…」
「一見複雑そうな構造でも、意外と簡単にできてるものよ」
そう言って美貴はひとみの手を取り、開けた扉を潜り抜ける。
- 8 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:37
- 再び二人は迷路のような裏路地を走り続けた。
道幅は、一人が走り抜けるのがやっとなくらいの狭さにまでなっていた。いっ
いどこまで続いているのだろうか。道はひたすら、奥へ奥へと二人を誘う。
道が入り組むごとに、光は薄れ闇は濃くなってゆく。しかしその闇こそが、自
分を守ってくれる存在のように美貴には思えた。
視界が一気に開ける。そこはやはり、さっきと同じような袋小路だった。
「わかった。ここも隠し扉があるんでしょ」
先に進もうとする美貴に、ひとみは首を横に振ってみせる。
「いや、ここでいいんだよ。ここなら」
ひとみの顔から、表情というものが抜けてゆく。
「誰にも邪魔されることはないから」
次の瞬間、美貴の体に衝撃が走った。
- 9 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:38
- 蹴られた、と気づいたのは美貴が飛ばされて壁に背を打ちつけた時だった。
ずるずると崩れ落ちた美貴は、弱弱しい声でひとみに言葉をぶつける。
「どうして、どうしてなの、よっちゃんさん」
ひとみの言葉は思いのほか簡素なものだった。
「どうしてかって? それはあたしが『機生獣』だからだよ」
「うそ…じゃあ美貴たちを追いかけてた男は」
「さあ。大方あたしに目をつけた警察関係者か何かじゃないの? どっちみち
ミキティーを人目に付かない場所に連れてくには好都合だったけどさ」
ひとみが美貴に歩み寄ってくる。美貴は体を打ったせいか、少しの身動きもで
きずにいた。
「うちらは馬鹿な科学者たちに造られた、人でも、機械でもない存在。それが
個を認識するためにはさ。これしか方法がないんだ」
美貴の襟元を掴んで、持ち上げるひとみ。
「ねえミキティー。心は人なのに、体が人じゃない。そんな存在の気持ちって、
理解できる?」
美貴は無言だった。追い詰められた獲物を狩ることが何よりの楽しみだったひ
とみにはいささか不満足だったが。
「それじゃ、バイバイ、ミキティー」
ひとみは、手のひらにゆっくりと、力を込めていった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/19(日) 23:40
- 一瞬の、出来事だった。
握りつぶしたと思っていた美貴の体が消えたかと思うと、次の瞬間にはひとみ
の背後に回りこんでいた。
「バイバイ、よっちゃんさん」
銀色の刃が、彼女に振り下ろされる。
がきん、という金属音。
「……」
「まさかミキティーが切り裂きジャックだったとはね。でもさ、そんなちゃちな
ジャックナイフは機生獣には通用しないんだ」
「そう」
美貴は表情を変えることなく、今度はひとみの首筋に斜にナイフを滑り込ませた。
「あぐ」
か細いものを、断ち切るような感触。まるで空気が抜けてしまったように、ひと
みは地面に伏し、そして動かなくなった。
首筋に体を統率する全ての神経線の大元が走っていることは、前に手を掛けた機
生獣との経験で学んでいた。
「言ったでしょ。一見複雑そうな構造でも、意外と簡単にできてる、って」
美貴は禍々しく光るジャックナイフを見つめる。血などまったくついていない、
綺麗な刃。おもむろにハンカチを取り出し、刃を自分の腕に走らせ、そして拭っ
た。汚れたハンカチは、ひとみの倒れている場所に投げつけた。
- 11 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:41
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「ねえよっちゃんさん。体は人なのに、心が人じゃない。そんな存在の気持ちっ
て、理解できる?」
美貴の言葉は、風に吹かれてひらひらと舞い、どこかに消えていった。
- 12 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:42
- お
- 13 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:42
- わ
- 14 名前:38 ジャックナイフ 投稿日:2005/06/19(日) 23:42
- り
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