36 プレイバック
- 1 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:00
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36 プレイバック
- 2 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:01
- 暗く淀んだ街を歩いていた。
少しふらつく足取りで、ゆっくりと自宅に向かう。
かつて天下を賑わしたアイドルグループの一員が、
こんな街灯もまばらな道を酔いの冷めないまま歩くなんて。
みじめな現実にはもう、溜め息もつき飽きた。
少し行くと、街灯ではない灯りが見えた。
なんだろう。興味を覚えて目を凝らす。
躓きかけながらもあたしは不思議な引力でその灯りへと引きずり込まれて行った。
小さな机と椅子。スタンドライト。
皺だらけのおばあちゃん。
駅前で手相を見る人のような感じ。
「あんた。思い出の中に帰りたいと思わんかね」
乾いた声でおばあちゃんは言った。
「好きな記憶の世界に入りこめる機械がある。いらんか?」
「好きな記憶…?」
「ああ。楽しかった頃に帰れる。二千円だよ」
楽しかった頃。思い出の中。
それらの言葉に、幾つもの懐かしい顔が蘇る。
もう二度と帰れないと思っていたあの日々。
躊躇いもなく財布に手を伸ばした。
「買うよ。はい、二千円」
「一回につき十分、一生で三回しか使えん。
よく考えて使いな」
「わかった」
紺野あさ美は夢のような出来事に興奮しながら、
さっきより少し明るく見える道を歩いていた。
どうにか家に着き、その箱を開けた。
説明書を流し読みしつつ、書かれている通りに頭に器具を取り付ける。
「えーと…『後は帰りたいと思う記憶を頭の中で強く念じれば、
あなたはその中に帰れます。』か。なんか胡散臭いなぁ…」
とりあえず、十年程前の、あの頃一番大切だった人との記憶に戻ることにした。
- 3 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:02
- 目を開けるとそこはかつて一人暮らししていたマンション。
小川、新垣、高橋の姿が見える。
そしてそれぞれの手には、缶チューハイ。
「それにしてもあさみちゃん、あんな所で泣くとはね」
小川が苦笑しながら言う。
「だってぇ、悔しかったんだよ!」
あさ美の中の自分ではない誰かが、あさ美の口を借りて言う。
まるでプログラミングされてるみたいだ。
言動を変えることは出来ないらしい。
それは、あさ美たちが人生で始めてアルコールを呑んだ日だった。
あさ美の胸に一番焼きついている青春の風景でもある。
「でもほんと、食べ物で泣くのはあさ美ちゃんらしいや」
多少呂律の廻らなくなった新垣が笑って言う。
たしかその日の収録でのことを話していた。
「あーなんかお菓子なくなっちゃったねあたし買ってくるよ」
高橋が言い出して腰を上げる。新垣も彼女に着いて行った。
「はぁ。なんか微妙に眠くなってきたや。お酒のせいかな?」
「えーっ、まだ九時だよ」
かつてのあさ美が時計を見ながら言う。
「そっか。じゃあ頑張る。頑張るついでにトイレ」
「いってらっしゃい」
そして一瞬降りる、砂地に水が沁み込むような沈黙。
- 4 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:03
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♪DO IT NOW あなたが持ってる〜
不意に携帯が鳴った。
背面液晶には今さっき買い物に出て行ったお豆の笑顔。
「もしもし?」
「あさみちゃん、ちょっと外出てきてみなよ。星がすごい綺麗」
「あ、ほんとに? …今麻琴がトイレ行ってるから出てきたら行くよ」
「うん。入り口の所で待ってるから」
面倒くさがる新垣を焚きつけて、あさ美は急いで外へ出た。
このあとのことは今でもよく覚えている。
「ふぁー、外涼しいねぇ。気持ちいいや」
言いながらエントランスに向かうと、あさ美たちを見つけたお豆と高橋が、
早く早くと手招きしている。
すぐ近くの小さな川の土手へ行った。
寝転ぶと視界一杯に、暗い空とぽつりぽつりと光る星。
北海道の夜空に比べればたいしたことはないけれど、
東京でもこんなに綺麗に見えるんだ、と感嘆した記憶がある。
同期の四人で見る星空。それだけで特別なものだった。
- 5 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:03
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ピーーー。電子音が鳴った。
目が覚める。あの頃とは違う六畳間のアパート。
急に溢れだす現実があさ美の前に突きつけられる。
二十代半ばのしがない一人暮らしの寂しさを連れて。
下唇をぎゅっと噛んで、再びあさ美は記憶に帰る。
- 6 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:04
- モーニング娘。が解散してから初めて全員がまた顔を揃えたのは、
最後のコンサートの日から三年後だった。
皮肉にもそれはつんくの葬式でのこと。
これはその時の記憶だ。
「あさ美ちゃんは今何してるの?」
麻琴がカクテルを揺らしながら尋ねる。
「とりあえずフリーターだよ。貯金切り崩しながら。麻琴は?」
「あたしは今大学生。あと先生になりたくて勉強してる」
「先生に? 大学行ってるの?」
「うん。前から先生って憧れてたからさ」
「そっかぁ…」
意外にもちゃんと夢を持っている麻琴に、あさ美はその時随分驚いた。
彼女は解散という現実を糧に変えた。
「れいなちゃんはどうなの?」
麻琴と逆隣にいた田中にも聞いてみる。
「私は実家の方で就職しましたよ。今はOL」
「へえー。どんな感じなの? 厳しい?」
「まぁいろいろ大変ですけどね。
小さいオフィスですけどいい人ばっかりでうまくやってます」
「そっか。よかったねぇ」
「亀ちゃんとしげさんはどうなんだろ。聞いた?」
「絵里はまだ諦めずにオーディションとか受けてるみたいです。
さゆは結婚したとか言ってました」
「おおー。どんな人かな」
「優しくていい人だって言ってましたよ」
こうして人が揃うと嫌でもあの楽しかった頃を思い出してしまう。
そして今との絶望的な距離が見えてしまう。
あさ美は思わず、強制的に記憶の旅を打ち切った。
また帰ってきた現実の世界。まだまだ夜は長い。
何か飲もうと思って立ち上がった時、ふと何か忘れているような気がした。
とても大事なこと。忘れてはいけないこと。
だけど頭の片隅で石化してしまったそれはなかなか溶けない。
- 7 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:05
- 「みなさん今まで本当にどうもありがとうございましたー!!」
涙声の吉澤。
これは最後のライブの映像だ。この中に私の忘れ物があるのだろうか。
ステージを降りるなりみんな泣いた。もちろん昔のあさ美も。
「ほらみんな、泣くなら楽屋に行ってからだよ!」
言う吉澤も当然頬が光っている。
とりあえず楽屋に戻った。
「これで終わりなんて……。寂しいよぉ」
あさ美に抱かれた麻琴は幼子のように泣きじゃくる。
「まだ終わりじゃないよ」
「吉澤さん……?」
「まだ終わりじゃない。やれることはあるよ」
「何ができるって言うんですか」
亀井の拗ねたような反駁。
メンバーの視線が吉澤に集まる。
「みんな娘。続けたいんだよね」
「当たり前です」
「十年。十年経ってもみんなのその気持ちが薄れてないなら
もう一度やり直そうよ
知ってるだろうけど、今はつんくさんとかが圧力かけてて、
今後は芸能活動はできない。でも十年後なら」
つんくは、娘が売れなくなったのはあさ美たちのせいだと思っていた。
才能の枯渇を囁かれるたびにそんなことを言うのをメンバーは時々聞いていた。
その件でのメンバー側との軋轢の結末が解散だったのだ。
つんくは当時メンバーを憎んでいて、各方面に圧力をかけているらしかった。
だんだんと記憶が蘇ってくる。
- 8 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:05
- 「十年も経ったらたとえ圧力がなくたって誰も相手してくれませんよ」
「違うよ小川。原点に戻って、もう一度初めからやり直すんだ」
少しの沈黙。鼻をすする音が絶え間なく鳴る。
「初め、モーニング娘。は手売りでCD売って来たんだ。
そこからまた始めるんだよ」
全員の顔にさまざまな表情が浮かぶ。
でも吉澤は無視するように言った。
「十年後の今日、朝十時に、初めて娘がCD売った場所に集まろう。
そして歌作って音源録って、また手売りから始めようよ」
ピーーー。電子音。この機械はもう使えない。
あさ美は狭い部屋の中でしばらく佇んでいた。
雨が降り出した音で我に返って、当時の手帳を探す。
何も考えられなかった。
手帳はすぐに見つかった。焦りながら頁を捲る。
赤く一際目立つ装飾をされた日付があった。
十年前の、明後日だった。
- 9 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:06
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少し肌寒い日曜日。
あさ美は駅の階段を下りていた。
十年前の約束の場所へと急いで。
初めて行く場所だったけれど、ちゃんと調べてきたから大丈夫なはずだ。
何度か元メンバーたちに連絡しようかとも思ったけれど
結局は出来なかった。
それでもしかしたら誰もいないのでは、
みんな忘れているのではという不安もあった。
駅前の歩行者用のスペース。その片隅へと早足で行く。
……いない。いなかった。知らない人々の流れの中であさ美はうなだれた。
「あさ美ちゃん、遅いよー」
不意に後ろから声がかかり、手を引かれた。
「……麻琴!」
「集合場所は向こうだよ。皆待ってるんだから」
引っ張られるままに行くと、そこには懐かしい顔が一人も欠けることなく揃っていた。
七年前と少しも変わらない笑顔のままで。
「……遅れてごめんなさい。これからもよろしく」
「まあいいよ。さぁみんな、作戦会議に行こう」
吉澤さんの掛け声と共に、
あさ美たちは新しくも懐かしいい一歩を踏み出そうとしていた。
- 10 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:06
- おわり
- 11 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:06
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- 12 名前:36 プレイバック 投稿日:2005/06/19(日) 23:06
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