34 閉じた瞳
- 1 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:09
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34 閉じた瞳
- 2 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:13
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玄関のドアが開く。
「ん、いらっしゃい」
ノブを握っている後藤が言う。笑顔でも無愛想でもなく。
「ちは」
吉澤は軽く手を挙げた。
「ま、上がりなよ」
「ういっす、お邪魔します」
後藤はすでにドアを開けるために履いたサンダルを脱いで廊下を自室に向かっている。
お邪魔しまーす、吉澤は小さく再度繰り返してスニーカーを脱ぐと、
側に備えてあるスリッパを後藤同様履かずに素足で上がる。
「あら、ひとみちゃん久しぶりね」
居間の前を通りすぎるとき、後藤の母親に声をかけられた。
吉澤はぺこりと頭を下げて、
「あ、どうも、ご無沙汰してます。お邪魔します」
「いらっしゃい」
それから廊下の先、階段を見上げるがすでに後藤の姿は見えない。
がららとふすまの開く音が聞こえた。が、閉める音は続かなかった。
吉澤は急ぐでもなく、もう一度相手に頭を下げてから足を進める。
階段を登りすぐの角を曲がると、後藤に部屋が口を開いていた。
特に声をかけず中に入り、後ろ手で閉めた。滑りが悪いので心持ち浮かせた。
すでに寝転んでいる後藤の前に置かれた色違いのクッションにどすん、音を立てて座る。
- 3 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:14
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「いやあ、ごっちんの部屋って久しぶりの気がするなあ」
んん? 後藤が手に取っていたマンガのコミックスから顔を上げると、吉澤は部屋を見回している。
「何か違う? 特にないと思うけど」
「そうね、前ん時のまんまかな」
「前来たのいつだっけ?」
「さあ、いつ?」
「分かんない、あんま経ってないんじゃない?」
「そうかもね」
またマンガを読み出している後藤に倣って、積んであるのを手にとってみるが、
新しいものではなかった。小学生の頃に読んだ気がする。
「どしたのこれ?」
パラパラとページを繰りながら聞くと、
「んんー? 古本屋入ったらさ、まとまって売ってた。全45巻」
「45っておい」
「何か読みたくなってさ」
ふーん、吉澤は他の巻に持ち替えこれも開くが、あまり興味が無いのか元に戻した。
真希ー、下から声がかかる。
「はーい」
後藤は聞こえるように返事すると、よいしょ、起き上がって部屋を出て行く。
どたたと階段を降りていくのが分かった。
吉澤は上体を倒し、ベットに寄りかかる。天井が目に入った。
「あれ、明かりお洒落になってら」
シーリングタイプの照明を見ながら呟く。強い光に目を閉じた。
- 4 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:18
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「うぁっ」
吉澤は跳ね起きる。そして周りを見回した。
「ああ、ごっちんちか」
時計の短針が一つ進んでいた。
「いらっしゃい」
後藤は顔も上げず、買ってきたマンガを読み続ける。
コミックスを積んだ山の高さが逆転している。
彼女は皿に盛ったピスタチオを一つ取って、片手で器用に割ると実を口に放った。
アイスミルクティらしきものをごくっと飲む。
吉澤は自分の側にも同じものを見つける。
体を預けていた後藤のベットから起きてグラスを持った。表面に水滴が浮かんでいて手が濡れた。
親指で少し拭くと、そこから滴が手のひらを伝って手首を流れた。
吉澤はグラスを口へ持っていき傾ける。喉が渇いていたのか、ごくりごくりと一気に飲んだ。
後藤のよりも大きなグラスだったが、半分ほど消えた。
後藤のはまだ3分の1ほどしか減っていない。
彼女はページを繰り、ピスタチオをまた一つ食べる。
殻を捨てるついでに、軽く皿を押した。
吉澤は一粒手に取る。
ぴきと殻を割るのと同時に側で紙の擦れる音を立った。
吉澤はまた部屋を眺めた。
後藤は大きな色違いのクッションにうつ伏せに寝転んでマンガを読んでいる。
覆いをした水槽の中で生き物ががさりと音を立てる。階下からは笑い声。
後藤を見る。彼女はページを繰り、ピスタチオを食べる。
天井を見る。シーリングライトはまだ新しい。
蛍光灯自体も新品らしく眩しさに視線を外し戻すと、後藤が見ていた。
- 5 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:20
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「何?」
吉澤は聞く。
「別に。よしここそどうしたの?」
「いや、明かり変わったなあって……」
すると後藤は身を捩って、
「ああ、あれね。お母さんが買ったんだけど、お母さんの部屋にうまく付かなくってさ」
「あらら」
「て言っても金具のとこちょっといじれば行けそうだったんだけど、もういい真希にあげるって」
「もうけじゃん」
「あたしは」
言いながら後藤は元の姿勢に戻る。
微調整のためにクッションを手で引っ張り、よっよっと体を二度ほど少し浮かせた。
「別に前ので構わなかったけどね」
ページを繰る音。
「ふーん」
吉澤はまたベットに上体を預ける。
頭をぐっと押し付けると柔らかく跳ね返された。
「お代わり取って来ようか?」
後藤に尋ねられる。
吉澤はいつの間にか手にしていたグラスを確認する。もう氷しかなかった。
「ううん、いいや」
グラスを置く。
「そ」
後藤は自分の分をこくんと口に含んだ。
また1ページ進む。
吉澤はベットから体を起こす。
クッションの端を手で捩り、間に挟まったほこりを払った。
それから尻をもぞもぞを動かして中央に座りなおした。
「あのさ、ごっちん……」
言いながら電源の入っていないテレビを見ている。
暗い画面に寝そべった後藤とその奥からまっすぐ見返す自分が映っていた。
- 6 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:23
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「なに?」
後藤は顔を上げずに聞く。
「あの、さ……」
「うん?」
吉澤は画面を見ている。
「あれさ……」
するとその中で後藤の頭が吉澤の方へ向いた。
「あー、やっぱもう一杯もらえる?」
目を空のグラスへやった。音が途切れる。
ページを繰る音も殻の割れる音もアイスティが咽喉を越す音も一時なくなった。
階下からの笑い声もない。
すると手にしたグラスの中で氷がかららと位置を変えた。
コミックスの床に置かれる音がそれに続いた。
「いいよ、取ってくる」
後藤は言って、立ち上がる。
しかしそこから動く気配がなく、
「ん」
声に吉澤は顔を上げる。後藤が手を差し出していた。
引き寄せられるように手が近づくが、
「じゃなくって」
笑う後藤の手は横にずれて逃げた。
「グラス頂戴」
「ああ、ゴメン……」
吉澤は反対の手にあるものを渡した。
- 7 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:27
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今テレビの電源は付けられている。
後藤がDVDをプレイヤーにセットしていた。
吉澤はまた並々注がれたグラスを手にベットに寄りかかっていた。
「スイッチオン」
後藤がリモコン片手に戻ってきて、隣に座った。
何やら他の映画の予告編らしきものが流れている。
後藤は大分減ったピスタチオの皿を二人の間に移してから自分もベットに体を預ける。
二人分の重みで沈み、お互いの肩が当たった。
全米ナンバー1の文字を見つつ、吉澤は体勢を直した。それから口を開く。
「最近どう?」
「どうって?」
後藤も前を見ながら、手で殻を割り応じる。
「そうだな、仕事とか……」
「どうだろねえ、ガンガンてわけじゃないけど」
「うん」
「まあ、それなりにやってるんじゃない?」
「そっか」
「そうっすね」
「なら良かった」
- 8 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:28
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「よしこは?」
「ん?」
「よしこは最近どうなのよ?」
「どうって?」
「うーん、最近の娘。」
「娘。」
「やぐっちゃんとか」
「矢口さんかあ……」
「新メンの子、小春ちゃんだっけ、とか」
「小春かあ……」
「あ、ガッタス優勝したね」
「ごっちんいないんだもん」
「へへ、外されちゃいました」
「まったく、だから全部……」
「ん?」
「ううん」
「あ、梨華ちゃんの卒業があった」
「忘れてたんかい君」
「いやいや忘れてはないけど、でも梨華ちゃんも卒業だ」
「そうだね……」
「それでどうなの?」
「ん?」
「最近の娘。は?」
「ああ……いや、みんな頑張ってるし、いい感じだよ」
「そう?」
「うん」
「そっか」
「そう……」
「あ、やっと始まる」
画面が静止して「本編」の文字が現れていた。
- 9 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:34
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後藤がリモコンを操作すると動き始めた。
人が二人黙々と作業している。金属のぶつかる音は響くが、声は発せられない。
吉澤はテレビに注目したままアイスティをごくごくと飲んだ。
横からはピスタチオの殻を割る音。
すると画面の一人が少し離れたところの相手へ顔を上げた。息を吸い込む。
Hey,Jonny……
うわ、吉澤と後藤は一緒に声を上げた。
Be careful……
「ごっちん、字幕出てない」
「わあ、ゴメンゴメン」
後藤は放り投げていたリモコンを慌てて掴むと、メニュー画面を呼び出して字幕の設定を「あり」にする。
そして会話が始まるところまで早送り。再生。
”Hey,Jonny……”
「あれ?」
「字幕英語にしたね」
「うそー」
再びメニュー画面。
「あれ? どれ?」
後藤が格闘しているのを尻目に、吉澤はマンガ本に手を伸ばす。
「あれだね、翻訳こんにゃくとかあったらいいのにね」
「え?」
ピ、再生ボタンを押した後藤は振り返る。
吉澤はネコ型ロボットの絵が表紙のコミックスを示した。
- 10 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:43
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「ああ」
納得して後藤が頷く。
吉澤はその相手に笑いかけて、
「これ一家に一台、一人? いたら便利だよねえ」
「まあそう……そうかなあ?」
「ん? ごっちん欲しくないの? マンガこんな大量に買っといて」
「面白いから買ったけど、あたし別に実際いて欲しいとかないなあ」
「そう? 翻訳こんにゃく便利だよ。こういう映画見るのにすげえいいじゃん」
「これだってちゃんと字幕付いてるから、ほら」
”おい、ジョニー……”
「あまりいらないかもあたし」
「珍しいね、誰でも一度は思いそうだけどなあ」
「そうかねえ」
後藤は考え込んだと思うと、あっと呟いて、
「それにあたし未来の道具ならもう持ってるし」
と笑った。
「は?」
「一つだけどね」
「何を? どこでもドア? タイムマシン?」
吉澤はからかうように言ってテレビから視線を外した。
見ると後藤はピスタチオを一粒取ってスウェットのポケットに仕舞うところだった。
「何し」
「ぶおく、真希えもんですっ」
沈黙。
「……映画見ようか」
吉澤は再びテレビの方へ向く。
「こら、無視すんなバカよしこ」
横目で見る後藤のほほが赤くなっていた。
吉澤は噴出すのを堪えながら後藤と向き合い、
「わあ、真希えもんだあ」
棒読みで言った。
- 11 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:46
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「もういい……」
後藤がのそのそとベットに登ろうとする。
吉澤はその足を掴んで、
「うそうそ、ゴメン真希えもん」
クッションの上に引き戻した。
「謝ってる感じゼロなんですけど……」
「ゴメンって。それより真希えもん、道具出してよう」
バカよしこ、後藤はぶつぶつと呟きながらポケットを探る。そして勢い良く拳を突き上げた。
「テレパしいぃぃ」
「テレパシー?」
心持ちいじめられっ子の声(古いバージョンで)を真似して吉澤は聞く。
が、真希えもんは大きく首を振った。
「シー、じゃなくて、しい。テレパしい」
そう言って手の中のものを渡した。ピスタチオ。
「どうしろと……」
吉澤は半笑いで他のより幾らか大きめのそれをいじくる。
「食べるんだよ、よし太君」
「よし太君……」
「さあさあ」
後藤が手で催促する。
ふう、吉澤は一息ついてから殻を割り実を口に入れた。咀嚼し、飲み下した。
沈黙。
「……真希えもーん、何も起こらないよ」
「ええ、ウソ? おっかしいなあ」
「はあ? なんだよ、オチ無いのかよ」
「ゴメン、ゴメン」
にしし、笑いながら後藤は謝る。
- 12 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:54
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真希えもん使えねえ、気抜けしてテレビを見ると一人が血まみれになっていた。
「わ、ほら、映画進んでるじゃん」
「ありゃ、最初から見よっか」
リモコンは遠くの方へ飛んでいた。後藤は立って取りに行く。
吉澤はマンガを山に戻すとベットに寄りかかって一人観る体勢をしっかりと作った。
「お待たせ」
”おい、ジョニー”
お望みの時点を探し出した後藤が戻ってきて隣に腰掛ける。
ベットの端がぐんと沈む。二人の肩が当たり、勢いで髪が触れ合った。
とと、吉澤は傾いた体をまっすぐにしようとする。
しかし後藤の頭が追ってきて、ぴたりとくっつく。
「あれ?」
吉澤が疑問を発する前に後藤が言った。
「ん? どしたごっちん?」
「よし太君の声が聞こえるよ」
「は?」
体を離そうとすると後藤がまた追ってきた。
「よし太君の心の声」
「あたしの?」
「うん」
吉澤の頭に後藤の手が回ってきて、額が合わせられる。
くしゃと二人の前髪が乱れ、吉澤のまぶたをくすぐった。
「はは、ごっちん」
上目で相手の様子を見やった。後藤は目を閉じている。
微笑んでいるが、からかっているようには見えなかった。
その口が動く。
「よしこの心の声、あたしにはちゃんと聞こえてるよ」
くしゃ、前髪がやはりくすぐったくて、吉澤もまぶたを下ろした。
- 13 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:54
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ごっちん、
- 14 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:55
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あのね……
- 15 名前: 投稿日:2005/06/19(日) 22:55
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おわり
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