32 砂上の王国

1 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:52


32 砂上の王国

2 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:55
シャワーで体の汚れをきれいに落とした後、
窓の外の景色に向かって背伸びをしてみたら、
体の節々に痛みが残っていることに気がついた。
きっと昼間に重いものを運んだせいだ。
結構な重労働だった。

「うふふ……」
でもその時のことを思い出すと、自然と口から笑いがこぼれてしまう。

さゆに今日のことを話したら喜んでくれるかな。
えりはすごいねって、また笑ってもらえるだろうか。

はぁ、とため息を一つ、つく。
さゆと会わなくなってから、一体どれくらいの月日が過ぎたのだろう。
3 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:55
視界に入った部屋の隅に反応して湧き上がる衝動を抑えながら、
ベッドの上に戻り、読みかけの本とメガネに手を伸ばす。
が、集中できずにすぐに諦める。
眠れなかった。

やぐっつぁん。
ぼうっとしていたら、唐突にあの人のことが思い浮かんだ。
というか、最近は気がつくとよくあの人のことを考えている気がする。

だってあの人は、いきなり目の前から姿を消してしまった。
全てを受け入れているものだとばかり思っていた。
矢口さんらしい。と何故か周りの人たちは口を揃えて言ったけれど、
私にはよくわからなかった。

あの人が姿を消した後、こちらにもたらされる情報は、
新聞やテレビから流れてくるものと大して変わりの無いものばかりだった。
以来、あの人の名前は内輪でも禁句みたいになっている。
4 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:56
禁句と言えば、以前、何だったか。あの人のことを皆で笑ったことがあった。
大した意味なんてなく、内容はもうよく覚えていない。
ただ、その時あの人の言った「あんたもいずれ同じ目にあうよ」という、
今にしてみればまるで呪いのような言葉は覚えている。
確か私はそれでも、まさか、とまた笑った。
もしかしたらそんな時にも、あの人は密かに傷ついていたのかもしれない。

ぶん、と突然部屋が鳴り、びくりとする。
エアコンから暖かい空気が流れ出していた。

窓の外から流れ込んでくる風に当たって体が冷えていた。
夜はまだ肌寒い。
私は再びベッドを降り、窓を閉めてカーテンを閉じた。

そのとき、外の景色にどこか違和感を覚えたけれど、
あまり気にはしなかった。
5 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:56
外の音が入ってこなくなると、
部屋の中が案外うるさかったことに気がつく。
エアコン、時計。蛍光灯。
そういえば以前読んだ古い本にも、こんなシーンがあった。

男の子らしい部屋。床にはおもちゃや漫画やリモコンが散乱している。
その中心で男の子が、暇にあかせて分解してしまった自転車を黙々と組み直している。
やがて男の子はセリフも完璧に覚えてしまったビデオが耳障りで、
横のテレビのスイッチを切るのだが、
しばらくして沈黙に耐えられなくなり、叫び出し、
突然掛かってきた電話の受話器にむさぼるように飛びつく。

相手はその部屋を管理している中央コンピューター。
内容は、彼以外の生存者はまだ見つかっていない、という、いつもの知らせだった。
男の子は、人類最後の一人だった。

最終戦争。などといった言葉が、リアリティを持って語られていた時代の話だ。
人類は欲望のまま機械文明を発展させ続け、やがてその欲望により自ら滅びる。
そんな世界観がかつて流行したらしい。
6 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:57
身近な人たちをすべて失ったはずの男の子は、それには意外と冷めていた。
でも、同年代の遊び友達がいないことに退屈していた。

やけに人間的な喋り方をするそのコンピューターは、
かつての主人であった人類の男の子を尊重しつつも、
人類がいかにコストのかかり、非効率な存在であったかを冷静に語る。
男の子はコンピューターの無感情さ(あたりまえなのだけど)にむかつきつつも、
寂しさから彼を無視することができない。

動くものは、いる。でもそれは環境管理のためのロボット達であり、人間ではない。
部屋の中は娯楽に溢れ返っている。でも人間は、自分たった一人。
私だったら耐えられるだろうか。

やがて「人間様」の男の子は、
コンピューターのちょっとした「ユーモア」が癇に障って、わめき散らし、物にあたる。
しかしコンピューターは変わらず冷静に、機械が、自然が、地球が、
これまで人類に対していかに寛大であったかをまた語り始める。
そして、今やあなたは私に生かされている存在にすぎないのだ、と。

そうしてコンピューターは、ついに……、ついに……。
……あれ? この話のラスト、どうなるんだっけ。

そこでふと気がついた。
カーテンを閉めたとき、窓の外にあった違和感。
動くものは、あったような気がする。でも、人の気配はあっただろうか。
7 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:57


 * * *

8 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:57
ベッドに腰掛けてテレビを見ていた。
内容はよくわからない。
ただ、人がたくさん出ていて、動いていた。

不意にカーテンの向こうで、こつ、と音がする。
「亀井ちゃん。亀井ちゃん」
覚えのある声にカーテンを開けてみると、
窓の外に矢口さんがいた。

「矢口……さん? 何してるんですか?」
「むかえに来たんだよ」
「むかえ……?」
私に向かって手を差し出す。
思わずその手を取ると、矢口さんはふっと笑った。
「おいで」
9 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:58
「ど、どこへ……行くんですか?」
「見つけたのさ」
「何を?」
「いいから」
初めて見る矢口さんの表情に私はぞっとして、体を硬くした。
「や……」
「おいでよ」
急に手に力がこもった。恐ろしい力だった。
「や……! さゆ!」

窓枠にかけたもう片方の手を突っ張り、抵抗した。
すると、矢口さんの腕の皮膚がずるりと剥がれた。
その下には……機械。
「どうしたの?」
矢口さんは不思議そうな顔をする。
「いや!」
「亀ちゃんがこうなることを望んだんじゃないか」
矢口さんの顔の端が溶けていた。その下にもまた、機械。
「亀ちゃんも、もうすぐ私と同じになる。これは亀ちゃんの選んだことだよ」

私の手を離れた矢口さんの体が暗闇に落ちていく。
消えかけた半分機械の顔は、笑っていた。
10 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:59


 * * *

11 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 20:59
そこで目が覚めた。
変わらぬ、誰もいない部屋。

体中に汗をかいている。
本のラストを思い出そうとしているうちに、ウトウトと寝てしまっていたのだ。
せっかくのお気に入りのパジャマが台無しだった。

蛇口をひねり、コップの水を一気に飲み干す。
怖い夢だった。

矢口さんの体の中が機械に。いや、
まるで内側から機械に食べられているように、私には見えた。
思い出して体がぶるっと震える。
腕を触り、自分の皮膚の下は柔らかいことを確かめる。

立ったついでに、トイレに行く。
済ませた後、驚くほど大きい音をたてて水が吸い込まれていくのが急に恐ろしくなって、
急いでトイレを出てドアを閉めた。
水の奥から何かが這い上がってくるような恐怖を感じた。
12 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:00
どうしてあんな夢を見てしまったのだろう。
機械。
無意識のうちに、矢口さんをあの男の子に重ねてしまったのかもしれない、と思った。
次々と消えていくかつての仲間たちを横目に、ただ一人、娘。の中に残される。
私の思っていた以上に、あの人は孤独を感じていたのかもしれない。
その孤独を埋めるには、自らも機械になっていくしかなかった。

「絵里は一人で平気なの?」
「さゆ、一人で大丈夫?」と聞いたとき、彼女はそう答えた。
彼女は、私が思っているよりもずっと大人だった。

この部屋は一人には広すぎる。
意味もなく、片付けをはじめた。
何かをしていないと頭がおかしくなってしまいそうだった。

近くに転がっていた木製のハンガーに手を伸ばし、
椅子の上に脱いだままになっているしわくちゃの服を引き寄せる。
荷物を運ぶのに使った大きなトランクケースも、開けっ放したままだった。
13 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:00
かち、かち、と、どこかにある時計がうるさい。
エアコンが、ごう、とまた鳴る。
耳を澄ませば澄ますほど聞こえてくるのは機械の音ばかりで、
人の気配はどこにも無い。

気が狂ってしまいそうだった。
誰かに連絡をとりたくてもとれない。
暖かい血の通った人間はみんな、私の前から消えていく。

「どうして絵里を一人にするの?」
自分の声だけが虚しく部屋に響いた。

一人になりたくないのに。
私の何が悪かったんだろう。
どうしてみんな私から離れていくのだろう。
私のせいなの?
なぜ?
14 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:00
不意に携帯が鳴った。
一瞬心臓が止まりそうになったけれど、
それよりも飛びつくようにしてケータイを手にとり、画面を見た。
「……さゆ?」

『えり! 起きた?』
紛れもない、彼女の声だった。
「う、うん。それよりさゆ、こんな時間に大丈夫なの? あ、時差?」
『えり! あのね、時間が無いから落ち着いて聞いて!』
彼女の声が焦っている。
まるでどこからか走ってきたかのように、息を切らしている。
「何? さゆのほうが落ち着いて」
『いいから聞いて!』
「う、うん」
『あのね――きゃあ!!』
切り裂くような悲鳴だった。
「さゆ!? ……さゆ!」
携帯が切れた。

慌ててすぐに掛け直す。けれど、
『ただいまお掛けになった電話は、現在――』
「……なに?」
15 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:03
そのときだった。
ドアのほうで物音がした。

「……やぐち、さん?」

手にしたままだったハンガーを包丁のように構えて強く握り、
恐る恐るドアに近づいた。

ドアの外で、何かが動いているような気がした。
肩が震える。あの夢を思い出して、ドアを開けられない。
もし、もし、ドアを開けてその外に――

かちゃ、と、外で機械の動く音がした。
私は弾かれるようにドアの前から逃げ出し、またベッドの上に戻った。
テレビをつける。外の気配が気になってまた消す。
わけも分からず、そんなことを無我夢中で繰り返した。
16 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:06
ドアの向こうで機械がうごめいている姿が思い浮かんだ。
何ものかがドアの鍵を開けようとしている。
私は何も考えようとしなかった。

叫ばなかった。
逃げようともしなかった。
声なんて出なかった。
ベッドの上で体を震わせながら私はただ両手で頭を抱えるようにして、
夢なら早く覚めてと強く心に願った。
夢だ。これは夢なんだ。と。

けれど、無情にもがちゃりと鍵は鳴り、ゆっくりと、ドアの開く気配がした。
私のいるベッドからドアは見えない。
ただ、覚えのある二人の囁き声だけが耳に入ってきた。

「あれ? 起きてる?」
「……なんでこんなとこにハンガーあるの」
17 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:06


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18 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:06
「まあ、とりあえず、田中っち大成功。亀ビミョウということで……」

「はい、OKでーす!」
ADさんの掛け声とともに、
ドアの周辺に固まっていたハロモニ。スタッフさんたちの緊張がほどけていく。
かちゃかちゃと、機材を片付けていく音が耳に入る。
私は他人事のように、その光景をぼーっと眺めていた。

『ごめん、えり〜。
 こっそり教えてあげようと思ったんだけど見つかっちゃったの〜』
沖縄にいるさゆが携帯の向こうで、
すっぴん顔をカメラに撮られてしまったとか、
吉澤さんに携帯の電源を切られてしまったとか喋っている。

なんでか楽しそうに謝っているマネージャーさんを恨みがましく横目で睨みながら、
もう、矢口さんの寝起き映像を見ても、笑えないなと思った。
19 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:07


 * * *

20 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:07
しばらくして、やっと気分が落ち着いてきて、
あの本のラストを、ふと思い出した。

彼は最後、旅に出るのだった。
庇護者であり召使いであったコンピューターは何も言わず、ただ見守っている。
クレーターだらけの僻地の真ん中にぽつんと建てられた、
やけに立派な一軒家の玄関から、彼はたった一人、足を踏み出す。
孤独からの開放を求めて。

ぶん、とエアコンが鳴った。
人が多いせいか、今は冷たい風を吐き出している。
いつの間にか、夜も明けていた。

「だけどなあ〜んで起きてるかなあ」
「ねえ? いつもはよく寝てるのにぃ」
「ね、ね、絶対二人でハロモニ訴えよ。ね、えり」

めちゃくちゃ嬉しそうにニヤついている意外に重いペチャパイさんと、
妙に不満げな眉毛さんとれいなを見ながら、
荒野に一人旅立つ彼らに幸あれ。と、心から思った。
21 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:07




22 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:08




23 名前:32 砂上の王国 投稿日:2005/06/19(日) 21:08


 砂上の王国


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