24 ピッチャー返し

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 00:04
24 ピッチャー返し
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 00:05
緑のネットを雨が滴り落ちて行く。
吉澤は右バッターボックスに入って、デコボコになったバットを構える。

「―ねぇ、よっすぃー」
「何ですかー?」

鈍い音を立ててボールは彼女のほぼ真上へと上がる。

「映画見るんじゃなかったの?」
「あー…映画ですよねぇ、映画…」

タンタンタンタンタン。
旧型のピッチングマシーンが一球投げる度、今にも壊れそうなくらい反動で前後に揺られる。
カキンッ。

「おっ」

白球とは呼べなくなったボールが何台も並ぶマシーンのネット目掛けて一直線に飛んで行く。

「聞いてるのかよー」
「聞いてますよ、聞いてます」
「え・い・が」
「そうですね、映画、映画」

使い古されたマシーンから放たれるボールはストレートのみのはずが、吉澤の足元で少し沈む。

「わっ、ずりぃ」

振り出されたバットだけが空を切る。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 00:06
「矢口さんもやりますか?
 意外と燃えますよ」

構え直しながら矢口の方へちらりと視線を向ける。

「…やだ。汗かくじゃん」
「いいじゃないっすか。せっかく夏なんだし」
「まだ梅雨。夏じゃないよ」
「吉澤の中では梅雨は夏の一部なんです」

す、に力が込められてそれと同時にバッティング音が響く。
右へと大きく切れて行くボールがネットに当たって揺らせ、一面を一瞬豪雨にする。

「えー…梅雨は春の一部だろー」
「こんなあっついのにっすか」
「紫陽花の色は夏って感じじゃないしさ」
「どんな基準なんすかー」
「矢口基準」
「自由だなぁー」

思わず息を吐き出して笑う。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 00:06
「じゃあ、映画は夏になったら行きましょうよ」
「別にそれでもいいけどさー…。
 今から行こうよ」

20球を投げ終えて静止したマシーンのアームが、早く次の勝負しようぜと言わんばかりにじっとこちらを見ているような気がした。

「今からっすかー。
 それだと絶対吉澤寝ちゃいますよ。
 体力使った後だし」
「…なんだよーせっかく映画館にいるのに」

今頃ふたつ下の階ではふたりが見るはずだった映画が序盤から中盤へと入ろうとしている頃だろう。

「せっかくバッティングセンターにいるんですから、矢口さんもやりましょうよ。
 んで、いい感じに疲れたところで帰ってお昼寝にしましょう、そうしましょう」

吉澤は手に持ったバットをネット裏の矢口に差し出す。

「おいらやった事ないぞ」
「だいじょーぶですよ。
 コツはただひとつです」
「何?」
「ピッチャー返し、です。
 別に技術の問題じゃないんで。頭の中でそう唱えるだけでいいんです」
「ピッチャー返し、ねぇ」
「はい。
 あ、ピッチャーはあれですよ、あの網の開いてるところ」
「分かってるよ」
「ですね」

吉澤は百円玉を二枚ボックスに入れてネットの裏へと降りる。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 00:08
ガコっと音がして、ベルトコンベアーが動き始める。
当たり前の、ど真ん中ストレート。
鉄臭いバットを振り出して、唱える。

「ピッチャー返し…」

ぐねっと出たバットの先をチッと掠めてそのまま後方のネットに吸い込まれる。

「矢口さん惜しいっすよ、惜しい」
「ほんとかよー。
 ていうかほんとに前に飛ぶのかよこれで」
「飛びますって、ほんとに。
 次、来ますよ」

バットを構える。
足りないスタンスは見逃す事にして。
想いだけは一人前に。

「ピッチャー返し」

出遅れたバットはボールが通り過ぎてから振り切られる。
次も、次も、その次も。
ボールはなかなか前には飛んでくれない。

「…ムカつく」

首を振って顔にかかる髪を除ける。
背筋が伸びて、少しずつスタンスが広がり始める。
たぶんもう、映画の事なんてすっかり忘れてしまっているはずだ。

「まだ行けますか?」
「全然」

銀のバットを握る手が少しだけ筋張る。

「ピッチャー…返し」

彼女の事だ。
もうすぐ、この雨の先へその打球が勢いよく飛んで行くはず。
きっと、もうすぐ。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 00:08
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 00:08
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8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 00:08

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