21 ねじまきシグナル
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:46
- 21 ねじまきシグナル
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:47
- 白い。と思った。思ったというより感じたというべきか、とにかく次の瞬間には全部なくなって。ただどこからかキィンという高い電子音だけが聞こえていた。それが耳の奥をくすぐって痒くてたまらなくて鬱陶しかった。
「やめんの、」
顔の角度をすこし上げると相手は相変わらず、まあ当然そこに立っているままだった。でも顔は見られなくて、その見慣れた黒いティーシャツの胸のあたりで視線を止めて何も言えずにいると真希がくすり、と笑うのが聞こえた。
「いいよ。こっちはべつに」と言った。
それは少し、早口で。声が震えていないか耳を澄ませていた自分は何なんだろう、と思った。そしてその次に出てきた少しがっかりした感情も。
ここまできてまだ縋りつきたいと思うのは止められないのだからどうしようもないのだろう。さっき手を離したのは確かにこっちだったのに。何日も何週間も考えた末の結論だったのに、その言葉ひとつですべてがまっさらに洗い直されてしまうのだから。
弱くて、どうしようもなく弱くて、それでも首輪を握っているのは自分のほうだった。
放せばふらふらとどこかへ行ってしまうのなんて多分、じゃなくて確実に予想できた。その唯一のかたちあるものが細い指から抜かれて、瞬間、投げつけられたのに眩暈すら覚えて。
それでも終わりにすると決めた。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:47
- 吉澤がその隣の席に座ったのはもうおよそ一年前で、それでも未だ笑えるほどくっきりと焼き付けられている映像。その茶色くてまっすぐな髪を触りたいと思ったことも黒い瞳に溺れる様に引き込まれたことも全部、全部まだここにあった。
ちょっと待って何かやばい。こんな人同学年にいたっけとしばし考えている間に真希はふいと視線を窓の外へと移した。視線がぶつかったのはほんの数秒、それでも。
止められなくなるまでにそんなに時間はいらなかった。
相手はオンナだとかそういうことを頭に引っかからせる理性さえ、どこかに吹き飛んでいた。つーかこんな男いないって。つまりはそれだけのこと。
思えば契約とか約束とか、繋ぎとめるための言葉なんて何もなくて。
ただ誕生日にあげたシルバーのリングがその細い薬指でわずかに自信と安心になっていた。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:48
- 「ヤ……ん、」
途切れ途切れに真希が息を吐いた。くっと張り詰めたものを少しずつ和らげるように、それに合わせて吉澤の指がもっと速く、深く動いて。
ただ熱だけが支配する狭い部屋に、心臓の音が怖いくらいに響いた。
「いや、だ……っ」
無意識なのかそれとも、発せられる言葉は常に否定で。そして同時に爪が吉澤の背中を刺した。またか、と思うと同時に真希が肩に噛み付いてきて、その鋭くて甘い痛みに思わず声を漏らして。
「いた、ぁ…っ、ちょ…」
「ん、ッあ、…!」
いつからか薄く色のついた真希の瞳が、切なげに潤んでその先、ただ見つめた。
その瞳が本当はどこも見ていないのとか、だけど本気で拒否してる訳じゃないのとか、本当はちゃんと分かっていて。それでも痛みに酔えてしまうのだから仕方がなかった。痕を残してくれれば証拠になるとかそんなことすらも思ったりして。
「も、やぁ…ッ!」
手のひらが翻ったと同時に右頬、バシッと音を立てて落ちた。数秒遅れでひりりと、またあの甘美な棘。
抱きしめる以外に知らなかった。だからずっと抱きしめていた。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:48
- 季節が次々と彩を変えてゆく間にもいっこうに二人の温度差は縮まらずに。
こんなに恋愛下手だったっけ。そうひとりごちる回数すら覚えていないほど。
「つーかそれ、よっちゃんのことべつに好きでないんでないの」
遠慮なく突っ込みながら藤本が学食のラーメンを啜った。向かいで大根サラダをつっついている吉澤は腕を伸ばしてその頬を軽く突っついてやった。
「いや、好きだと思うけどね」
「じゃーいいんじゃん」
「でもこっちが好きなほど好かれてないっつーか……まあ素直じゃないのも可愛いから」
ふーん。
どうでもよさそうに流してから、藤本が吉澤の顔をふと、見やって。
「笑わないと駄目とかルール作られてんの?」
「は?」きょとん、と訊きかえすと藤本は耳にひとつだけ光るピアスをいじりながら少しだけ肩を竦めた。
「すんごい笑顔。最近どーなのそれ、不自然」
ずばずば物を言うのは避けられがちな長所か。吉澤も藤本のそういうところを気に入ってはいるのだけれどいざとなると頭が痛かった。だってあいつ無表情なんだもん。あたしまで暗い顔してたらちょっとマズイから笑顔は必要でしょーとかなんとかできるだけ気楽そうに言ってみると相手はだるそうに頷いて席を立った。
いいように操られてるんじゃん。と言うのに、追いかけてその肩を抱いてニッと笑って。
「機械になるか獣になるかだったらおとなしい方が好かれるじゃん?」
ただ回された腕だけ振り払わずに「頑張って」と呟いたのに少しだけ救われた。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:49
- 今朝投げられた目覚まし時計が直撃した目の下、不吉な色はやはり目立った。よっすぃーまたそれどーしたの、とのんきなクラスメイトに聞かれるのに曖昧に笑い、弟と喧嘩してさーなんて架空の人物を登場させてみたりして。
吉澤はただ笑って。笑いながら、教室のドアを開けていつもの席へと向かった。
どうにもならないことなど分かっていたのだ。進めば進むほど袋小路にとらわれて絡まって、動けなくなること。しかしこいつとなら閉じ込められてもいいと甘ったるい考えをしてしまうたび、吉澤はひとり苦笑した。
本当は、違うのだ。
首の絞まっていくのは自分ひとりで、ただ、それでも笑っていなければいけないのも自分ひとりで。
惚れたもん負けってこういうことですかーと誰にともなくぼやきながら窓際の最後列に腰を下ろした。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:49
- 何回かの席替えでシャッフルされた机は真希と吉澤をあっさり引き離して位置づけていた。真希の机がある教室の右上は見事に吉澤の席の対極線上で、しかもそこに当人の姿はなかった。起こそうと挑戦はしたのだけれど、目覚まし時計は案外攻撃力が強かったのでうんざりしてやめてしまったのだ。しかも痛いし、とそこに手の甲を当てるとぼやけた熱を感じてまたため息を吐いた。後ろから名前を呼ぶ声にゆっくり振り向いた。
「よっちゃん」
「ん?」
藤本がうわぁ、と声を漏らしながらその頬に指を触れた。そして少し、眉をしかめて。
「またやられてんの?」
「や、」無理に起こそうとしたからしょーがないんだけど。演技なわけでもないその台詞は口に出すとなおさら、本当らしく聞こえて自信になって。
「せめて好き勝手やらせないでちゃんと躾けたほうがいいと思うけどミキは」
「ん。ま、でも好きだし」
と、言った。
どーしようもないね、と言わんばかりに藤本は唇の端をゆがめて少し、笑って。
でもあんた相当しんどそうだよ最近。
そう言うのに、助けを求めそうな腕を辛うじて引っ込めた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:50
- 好きだと思う気持ちに濁りはなくて。
だからこそ相手にも同じだけの気持ちを求めるのは自分のエゴだと思っていた。
そしてそれは、きっと正しい。
いつしか本当にがんじがらめにされてしまった自分の姿を上空から見下ろしながらふと、笑った。魔性の女とかそういうレベルじゃないねこれ。吉澤お手上げ。あーでもまだ笑えるなとほっとしてしまうのは本当に、重症なのだろう。絡まってしまった毛糸を解くのはきっともう不可能で、抜け出すには文字通り切り離さなくてはいけないようなそんな感じ。
傷が、疼いた。
気分が高ぶるとと手加減なしにモノを投げたり殴ったりしてくる癖には正直、うんざりしていた。けれど心底嫌なわけではなくて、単に痛いからビミョーだなと思う程度で。現に身体中ところどころにある紫や青色の痣を吉澤は少し気に入ってすらいた。
そーね、多分まだ人間。つか、キカイになんのも楽じゃない。でも獣になっても多分、ある意味しんどい。
屋上の風がざああと吹いて髪を揺らした。同時にカチリと笑顔を身に付けて校門に向かうため歩き出した。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:50
- 「おかえり」
「ただいま。いい子にしてた?」
「馬鹿」
さらりと交わしてまたソファに寝そべる真希を見やった。その顔をしばらく眺めているうちに異変に気づいた。
少しだけ、でも明らかにいつもとは違うそれ。
「……どした?」とソファの前にしゃがんで顔を覗き込んだ。真希が厭そうに視線を避けてうざい、と伸びてくる吉澤の腕を押しのけるのをしかし、手首を掴んで押しとどめて。
「何で泣いてたの」
「泣いてないし」
頬に残る涙の筋のあとに唇をつけた。一瞬その身体がわずかに跳ねて、それから思いっきり突き飛ばされて吉澤は後ろに倒れた。
痛った、と呟きながら上体を起こして、ただ。
「寂しかったんなら来ればよかったのに」
「寂しくないから。ってゆーか泣いてないって……」
言葉を遮って、ゆっくり前髪に触れて。
「ごめん」
ああ、と思った。
結局はみんな、弱いのだ。そんな当たり前のことを、だんだん見失ってきた。腕一杯にかかえすぎてこぼれたものには気づかない振りをしてきたから、きっと。
「真希、ごめん。ほんとごめん」
そう繰り返すのに相手はもう反抗せずに腕の中にじっと収まっていた。抱きしめながら感じるのは頭が痛むくらいの愛しさと切なさと。
それからようやく気づいた自分の情けなさだった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:51
- 鈍感に見えて察しのいい真希はきっともう理解しているのだろう。春休みになってからはじめて潜り込んだ学校、屋上の柵にもたれかかって空を見ている姿を抱きしめたいと思わないと言えば嘘になった。けれど今更そんなことをしたってますます辛くなるだけだということぐらいはわかっていたから。いくらなんでもそこまで馬鹿じゃない。とひとり、唾を飲み込んで。
「真希、」
笑おうとした。せめて微笑んだっていいだろう。ただでさえ重いこの空気の中で辛気臭い顔したってしょうがない、と思って。
でも、笑えなかった。
吉澤はただ泣きそうに首を傾げて、おかしい、と呟いた。呟いて、ただ長い息を吐いた。それからようやく。
便利な人造人間にはなれなくて。
表情だってどうしたって崩れてしまう。それを止めるなんてもう、できずに。
やっぱ人間だもん、と心の底で思った自分にようやく、微笑んだ。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:51
- 「もう笑わなくていーよ」、と真希が零して。息がぐんと詰まって鼻の奥がつんと痛くなった瞬間。
もう、たすけて。
抵抗する術など持たない唇からオートマティックに発せられた言葉。吐き出した瞬間に確かな絶望と安堵を覚えて。
やっと楽になれる。もう戻れない、とわかってすっとつかえが取れた気がした。
「やっぱあたし、弱いからさ……ほかの人んとこ行ったほうが幸せになれるんじゃないとか思って」
ああ、違う。
最後までいい人でいようとするのは慣れなのか、ずっとこうして生きてきた。大切にする振りをしてきたけど結局は優しくいたい、それだけで。重さの比重が違うならせめて自分の気持ちをわかってほしいとずっと、願ってきたから。本当は見返りのない愛なんて苦しい。苦しいに決まっているから。
だからこそ離れていく気持ちに嘘はつけなかった。
同じ想いをさせたくなかった。だけど受け止めるほどの大きさと優しさは自分にはもうないのだ。
ほんの少し、疲れすぎた。
「違う、」
言葉を、綴った。最後なんだから善人ぶったってしょうがないんだと、喉の奥、息の塊を飲み込んで。
「ほんとは、あたしがしんどい……。結構、好きでね、好きなのはほんとで、けどもう……」
途切れて、風が吹くのに。
聞きなれた声に、視界が眩んだ。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:52
- ***
本当に終わったのだ、と思う。
ばたんと音を立ててスチールのドアが閉まるまで顔を見られないまま。そして今、こうして冷たいアスファルトの地面に寝転がって少し近い空を見つめて。
帰ったらなくなっているだろう真希の荷物だとか、あと一週間もすれば始まる新学期のクラス分けだとかそんなことを考える余裕なんてなかった。ただかすかに残る痣と胸の痛みだけがじくじくと吉澤の心を侵食していくのに。
またあんな顔をさせてしまうんだろう。きっと自分しか知らない弱さをしかし、守ることはできなかった。でも確かに限界で。ゼンマイ仕掛けの笑顔の入れ物すらあちこちひび割れて使えなくなってしまったんだと思う。ただ、ただそれ。
たぶん滑稽なほどにふたりとも不器用だった。
的確な方法なんていつもわからないままで、その分純粋な想いだった。指輪に映るピュアな空色とおなじように。
まだ泣けないまま、曖昧に唇を曲げて呼吸を繰り返す。
手探りで取り出した携帯電話、かけた相手がワンコールで出るのにどうしようもなくなって。
「いま、別れた……」
ほんの少しの優しい沈黙の後。
優しさの種類をちゃんと区別してくれる暖かさと。
お疲れさん、と笑いながらそう言うのに吉澤はようやく、泣けた。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:52
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- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:52
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- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 00:52
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