11 タマシイノイレモノ
- 1 名前:11 タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:52
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11 タマシイノイレモノ
- 2 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:53
- 空に浮かんでいることが不思議に思える重々しい黒雲からは、霧のような弱い雨が
だらだらと降り続けている。
ベルトコンベアや重機器の類があらかた撤去されているがらんどうの廃工場内、
灯り一つない暗闇のフロア中央に立つゴトー・マキは、開け放たれた入り口に現れた
シルエットを確認しても、ずっと同じ無表情を保っていた。
「お待たせ」
雨に濡れるナイロンコートのポケットに両手を入れたシルエット――イチイ・サヤカは、
無言で出迎えたゴトーに対して軽い笑顔を見せ、工場内に足を踏み入れた。
視界のモードを赤外線に変更する。
何もない、だだっぴろいコンクリートフロアに立つゴトーの姿が青白く映し出された。
「一応言っとく」
イチイの目に幽霊のような青白い姿をさらすゴトーが口を開いた。
「あたしと一緒に帰ろう」
「いやだ」
薄く笑ったまま、イチイは即答する。
そうして訪れた短い沈黙に、工場の屋根を静かに叩く雨音が遠いさざ波のように響いていた。
「最初から逃げられないことはわかってるでしょ」
「逃げる気なんてないし。逃げるつもりならわざわざここに来ないし」
無表情なゴトーに対して、イチイは変わらずにやついた笑みを見せる。
「私はあんたを待ってたんだよ」
イチイはじゃりじゃりとコンクリートフロアを踏みながらゴトーとの距離を縮める。
「望み通り来てくれたからさ、私は喜んでる」
五歩の距離まで詰め寄り、足を止めた。
「ゴトー」
イチイは笑っている。
「私を殺して」
- 3 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:54
- ・
人間にとって危険な、あるいは退屈な作業を代行させる者として造り出された人造人間――
レプリカント。
その第二世代であるイチイ・サヤカは、警視庁公安部に配備され、反体制組織やテロリスト、
レプリカントの社会進出を認めぬ反レプリカント(人間至上主義、ナチュラリスト)の過激派
連中とのいたちごっこに参加させられていた。
張り込み、監視の類においては、集中力の欠如や退屈などとは無縁のレプリカントには適任である。
摘発の際の交戦においては、戦火の先頭に立ち危険に身をさらす。
それらがイチイに課せられた任務であり、唯一の存在意義である。疑問に思うことなど何もなく、
嫌気がさすということもない。そんなものはプログラミングされていないので当然だ。
仕事は完璧にこなしていた。
レプリカントを公的機関の業務に参加させることを不安に思い、疑問視する声は、反レプリカント
運動の活動家ではない一般市民からもあがっていた。いかに長期間のテストに耐えて合格の判を
押されているとはいえ、所詮はレプリカントである。99%の信用度があっても、信頼はしきれない。
過去にどれだけの人間が重篤の犯罪を犯し、その間、レプリカントが能動的に起こした事件数が
ゼロだったとしても。
いまだ完全なる安定を保証されていないといわれる彼女たちレプリカントの動作寿命は五年間に
設定されている。
1825日。43800時間。それよりも短期の寿命しかないタイプもあるが、五年を一秒でも
オーバーして作動するよう設定されているタイプはない。タイミングさえよければオリンピックを
二大会観戦することができる。
- 4 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:54
- イチイが警視庁公安部に配備されてから四年。
同部に配備されている二体のうち、イチイのパートナー的存在だったレプリカントが
廃棄になって間もなく、最新型である第三世代レプリカントのプロトタイプが補充要員として
配備されてきた。
ゴトー・マキである。
量産型よりもポテンシャルが高く、費用なども比べ物にならないプロトタイプを警視庁が
獲得できたのは、近年過激さを増す地下活動家たちに対抗するためとの理由による。
増員よりも高性能、量より質をとったということになるが、プロトタイプを所持する機関の
地位や発言権が向上するために、その争奪戦は激しいものとなる。
レプリカント自身にはまったくかかわりのないことではあるが。
新参者とはいえ、ゴトーは運動性能や演算速度、データ記憶容量などの全面において
第二世代のイチイよりもはるかに優れていた。
前任の機体からデータの一部も引き継いでいるために、人間のように右も左もわからない
新人が入ってきたのとはわけが違う。
ネットワークとの常時連動やデータ引き継ぎがあるために、経験などというものとは
ほぼ無縁だ。
レプリカントは新しければ新しいものほど良いのである。
だからといってイチイがゴトーに嫉妬するようなことはない。
そのような感情はプログラミングされていない。
仲間意識は植え付けられていたが、好きや嫌いといった感情はない。
あくまでも仕事に必要なことだけが頭部に詰め込まれている。
それぞれが交わることのない別々の個体であることは、人間以上にはっきりと認識されていた。
- 5 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:55
- イチイが警視庁公安部に配備されてから四年半。1671日。
動作寿命まで残り154日となった本日の正午過ぎ、イチイは反レプリカント過激派組織の
摘発に同行していた。
そこで、イチイは同僚の突撃隊一個小隊10名を全滅せしめ、後方に待機していた
サポートチーム二個小隊にも死傷を負わせ、逃亡した。
- 6 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:57
- 発信機の信号を追跡することによってイチイの行方が失われることはなかった。
逃亡の落ち着き先も判明している。
しかし、精鋭の一個中隊30名を瞬時にして無力化した優戦タイプレプリカントとの交戦には
慎重が期された。
イチイの逃亡先である旧型マンションの住民たち、一般市民を巻き込むわけにはいかなかった。
レプリカントに自死は許されないが、寿命以上の緊急安全装置として外部からの停止信号には
反応するようできている。しかし、なぜかイチイは停止信号に反応しなかった。
ネットワークとのリンクも遮断している。
本来ならばそれは不可能なことで、レプリカントは常に使用主と繋がっていなければならないのだ。
イチイの落ち着き先であるマンションの住人たちへの調査が開始されると同時に、他の作戦に
従事していたゴトー・マキが急遽呼び戻され、イチイの元へ差し向けられることとなった。
事故や人為的ミスを除けば、かつて例のないレプリカントによる重大事件である。
最優先で解決するべき問題だった。
外部との通信系をすべて遮断しているイチイと連絡を取るために、ゴトーは生まれて初めての
手紙を書き、プリントアウトしたものを、イチイの潜伏しているマンションの部屋のドアに
挟んだ。声はかけなかった。
- 7 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:57
- ・
「殺してって、なに?」
目の前で薄く笑い続けるイチイに対して、ゴトーはあいかわらずの無表情で返した。
「そのままだよ。言葉のまま。自分じゃ死ねないからさ」
「だったら停止信号受け取ればいいじゃん。すぐだよ」
「それじゃダメなんだよ」
「わけわかんない」
「ゴトー。あんた、魂はあると思うかい?」
愚問であることはイチイもわかっている。
「ないよ」
返ってきた答えは、イチイの予測と一字一句違わなかった。
- 8 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:57
- 「殺してくれとか、魂とか、イチイちゃんほんとにおかしくなっちゃったんだね」
「おかしくなったんじゃない。気づいたんだよ」
「だからそれがおかしいんじゃん。気づくって何? うちら有機脳でもないのに」
音声にするのも面倒だというような調子で、ゴトーはイチイの言葉に即応する。
「だいたい死んでどうなるってーのさ。どうせ154日後には停止するのに」
部の調査によれば、イチイはまず間違いなくハッキングされているという見立てだった。
イチイが逃げ込んだ先の部屋の借り主が、反レプリカントの活動家だったのだ。
あまりにも簡単に謎の一つが解明されたために、フェイクやトラップである可能性も
捨てきれない。むしろそちらの可能性のほうが高い。
充分に注意する必要があり、当然さらなる調査追求は現在進行形でなされているが、
今のところ足がかりとなる情報はそれだけだ。
そして、そこから導き出された単純かつ限りなく正解に近いだろう解が、ハッキングである。
それ以外に、イチイの暴走の理由は考えられない。
「人間になるんだ」
イチイはやはり笑ったまま、答えた。
- 9 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:58
- 「何それ?」
ゴトーは眉根を寄せ、初めて表情らしい表情を見せた。
強い疑問を口にするときにあるべき表情。
「バカじゃないの」
理解不能の言動に対する人間的な応答。
「私は死んで、人間に生まれ変わる。それが望み」
「だからもうすぐ死ぬじゃん。なんであんな派手なことやってまで殺されたいとか言ってんの?
イチイちゃん完全にイカれてる」
「ただ死んだってダメなんだ。私の動作寿命が尽きて停止したとしても、私のデータの一部は
生かされて、次の新しい機体(イレモノ)に引き継がれる。解放されない。私と言う存在の魂が
磨り減って汚れて変容する。だから、今の私のまま、イチイ・サヤカという名前を与えられた
ハードと、このソフトのまま、リサイクルされないよう破壊してもらわないといけないんだ」
自死のできないレプリカントは、己の生命活動を維持するために高レベルの危機回避能力を
備え付けられている。とくに警察などで使われるような優戦タイプでは、人間を傷つけることなく、
さらに自分を守るべく、その環境下で最適の回避運動をするようプログラミングされている。
レプリカントを製作する費用は無料ではないのだ。彼女らの生存しようとする「意思」は動物以上だ。
だから――
「だから、どれだけ私が抵抗しようと、それを上回る能力をもったあんたと戦いたかった」
- 10 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:58
- 「残念だけどあたしはイチイちゃんを破壊しない。あたしの任務はイチイちゃんの
運動機能を停止(ターミネート)してボディとデータを回収できる状態にすることだから」
つまり、イチイの四肢をもぎとって首を獲ること。
「どうやってんのか知らないけど、シールド解除してうちらの部からの情報取りなよ。
そうすればイチイちゃんの間違いとか、どうして今みたいな状態になったのか、わかるから」
「そんな情報は嘘だ」
「嘘なのはイチイちゃんの頭の中。書き換えられたプログラムとデータベースのほう」
このまま説得を続けても平行線をたどる。
レプリカントは己に与えられた情報や役割を肯定するようできているからだ。
解決は力ずく以外ではありえない。
それはゴトーも認識しているが、仲間意識が対決を躊躇させる。
今日、生まれて初めてのことが二つ。手紙と、葛藤。
それでも命令が優先順位として最上位になるのは当然だ。
思考するのではなく行動すること。それがレプリカントに与えられた存在の理由なのだから。
- 11 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:59
- 「頼むよ」
イチイのわずかな挙動に反応して、ゴトーは予測を立てて行動する。
「殺して」
イチイが繰り出してきた右の拳をかわしつつ、その手首を掴み、肘に側腕を叩きつけた。
グシャリと、簡単に、イチイの右肘は逆関節方向に折れ曲がった。
皮膚と筋組織が破れて機械部が露出する。
「わかってよ」
それでも、笑いながら、イチイは続けざまに攻撃を仕掛けてきた。
腰を狙った左足での蹴り。
ゴトーはその蹴り足を取って右脇に抱え込み、イチイの軸足を払って倒す。
背中を着かないよう左手一本で己の体重を支えようとしたイチイの左足を持ち替え、
抱きつくようにして膝関節を折った。
イチイは左膝を折られながら、左腕を軸として回転し、わずかに動きを止めたゴトーの首筋に
右足での蹴りをヒットさせた。が、致命的打撃を与えられるほどの力はない。
よろめいたゴトーは数瞬で体勢を立て直し、バランスを失って立ち上がることが困難になった
イチイの右足を雑作なく両手でつかまえ、大腿部を踏み砕き、さらに膝を折り砕いた。そして、
残った左腕をとってしゃがみこみ、一分と経たずに半スクラップ化させたイチイを無表情に見下ろした。
- 12 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 21:59
- 「こんなに力の差があるとはさすがに思わなかったよ。すごいね、あんた」
直後、ゴトーはつかんでいた左腕をへし折り、イチイの運動機能をほぼ完全に停止させた。
しんと静まり返った空間を、密やかな雨音が包み込む。
- 13 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:01
- 「殺してよ」
四肢を砕かれまともに動くことができなくなったイチイは、絶えない笑みを浮かべながら、
じっとゴトーを見つめていた。
「人間になるんだ」
「なれないよ」
ゴトーの声が冷たく響く。
「仮に魂があったとしても、イチイちゃんはたくさんの人を殺したから、望みどおりにはならない」
「だいじょうぶ。私には導いてくれる人がいるから」
「その人がイチイちゃんに嘘を植え付けたんだね」
「愛してるんだ」
「私は人間になって、その人との子どもを生むんだ」
「全部嘘だよ。魂も、愛も。その情報は、書き換えられた嘘」
「あんたにはわからない」
イチイの顔には優越感がにじんでいた。勝ち誇っていた。
「私はわかってる。今のイチイちゃんと違って、しっかり現実を認識してる」
「それは他の誰かに与えられた現実でしょ。人の手によって造られたハードとソフトを通して、
自分自身ではない誰かによって植え付けられた現実認識。今の私が嘘だと言うなら、あんたも嘘だ」
イチイの顔から笑みが消える。
「どれだけたくさんの情報が詰め込まれていても、私たちはからっぽなんだよ。この工場と一緒。
外は頑丈でも、中身はからっぽ。何もない」
- 14 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:01
- ゴトーを通じてイチイの運動機能停止を確認した公安部突撃隊の小隊が工場口に現れた。
「ゴトー」
照明の白い光線が、真っ暗だった工場内、二人を照らす。
「今まで隠してたけど」
ゴトーとイチイの視界モードが通常に切り替わる。
「初めて会ったときから、あんたのこと――」
突撃隊のブーツがコンクリートフロアを踏む音が響く。
「大嫌いだった」
イチイはまっすぐにゴトーを見上げている。
ゴトーはまっすぐにイチイを見下ろしている。
- 15 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:01
- 「あたしも」
そして、ゴトーは拳を振り下ろし、イチイの頭部を叩き潰し、破壊した。
- 16 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:01
- 突撃隊の足音が止まった。
弱い雨はだらだらと降り続いていた。
ゴトーの頭の中に響く怒鳴り声はただの雑音になっていた。
自分の行動を制御できなかった。
その理由がわかりそうでわからなかった。
これはなんだろう?
頭の中のわずかなノイズ。
このノイズはなんだろう?
この正体はなんだろう?
レプリカントに疑問は不必要だ。
ならば閉じなければ。
回線を。ノイズを。これを。
雨音がうるさかった。
- 17 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:02
- ・
イチイをハックした反レプリカント過激派の摘発に、ゴトーは同行させられなかった。
命令を完遂しなかった不安定さの調査と問題解消のために、緊急メンテナンスがおこなわれた。
イチイをハックした、イチイが「愛した」男のデータは警視庁のデータベースに保管されているが、
ゴトーはそれを閲覧していない。知る必要性がない。
いつか知らなければならないときがくるかもしれないが、今はそのときではない。
イチイが廃棄されて間もなく、第三世代レプリカントの量産型が補充されてきた。
ゴトーの新しいパートナーに、破壊されたイチイのソフトからのデータ流用はない。
- 18 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:03
- ・
冬。
ゴトーが警視庁公安部に配備されてから391日。
定時で帰宅を命じられたゴトーは、人間と同じように一人暮らしさせられている寮へと帰る途中、
茶色い髪の男と腕を組んで歩くショートカットの女性とすれ違った。
イチイに似ていた。
しかし、イチイであるわけがない。
そんなことは当然理解しているが。
瞬間的に頭の中に閃いたノイズは、すぐに消えた。
イチイが生まれ変わっているとしたらまだ赤ん坊であるはずだし、
そもそも、生まれ変わりなどというものはないのだ。
魂などないのだ。
少なくとも自分には――
ゴトーはしばらく立ち止まり、振り返り、イチイに似た女性の背中を見つめていたが、
やがて向き直ると、まっすぐな姿勢でふたたび歩き出し、それぞれが帰る場所へ帰るために
黙々と歩く人の流れの中に、静かに紛れ込み、消えていった。
- 19 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:04
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- 20 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:04
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- 21 名前:タマシイノイレモノ 投稿日:2005/06/14(火) 22:04
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