08 工場へ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:21
- 08 工場へ
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:22
- ざわめく教室の中で私は、他の生徒と同じように先生から一枚の紙を受け渡された。
方々で一喜一憂の声をあげる生徒たちを尻目に、また落胆のため息を吐く。
「さゆー、どうだった?」
絵里がいつものように、笑顔で問いかけてきた。
私は苦々しく笑って、手の中にあるテストをひらひらとかざず。
「あちゃー…」
私の点数を見た絵里が、そんな風に、言葉尻を消しながら呟いた。
科学のテスト。私の点数は23点。バッチリ、赤点。
「絵里は?」
「私は、うーんと、94点…」
私の点数を見た後だけに、気まずそうに絵里が呟いた。
絵里は科学ができる。他の教科は大したことは無いのに、というか殆ど赤点すれすれなのに。
理科系の科目だけは絵里にとってはとても容易なものらしい。
私はその真逆だった。
国語も数学も社会も、多分学年でも一、二というくらいなのに
理系科目だけ軒並み赤点。
優等生で通っている私のことだから、ただ先生たちは首をひねらせるばかり。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:23
- 「さゆー、23点はやばいよ。赤点じゃん…」
「うーん…そうなんだけどね。何かどうしても、機械の話が苦手なの」
「機械の話ねぇ…」
テストだけじゃなくて、授業中ですら、私は先生の話に苦痛を感じていた。
全く理解できない、というより、話の一つ一つを私の頭が受け付けようとしない。
特にコンピュータなんかの段になると
もうその構造自体を把握している人なんてほんの一握りしかいない。
それでもあんな風に、誰でも利用できる、私たちの生活の必需品となっていることが不気味に思える。
たかが金属やプラスチックの集合体なのに。
彼らは私たちの意識や意図を超えて、私たちの生活の中に入り込んでいるのだ。
私は意識の中に殆ど生理的といってもいい、機械構造に対する嫌悪感のようなものを抱いていた。
それでいて、機械なしで生きていくことなど出来ないのだから世話がない。
いつも絵里はそんな私を不思議そうにみる。
私がどうしてこんな、些か偏った思考を持ったのか。
自分でもはっきりしたことはわからないけれど、一つ、記憶の中にその原因と思える事件がある。
それを、絵里も知っているはずなのだけど―――
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:24
-
私と絵里が随分と幼かったころの記憶がある。
幼馴染の二人は毎日、毎晩一緒に居て、一緒に遊んでいた。
公園に行ったり、お互いの家で遊んだり。
そんな確然とした記憶とは別に、何か日常との連続性の無い
現実味に欠けた記憶の一群があった。
それは図像的な記憶ばかりがやけに鮮明で、他の思い出との繋がりに欠け
夢と現との狭間をも彷徨しているような。
いつくらいのことか、全く思い出すことは出来ないが
記憶にある二人の姿は小学校に上がるか、上がらないかという感じ。
その一連の記憶の中で、私と絵里はよく二人で工場に行っていた。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:24
- 山の中の広大な敷地にぽつねんとそれはあった。
誰も居ない、古びた、何に使うのかも分からない機械の山が無造作に絡み合った廃工場。
子供心には絡み合う機械は最高のアスレチックだった。
しかも一度だってそこで人影を見たことが無かったから、誰にも怒られる心配が無い恰好の秘密基地。
毎日毎日、私たちは日が暮れるまでそこで遊んでいた。
工場に向かう行程は全く思い出せない。
雲間から僅かに覗く太陽のように、記憶の中にその巨大な廃工場だけが不思議な光彩を放って佇んでいるのだ。
その機械の山は、今思い出してもどういう目的の物か想像もつかないくらい奇妙な形をしていた。
工場全体はいつも死んだように静まり返っていて周りを囲む山からは、殆ど虫の声も聴こえなかった。
とにかく私たちは、夢中になって遊んでいた。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:25
- そのような不気味な記憶の連なりの中で、最後に、最も鮮明に記憶に焼き付けられている一場面があった。
その日の記憶は、しかし最も、現実の時間であったことが疑わしい。
空は曇っていて、どこか陰惨な印象を昼間から覚えていた。
絵里がいつものように笑って
「工場へ行こうよ」
と言ったのがまず、その澄明な笑顔の隅々まで覚えている一つの映像だ。
そして私たちはいつものように工場に向かった。
例によって行程はまったく覚えていない。
その日も私たちはいいろなことをして遊んでいたが、この記憶も曖昧で、殆ど残っていない。
次にはっきりと残っているのは
曇り空の向こうに日が落ちて、辺りが不気味な闇に包まれた時
「かくれんぼしよう」
といった絵里の笑顔だ。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:26
- (このとき、暗闇のはずなのに、工場だけが浮き上がったように明るかった気がする。それで絵里の表情まで、はっきりと覚えている)
私たちは妖しい熱気に包まれた夜の工場で、カクレンボをはじめたのだ。
広い広い工場で、しかも訳のわからない機械が無数に入り組んでいるのだから
見つけるのはそう容易ではない。
私が鬼になったとき、ずっと工場の中を彷徨い歩いていた。
その、今思い出せば背筋も凍るような不気味な光景の中に私は、絵里を見つけ出してやろうと、意気揚々としていた。
本当に、真っ暗なはずなのに、私は躓きもせず、一つ一つ
いりくねった機械の間を丹念に探していた。
静かの工場の中に、私の足音だけが甲高く響いた。
そのとき、3つ目の、今も耳を離れない、絶対に忘れようも無い音を聞いた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:27
-
「ギャーーーーー!!!!!!」
それは本当に人間が発したのかも怪しいような、鬼気迫る、獣めいた叫びだったが
確かに、絵里の声だった。
私は、急いで声の方に駆け寄った。
「さゆ!!さゆっ!!助けてー!!助けてっ!!!」
絵里はいた。
何か大きな機械に、下半身を挟まれて。
ぼろぼろと涙を流しながら。
そのとき、音が鳴った。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:29
- 地鳴りのような、唖鈴のような轟き。
機械の音だ!
廃工場の、もう使われていないはずの機械たちが、巨大な呻きを上げながら
一斉に動き出したのだ。
夜の暗澹とした闇の中、工場中に響き渡る、無数の低い、機械音。
何かこの世とも思われない、地獄の底から響き渡っているようなその音を
私は確かに聞いた。
辺りの機械が動き出す。
何の目的かまるで分からない。
「絵里!どうしたの?!大丈夫?!!」
私が必死に呼びかける。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:30
- 「さゆ…さゆ…わかんない。挟まれちゃった。助けて、助けて…助けて」
泣いている絵里を、機械が、どんどん飲み込んでいくのが見えた。
冷淡に、着々と機械は動き続けた。
「痛い!!痛い、さゆっ!!助けて!!」
どんどん飲み込まれていく。
私は、まだ幼かった。
どうすることも出来なくて、絵里の腕を引っ張ったりしてもどうにもならなくて
ただ泣いていた。恐怖に慄きながら。
それ以上の恐怖のために顔を引きつらせていたのは絵里だ。
その涙と、絶望と恐怖とに歪められた絵里の顔は、(今でもはっきりと思い出せるのだけど)
人の物とも思われない、醜い鬼のそれだった。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:30
- 絵里の下半身が機械の中に完全に飲み込まれ、次第に上半身も飲まれていった。
ほんの僅かな時間のうちに、目まぐるしく事態は悪化してゆく。
絵里の腹が、胸が、どんどんと飲み込まれていく。
辺りには鈍重な機械の擦れあう音が、まるで葬送の器楽演奏のように、低く響いていた。
そして私は見た。
絵里の胸が潰れ、首がへしゃげ、一瞬、笑ったように叫びを上げなくなって静止した絵里の顔が
その数瞬後、卵の殻のように潰れたのを。
私は闇雲に逃げ出した。
恐怖に、何もわからず、ただ逃げ出した。
工場を抜け出し、林に入っても不気味な工場の機械の音は
背後から迫り来る悪魔のごとく私の背中にいつまでも響き渡った。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:31
- 夢か現か、といったけれど
これは間違いなく夢か、幻か、それとも私の脳に刷り込まれた偽の記憶だった。
なぜといって、次の日からももちろん絵里とは一緒に遊んでいたし
今でも絵里はちゃんと私の横にいるのだから。
私の記憶によれば、それいらい工場に足を踏み入れたことはなかった。
大きくなってから、地図を調べても、子供の足でいけるようなところに
そんな大きな工場なんてなかった。
まるで狐につままれたような感覚だった。
ただ幼かった私は、この恐怖の記憶もすぐに忘れて
何事もなかったかのように生活していた。
その記憶の中の私の傍らにいつも絵里がいたことだけが、不可解だった。
絵里にあの時の記憶を質すということは、私の中の何かが差し止めていてできなかった。
だから絵里と、そんな思い出話をすることはなかった。
最後の一夜はともかく、私たちは本当に幼いある時期、工場に行っていたんだろうか?
霞のようにおぼろげな記憶は、私の中で大した重みを持っていない。
ただこの幻の記憶が、私の中の機械にたいするトラウマになっていることだけは確かだった。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:33
-
学校の帰り道。絵里と二人で並んで歩く。
私は出来の悪いテストに悄気ているし、絵里はそんな私に気を使うみたいに
さっきから顔を覗っている。
夕暮れの綺麗な茜空が二人の上に降っていた。
「絵里は、じゃあ理系にいくの?」
「ふぇ?」
突然話しかけられた絵里は、頓狂な声を出した。
「ああ、うん…どうだろう…理系は得意だけど、別に進んで勉強したいって感じでもないなぁ」
「そうなの?」
「うん、だってさ、大したことないだろうし」
「何が?」
「それよりも、さゆはやっぱり文系?」
「え、うん…そりゃね…でも、克服したいって気持ちもあることはあるんだけどね」
「科学を?何なら教えようか…」
私は少し笑って首を振った。
絵里もつられて笑った。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:34
- 家の近所まで来れば、幼少の頃に絵里といっしょに駆け回ったいろんな場所が目に入って来る。
その一つ一つが、西日を浴びて、妙に綺麗に輝いて見える。
小さな児童公園に差し掛かったとき、思わず
「ねえ、寄っていかない?」
と促した。
絵里は笑顔で頷いて、私の後についてくる。
二人でブランコに座りながら、茜色に染まった空を見ていた。
突然私の鞄からけたたましい電子音が響いた。
携帯電話を取り出し、確認する。お母さんからメールが来ていた。
私はそれにさっと目を通すと、また無造作に鞄に放り込んだ。
晩御飯が早く出来てしまったから、今日ははやく帰って来なさい。そんな内容だった。
それにテストのことについても少々。また苦々しい気持ちがした。
絵里は私が鞄に放り込んだ携帯電話の残像を見ながら、さも不思議そうに呟いた。
「ねえ、前も何かいってたけどさ、どうしてさゆは機械が苦手なの?」
一度絵里の顔を見る。
本気でわからない、というった表情。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:34
- 私の中に、好奇心が沸き起こった。
この公園にしても、この辺り一体に絵里との大切な思い出がある。
絵里ははたして、あの工場を覚えてるんだろうか。
西日がギラギラと、物凄い赤を湛えて公園を照らし出した。
私たちの住む街中が赤い。公園の端からでこぼこと見渡せる家々の屋根は
そこばかり鮮やかに、白々しく浮き上がっていた。
何もかもが美しくて不思議に思えた、幼い頃に見た幻の景色が眼前に広がっている。
それは、この街と、あの幻の工場を繋ぐ橋のように思えた。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:35
-
「絵里さぁ、工場、覚えてる?小さい頃にいつも遊んでた」
絵里の目がすっと細まった。
「さゆ、覚えてたんだ」
「え?」
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:36
- 「全然そんな話しないから、さゆはてっきり全部忘れたのかと思ってた」
日がすっと翳った。瞬時に沈み果せたみたいに、辺りが暗くなった。
妙に薄ら寒い風が吹いて、肩が震える。
ふと絵里の顔を見た。
整った、綺麗な絵里の顔もやっぱり翳っていた。
その目は、どこか鉛の冷たさを思わせる。
奇妙な考えが頭の中を廻る。
それが織り上げられて、一つのカタチを作る。
「恐怖」という――
「懐かしいなぁ。ねぇ、さゆ、また一緒に工場へ行こうよ」
「絵里…?」
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:37
- 絵里が笑った。
夕闇の中に三日月のように鮮烈に、綺麗に。
絵里は自分のこめかみに指を押し当てて、おどけるみたいに言った。
「私が死んで」
私の背筋が一挙に凍て付く感覚を覚えた。
「私が生まれたあの工場へ」
そのとき絵里の身体の中に、あの夜工場中に響き渡った
重厚な機械たちの呻き声を聞いた。
「ね?」
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:38
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- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:38
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- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/12(日) 21:38
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