02 奇怪

1 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/11(土) 02:19
02 奇怪
2 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/11(土) 02:54
 天井にとりつけられた大きなプロペラがゆっくりと回転する。プロペラの影が天窓から差し込む光を映写機のように明滅させる。ぬれた床の上を、真っ白な靴下を履いたまま、光の下に進む。ぬるっとした液体が靴下を汚す。床の上には足跡が付く。でももう叱る人はいない。
 あたたかな日向から見上げた天窓の向こうには、底抜けに青い空が見えた。太陽があるわけでもないのにあんまりまぶしくて目を細めたら、涙がこぼれた。この涙は空がまぶしいから反射的に流れたもので、そのほかのいかなる感情も関与してはいない。静かに袖を目に押し当てて涙を吸い取らせる。手首に巻きつけられた麻縄が頬にいやな感触を押し当てた。この縄に繋がれてからどれだけの時間が経ったのだろうか。

 1ヶ月? 1年? それとももっと長い時間だっただろうか。

 ずっとこの光の当たる場所に来たかったのだと思う。誰もいないロッキングチェアを、ただ見ているだけではなくて。
 縄の結び目を噛んで引っ張るけど、なかなか余裕が出来ないので、先ほど使ったまま洗ってもいない包丁を押し当てる。手を切らないように慎重に力を入れて何度も左右に動かす。縄はひとつひとつの繊維をじわじわと開放し、引きちぎれた。包丁を放り投げると液体でぬめる床を滑って、倒れこんだ物体に当たってとまった。物体はふたつ。床をぬめらせた液体の源だった。
 しばらく使っていなかった膝を屈伸させる。ほんの少ししか歩いてないのに、もうくたびれていた。すでに私は3回も転んでいる。身体じゅうが液体にまみれていた。ここを出るのは、シャワーを浴びて着替えてからかな。シャワーを浴びるのも、かなり久しぶりのことだった。


   ※※※※※※※
3 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 01:19
『犯人は現在、E地区に潜入しているものと思われます。周囲の住民は充分に警戒を……』
 ラジオのスイッチを入れたとたんに流れてきたニュースに4人の少女は顔を見合わせた。
 紺野あさ美。
 新垣里沙。
 亀井絵里。
 辻希美。
 4人はここE地区にある巨大規模の中学校に通っていた。紺野と辻、新垣と亀井はそれぞれ同学年だったが、顔を合わせたのは今日がはじめてだった。
「別の局にしてよ」
 辻がラジオのそばにいた紺野に促す。紺野はうなずいてダイヤルを回す。どの局でも臨時ニュースが流れていた。
 E地区にある集合住宅で2人の中年男女が殺害される事件が起きた。犯人と見られる二人の子供は現在凶器を携えたまま逃走中であり、行方が知れない。犯人はまだ中学生だという。ニュースは近年施行されたばかりの個人情報保護法案の影響か、殺害された男女の名前も、犯人の性別も告げなかった。周辺住民はこの情報でどう注意すればいいというのだろう? 新垣は不思議に思った。
「どこも同じニュースみたい」
 紺野が溜息を吐いて手を止めた。辻が苛立たしげに舌打ちする。
「つまんなぁい。TVとかないのテレビ」
「職員室とか視聴覚室にならあるかもしれませんよね」
 亀井が口を開くと、辻はパッと顔を輝かせた。
「じゃあ職員室行こ、職員室!」
 一人で勇ましくぶんぶんと手を振り回して廊下に飛び出す。3人は、視線を交わすと微妙な表情で笑った。
「どーしたの、早くいこーよー」
 付いてこない3人に不安になったのか、辻は扉の影から顔を出して早く早くと促した。3人はぞろぞろと席を立ち、放送室の電気を落とした。
4 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 01:40
 4人が学校に閉じ込められてからすでに3時間が経過していた。
 多発する学校での凶悪犯罪から、就学中の生徒を守るために就学時安全法が施行されて半年。日本国内のすべての学校は警備会社と契約し、全自動のセキュリティシステム下におかれていた。ここE地区では学校が完全に施錠されるのは一律19時で、生徒はそれまでに下校しなくてはならない。それを過ぎても学内に居残っている生徒がいた場合は警告放送が流れ、警備会社からパトロールが駆けつけて大騒ぎになる。場合によっては退学処分ものだった。
 図書館を閉館してから納入された新刊の整理に追われ、警告放送がなかったのをいいことについつい居残りすぎていた紺野が、自分が学校内に閉じ込められたことを知ったのは19時30分のことだった。下駄箱の向こうのガラス扉の前には、途方に暮れたように辻が座り込んでいた。まだ何も知らないまま下駄箱に到着した紺野の姿を見つけ、辻はホッとしたように八重歯を見せて笑って、「どうしよう、うちら閉じ込められちゃった」と言った。
 外部と連絡を取ろうにも、持込禁止の携帯電話は運悪く今朝の一斉抜き打ち荷物検査で見つけられ、二人とも取り上げられていた。
 どこかに外部と連絡する手段はないかと放送室にたどり着いた二人は、同じように途方に暮れた様子の亀井と新垣と、ばったり出くわした。
 そういうわけで今、4人は行動をともにしていたのだった。
「あのー、あたし思うんですけどー」
 明かりもつけずに廊下をずんずん進む辻の背中を追っていると、亀井が間の抜けたようにのんびりした声で言った。
「さっきのラジオのニュースのことなんですけど」
5 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 01:57
「E地区で両親を殺した中学生って、この学校に通っていたかもしれないんですよねえ」
 なんでもないことのように亀井は続けた。ぎょっとして辻は足を止めた。窓ガラスから差し込む外の光が廊下に奇妙な陰影を付けてい。影絵のような。細密なエッチングの版画のような。
「もしかして、あたしたちの」
「もしかしたら、ここから出れるんじゃないですかね」
 亀井の言葉をさえぎるように新垣が言った。新垣の目は窓を見ていた。
「ここからは無理でも、1階からとか」
 新垣は早口に続ける。
「窓か。うん、ちょっと盲点だったかも」
「うん、じゃあ早く1階いこーよ1階。職員室もあるしさ」
 紺野と辻がすぐに賛同の意を示し、再び廊下がパタパタと駆け足に包まれた。3人を見送った亀井は、ほんの少し唇をゆがませて笑顔に似た表情を作ると、後を追って駆け出した。
 緑色と赤色の非常灯だけが、誰もいない廊下を照らした。
6 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 02:15
 1階の窓ガラスは内部にクロスする鉄線が仕込まれた強化ガラスだった。ロックも普通に回してとめるタイプのものに小さな機械が取り付けられていた。力には自信があると豪語した辻でさえも、びくとも動かせない。
「うあーもうだめ。手がいたい。ギブ」
 辻ががっくりと肩を落とした。紺野は感心したように嘆息した。
「意外としっかり警備されてるんですねえ」
「ですね。これじゃ窓ガラス割って出るって選択肢もナシってことですもんね」
 そう言った亀井を、新垣は険しい表情で見た。
「どうしたの? 何が楽しい?」
「え?」
「笑ってる」
「ああ…、これね、地顔。真面目な顔してても絵里なに笑ってんのってよく友達に言われる」
「……」
「それに、ちょっと楽しくないかな、こういう状況。なんか、文化祭の前の日みたいな特別な感じで」
 亀井の言葉に、紺野が手を打って同意を示し、台風クラブやポセイドン・アドベンチャーやSAWといった異常な状況下で同じ場所に閉じ込められた人々の映画の話で盛り上がった。
 新垣はその会話からちょっと離れ、難しげな表情で3人を眺めていた。
7 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 02:30
 職員室のTVからは10時のニュースが流れていた。トップニュースは両親を殺して逃走中の中学生で、名前はまったく出さないのによくもここまでプライバシーを暴けてものだという情報のオンパレードだった。
「うあー、やっぱうちの近所だあれ」
 辻は食い入るように画面を眺めていた。
「じゃあやっぱりこの学校の生徒なのかも」
 紺野はおっとりと答えた。
「もしかしてうちらのなかにいたりしてさ!」
 辻はさも爆弾発言であるかのように大きく手を振りながら振り返った。
「あー、それさっき絵里言おうとしてたんですよそれ」
 辻の顔を指差して、亀井が悔しげに言う。でも表情は笑顔だった。
「ないない、ありえないって」
 辻は照れ笑いを浮かべつつ、ぱたぱたと手を振って自分の発言を打ち消すようにした。
「うちらじゃなくても、他の人がここにいるかもしれませんよね」
 新垣の言葉は決して大きな声ではなかったが、3人の動きを止めるのには充分だった。
「今日に限ってどうして警告放送が流れなかったのか。生徒がいるのにどうして施錠されてしまったのか。あの天井の、スプリンクラーの横についてるあの半透明の白くて中でチカチカ赤く光るあれが生徒の姿を感知するって話でしたよね。でも今日は点滅してない。どうしてでしょうか」
8 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 02:55
「誰かが……何かしたとか?」
 紺野がおずおずといったように答えた。辻が落ち着かなげに周囲を見渡した。今まで4人があまり重大にニュースを受け止めていなかったのは、学校に閉じ込められたことが即ち外部から安全に遮断されたことを意味していたからだ。しかし、殺人犯も一緒に内部にいるというのであれば、話は大きく違ってくる。
「電話、かけれないですね」
 亀井は、受話器を持ったまま、外人がよくやるような溜息のポーズをした。紺野は慌てて近くにあった電話機に手を伸ばす。受話器からは発信音ひとつ聞こえない。幾度かフックを推してみるが、うんともすんとも言わなかった。
「つまり、誰かが意図的にセキュリティシステムを麻痺させたり電話線を切ったりしているってこと?」
「そういうことになるんじゃないですかね」
 とてもつまらないことのように亀井は言った。
 つかの間の沈黙を破ったのは辻だった。
「ばっかみたい。そんなわけないじゃん」
「でも実際電話は通じませんよね」
「何かの偶然かもしれないでしょ。NTTの夜間地区工事とか」
「じゃあ何であたしたちがここにいるんですか? 本当ならこんなこと、起こりっこないんですけど」
「……それは、そうかもだけど、でも」
 辻と紺野が交互に言い募るのを無視して亀井は、くるっと残りの3人に背を向けた。
「で? ぶっちゃけ誰が犯人なんですか」
 辻と紺野は顔を見合わせ、それから新垣を見た。新垣の表情は青ざめていた。
9 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 04:25
「どうしたの? 具合でも悪…」
「動かないで!」
 一歩、新垣のほうに近づいた紺野を、新垣は鋭く言葉で制した。紺野は怯んだように歩みを止める。
「なに…」
「動かないでって言ったんです、辻さん」
 新垣の言葉が終わるか終わらないかのうちに、紺野は辻に羽交い絞めにされていた。頬にぴたりとなにか、冷たいものがあたっている。犯人ハ凶器ヲ携エタママ逃走中。ニュースの言葉が耳元によみがえる。まさか。
「おとなしくしてくれたら、なにもしないから」
 辻が紺野の耳元に囁く。新垣は強張った顔で二人を見つめていた。紺野は頭がすうっと冷たく冷えるのをかんじた。心臓は早鐘を打っている。だけど頭はひどく冷静だった。最初に下駄箱で辻を見たときから、こうなることがわかっていたような気がした。今にも泣きそうな表情でガラス扉にもたれていた辻を見たときから、どこか不吉な、非日常の匂いがしていた。
「あたしたち全員殺す気ですか?」
 亀井の問いに辻は首を横に振った。
「じゃあ何が目的なんですか」
 亀井は重ねて問う。
「あたしはただ……ただ……」
 辻は怯んだようにあとじさった。紺野はぎゅっと辻の腕をつかんだ。
「待っ、駄目、逃げないで」
10 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 04:40
 反射的に辻は紺野を突き飛ばした。包丁の切っ先が紺野の両腕を傷つける。白い制服を切り裂いて、一文字に左右の腕に傷が走った。傷口からじわっと血の珠が浮かび、流れた。
「あ……」
 辻は包丁を落とした。刃先から血を散らして、リノリウム貼りの床を滑る。亀井は短い口笛を吹いて、包丁を拾いあげた。新垣は辻に飛び掛った。辻は、抵抗しなかった。


   ※※※※※※※


 紺野が見つけてきたガムテープで辻を後ろ手にして両方の手首をぐるぐる巻きにする。ビニールロープなどもあったが、ロープで縛られることは、辻が嫌がった。夜明け、朝6時に開錠するまで時間はまだ6時間弱ものこっていた。
11 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/12(日) 14:44
「もう血が滲んでる」
 消毒液で傷口を拭って軟膏を塗りたくったガーゼをあててそれから包帯を巻いたばかりなのに、紺野の出血はまだ止まってないようだった。
「どうしよう。包帯替えたほうがいい?」
「これぐらいなら別に平気。もうちょっと汚れたら取り替えるし、そんな深く切れてなかったと思うし、これだけキツく巻いてたらすぐ塞がると思うし」
 泣きそうな新垣に比べて、紺野は比較的へっちゃらそうだった。ただ先程までよりも口数が多く、早口だ。
「でも、どうして分かったの?」
「辻さんの学章の色が、紺野さんのと違ったんです。それで、うちの生徒じゃないのかなって思ってずっと気をつけて見てて……だけどこんなのってひどい」
「だから大丈夫だって。それにただの事故なんだから、辻さんのこと悪く思わないでね」
「……」
「でも学章の色、かぁ… そんなのよく目敏く見つけたねえ。えらいえらい」
「あっ、あのう、先輩面しないでもらえません?」
「……」
「あ、いや、子供扱いしないでもらえません? 1つしか違わないのになんか…」
「あー、ああー、その、気付かなくてごめんなさい」
「いやこちらこそすみません。あの、戻りましょうか」
「そうね」
 新垣は戸棚にしまわれていた簡易救急箱を見つけるとひょいっと手にとって、保健室の電気を落とした。
12 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/13(月) 00:00
「なんかおなかすいちゃったな…」
「あたしも! やばいぐらいすいてる…」
「購買とか何かあるかなあ」
「職員室行ったら机になんかお菓子ストックしてる先生とかいそうじゃない?」
「いるかも! 戻ったら探そう!」
「うん!」
 新垣と紺野は早足に職員室を目指した。職員室には動けないようにガムテープで両手首と両足首をぐるぐるに巻いた辻と、見張りの亀井を残していた。凶器の包丁は亀井が取り上げてるし、危ないこともないだろうとは思っている。しかし、何かに急かされるように二人は足を早めた。
「ただいま!」
 勢いよく扉を開ける。煌々と明かりが照らす職員室は無人だった。いや、無人のように見えた。少なくとも、視界には誰もいない。
「……あれ?」
「亀井ちゃん? 辻さん?」
 二人は躊躇いがちに職員室に入る。おどおどと室内に視線を彷徨わせながら、先ほどまで4人が陣取っていたTV前に到着した。床にはかすかに散った血の痕があるが、これは紺野のものだろう。何も乱れたところはなかった。ただ二人がいないだけだ。
13 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/13(月) 00:20
「どこに行ったのかな…」
「さぁ…」
 二人は、しばらくそのまま所在なげに椅子に座ったり立ったりしてみるが、亀井も辻も戻ってくる気配はない。せめてもの時間つぶしに机をあさると、いくつかの市販のチョコレート菓子や生徒からの差し入れの風情を漂わせた手作りビスケット、給食の残りらしき魚肉ソーセージからまだ封を切ってないお茶のペットボトルまで見つかった。しかし紺野も新垣も手を伸ばさなかった。
「あのさ、変なこと言うようなんだけど」
 紺野が切り出した。
「辻さんって本当にその、……殺したんだと思う?」
「……」
「あたしどうしてもそう思えなくって。何ていうか辻さんてその、あんまり影を感じさせない人っていうか、そういう暗いことするような人には見えなくって」
「人なんて!」
 新垣は、紺野の言葉を強い調子で遮った。
「人なんて何するか分かりませんよ」
「ああ…、うん…。そうだね…」
 そのまま二人ともしばらく黙り込む。時計の針はそろそろ2時を差そうとしていた。あと4時間。しかし二人はちっとも眠気をかんじなかった。
「ねぇ、紺野さんはどうして閉じ込められたんです? ここに」
 ふいに新垣が口火を切った。
14 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/13(月) 00:32
「あたしは、その、本の整理に夢中になっちゃって、それで」
「本の整理?」
「あのあたし、図書委員なのね。そんで、すごく待ってた希望図書がようやく入ってつい、その…、読んじゃって…」
「なんか紺野さんらしいね」
「そう?」
「うん。本とか図書委員とか似合ってる。読書に没頭とか、すごくしそう」
「へー……じゃあ、新垣さんは? どうしてたの?」
「亀井さんは」
 新垣は紺野から視線を逸らせた。
「閉じ込められてたんだって」
「閉じ込め…、え?」
「彼女、合唱部で。部活でちょっと諍いがあって、それで同じクラブのメンバーに音楽準備室に閉じ込められたんだって。片開きのスライドドアなんだけど、そこにつっかえ棒されちゃって自力で出られなくなってたの。あたしたまたまそこを通りかかったんだけど、意味わかんなくって」
「え、なに? それってイジメ…?」
「イジメっていうより意地悪ですよね。どうせ19時になった段階で閉じ込められていたら、最後に見回る警備の人か誰かに助けてもらえるんじゃないかって、閉じ込めたほうは思ったんじゃないのかな。亀井さんの話では20分ちょっと閉じ込められてたって話だし」
「へー…、なんか、うちの学校にもそういうのってあるんだぁ…」
「分からないでもないでしょ? なんか。へらっとしているっていうか、彼女、何されても動じないところがあるというか」
「あー、うん。すごい度胸あるとは思ってた。あたし閉じ込められてずっと泣きそうだったんだけど、亀井ちゃんと辻さんは、すごい、明るいっていうか」
「あたしは?」
「え?」
「あたしは紺野さんにはどう見えます? 明るい? それとも暗い?」
15 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/13(月) 01:07
   ※※※※※※※

「辻さんじゃないですよね」
「え?」
「両親殺し」
「……」
「根拠を言いましょうか。そのいち、血に慣れてない。紺野さんがちょっと怪我しちゃったぐらいで青ざめちゃうんだもの」
「ちょっとって…」
「そのに。犯人のようにちゃんとしたこの学校の生徒だったら、他人の制服着てわざわざこの学校来る意味とかないですよね? その服、誰のなんですか?」
「誰のって……」
「ニュースでずっと犯人はこの学校の生徒だと断言してるんだもの。もし辻さんがこの学校の生徒じゃなかったら、それだけで犯人じゃないですよね? で、辻さんってこの学校の生徒じゃないですよね? 違いますか?」
 亀井はにっこり笑って、机上のコンピュータを操作した。
 紺野あさ美。3年4組生徒番号8705070076。
 亀井絵里。2年8組生徒番号8812232254。
 新垣里沙。2年1組生徒番号8810201820。
 辻希美。該当生徒なし。
 名前を入力すると写真入で生徒の個人情報が表示される。ただ辻のものだけそこにはない。
「まぁ辻さんが偽名使ってるだけかもしれませんけど、今年のどの学年の色にも合わない学章を付けてるのも変ですしね。今日ね、両親殺して逃亡中の中学生の事件とは別の小さなニュースも流れてたんですけど、絵里けっこうこういうのきっちりチェックしておくほうなんですよね」
 亀井は、ブラウザを開いてニュースサイトを表示した。
「このへん、どうです? 辻さんのことなんじゃないんですか?」
 それはごく小さな、奇妙な記事だった。しばらく連絡のない親戚を不審に思って訪ねてきた親族が、その身内が親子ともども死亡しているのを発見したこと。その家は奇妙な機械で一杯であること。そしてその家ではごく最近まで、誰かが生活していたような気配があったこと。……。

   ※※※※※※※
16 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/13(月) 01:36
「新垣さんは……その……明るいとか暗いじゃなくてすごく頼りになるなぁって思ってて……うん、一緒にいるとすごく、心強いっていうか、便りになる…」
 紺野は考え込みつつ、ポツリぽつりと言葉を続けた。
 新垣は虚を突かれたように紺野を見た。それから首を振った。
「あたしが何で学校に残っていたか、分かります?」
「部活動かな? それとも委員会とか…」
「まず最初にセキュリティを切ったんです。1階の給食のときに使うエレベータの横に、警備会社の操作パネルがあるって知ってます? 情報が全部あそこに統括されるんですよね。電話も職員室の入り口の横にボコッと四角いのが突き出てるじゃないですか。あれが交換機なんですけど、あれの電源を落としただけで通じなくなるんですよ。知ってました?」
「は……いや……」
「すっごいチョロいんですよ。それから監視カメラも止めたの。あれ撮影してるだけで、記録に残しているだけで、誰も見てないんですよ。記録しているパソコンの電源落としたらもう何も残らないんです。知ってました?」
「全然……あの……、何の話をしてるのか、よく……」
「で、何個作ったのかなぁ…。もうね、できるだけ沢山の人を巻き込もうと思って。あたしそれ、すごくいい考えだと思ったんです。作ってるときも仕掛けてるときも、なんかね、すごい楽しかったんだぁ。これまでの人生で一番楽しかったかもしんない」
「ねえ、新垣さん、あなたさっきからいったい何の話をしてるの?」
「時限爆弾。明日の9時に全部いっせいに爆発します」
17 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/13(月) 02:10
「つまり……え? どういう…?」
 少し離れた机の下に隠れて二人の様子を窺っていた辻が、亀井に囁きかけた。
「つまり、両親を殺したのも彼女ってことなんでしょうね。それでヤケになって学校爆破も企てたとか、そんなところなんじゃないでしょうか」
「…ッ!!」
 びっくりして大きく口をあけた辻を、亀井は手ですばやく押さえ込んだ。人差し指を口の前に立てて、黙っていろとジェスチャーする。辻も大きく息を呑んでこくんと頷いた。
「ね、隠れてて良かったでしょう?」
 亀井は囁いてウィンクした。
「でもでもでも…、それなら早く何かしなきゃ……」
「選択肢は二つ。ひとつ、9時までに全部の爆弾を取り除く。ひとつ、9時まで誰も学校に入れないようにする。どっちが簡単だと思いますか?」
「……誰もいれないようにするほう?」
「絵里も同じ意見です。多分、電話を復活させるのが一番簡単ですよ。スイッチ入れるだけでいいんですから」
 亀井と辻は、新垣から見えないようにそっと身動きした。
 紺野と新垣の会話、というより新垣の独白はまだ続いていた。
「あたし、知らなかったんです。人間がこんなふうだったなんて……。誰かと一緒に何かが出来るんだとか、こういうふうに頼られることがあるなんて」
「まだ遅くないよ?」
「遅いんです。もう何もかも遅い」
 新垣は鋏を握り締めていた。床には救急箱が転がっている。紺野は怯んだように新垣を見た。新垣は刃先を紺野に向ける。
「もう2人、殺してるんです。あとは何人殺したって一緒です」
「一緒じゃない」
 紺野は血が滲む包帯をさすると、意を決したように一歩、新垣に近づいた。
 不器用な紺野は、新垣の罪を許してやることも、咎めることも出来なかった。彼女に出来たのはただ、新垣に近づくことだけ。
「あたしは新垣さんを信じてる」
 差し出された紺野の手を、新垣は泣きそうな顔で見た。それから鋏を、自分の方に向けて、手首を切った。今度は辻が、新垣に飛び掛る番だった。

   ※※※※※※※
18 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/13(月) 02:35
 翌朝9時。
 4人は校庭からフェンスを挟んだ道路から、校舎を見ていた。校舎の周囲には、沢山の防弾チョッキを着た警察官が取り囲んでいる。4人は開錠時間が来るなり学校の電話から警察に匿名で通報して、校舎を出た。校舎はあっというまに警察官で取り囲まれ、ものものしい雰囲気になった。連絡網が活躍したのか、生徒たちは私服で学校の周りを取り囲み始めていた。制服を着ているのは4人だけ。
「そろそろ時間だ…」
「3、2、1…」
 時計を見てカウントダウンを始めると、周囲の見物人も一斉に唱和する。
「ゼロ!」
 校舎の中から何百発ものロケット花火が間抜けな音を立てて、飛び出してきた。後の報道によると何枚かの窓ガラスが割れて、警察官たち数人が軽い怪我を負ったという。見物人の間からはワッと笑い声が起こり、拍手が沸きあがった。4人は軽く目配せをすると、誰からともなく笑い出して、握手をした。
 紺野は、握手した新垣の手を軽く持ち上げた。新垣の手にも白い包帯が巻かれている。切った傷はそれほど深くも致命傷でもなく、新垣は半ば押さえつけられるようにして無理やり治療された。
「おそろいだね」
「うん…」
 紺野の言葉に新垣は目を伏せた。掲げられた手を両手で抱えるようにして辻が割り込んだ。
「あたしたちのこと忘れないでよね。絶対絶対忘れないでいて」
「うん…」
「いつかまた会おうね。必ず、どこかで」
「うん… うん…」
 亀井の言葉に何度も頷くと、新垣は3人に背を向けて、警察隊のほうへ歩き始めた。颯爽とした歩き方だった。

「あーあ、あたしもうち帰んなきゃ」
 辻は大きく伸びをした。辻は隣の県で誘拐されたのだという。誘拐されてからどれだけ経っているのか本人はよく把握していなかったが、少なくとも就学時安全法の施行前だったらしい。子供を亡くした親が、自分の子供によく似た辻を誘拐したのだが、1人でおいておくと逃げられそうだからと、辻の周囲を色々な自作の機械で囲んでいった。冷凍食品を毎時間ごとに自動的に調理する全自動給餌装置に始まって様々な奇妙な機械が彼女の誘拐生活を彩ったのだが、それはまた別の話だ。
「またね」
「バイバイ」
「また」
 まだ興奮覚めやらぬ見物人が残る中、3人はそれぞれ別々の方向に歩き出した。
19 名前:02 奇怪 投稿日:2005/06/13(月) 02:35
-了-

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