36 現世を離れて――

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 23:58
36 現世を離れて――
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 00:00
ほんの数段の階段から、足を踏み外して落下しただけ。
たったのそれだけなのに、打ち所が一つづれていただけで、あっけなく彼女は死んでしまった。
少し前までは、変わらずに優しい笑顔を向けてくれていた彼女。
その笑顔で遊んでくれることが、既に日課になっていた。

数人の男性により霊柩車に運ばれる小さな棺。
涙の後を浮かべながらそれを目で追う少年の口元が微かに歪んで、すぐに平淡になった。

人にはいつしか必ず終わりが訪れる。
早いか遅いか、運が悪いか良いかで訪れる時期は変化するが、必ずだ。
そんな脆い人生のために、終わりのわかっている人生のために、どうして人は必死に生を求めるのだろうか。
馬鹿馬鹿しい。
そうすることで得られる、生の実感とは何だ?

教えてくれよ、ねえ。
カオ姉ちゃん。


3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 00:01
――――*****――――

眼前に広がる光景を、僕はただボーっと眺めていた。
 色めき立つ喧騒の中心、血溜りの中伏す青年が一人。その傍らには、おろおろと狼狽する中年男性。
 あらぬ方向に曲がり、止め処なく血を流し続ける青年を見て、野次馬達はうっと咽かえる。なら見るなと、内心呆れの溜息をつく。

 遠くからサイレンの音が聞こえた。
 もう間もなくすれば警察と救急隊員が到着し、迅速な処置を行なうだろう。
 ―――青年のほうは手遅れだろうけど、ね。

 話題の中心に上る自分の姿を尻目に納め、僕は座っていたポストを蹴って宙をさ迷い始めた。

◇◇◇
 死後、魂と身体が切り離され、魂だけが一人歩きを始める。
 マンガとかドラマとかでは良く見かける、既に陳腐となってしまった設定だけど。
 まさかそれが自分に降り注ごうとは、当然のことだけど思いもしなかった。
 でも、実際に僕はトラックに轢かれて、今はこうして青空に近い場所から街を俯瞰している。
 立ち並ぶビル群に、改めて狭苦しい街だなと・・・そんな暢気なことを考えていた。
「冷静だね、キミは」
 聞きなれない声が、背後から聞こえた。
 浮遊をやめて振り返ってみると、見た目まだ10代の女の子が呆れたように僕を見つめていた。
「―――お宅も、死んだんですか?」
「失礼な―――でも、案外当たってるかも」
薄く茶色がかかった肩ほどまでの髪の毛を何気なくかきあげ、黒衣で全身を隠す長針の女性。大きく、煌く大きな黒い瞳が僕を射抜く。
女性は呆れたように一息はくと、告げた。
「我は死に神。現世に渡り来た理由は、汝を導くことを目的とす」
「・・・いやに固い挨拶ですね」
「マニュアルにそう言えって書いてあるから―――ていうか、君。冷静だね」
 疲れたようにぼやいて、死に神さんは僕を見る。
 向けられたその言葉はとても平坦で。そこからは真意を汲み取ることが出来なかった。
「こんなファンタジーな事が起こってるのに」
「いや、まあ・・・こうやって僕がここに居ることが事実ですし」
 冷静。そう、僕は今冷静だ。慌てふためくことも、悲観することもなくただ客観的に事実を受け止めてしまっている。
 何故かな・・・それは僕にも、わからない。
「ま、ガタガタ騒ぐ人よりマシだけど」
「はぁ・・・」
失笑を浮かべて
「で、なんだけど」死に神さんは言葉を紡いだ。
「君、ずいぶん若いのに死んじゃったでしょ?確か、、、19?」
「18歳と11ヶ月です」
ただ間違いを指摘しただけなのに、死に神さんは微かに眉根を寄せた。
「・・・それで、冥界から特別サービスが出て―――」
 特に何も言うことはなかったけど、その低い声音と僕を睨みつける大きな瞳からは、明らかな不満が感じ取れた。
「12時間だけ、願いを聞いてやろうってことになったの」
 右の人差し指をピンと立てて、ほんのり威張った死に神さんは得意顔。
「ということで、何がいい?」
 疑問に思うこともなく、そんなに大袈裟にはしゃぎたてるわけでもなく、緩やかに流れる雲の下、座った沈黙の中僕は考える。
何となく、青空の虚空を見上げ考える。
 突然言われても中々出てきそうにない質問の答えは、僕自身にも予想外なほど簡単に見出せた。
「ねぇ、何が―――」
「―――デートがしたいです」
 痺れを切らした死に神さんが、苛立ちを言葉にして発しようとした。
 僕はその言葉尻を遮って、短く、ハッキリと伝えた。
 見つめていた死に神さんの目が、更に大きく見開かれた。

4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 00:02
◇◇◇
残余時間11時間と30分。時計を見上げ、ぼんやり呟いた。
何でもさっき空中で説明を受けた時間も、サービス時間の内に入るらしい。
僕の隣を並んで歩く、男としては小柄な僕の頭一つほど高い死に神――圭織さんはそう付け足した。
「もう1度確認しとくよ?
 まず、遊べる時間は12時間だけ。もう過ぎちゃったけど。
 で、身内に会いに行くのはNG。事後の記憶操作が面倒だから。
 最後に、コレはあたしがそばに居る限り無いと思うけど、その身体【欺生体】で死んじゃダメ」

 そしたら君は魂の滓も残すことなく、完全に消えちゃうからね。

 平淡な響きで脅すように紡がれた言葉に、僕は「はあ」と気のない返事を返した。
「・・・緊張してるの?」
「・・・どうなんでしょうね?まぁ、でも、一応初めてですんで」
 情けなくも声が上ずってしまった。
 すると、圭織さんは
「初めてが死に神と、なんてね」
 くすりと、控えめに笑みを零した。

 デートは楽しい。生前、友人にそんなことを自慢された。
 日々を何となく過ごしていた僕は、その時軽く流してしまったけど。
 何故かその事が、先程問われたとき頭に浮かんだ。
 圭織さんは僅かに驚きつつも、了承してくれた。ただし、自分とという条件付で。
 誰か他の女の子に僕という概念を一時的に刷り込ませることは出来るらしいんだけど、それは圭織さんにとって結構な重労働らしい。
 何より、全然知らない人よりも少しだけど知ってる人の方が、遊ぶだけといってもいいでしょう。そういうことで、今に至るわけだ。
「?何で、他の人、あたし達のこと見てるのかな?」
歩道の上を流れる雑踏に混じって、二人並んで目的もなく歩を進める。そこに向けられる多くの好奇の視線に首をかしげ、圭織さんがふと呟いた。
これにも勿論、明確とした理由がある。それは圭織さんの着ている服。
彼女の現在の服装は、ついさっき僕との初見の時と何ら変わりがない。つまりは、どこか寂れた黒衣のまま。
奇異なものを見るような視線が集まることも、必然と言えた。
「その服装のせいじゃないですか?」
 だから、思ったことをそのまま指摘する。
「何で?」
「あ、いや・・・なんでも無いです」
 でも、死に神と人間のファッション観は大分違っていたようだ。
 僕を見つめて首を傾げる圭織さんの瞳には、純粋な疑念が見て取れた。
「・・・?変なの」
 訝る彼女に曖昧に笑い返して、視線が集まるなか僕らは歩いていく。


 地元にある小さい遊園地。顕在するアトラクションは両手で数えられるほどしかない。
 そこにある、これまた小さな喫茶店の一角に僕らは向かい合って座っている。
 お互いの手元にあるものは、一杯のコーヒー。
 運ばれてきた時は好奇心溢れる、まるで無邪気な子供のように色んな角度からコーヒーカップを観賞していた圭織さん。
だけど、砂糖もミルクも何も入れず、静かにコーヒーを啜るその姿は美麗で、見惚れてしまうほど大人っぽかった。
「おいし・・・何?」
 ほうと簡単の吐息を漏らして、圭織さんは僕の視線に気づいた。
 若干鬱陶しげな視線に「いえ」と苦笑で返して、僕も自分のコーヒーをすする。
 圭織さんと違い、僕のは砂糖もミルクも大量に入れたので、大分甘かった。けど
「・・・苦い」
「まだ?」
嘲笑を織り交ぜ、圭織さんはため息をついた。 僕は更に苦笑を深くする。
 
それから暫くは、コーヒー一杯でその喫茶店に入り浸った。
その間、どちらかが饒舌に話すこともなく、ポツリポツリと短い会話が多少行なわれただけ。
でも、この何気ない時間が、何故かとても楽しく感じた。


 結局喫茶店を後にしたのは、あれから1時間も後だった。
 別に何をしていたわけでもなく、気がつけばそれだけの時間が経っていたというだけ。

 それからは、少ないアトラクションをのんびりと回った。
 レールに錆が浮かんで、必要以上にギギッとうなるジェットコースーター。
 馬が二三頭消えてしまっているメリーゴーランド。
 陳腐なお化けばかりが登場する、お化け屋敷。
 途中よったゲームセンターのパンチ力測定で、圭織さんが測定不能をだして驚いた。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 00:03

 今までに無い、楽しく有意義に過ごしている、僕の時間。
 こんなにも素直に楽しいと感じたことは、今までに無い。そう断言できる。
 楽しい。確かにそう感じているはずなのに、何かが胸の中に引っ掛かる。
 楽しさ以外の、思わず胸を掻き毟りたくなるような感情が、僕の中にわだかまる。

 そして気がつけば空全体に赤みが射してきていた。
 その情景を、僕らはゴンドラに乗りながら眺望している。
 といっても、眺めているのは圭織さんだけで、僕はその圭織さんの横顔を見ていた。
「これ夕刻って云うの?綺麗だね」
 艶やかでボリュームのある唇が、感嘆の賛美をもらす。
 薄く笑む死に神さんの表情は、僕が描く天使のそれよりもはるかに美麗で、悠然としていた。
僕の頬も、勝手に緩んでしまう。でも、同時に今までに無かった感情がふと湧いて出てきた。だから、僕は提案する。
「―――もう、逝きましょう」
 僕へと向き直った圭織さんの瞳は、懐疑の念がありありと含まれていた。
 それも、当然で。だって、まだ―――
「まだ、あと6時間も残ってるよ。もういいの?」
 不可思議なものを見るように、圭織さんの大きな黒瞳が僕に向けられる。
 僕は曖昧に笑って、首肯した。
「もう充分楽しみました」
「ふぅ・・・ん」
 特別何か言及するわけでもなく、圭織さんはしかし、降りつつある夕闇へと目を馳せた。
 端整な形の眉が、スッと平坦になり優艶な唇が坦々と言葉を紡いだ。
「―――死に神は、担当した死者に必要以上に干渉しないようにって言われてるんだ」
 「でも」圭織さんは続ける。
「気になること、ほっといたら後でモヤモヤするから」
 不意に圭織さんは僕へと向き直る。真摯な光をたたえた黒瞳が、僕を捉えた。
「君の顔、すごく悲しそう」
 ―――気のせいだろうか。
 暗幕を引く間際の夕焼けに照らされた圭織さんの顔が、一瞬、とても悲痛そうに歪んだ気がした。でも、一度瞬きをしてみると、そこにはただ僕を見つめているだけの、表情のない美麗な面。
僕は、嘲るように苦笑をもらす。勿論、自分自身に対して。
「―――僕は、空っぽだったんです」
 きっと情けなくなっているだろう僕の顔を、圭織さんに見てほしくなくて。
 そして、その真直ぐな黒瞳を、受け止めることが出来なくて。
 僕は、窓越しの空に視線を逃した。
「人は一生懸命生きてても、必ず死は訪れます。データからすれば、およそ80年ちょっとの人生です。
その僅かな人生をあくせくしながら生きていくなんて、何かバカらしい、そう思ったんです。
だからこそ、思い出なんかないからこそ、死んだとき冷静でいられた。来るべき時が、僕には早くきた、そう割り切ることが出来ました。
でも―――」
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 00:03
視界の下から湧き上がってくる熱い液体が邪魔くさくて、僕はそれを乱暴に拭い取る。
濡れてしまった手の甲を確認してから出した声は、呆れるほど女々しく、震えていた。
「―――願いなんか、叶えてもらうんじゃ、なかった・・・楽しい、思い出なんか、作るんじゃなかった・・・」
 死んで、その事を割り切って受け止めて、そこで初めて僕は人と触れ合うことの楽しさを知った。
 心の内で拒み続けて付き合ってきた、豊かな表情を持つ生前の友人たちからは、全く悟ることが出来なかった感情。
 それを、死んだ後初めて出会った死に神さんから教えてもらった。なんとも皮肉で愚かしいことだ。
 死んでからやっと、心を開くことが出来たのだから。
「・・・だから、もう逝きましょう。
これ以上いたら、ここに未練が張り付きそうで、恐い・・・」
 力なく笑って、死に神さんにもう一度申し出た。
何かを依頼するときは相手の目を見てするのが礼儀だけど、多分今僕の顔は滅茶苦茶だとおもう。僅かに残っていた男のプライドが、見つめあうことを拒んだ結果だった。
「―――幽界は、案外楽しいとこだよ」
 静謐な限られた空間に、凛と通った声が浮上した。
 反射的にそちらへ振り向いてしまうのと、僕の視界を掌が優しく覆ったのは全く同時だった。
「君、あたしが担当で良かったね」
 言葉が切れ、僕の暗い視界に一筋の光が射した。銀色に淡く光る光が、やがて視界全体を覆って僕の意識がだんだんと薄れていく。
 外見ではどうだかわからないけど、僕は確かに苦笑した。
「・・・ありがとうございます」
「その内、遊びに行くよ」
 意識がだんだんと薄れていくにつれ、感じるは心地の良い浮遊感。
 でも、次に圭織さんが優しい囁きに僕の意識は一気に覚醒する。
「またね、りゅーちゃん」
「!?・・・――――」
けど、それは一瞬のことで。
 一抹の驚きと共に、氾濫してきた思い出に頬を緩ませた僕は、柔らかな光に包まれて緩やかに弾けた。

7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 00:04
申し訳ありません
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 00:04

9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 00:05


Converted by dat2html.pl v0.2