30 カオリ
- 1 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:03
- 30 カオリ
- 2 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:03
- 亀井が髪を切った。
男の子みたいなショートカットにして、少し色も染めていた。そして耳にはピアスをしていた。
亀井の変化に、クラスの女子達だけでなく男子までもが席に集まって、なんやかんやと話している。
なんで髪切ったの、振られたとか、そんなの古いって、この色大丈夫なの、いけるっしょ、でも見つかったらやばくない、
ピアス開けてるし、もしかして男できたの、まさか、そいつの趣味だとか、ただのイメチェンだって、でもねえ――、
右斜め前の方向から聞こえてくる声をなんとなく聞き流しながら、僕はいつも通り席に座っていた。
チャイムが鳴って、皆がのろのろと席についた。担任が入ってきて朝礼が始まる。キリスト教の高校だから、そのあと
いつも、お祈りをしなければならない。
亀井は短い髪をかきあげた。その動作が、後ろ姿が、僕にある人を思い出させた。
- 3 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:04
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◇ ◇ ◇
「またいたぜ、あのキチガイ女。タバコ屋のおっちゃんの角の所だ」
野村が教室に入ってくるなりこう言った。僕らは、またいたのかよ、キモイよなあ、なんて喋りだす。
キチガイ女というのは、通学路でよく見かける、背が高くて髪の長い女のことだ。名前をカオリというらしい。
いつもよれよれのボロッちい服を着て、ボロいサンダルを履き、近所をウロウロ歩き回る、変なデカ女だ。
カオリが現れ出したのは、僕が小三の冬ぐらいだった。
最初は、なんか変な女の人だな、と思ってたぐらいだった。カオリを見たことのあるやつなら、みんなそう思っただろう。
子供特有のカンで察したのかはわからないが、カオリの雰囲気は、僕らの周りにいる大人とは、明らかに違っていた。
ある日、クラスメイトの田代が、「俺の母ちゃんが言ってたんだけど、あいつ頭オカシイんだって」と言ったことから、
カオリはキチガイ女として認定された。まともな大人のお墨付きをもらったことで、それ以後カオリのおかしな言動が、
僕らのクラスの話題の中心を占めるようになった。
毎日のようにカオリの変な行動が報告された。空を見上げたままずっと動かなかっただの、変な踊りを踊っていただの、
聞いたことのない歌を歌っていただの、晴れなのに何故か雨傘をさしていただの、独り言をぶつぶつと唱えていただの
(僕らの間で、それは魔術だという結論になった)、空を飛んでいただの(これは流石に嘘になった)、時速二百キロで
走るだの(もう悪ふざけだ)、とにかく話題は尽きなかった。
カオリはキチガイだから、僕らよりも下なんだ。そうランク付けしていたんだと思う。実際、カオリというスケープゴートが
いたせいか、僕らのクラスにはイジメというものは存在しなかった。男子と女子のいざこざも、他のクラスほどはなかった
ように思う。カオリはとても便利なやつだった。
- 4 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:04
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◇ ◇ ◇
一時間目は漢文だ。先生の後について、皆が音読する。といっても半分ぐらいのやつは、口パクだったり、小声でもぞ
もぞ言っているだけ。僕もその中の一人だ。
亀井はちゃんと音読しているのだろうか、ここからだと、亀井の声を聞き取ることはできなかった。
◇ ◇ ◇
カオリ≠ニいう名前は坂口が決めたものだ。だけど、まったくの創作でもないらしい。
坂口が帰宅途中、カオリが他人の家の庭から延びた木に、なにやらぶつくさぶつくさ話しているのを聞いた。カオリの声
はとても小さくて、聴き取りにくかったようだが、時折「カオリはね、こう思うの。ふくろうはね……」等と言っていたらしい。
自分のことを名前で呼ぶなんてますますバカだな、と言ったやつは、女子に殴られていた。
結局、カオリという名前は他のやつにはどうでもよかったらしく、カオリはキチガイ女と言われ続けた。
カオリ≠ェ本当の名前かどうかはわからなかったけど、僕は心の中でカオリと呼んでいた。皆といる時、カオリ≠ヘ
キチガイ女≠ノなった。
未遂に終わったが、僕らは何回かカオリにちょっかいをだそうとしたことがある。
学校からの帰り道、今度カオリに出会ったら悪口を言ってやるだの、髪の毛引っ張ってやるだの、かんちょーするだの、
おっぱいつかんでやるだの、そんなくだらないことを話していた。
でも、いざカオリと出会ってしまうと(カオリは神出鬼没だった)、僕らはわーと叫びながら、一斉に逃げ出していた。
カオリは逃げ去る僕らのことを、その大きな目で見つめていた。
結局、皆でカオリを話のネタにはしていたが、誰も接触したやつはいなかった。多分、僕以外は。
- 5 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:04
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◇ ◇ ◇
二時間目は数学だ。前の時間に当てられた人(といっても名前順だけど)が黒板に解答を書き、それを使って授業して
いた。僕はノートを手にとると、後ろの黒板に解答を写しだした。
亀井は前の黒板で、友達と問題についてあーだこーだ話しながら書き出していた。
◇ ◇ ◇
カオリは絵を描くのが好きだったようだ。
自転車で友達の家へ行く途中、カオリを見かけた。画用紙とクレヨンを持ち、珍しく帽子を被っていた。まるで、画家が
被りそうな帽子で、ボロッちい服を着ているのに、帽子だけは新品のようにキレイだった。僕はまだ時間に余裕があった
から、カオリのあとをこっそりと付けることにした。
カオリはしばらく歩くと、急にしゃがみ込んだ。そして手に持っていた画用紙に、何かを描き始めた。カオリの視線の先を
見ても、それまで歩いてきた道と変わらないアスファルトの道路だった。でもカオリは一心不乱に画用紙に向かっている。
何を描いているのか気になって、僕は自転車を止め、後ろから覗き込んだ。
画用紙には黄色のクレヨンが、ただ塗りたくられていた。
幼稚園児のラクガキでも、もう少しまともな絵が描けそうなものだ。でも何故か、僕はその絵から目を離せなかった。
ふと、カオリが顔を上げ、僕のほうを向いた。僕とカオリの目が合う。その大きな目に吸い込まれそうな気がして、僕は
逃げようとした。でも焦っていたせいか、自転車に上手く乗ることが出来ない。よろよろとペダルを漕ぎ、倒れそうになり
ながら、何とかその場から逃げ出した。今思うと、僕は恥ずかしかったのかもしれない。
このことは、誰にも言わなかった。
- 6 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:05
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◇ ◇ ◇
三時間目は英語だ。この先生は授業の最初の数分で、単語帳のある範囲内から、英単語の小テストをさせる。
皆は十分休みの間に、必死に単語帳をめくっていた。中には、机に書き写すやつもいる。
亀井は必死に覚えようとしていた。
◇ ◇ ◇
絵のことがあってから、どうも僕は、カオリに覚えられたようだ。
友達と帰っている途中、カオリがいた。空を見上げ、でも心はどこか遠くを見つめているみたいだった。
あ、キチガイ女だ。野村の声で、カオリの意識は、一応現実に戻ってきたようだ。この頃には、カオリはキチガイだけど、
危害は加えないことを皆知っていたから、逃げることもなくなっていた。
カオリは僕らのほうを見た。正確には、僕を見た。そして僕を指差して、ニコッと笑った。
カオリの笑った顔なんて誰も見たことがなかったし、話題にも上らなかった。僕らは突然のことで驚いてしまった。そして
一人が逃げた。一人が逃げると皆が逃げる。でも僕は、少しの差だけど、一番最後に逃げ出した。
カオリは逃げ出す僕らを見て、きょとんとした顔になった。でもずっと笑っていたように思う。
角を曲がった所で僕らの足は止まった。ハアハアと息を荒げながら、キチガイ女が笑うなんてビックリしたな、なんて話を
した。その後、カオリは誰を指差して笑ったのかという話題になった。僕は、明らかに自分を指差したことをわかっていた
けど、お前だろー、絶対お前だってー、とか言っていた。それも次第に言わなくなってきて、僕らはそこから無言で帰った。
カオリが笑うと可愛いということは、誰も言い出さなかった。
- 7 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:05
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◇ ◇ ◇
四時間目は理科だ。僕達は文系だから、生物か化学かで分かれていて、それぞれの教室へ移動する。
僕は化学で、亀井は生物だ。
◇ ◇ ◇
次第にみんな飽きてきたのか、六年生頃になると、カオリの話題はあまり出なくなっていった。
でもある日教室に入ると、なにやら皆が集まって話をしていた。野村達がその集団の真ん中で何かを必死に喋っている。
どうしたの、と周りのやつに聞くと、キチガイ女が事故にあったんだって、と言われた。僕はそのことを知っていた。
昨日、塾の帰りに夜道を一人で歩いていると、カオリがいるのが街灯の光りでわかった。
カオリは子犬を抱えていた。見ると、街灯の下に段ボール箱がある。きっと誰かが捨てたのだろう。
カオリは動物に好かれる。人が通ると凄い声で吠える小林さん家のバカ犬も、カオリが通った時は、とてもおとなしくなり、
甘えたような声を出す。カオリがバカ犬に近付いて、頭をなでなでしてやると、バカ犬はとても気持ち良さそうに目をつぶ
っていた。僕もトライしたことがあるけど、まったくダメだった。
カオリは僕に気付いたようだった。子犬も僕を見つめる。四つの目に見られてかなり恥ずかしかったけど、カオリがニコッ
と笑ったから、僕は意を決してカオリの所へ行き、隣にしゃがんだ。とてもドキドキしていた。
カオリは相変わらずニコニコしながら、子犬とじゃれている。子犬も安心しきっていた。
ひょいと、カオリが子犬を僕に差し出した。とっさのことで動けないでいると、カオリがどうしたのと、顔を近づけてきた。
僕はうつむきながら、おずおずと子犬を受け取る。その時カオリと手が触れた。カオリはニコッと笑った。きっと僕の顔は、
真っ赤になっていたに違いない。
子犬といっても、四十センチほどある犬だ。犬の扱いに慣れていない僕の手の中から、子犬はするりと抜け出した。僕は
嫌われているのだろうか。カオリが笑っていたから、僕も照れながら笑った。
子犬はとてとてと歩き出した。カオリはそれを見つめ、僕はカオリを見つめた。その横顔が、凄くきれいだった。
子犬は道路の真ん中らへんで止まった。何をしているのだろうと思ったら、ウンチだった。
- 8 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:06
- 突然視界が明るくなる。車のヘッドライトだった。子犬が見えないのか、車はそのままのスピードで突っ込んでくる。ウンチ
し終えた子犬は、眩しそうにその場に留まっている。
このままだと轢かれちゃう、危ない。そう思ったとき、カオリが動いた。
カオリは子犬を抱きかかえる。急に飛び出たカオリに気付き、車がブレーキを踏んだ。でも間に合わなかった。鈍い音が
辺りに響き、カオリは吹っ飛んだ。
車から若い男が出てきた。そいつは呆然としていて、目の前の状況が理解できないでいるようだった。僕も同じで、体の
動かし方を忘れてしまったかのように、立ち尽くしたままだった。
ごそごそと布の擦れる音がする。見ると、子犬がカオリの腕の中から這い出している。僕は我に返り、その男に救急車を
呼ぶように叫んだ。携帯電話なんてまだそんなに普及していない時代だ。男はすぐさま近くの家に電話を借りに行った。
僕はカオリの側へ行った。カオリの頭からは血が流れているようだった。子犬はカオリの顔をぺろぺろと舐めている。
と、カオリの指が動いた。目を覚ましたようだ。カオリは、うーん、と小さく唸った後、自分の顔を舐めている子犬に気付き、
そいつを軽く撫でた。その時のカオリは笑っていた。血は出ているものの、それほどひどいわけでもないようだ。
僕がほっとすると、カオリは僕の顔へ手を伸ばして、涙を拭ってくれた。いつの間にか涙を流していたようだ。それを自覚
したからか、僕は泣いた。カオリは困ったような顔をしていたけど、頭をなでなでしてくれた。
徐々に近所の人も増えてきた。救急車が来て、カオリは病院へ連れて行かれた。僕と子犬はそれを見送った。警察の人
に話を聞かれた。両親がやってきた。僕に怪我がないのを知ると安心していたけど、僕はカオリのことが気がかりだった。
その後、何回かカオリのお見舞いに行った。カオリの長かった髪はばっさりと切られて、可愛らしいショートヘアーになって
いた。カオリはベッドの上で、ぼーっとどこかを見つめていたけれど、僕を見ると、嬉しそうにニコッと笑ってくれた。とても
可愛い笑顔で、僕は顔が熱くなるのを感じた。
- 9 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:06
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◇ ◇ ◇
昼休みだ。前の時間に教室移動をしていたため、教室に帰らずに、そのまま食堂へ行くやつもいる。
僕は机で弁当を食べた。亀井は帰ってきていなかった。
◇ ◇ ◇
カオリは退院すると、どこかへ引っ越して行ってしまった。行き先は知らない。あの時の子犬を見せてやれなかったのが
残念だった。それよりももうカオリに会えないのが寂しかった。僕は布団の中で泣いた。今思うと、あれが僕の初恋だった。
僕の泣き声を聞いたのか、子犬がとてとてとやって来て、布団に潜り込み、僕の顔を舐めた。僕は子犬を抱きしめながら、
眠りについた。
◇ ◇ ◇
「伊沢っ!」亀井が僕の前の席に、後ろ向きに座った。
「なんだよ」
「どう? 髪の毛切ったんだけど」
「見たらわかる」
「そうじゃなくって、どう?」
「……いいんじゃないの」
「でしょでしょ」
それで満足したのか、亀井は自分の席に戻っていった。
- 10 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:06
- 家に帰ると、服を着替えて、カオリに首輪をつけた。久々の散歩に、カオリはしっぽをぱたぱたさせて喜んでいる。
僕はティッシュと袋を持つと、小学校の時の通学路をカオリと一緒に歩いた。もっとも、カオリが散歩中にウンチしたことは
一度もない。
小学校や地元の中学校のある場所と、駅のある場所はちょうど反対側になっている。私立の中学に行ってからは小学校
時代の友達とも疎遠になってしまったため、こちらにくるのは久しぶりだ。カオリと散歩する時も、あえてこちら側には行か
ないようにしていた。
あの時犬を飼ってもいいかと聞いたら、両親は渋々ながらオッケーしてくれた。でも名前をカオリにすることは反対された。
オス犬なんだから、カオリはおかしいじゃないかと言うのが親の意見だ。確かにその通りだけど、こいつの名前はカオリ
以外にはありえなかった。結果、親といる時は親の決めた名前で呼んで、二人だけの時はカオリと呼ぶことにした。昔と
同じだ。最初は戸惑い気味だったカオリも、すぐ二つの名前に慣れてくれた。むしろ、カオリのほうが気に入ってるんじゃ
ないだろうか。
懐かしいなぁ、何も変わってないなぁ、なんて思いながら、僕とカオリはぶらぶら歩いていた。と、カオリが急に止まった。
どうしたんだとカオリに聞くと、カオリはくーんくーんと一点を見ながら鳴いている。僕はカオリの目線を追った。
そこにはたんぽぽが咲いていた。
こんな所にたんぽぽなんて咲いていただろうかと思い、あることに気付いた。ここは、僕とカオリが初めて接触した場所だ。
これを描いていたんだ。何年も経ってから、僕はやっとカオリの描いていたものを知った。
今でも、同じ空の下で、カオリは絵を描いているのだろうか。聞いたことのない歌を歌っているのだろうか。変なダンスを
踊っているのだろうか。その可愛らしい笑顔を見せているのだろうか。
「カオリ、走るか」
僕はカオリの首から縄を外すと、一緒に走り出した。こんなにポカポカした気分になったのは、久しぶりだ。
もうすぐ春がやってくる。
- 11 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:06
- 川 ゜皿 ゜)
- 12 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:07
- 川‘〜‘)||
- 13 名前:30 カオリ 投稿日:2005/03/20(日) 22:09
- 从 ‘〜‘)
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