20 フレームアウト
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:29
- 20 フレームアウト
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:31
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私が彼女達を撮り始めてから、もう7年が過ぎようとしている。
尤も、当時の私の世界の中にいた娘は、彼女達の中には存在しないのだけれど。
私はテレビ東京のテレビカメラマンとして長年働いてきた。
今年の3月いっぱいで退職、フレームアウトする。辛いこともあれば、楽しいこともあった。
だけどそんな私にも、一つ大きな悩みがあった。
いつからだろう。彼女達が私の言うことを全く聞いてくれなくなったのは。
いつからだろう、と言っても私は思い出そうと思えば多分思いだせる。
それは本当に最近の出来事なのだから。おそらく今年に入ってからだ。
いくら私が指示しても聞く耳を持たない。楽しそうに笑って、はいはい、と適当にあしらわれる。
年寄りに用はないというところなんだろうか。
彼女達は私にだけ、そんな態度をとり続けた。後輩達は私に気を使ってか、無理に注意を入れない。
そしてチームマネージャーが現れ叱るまで、彼女達は目の前に立つカメラを無視し続けるのだ。
一体何故そんなことになったのかは分からない。
もしかしたら私が何かしたのかもしれないが、少なくとも何もした覚えはない。
そして彼女達は、今日も私を苦しめる。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:32
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『ハロー!モーニング』という番組のメインコーナーの収録。私はいつものように1カメを構える。
正直な話、私が1カメから外れたらどんなに撮影がスムーズに進むのか、考えたことがあったが、
後輩達はそれを許さなかった。チーフにならないままに引退していく自分の扱いに困ってのことなのか、
彼らなりの気遣いか。
彼女達はやはりいつものように喋って撮影を始める気が全くないようにも思えた。
しかし誰も怒らない。こうなると誰も怒れない。機嫌を損ねたり泣かせたりした時が一番始末が悪いのだ。
そうなるともう撮影どころではなくなってしまう。
彼女達の先輩、元メンバーの娘達も注意する気が失せてしまっているような、
そんな表情を浮かべている。だから操縦に慣れているチーフマネージャーを待つしか、
私達には術がなかった。
彼女達の会話は私の耳にも届くほど大きなものだった。
といってもバラバラで、たくさんのざわつきの中から時折耳が勝手に拾ってくるものなのだが。
「爆発させるとかさー」
「心臓発作で死んじゃうよー」
「寒い。だって普通にやってもさ」
「真面目に話してるよ!クラッカーでいいよ」
一体何の会話をしているのか、危険度が高すぎて私は知るべきではなさそうだった。
その笑う姿も、私に苛立ちを覚えさせるものでしかないのだし。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:33
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ガヤガヤと高い声がスタジオを響き渡る。
マイクが集音していないのにも関わらずその声はよく響いた。迷惑なくらいに。
まるでワザとそうしているのではないかと勘繰ってしまうほどに。
「じゃあ特上寿司頼もうよー」
「まこっちゃんホント程々にした方がいいと思うよ」
「そんなかに一個だけあり得ん量のワサビ入れてみたらどうかのう」
「えー!無理無理無理!食べたくない!」
こっちはこっちでホームパーティーの話題だろうか。
出来ればそういうのは楽屋でやって欲しい。というかやるべきだ。
ここはスタジオであって、個人的な話で盛り上がる井戸端ではないのだから。
しかし私が出来ることはそうやって心の中で愚痴ともとれる注意を呟き、
蓄積されていくストレスを少しでも緩和しようとすることくらいだった。
声に出して注意するなんてこと、私には出来ない。
やがてチーフマネージャーが現れるとそれだけで彼女達は目の色を変えた。
テキパキと決められた定位置に構えると、待ってましたとばかりにディレクターが登場。撮影が始まった。
撮影が始まれば彼女達は人が変わったように、私に向けて笑顔を全力投球で投げ込んでくる。
そしてそれは私の胸の奥になんともいえない感情を煮え滾らせた。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:34
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撮影はそこから順調に進み、あっという間に終わってしまった。いつものことながら拍子抜けする。
次々とセットが美術スタッフの手によって片付けられていく中、
私はカメラを後輩達と一緒にカメラ倉庫へと運んでいった。
スタジオから倉庫までの道程をローラーで転がしながら進む。
その途中談笑を交わしたりして時を過ごすのだが、その時突然後輩が私の顔を見て真剣な顔をした。
「……土屋、どうかしたか?」
「…………」
高卒で、今年度から入社した土屋。
体が大きく、荷物持ちばかりをしていてカメラを持ち始めたのはつい最近だ。
土屋は私を見下ろしながら、その鋭い眼光を私に向けてきた。
「前田さんは優しすぎるんっすよ」
敬語もせいぜい丁寧語。若者口調が全く抜けない彼の言葉だったが、胸に深く響いた。
土屋はそれだけ言い残すと、スピードを上げて一人先にカメラを倉庫へと運んでいってしまった。
他の後輩達は気にしなくていいんですよ、と私に気を使ってくれたが、
それでも土屋の言葉はずっしりと重かった。
土屋はおそらく私を一番慕ってくれている後輩だったからだ。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:35
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その日仕事が終わると、久しぶりに中澤裕子と飲みに行く機会が得られた。
中澤とは7年の付き合いもあってか、よく一緒に晩酌を交わす中だった。
今年からは私が色々この世界について教えるためにお節介ながら土屋を引っ張り、3人でよく飲み歩いた。
「近頃の撮影、ひどいよな…。やっぱ、優し過ぎるのかな、俺」
「言った本人がいる目の前で堂々とし過ぎっすよ」
「カメラはないものと思え、って教えたろう?」
近頃漸くカメラを持つことを許された土屋は、
練習にと到る所でハンドカメラを持ち歩いて撮影の特訓をしている。
最近ではよく私のことを撮っているが、もう慣れた。
「どうかな、優しすぎるって言われてもどうしていいか分からないし。
厳しくすべきなのかどうかも。多分厳しく出来ないだろうし」
「大丈夫じゃないですか?見てる娘はちゃんと見てはりますって」
「そうかな」
「そうですよ、それに」
「それに?」
「彼女達、ものごっつ大事な仕事は、すっごくちゃんとこなしますから」
「ものごっつ大事な、か……」
つまり彼女達が思う大事な仕事郡達の中に、私のしている仕事は当てはまらないのだろう。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:36
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時は流れ、仕事納めの日がやってきた。最後の仕事もまた、彼女達。
奇しくも『ハロー!モーニング』の仕事だった。朝早く少しだけ憂鬱な気分に襲われながらも、
私はスタジオまでの道を行った。
その途中、別スタジオの方向から土屋が駆け足で現れた。走ってきたのか大分疲れた様子を見せている。
「時間、間に合ってますよね?」
「大丈夫だよ」
「よかったー……」
土屋はその大きな体、迫力のある雰囲気からは想像できないような表情で安堵した。
土屋の呼吸が整ったところで、二人ゆっくりスタジオまでの道を再スタートする。
一歩一歩が重かった。
それはこうやってカメラを持ちながら歩くのが最後だからか、
彼女達が喋り散らしている姿が頭に浮かぶからなのか。おそらく後者だ。
最後の最後、どうして彼女達と当たってしまったのか。己の運命を、ほんの少しだけ呪った。
先日の中澤の言葉が頭を掠めたおかげか、ほんの少しだけ。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:37
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期待していた私がバカだったのだろう。
彼女達はやはりいつものように好き放題に動き回り、好き放題に雑談していた。いつものパターンだ。
やはり彼女達にとって私のしていた仕事は、どうでもいい仕事だったのだ。ため息を誰にも聞こえないように吐き出した。
いつものパターンのようで、今日は一点だけ異なる点があった。
チームマネージャーの姿が見えない。
この間現れた時あまりにも行儀良くしていた彼女達を見て勘違いしたのかもしれない。
もしそうだとしたら、最悪の事態だった。最後の最後で仕事にならない。
最後の砦を崩され、私達はもう打つ手がない。私は頭を抱えた。
半ば諦めながらカメラの横でその光景を傍観していると、
私の目の前に彼女達のリーダーが突然、姿を現した。
「ねぇ」
矢口は言う。
「ここでやだ」
「…………それってどういう」
「スタジオ移動しよ」
いきなり言われた、常識という言葉が死語になってしまったのかと疑いたくなるような一言。
破天荒な提案にも程がある。
「このスタジオ作るのに美術スタッフが何時間かけてるのを知ってお前は」
「前田さん」
肩を突かれた。土屋だった。手に持ったカメラで合図している。
私は仕方がなく首を縦に振った。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:39
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何故か私を先頭にスタジオ移動が開始された。そう遠くないBスタジオへ向かう。
しかしその途中の私の頭の中は愚痴で埋め尽くされていた。
サハラ砂漠の砂ほどの量の愚痴が頭中に降り積もり、今にもパンクしそうだった。
今まで何十年とこの仕事を続けてきて、辛いこともあれば楽しいこともあった。
しかし最後の最後にしてこれほど辛い仕打ちを受けるとは思っても見なかった。
私のカメラマン人生は、一体なんだったのだろう。
彼女達にとってそれはきっとちっぽけで、些細で、どうでもいいものだとしても、
少なくとも私にとってそれは意味のあるものだった。でも、それすら見失ってしまいそうだった。
長い廊下を行き、角を右に曲がり、再びまっすぐと進んで見えた大きな扉を重たい体でこじ開ける。
そしてそこに広がる空間を目の当たりにした時、私の思考は完全にシャットダウンした。
置かれた一台のカメラ。長いテーブルに並べられるはたくさんの料理。
立食式のパーティー会場のような雰囲気に、飾り付けられた可愛いオブジェ達。
何もかもが予想外すぎて、私の頭は反応し切れなかった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:40
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途端に聞こえてくる、クラッカーの弾ける音。
たくさん聞こえたそれに体がビクつきながら振り向くと、彼女達全員笑顔で私のことを見ていた。
…なんのことだか全然分からない。矢口がせーの、と呟くと、彼女達は一斉に声を上げた。
「前田さん、40年間お疲れ様でした!」
言われてからこの間彼女達から聞こえてきた物騒な会話を思い出し、
すぐにテーブルに並ぶ品々を覗いた。
「あの時の会話…全部?」
驚きのあまり言葉がそれ以上出なかった。彼女達が仕事と関係なく、私のために?
彼女達は私のカメラの前に立つと、矢口が皮肉っぽく笑った。
「これ作るのにおいら達が何時間かけてるのを知ってるのか」
ああ。
「前田さん、あとはあんたが回すだけですよ」
「待ってて」
私はカメラから彼女を覗き込んだ。でも、
「待って、レンズが曇って見えやしない」
「えーそれ新品ですよ。プレゼント」
そこまで言われて私は自分の涙をレンズのせいにしていたことに気がついた。
「バカ…こんなでかいもんもらったってしまう場所ねぇよ」
「うわ前田さん泣いてるよ!」
「泣いてねぇよ。…………」
その先の言葉がなかなか出てこなくって、困った。
「年取っただけだ」
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:42
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カメラを回したら思い出に持って帰ってください。
そう土屋に言われて途中まで彼女達が楽しそうに食事するところを撮影した。
少しだけ遅い朝ごはんといえる時間帯。5時入りでこのセット作ったんすよ、と土屋が耳打ちしてくれた。
彼女達は誰もかれも本当に楽しそうに、無垢な笑顔でカメラに映っていた。
近頃私を悩ませ怒らせていた笑顔と何一つ変わらないもののはずなのに、今日は本当にいい笑顔だった。
それをフレーム越しで見る笑顔だからということにしておくと、誰かに手を引かれた。
「前田さんも食べて。これ絵里達が作ったの」
「なんか危ないもん入ってんじゃないのか?」
「ひどーい。ほら食べて」
「ん、意外と悪くはない」
引っ張られた拍子にフレームインする。
録画ボタン押しっぱなしのカメラは、身動き一つなく黙々と私を撮った。
もしかしたら、しっかりとしたテレビカメラに映るのは、人生初かもしれない。
小さい頃、近所の玩具屋にテレビがやってきて、
友達がみんなカメラに映ろうと群がっていたときのことをふと、思い出した。
生まれてはじめて見たカメラ。
でも私の興味はカメラに映ることよりも、みんなを映しているカメラマンの方にあった。
ずっとずっとカメラマンのことをちょっと離れた位置から見続けて、友達に変なやつだと言われたような気がする。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:42
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そこからずっとカメラに憧れを持って、放送部でテレビカメラをはじめて触って、
お小遣いを少しずつ溜めてカメラを買って。
大学に入って、映画研究部でカメラマンとして頑張って、この世界に入って。
後悔した時期もあった。
楽しいことと辛いことなら辛いことのほうが圧倒的に多いこの世界。
彼女達だって昨日までは辛いもののトップ1に君臨していた。
でも、今なら確かに言える。言い切れる。
この世界に入って、この仕事について、彼女達と出会えて、本当によかったと。
心から、そう思える。
並べられた食べ物を口に入れながら、
大量に混入されたワサビと一緒に胸いっぱいに感じた。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:44
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4月、春も芽生えた日曜日の昼、ふと後輩達や彼女達の活躍を期待しながらテレビのチャンネルを回すと、
見慣れた娘達の画が飛び込んできた。なんとなく、感慨に耽る。
思えばこうして完成品をテレビ越しに眺めるのは、今日がはじめてだった。
私はこんな仕事をしていたのか、と少しだけ誇りに思うと同時に、胸が熱くなる。
画面が切り替わる。次のコーナーへと展開される。はずだった。
しかし今日は少しだけ違うようだった。
「あれ?」
矢口と土屋がテーブルを囲んで向かい合い、なにやら話をしている。
『実は折り入った相談がありまして』
『はい』
『前田さん、カメラの前田さん今年で退職するじゃないですか』
『はい』
え?
『サプライズパーティーみたいなものをやれないかな、って思うんすけど』
え!?
テレビ越しでは私が退職するに当たって彼女達がサプライズパーティーをするまでの行程が、
全てドキュメンタリータッチで描かれ放送されていた。
会議から舞台設置、パーティーの様子まで、何もかも。
そして土屋が練習といって納めていた私の映像は全部、当然のようにこの番組で流れていた。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:45
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「……やられた」
素直に出てきた感想だった。
笑ってしまった。というか、笑うしかなかった。
こんなことをやられて、笑う以外に何をしろというのか。
同時に私の頭を、中澤の言葉がリフレインした。
『彼女達、ものごっつ大事な仕事は、すっごくちゃんとこなしますから』
ちょうどいいタイミングでテレビからその言葉が流れてきて、少しだけびっくりする。
つまり彼女達は、仕事だから急に態度を急変させ騒ぎ出し、
仕事だから私のためにパーティー会場をセッティングし、
仕事だから屈託のない笑顔をフレームに向かってプレゼントした。
本当に、笑うしかなかった。でも。
「……まあ、よしとするか」
フレーム越しから見た彼女達の笑顔。
あれから何度も再生しては、繰り返し眺めているその笑顔は、私にとっては偽りのないものだから。
お疲れ様でしたという言葉もたとえ口先だけなのだとしても、胸を熱くさせてくれたから。
全て私にとっては真実だ。
確かに彼女達は、心の底からの笑顔を私に見せてくれたと、信じることが出来るから。
それに少なくとも、彼女達はこの仕事を、
中澤の使う言葉を借りるならばものごっつ大事な仕事として、こなしてくれたという事実。
それだけで、私の目頭を熱くさせるには充分だった。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:45
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- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:45
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- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 00:45
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