6 境界線

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:31
6 境界線
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:31

「ねぇ、ジュース取ってきて」

毛羽立ったカーペットにごろんと寝転がったなつみがソファに寝転がる俺に言う。

「自分で行けよ」
「病人を労わってよ。もうすぐ死んじゃうんだよ、なっち」

俺の答えになつみは口を尖らせ、伝家の宝刀を取り出す。
聞き飽きたんだよ、その言葉は。
俺はその言葉を喉元でぐっと飲み込み、重たい体を起こして冷蔵庫に向かう。
ロクなもんがない。
ミネラルウォーターとビール。冷蔵庫の中はそれだけだ。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:32

「水とビールどっちがいい?」
「ジュース」
「ないんだよ」
「買ってきてよ」

ビールを取り出して冷蔵庫のドアを閉める。
戻ってきた俺の手にあるものを見てなつみが眉を寄せた。

「ビール嫌い」
「俺が飲むんだ」
「なっちは?」
「知るか」

吐き捨ててビールのプルトップを引いた。
泡と共に、パシュッという小気味の良い音が乾いた室内に飛び出す。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:32

「ちょうだい」

なつみが体を起こし手を伸ばしてくる。
元からそう言うだろうと予想していた俺は素直にビールの缶を手渡してまたソファに寝転がった。

「ねぇ、なっちが死んだらさぁ」
チビチビと缶に口付けながらなつみが言う。

なっちが死んだらさぁ――

聞き飽きた言葉のパレードが始まる合図だ。
俺はただ瞳を閉じてそのパレードが過ぎ去るのを待つ。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:33

「お葬式はしなくていいから、なっちの体を小さく切り刻んで雪の上にばら撒いてよ」

知ってるか?
お前、毎日俺に同じこと言ってるんだぜ。

「白の中にポツポツと散らばる赤は苺畑みたいできっと綺麗だと思うんだ。
 それに雪の上に置いてたら自然に冷凍されて腐らないし一石二鳥」

知ってるか?
それ、ホントは――

「それで、貴方は雪が降り積もってなっちの欠片が消えるまで見守ってくれればいいの」

ホントは俺が言った言葉なんだぜ。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:33


きっとなつみは自分と他人の境界線を見失いやすい性質なのだろう。
数年前、なつみがまだアイドルなんてやってた時
詩を盗作したとかなんだかで一時期話題になったことがあったが、
思うにそれだって彼女にはノートに書いた他人の詩が自分のものに見えていただけなんじゃないだろうか。

俺は、もっとはやく気がつくべきだったんだ。
彼女が俺と同じ銘柄の煙草を吸い始めた時。俺の嫌いなトマトを嫌いになった時。髪の色を変えた時。
よくよく思い返してみれば、その兆候は確実にあったのだから――
なつみが自分自身と俺との境界線を完全に見失う前に気がつくべきだった。
そうすれば、こんな事態になる前に別れることも出来たはずだ。


でも、まさか他人の余命まで自分のものにするなんて誰が思う?
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:34

半年前、医者から神妙な顔で余命を宣告されたは俺の方だった。
まるでドラマのような医者の言葉に思わず噴出しそうになった俺の隣で
なつみはいきなり膝から崩れ落ちた。
そして、俺よりも先に病院のベッドを使ったなつみは
目が覚めるとなぜか余命1年の悲劇のヒロインになっていた。

最初はなんの冗談かと思ったが、死を恐れるなつみの目は本気だった。
泣いて喚いて部屋をグチャグチャに荒らして、
何度も死ぬのはお前じゃないと言い聞かせても信じようともしない。
一度は精神科医にでも診てもらおうかとも考えたが、すぐに思いとどまった。
診てもらって、それで正常になったところで、なにが変わるっていうんだ?
俺が死んでなつみは一人になる。異常でも正常でも、その事実だけは決して変わらないのだ。

現実を捻じ曲げた状態でなつみのバランスがとれているのならそのままでも構わないような気がした。
多分、俺もおかしくなっているのだろう。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:35

「でもさぁ、長くもっても一年ってことは明日死んじゃうかもしれないんだよね。
 ねぇ、もし明日なっちが死んだらどうする?」

パレードの終わり。俺はゆっくり瞳を開ける。
部屋の照明がやけに眩しく感じられた。
霞む視線を泳がせると答えを待っているなつみの顔が目にうつる。

なぁ、俺が明日死んだらお前どうするんだ?

「ねぇ、ちゃんと聞いてた?」
黙っていると不満そうになつみがソファを叩いた。

「聞いてたよ」
「答えは?」
「……そうだな、面倒くさいけど
 雪の中に苺畑作ってお前の欠片が雪に埋まったら、ちょっとだけ泣いてやるよ」
「約束だね」

なつみが笑う。血色のいい健康的な肌で。
俺も笑った。青白くなった病的な肌で。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:35

なぁ、なつみ。
死ぬのは俺なんだぜ。バカ。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 17:36
終わり

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