29 黒死病
- 1 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:45
- まっしろなカーテン、まっしろなベッド、まっしろなシーツ、まっしろな壁。
神経質なほどに白い部屋の中で、黄ばんだ天井だけが、唯一のリアルだった。
瞼が重く、こめかみの辺りから後頭部にかけて痺れている。
鈍い思考に、今が夜であることしかわからない。
体を動かすたび、筋繊維のあちこちが切り裂かれているような痛みが走る。
不意に吐き気が込み上げ、わけもわからずに吐いた。
あるもの全て吐き出しても、胃は痙攣し続けている。
吐瀉物が、ベッドに黒く染みを作った。
口の中、そして一帯に薬の匂いが起ち込める。
- 2 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:46
- まっしろな空間を私の吐き出した黒が侵蝕していく。
神経質な白の中、その黒は異様に映えて視界を濁した。
起ち込める薬の匂いと口に拡がる胃酸の苦味。
そして目の端から零れる涙は唐突に、私の世界に色を戻した。
頬を濡らす塩辛い液体を手の甲で拭い、目に染みる白い電灯へと翳してみる。
手首を伝って輝くのは清らかに透き通った雫ではなく、墨汁のように黒く濁った涙。
黒死病・・・黒く穢れた私の体液を見てヒトはそう呼んだ。
涙、汗、唾液に胃酸、血液さえも、私の身体から分泌される液体は全て闇色をしている。
いつの頃からこうだったのか、永い眠りから目覚める以前の記憶を持たない私にそれを確かめる術はなかった。
何処からか悲鳴が聞こえる。
吐瀉物の黒に僅かに混ざる朱の持ち主の悲鳴が。
死因は病死。
病名は黒死病。
今宵もまた1人、黒く穢れて異界へと旅立った。
- 3 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:47
- *****
- 4 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:47
- 『亀井絵里』。
そう刻まれたプレートの掛かった入り口は無視し、翼を広げて窓から飛び立った。
居心地の悪い死の臭気が満ちた病院という建造物から離れられるのはありがたいけど、
晩秋の冷め切った空気の中を薄手のパジャマ一枚で滑る行為はあまり健康にイイものじゃない。
それでもまぁ夏の熱帯夜、肌に貼り付く鬱陶しい空気の中を黒にまみれて飛ぶよりいくらかマシではあるけど。
なんて、死ぬことの亡い身体で健康に気を遣うの自体愚の骨頂かな。
そんな事をぼんやり考えながら月光浴を満喫していると、不意に翼を撃ち抜かれた。
キリキリと回転する私が地面に叩きつけられるのを待たず、襲撃者は次々と高速で礫を投げてくる。
右手の擬態を解いて爪を尖らせ、飛来したコンクリートの破片を縦に薙ぎ払った。
腕の一振りで粉々になった礫を認め舌を鳴らして、襲撃者は着地した私目掛け駆けて来る。
- 5 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:48
- 突き出された右腕を身体を左にずらす事で避け、襲撃者・・・田中れいなの脇腹を横に薙いだ。
バッ、と夜空に咲いた華の色は紅ではなく・・・黒。
私は右手を伝う黒い液体を口に入れ、顔をしかめた。
「やっぱり不味いね、保菌者のは・・・ってあぁ、れーなは立派に発症してるか」
保菌者ってゆーのはまだ発病してないヒトの事を指すんだよね?
そう言って嗤うと、れいなは元々悪い目付きをさらに尖らせて飛び掛って来た。
軽くいなして横っ面を蹴りつけると、可愛そうな子猫は錐揉みしながら公園の地面をバウンドして行く。
勢いそのままジャングルジムに衝突して、派手な音が無人の公園に響き渡った。
あーあ、この街の子供の数少ない遊び場なのに・・・。
「ぐっ、は・・・。」
「急にどうしたのかな?れーな。私恨まれるようなコトした覚えないんだけど?」
「・・・さっき、さゆが死んだ」
「みたいだね。間接的でも私の支配下にあったんだからわかるよ」
自分でもわかるくらいに下卑た笑みを貼り付けて言う。
- 6 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:48
- れいなはキッとこちらを見上げたけど、スグに力なく項垂れ振り上げた拳を地面に置いた。
「話が、違う。えりが、さゆもなれるって言ったから、あたしは・・・。」
「ふーん。で、どうだった?最愛のヒトの味は?」
がん。
背後の鉄屑を蹴る音と同時、れいなが眼前で爪を振り翳す画が拡がった。
彼女の両手首を掴み、ギシギシと文字通り人外の膂力で押し合う。
足元で地面が喘ぐのを気に留めず、私は口元を三日月に吊り上げた。
「美味しかったでしょ?」
生が満ちた搏動を奏でる紅色は。
「醜かったでしょ?」
死を前にのたうち回る黒色は。
「っ、五月蝿い・・・!!」
「あはは、正直だねれーなは」
嗤いながらさっき斬った脇腹を蹴り付ける。
苦しげな吐息と共にれいなの口から噴出された霧が、この場所の闇を他より少しだけ色濃いものにした。
- 7 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:48
- 「アンタだけは、赦さない」
「おー、ホント正直だ。ケドね・・・。」
「ぁっ!?」
ずぶり。
膨らみの足りない胸の奥に私の手首が沈み込むと同時、れいなはその動きを永久に止めた。
夜目の利く私の視界に映った彼女の最後の動きは、その瞳孔が音も亡く見開かれる動作だった。
どさっ、と緊張感の乏しい音の後、うつ伏せに倒れたれいなの身体を中心に黒い水溜りが形を成していく。
「所詮は二次感染者、ウィルスそのものである私に敵う道理は無いんだよね」
醜く変わり果てた子猫の肢体を背にして歩き出す。
まだ彼女の身体が黒以外の色を持っていた時はあれほど美しかったのに。
その事実は、私の心をいつも以上に荒ませ苛立たせたらしい。
折角周囲に満ちる死の匂いも、新鮮さが亡いから食欲をそそらない。
この病にかかったヒトはその時点で土に埋められる権利を持ってるんだから当然だ。
- 8 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:49
- 食欲を殺がれたコトだし今夜はもう諦めて病室に帰ろうかと思ったその時だった。
「ウィルスそのものか、上手い事言うねー。
けどじゃあさ、そのウィルスを駆逐するワクチンが現れるのも道理だよね?」
夜の静寂を斬り裂くように凛と響いた声。
私は弾かれるように声のした方へ顔を向けた。
真ん中辺りがひしゃげて高さの変わったジャングルジムの上、ヒト影は浮かぶように佇んでいた。
「あなた、誰ですか?」
「後藤真希。ワクチンでーす」
恐ろしく簡単な自己紹介の後、ワクチンを名乗る女性は音も無く跳びかかって来た。
腰から抜かれた青白い刃が宙を滑り、私の頚動脈を迷い無く屠ろうとする。
咄嗟に身を引いてかわそうとしたけど間に合わず、手首から先を持って行かれる結果になった。
異常に気付いたのはその直後。
斬られた手首が、再生しない。
- 9 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:49
-
「・・・あなた、何者?」
「だからワクチン。アンタらのウィルスに感染しながらもヒトを辞めずにそのチカラだけ受け継いだ運の良いヒト」
日の光の下で見れば綺麗な栗色をしているだろう長めの髪を靡かせ、女性はしれっとした口調で紡ぐ。
右手に握られているのは時代劇で目にするような日本刀。
けど私がかつて見た時代劇のどの剣豪より、彼女はそれを無駄なく振るっているように思えた。
気まぐれで飲んでみて見事に吐き出した、黒死病の症状を抑えるという薬を思い出す。
あの程度じゃ毒にもならなかったけどなるほど、ヒトって種族は数の力で超越種を超えるコトさえあるらしい。
- 10 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:49
-
「つーわけで、あなたには死んでもらうよ」
目の前を銀が走る。
今度は抵抗する気になれなかった。
だって、ウィルスがワクチンに駆逐されなきゃ大勢困るでしょう?
それに、現実ってのはいつでもこうやって唐突に現れるもんだ。
- 11 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:50
- ざん。
私が最後に聞いた音がそれ。
そして私が最後に見たのは、壊れたスプリンクラーみたいに黒々とした液体を撒き散らす自分の胴体と
その脇で刃を収める女性、そして視界を死の色に濁す、道理も亡く溢れた涙だった。
- 12 名前:29 黒死病 投稿日:2004/11/23(火) 22:51
- お
- 13 名前:29 投稿日:2004/11/23(火) 22:51
- わ
- 14 名前:29 投稿日:2004/11/23(火) 22:52
- り
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