24 君死にたもうこと勿れ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:13
- 「すずめよりは高く飛べるよね?」
そう言って彼女は、大空へ高くジャンプした。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:15
- 彼女に初めて出会ったのは露西亜との開戦に向けての軍法会議、
という口実の元に行われた酒事からようやく解放されて家路に向かって
いたときのことだった。
私は未成年ながら酒は既に飲み慣れていたし、何よりあの温かい
雰囲気に包まれながら飲むのが好きだった。
けれどさすがに朝が明けるまで付き合わされると話は別だ。
私は頃合を見計らい適当に作った理由で断りを入れるとその場を
後にした。
「全く、保田中佐もすぐに酒に走らなければ少しは尊敬できる人
なのになぁ。」
と煉瓦舗装された車道を少しふらつく足で歩きながら溜め息混じりの
口調で呟いた。
酒事が開かれていた場所から軍の兵舎まではそう遠くもなかったので、
酔い覚ましにガス灯に照らされながら歩くことにした。
というか人力車や鉄道馬車も走ってない時間だったためにそれしか
方法がなかった。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:18
- そして石に架けられた橋の袂に差し掛かると、1人の少女が3、4人の
男達に囲まれて絡まれていた。
私は一旦立ち止まるとその光景を見て軽く溜め息を吐き出す。
見知らない子を助ける特に理由ないし、一銭にもならない面倒な
ことに首を突っ込むのは昔から嫌いだった。
だから今回は他人のふりをして平然と通り過ぎることに決めた。
それからゆっくりとその騒いでいる一帯との間合いを詰めていく。
近づいてみると私よりも3、4才くらい年下の女の子だということも
分かった。
少女は黒髪を束ねずに胸の辺りまで垂らし、その顔は少し色黒だけど
清純そうな感じがする綺麗な子だった。
でも少し肌寒くなってきた季節だというのに下は萌黄色の襦袢、
そして上には赤黒い半纏を羽織っているだけだった。
その格好から察するに学生とは到底思えなかった、義務教育制度が
近年できたとはいえ貧しくて就学できない者も少なくないと聞く。
そのとき不意にこの近くに遊廓があったことを思い出して納得した。
仕事が一段落して涼みに来たのかまたは逃げ出してきたか、
ただ少女の年頃を考えると大方後者の可能性が高いと推測した。
この橋にいた理由が何せよ、そこを柄の悪い男達に絡まれてしまった
らしい。
でも私には全く関係ない出来事だし興味がなかった。
だから横目で軽く様子を伺いながらも少し早足でその場を通り過ぎ
ようとした。
でもそのとき運が良いのか悪いのか彼女と目が合ってしまった。
すると最初は少し驚いた顔をして困惑しているようだったけれど、でもすぐにその表情は何事でもないと言わんばかりに微笑みへと変わる。
それを見てやっぱりこういうことには慣れてるんだなと思って、
私は軽く鼻で笑ってから顔を正面に向けた。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:20
- 別に臣民を助けるのが軍人の役目と息を捲く性分でもないし、
かといって自分の身分を掲げて平伏させたいと思ったこともない。
ただまた戦争が起きれば私は国の為に身命を捧げないといけない。
それが軍人としての定めだし逃れられない現実だった。
そういえば入りたての頃に誰かが「軍人は死ぬのが仕事だ」などと
言っていた気がする。
でもそれを小耳に挟んだときそれも良いかなぁと呑気に思った。
私は死を怖れないほど強靱な精神は持ち合わせていない、けれど
戦場ではあまり恐怖を感じたことはなかった。
自分の腕を過信しているところもあるだろうけど、一番は私が生に
強く固執してはいないからだと思う。
今まで生きる理由を見つけれずに何となく無難にこなしてきた。
愛する人がいるわけでも出世欲があるわけでもない、だから死んでも
特に悔いが残りそうにないから。
ただ故郷の両親に多くの仕送りができる為だけにやっている。
普通の仕事よりお金が稼げる、軍人に志願したのは別にそれ以上の
理由はなかった。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:22
- そして橋を渡りきる直前で何となく後ろ髪を引かれる感じがして、
私は首だけを少し後ろに振り向けて様子を見た。
すると彼女は顔を少し俯けながら目を細めて薄く笑っていた。
でもそれは余裕の笑みという感じはなくて、全てを諦めたような
自嘲の笑みに思えた。
「あぁ、もうっ!口でちゃん言えばいいじゃん!」
私は足を止めると頭を乱暴に掻き毟ってから吐き捨てるように呟いた
そして体を彼女の方に反転させると男達に向かって一直線に走って
行き、そのうちの1人の顔面に拳を食らわせた。
男は短く呻いてから白目を剥いてあっけなくその場に倒れる。
「助けて欲しいならそう言いなよ!しゃべれるんでしょ?それなら
目じゃなくてちゃんと口で言うこと。いい?」
私は状況を完全に無視すると少女の方に向き直って説教をした。
「あっ、はい・・・・。」
少女は呆気に取られた顔をして見上げながら気が抜けた返事をする。
「本当に分かってんのかなぁ。」
私はその様子を見て疲れた切ったような深い溜め息を吐き出した。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:25
- 「おい、てめぇ!いきなり殴っといて無視すんなよ、ゴォラ!」
そんなときいきなり逆上した柄も悪ければ口も悪い男の1人が叫ぶと、こちらに向かって殴り掛かってきた。
「ん?何まだ居たの?」
私は頭を掻きながら面倒くさそうに呟くと一歩後ろに下がり男の拳を
避ける、そして髪から手を離すと裏拳を腹に深く叩き込む。
威勢だけが良かった男は先程の奴と同じように地面に倒れ込んだ。
「てめぇ、よくも兄貴をやりやがったなぁ!!」
すると今倒した奴の子分みたいなのがまた勝手に1人逆上して
襲い掛かってきた。
でも今度はどこから取り出したのか手の中にはナイフが輝いている。
「っうか、その人が勝手に自爆しただけだし。」
私は冷静に状況を判断してから落ち着いた声で正論を言った。
けれど子分の男は聞く耳持たずでこちらに猪突猛進で突っ込んでくる。
でもあまりに単純な動きなので呆れながら少し体を横に反らすと、
ナイフを持っている手を掴んで、もう一方の手で男の顎を掌底で
突き上げた。
「てめぇ!ガキだと思って甘く見てりゃぁつけ上がりやがって!!」
まだ逃げずにいる2人のうちの1人が怒り狂った形相で喚き散らし、
続け様に小刀を手にして我武者らに振り回してくる。
私は動きを読んでまるで遊んでいるかのように軽々と避けていく。
そして避けるのも飽きてきたところで手刀で小刀を払うと、躯を
捻って勢いをつけた回し蹴りを腹に入れた。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:28
- そして残った最後に残った呆然と立ち尽くす男に大抵の人が戦くらしい
鋭い睨みを利かせる。
「で、どうするの?これ以上やるなら多分殺すよ?」
それからいつもより低くて感情が全くない冷たい声で脅しをかける。
するとそいつは乾いた笑みを浮かべると倒れた男達を担いだり
引っ張ったりして一目散にその場から逃げ出した。
そして聞き流していたため捨て台詞は憶えてないけど、遠くの方で
何か色々言いながらあっという間にどこかへ消えてしまった。
「はぁー・・・・・すっごい・・怖かったぁ・・・・。」
少女は肩で大きく息をすると力が抜けたようにその場に座り込む。
「っうか、それ遅過ぎだから。」
私は疲れ切ったような深い溜め息を吐き出しながら手を差し伸べた。
でも少女は伸ばされた手をやんわり拒むとゆっくり立ち上がる。
そして初対面の私に向かって柔らかく微笑むと、橋の手摺の上に
器用に立つと夜風にしばらく黒髪を弄ばせていた。
その姿はまるで今にも闇夜に溶けて消えてしまいそうな雰囲気を
醸し出していた。
それから私の存在にふと気づいたかのように後ろに振り返る。
「そのさ、何があったか知らないけど自殺とかやめときなよ。
朝から処理するのとか結構キツいと思うんだよね。」
私は何だか彼女がそのまま後ろに倒れてしまいそうな気がして、
軽くて溜め息を吐き出すと頬を掻きながら考え直すように諭した。
「すずめよりは高く飛べるよね?」
けれどそう言って彼女は、大空へ高くジャンプした。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:31
-
けれど飛び下りたのは黒い川の方ではなくて、橋が架かっている
内側の方だった。
「っうか死なないの?」
「えっ?止めてくれたんじゃないんですか?」
その呆気無い展開を迎えたことに私は躊躇する事なく問いかけると、
少女は少し戸惑った顔をしてこちらを見つめながら言い返した。
「いや、まぁ、そうだけど・・・・・何か随分あっさりしてるなぁ
と思って。」
私は言葉に詰りながら自分の素直な感想を率直に相手に伝えた。
「まぁ、死ぬ気なかったですから。」
すると少女は目を細めて穏やかに微笑みながら平然と答えた。
そして手で躯を支えて立ち上がるかと思いきや、なぜか重心が前のめり
になってそのまま倒れてしまう。
「ちょ、ちょっと待った!今の発言は何気に問題あると思うだけど。
っうか倒れられても困るんだよねぇ、どうしようもできないからさ。
いや本当に・・・・・。」
私は自分の言いたいことを言いながらも、予想もしていなかった
展開に口元を押さえながら珍しくひどく動揺した。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:33
- 「はぁ・・・くっ・・・・ぁ・・・・。」
少女は倒れてから尚も荒い息を吐いていて、苦しそうに顔を歪ませて
いる。
「あはは、何やってんだかなぁ。」
そして私は少女を背負うと1人乾いた笑い声を漏らしながら呟いた。
なぜ見ず知らずの女の子を助けたのか自分でも分からない。
心にまだあった良心がお節介をやいたのか、それかまださっきの酒が
抜け切ってないだけなのか、それとも生死の線を彷徨っている姿が
自分と重なったからなのか。
私はそのまま放置するという選択肢を選ぶことができなかった。
そして自分の勘を信じてこの辺りの遊廓では有名な朝娘楼へと
向かった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:37
- 私は少し古びた窓枠に腰掛けながら少し冷たくなってきた夜風に
当っていた。
そしてすっかり暮れて明かりが灯っている家や店並みを見ながら、
頼んでもいないのに持ってくれた冷酒を自分で手酌しながら一杯
やっていた。
「ん・・・・。」
と不意に小さく上った声を聞いて私は静かに室内に向き直る。
少女は瞼を開けて目元を擦るとゆっくりと上半身だけ起こして
辺りを見回した。
「気がついた?」
私は窓から離れて布団の前に腰を下ろすと寝起きの顔を覗き込んで
聞いた。
「えっ?あ、あ、あの、お店の軍人さん?いや、えっと、その、
お店にどうして軍人さんがいるんですか?」
少女はかなり焦っていたために舌と頭が回っておらず言葉になって
いなかった。
「覚えないの?ゴロツキに襲われて助けたと思ったらいきなり橋の
手摺の上に乗りだして、そこから飛び下りて急に倒れたんだよ。
それで放置するのも何だから店まで連れてきた。」
私は少し怪訝な顔をして軽く溜め息を吐き出すと、分かりやすく
今までの状況を説明してあげた。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:40
- 「知って・・・たんですか?私がこの店の遊女だったこと。」
少女はなぜか一瞬身を縮ませると動揺からか視線を泳がせる、
そして弱々しい声で一言静かに呟いた。
「いや、まぁ、そういう仕事してるのかなぁとは思ってた。
でもこの店に来たのはただ勘だよ?もしかしたらそうかなってさ。」
私はその様子に何だか少し畏縮してしまい、刺激を与えないように
なるべく柔らかい口調で諭すように答える。
本当にこの朝娘楼に来たのは勘以外の何ものでもなかった。
彼女が本当に遊女をしていたという確証はなかったし、ただ他に
思いつく事もなかったから行ってみただけだった。
もしも遊女なら何か情報が得られるかもしれないと思ったから。
そして自分の勘が良いことを喜んでいいのか、彼女はこの店の遊女だと
同業の子に教えてもらった。
それから無事に預けることができたので帰ろうとすると、店のニ代目
主人代行という一見幼女みたいな人に引き止められた。
「せめて目が覚めるまで傍に居てやってくれない?」と少し苦笑い
しながら言われて、頷いてもいないのに半場強引に部屋に押し込まれた。
そしてすぐにその人が酒とお通しを持ってきて、どうやら帰して
くれそうにもないので仕方なく少女が起きるまで待つことにした。
という事情を多少端折って経緯の説明と言い訳ついでに話した。
「あぁ、それはどうもありがとうございました。」
「何だかあんまり感謝しているように聞こえないんだけど?」
「えっ?本当に感謝してますよぉ、軍人さん。」
「そうかなぁ?何か信じられないんだよね。」
少女は初めて会う人間なのに親しい人と話すように微笑みながら
話してくるので、私は釈然としない気持ちのまま釣られるように
普通に会話をしてしまう。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:43
- 「っうかさ、感謝の気持ちってやつがいまいち伝わってこないし。」
「そうですか?でも本当に嬉しかったんですよ・・・・・軍人さんが
私なんかの為にここまでしてくれて。」
私が軽く睨んで皮肉を言っても彼女は全く動じず、反対になぜか
満面の笑みをこちらに向けて言った。
月夜と淡い部屋明りに照らされたその笑みは思わず見愡れるほど
綺麗で、なのにどこか影があって儚げな感じがした。
「ま、まぁ、これに懲りてもうあんな紛らわしいことしないでよね!」
でも私はふと我に返ると見入っていたことに羞恥心が込み上げて
きて、だから急に叱るように言葉を強く言うことで誤魔化した。
「はい、今夜は私の為にわざわざ声を掛けて頂いて本当にありがとう
ございました。だって結構偉い方なんですよね?軍人さんは。」
少女は急に布団の上で正座すると三つ指をついて深々とお辞儀をした、
そして顔を上げると肩についている階級章を見てわざとらしく首を
竦める。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:46
- 「まぁ、少尉だから偉いのかな。っうか軍人さんって呼ばないでさ、
名前で呼んでくれない?藤本美貴ってさ。」
私はその態度に少し顔を顰めながら階級を教えると軽い要求をした。
「藤本・・・美貴さん。」
彼女はまるで心に刻みつけるようにゆっくりと呟いた。
「あんたは?あんたは名前なんて言うの?」
「えっ?あっ、はい。私は亀井絵里っていいます。」
私は別に興味もなかったけど一応礼儀だろうから聞いてあげた、
すると亀井ちゃんは軽く身を正すと嬉しそうな顔して教えてくれる。
「ふ〜ん、亀井ちゃんか。まっ、思ったより元気そうで良かったよ。
それじゃあんまり長居するのも何だから今日はこれで。」
私は名前を聞いて興味がないような口調で愛称を呟くと、軽く肩を
叩いてから帰ろうと思い立ち上がった。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:48
- 「あ、あの、お話だけでもいいんです!別に、その・・・・・そう
いうことしなくてもいいから、ただ美味しい料理食べて話すだけなら
ここに居てくれますか?」
すると亀井ちゃんは突然私の服の袖を掴むと真直ぐ目を見つめてくる、
それからなぜか必死になって言葉を紡ぎながら懇願する。
「・・・・・分かったよ。ただご飯食べて話すだけなら良いよ、
もう少しだけ居てもさ。」
その懸命さと今にも泣きそうな瞳を見たら断る言葉が出てこなくて、
私は深い溜め息を吐き出すと頭を掻きながら頷いた。
すると基本的に笑みを絶やさない彼女が今まで一番嬉しそうに
微笑んだ。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:51
- それから次々と出された料理を食べながら私達はただ話すだけだった。
一体遊女屋に来て何をしてるんだかと自分でも思う。
でも亀井ちゃんを抱く気なんて全くないし、私はそういう行為を
することで人に深く触れてしまいそうで嫌だった。
「軍人さ・・・いや、藤本さんは今度の戦争に行かれるんですか?」
亀井ちゃんはお猪口に酒を注ぎながら突然思いもよらない話題を
振ってくる。
「ん?当然行くよ、だってそれが仕事だし。でもどうしてそんなこと
聞くの?」
私は軽く酒を飲んでから言葉の意図が分からなかったけれど断言した、
そして質問の理由が気になったので躊躇せず聞いた。
「あの、いや、ごめんなさい。だって露西亜は・・・・・。」
すると気分を害したと思ったのか亀井ちゃんは慌てて謝ると、
敵国の事を言おうとして気まずそうに口を噤んだ。
「言いたいことは何となく分かるよ。確かに露西亜は欧州一の大国
だからね、戦争する相手としては厳しいと思う。でもここで勝たない
と戦況は余計に不利になるからさ、日本としてはやらない訳には
いかないんだよ。」
私は飲み過ぎたせいなのか普段は戦争の事については同僚としか
語らないのに、そのときは少し真面目に語ってしまった。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:55
- 「は、はぁ・・・・・そうですよねぇ。」
亀井ちゃんは真面目な顔をして頷いていたけれど返事は曖昧だった。
その様子から察するにどうやら話の内容が難しかったらしい。
「ちょっと難しい言い方だったね。でもまぁ、詳しい事は自分も
あんまり分からないよ?難しいことはみんなお偉いさんが決めちゃう
からさ。私達はただ敵国に乗り込んで戦うだけだし。」
そして死ぬだけだよと内心言葉を一言付け加えると、私は自分に
嘲笑してからお猪口に入っていたお酒を飲み干した。
「あの・・・・・死ぬのは怖くないんですか?」
亀井ちゃんは言葉にするのを僅かに躊躇ってからその質問をした。
「ないよ、普通は感じるらしいけどね。多分死んで惜しいと思う
こともないし、生きてる理由もないからなのかな。」
と私は戸惑うことなく平静を保ったまま正直に自分の考えを話す。
そのときやっぱり酔ってるなと思った、そうでなければこんな話を
まだ会って間もない子に言うはずがないから。
「そうなんですか。でも私と同じですね、生きる理由が見つからない
なんて。」
亀井ちゃんは顔を少しだけ俯かせると初めて辛そうに笑った。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:58
- 「ふ〜ん、亀井ちゃんもそうなんだ?」
私は少し興味がわいたけれど露骨に問うのも失礼だと思って、
何気なく相槌を打ちながら会話を続けた。
亀井ちゃんは小さく頷くとゆっくりと自分の生い立ちを語り始める。
「私小さい頃から躯が弱くて役立たずだから親に捨てられて、それで
行く宛もなく彷徨っていたところを店の人に拾ってもらったんです。
この仕事している人は大抵借金とか誰かの為にしてるらしいですけど、
私には欲しいものとか好きな人も何もないから、ただ毎日毎日見知らぬ
人と・・・・・。」
でも言い終わる頃には目尻には涙が溜まっていて、最後の方は声が
震えて言葉になってなかった。
「そのさぁ、泣きたきゃ泣けば?」
私は呆れたような溜め息を吐き出すと頭を掻きながら呟いた。
自分でも割に合ってないことを言ったと思う、ただ日々感じることが
一緒だったから親近感か同情心からか無視することができなかった。
でも第一印象通りやっぱり彼女は私と似ているらしい。
目的も理由もなくただ人生という長い道を躯が持つまで歩いている。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 23:00
- 「へっ?」
亀井ちゃんは間の抜けた声を上げると不思議そうに小首を傾げる。
どうやら言葉の意味がいまいち理解できないらしい。
「あのさぁ、今すっごい泣き出しそうな顔をしてるんだけど?」
私はそのあまりの鈍感さに訝しく思いながら自分の目に写る事実を
偽りなく伝えた。
「えっ?いや、あの・・・・・。」
それでも亀井ちゃんはまだ自覚がないらしく当惑した顔つきだった。
「だから今日だけ特別に胸を貸してあげるよ。」
私はその煮え切らない態度に段々苛ついてきて、亀井ちゃんの手を
取ると強引に抱き寄せてから急に照れくさくなって早口で言った。
「あ、あの・・・だって・・そんな・・・・うっ・・・ひっく・・・・
うぅ、うあぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・。」
亀井ちゃんは胸に顔を埋めながら初めは戸惑っていたけど、それから
すぐに糸が切れたように声を上げて泣き出した。
私は泣き声を聞きながらそれが治まるしばらくの間、ずっと彼女の
背中を優しく撫でていた。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 23:07
- 「うぅ・・ひっく・・・ご・・ごめん・・なさい・・・・。」
亀井ちゃんはまだしゃくりあげていたけれど大分落ち着いたのか、
顔を上げると気まずそうな顔してゆっくりも身を引いた。
「ん?別にいいよ、泣くのを我慢されるのは気分悪いし。」
私は何だか気恥ずかしくなって頬を掻きながら、小突くように頭を
軽く叩いてから言った。
すると亀井ちゃんは頭を擦りながら目を細めると少しだけ笑う。
それから何となく2人の会話は止まってしまい沈黙が訪れた。
「っうか一つ聞いていい?まぁ、嫌なら答えなくてもいいんだけどさ、
あの橋の手摺りに立って雀がどうとか言ってたよね?あれってどういう
意味なの?」
私は不意に気になっていた事を思い出して一応軽い断りを入れて
から問いかけた。
「あれですか?あれは橋の上から飛んだら鳥になれるかなって思った
だけです。私でもまっすぐに空へ向かって飛べるかなって・・・・。」
と亀井ちゃんは全く動揺せずに話の内容に合わない微笑みさえ
浮かべながらすぐに答えてくれた。
「まぁ、空は遠いからねぇ・・・・。」
私はその抽象的な答えの意味が分からなくて引き笑いしながら答えた。
「でも多分助けてくれたのが藤本さんじゃなかったら死んでましたよ?
生きる意味もないから死んでもいいかなって、結構本気思ってました。
だけど藤本さんともっと話したいから止めました。」
亀井ちゃんは普通に楽しそうに笑いながら言うけれど内容はかなり
殺伐としている。
「何それ。っていうかそんな理由で止めて良いの?」
私は顎に手を当てて少し悩んでから顔を思いきり顰めて言い返した。
けれどその言葉が気に障ったのか亀井ちゃんは突然黙り込んでしまう。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 23:11
- 「あの、いきなりで多分迷惑すると思うんですけど・・・・・・・
言ってもいいですか?」
けれどこちらの顔色を伺いながら不安そうな顔をして唐突に
話を切り出してきた。
「今更迷惑も何もないから。だって橋で赤の他人なのに助けて
おまけに突然倒れるし、それでわざわざ店まで届けて身の上話まで
聞いてあげて、それで今泣く為に胸まで貸してあげた。もう十分すぎる
程に迷惑かけてるから。」
私は深くて長い溜め息を吐き出すとまだ分かってないようなので、
今までの気苦労をもう一度全て話してあげた。
「それもそうですね。それじゃ言いますね?あ、あの・・・・・
ずっと好きでした。」
亀井ちゃんは笑いながらあっさりと肯定すると、胸に手を置いて
何度か深呼吸を何度か繰り返すと突然告白してきた。
「はぁ?っうか、いきなりそんなこと言われても・・・・・。」
私はその唐突な展開に素頓狂な声を上げてから返答に困って言い及ぶ。
「別に無理して答えなくてもいいですよ?身分が違いすぎて実らない
恋なのは分かってます。ただ自分の気持ちを言いたかっただけです。」
亀井ちゃんは言えただけで満足してるらしく、さっきの緊張した
面持ちは跡形もなくて清々しい笑顔で答えた。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 23:19
- 「でも仮に付き合ったとしても私はどうせ死ぬよ?それもそう遠くない
未来にさ。」
私はまるでその笑みを打ち砕くような身も蓋もないことを言い放つ。
でもそれは紛れのない現実で別に嘘はついていない。
「知ってますよ?でもそれなら私だって多分そう長くはないですから。
でも今は精一杯生きようって思ってます、せめて藤本さんが無事に
露四亜から帰ってくるまでは。」
すると亀井ちゃんは突然私の両頬に手を添えてから柔らかく微笑むと、
真直ぐ目を見つめて子どもに言い聞かせるような口調で言った。
「んー、そんな勝手に決められてもねぇ・・・・・。」
私はその大胆な行動に内心少し動揺していたけれど、なるべく平静を
保った様子で言い返した。
それから亀井ちゃんは手を離すと突然前のめりになって倒れてくる、
そして私の肩に静かに自分の頭を添える。
「だから藤本さんも生きて帰ってきてください。」
それはとても優しい声だったけれど胸に訴える強さも兼ね備えていた。
でも言われた瞬間に強い酒でも一気に飲んだかのように胸の奥が
熱くなった。
こんな風な言葉を真直ぐに本気で言われたことは今までなかった。
そのせいかいきなり視界が滲んでぼやけ出して、今まで普通だった
景色が歪んで見えた。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 23:22
- 私が帰ってきたときにもう彼女は生きていないかもしれない、
でも逆に彼女が生きていて私が戦死するかもしれない。
生きる理由もなく生存確率が低い者同士が互いを生きる理由にする。
それはとても曖昧で滑稽な約束だけど、私達にはその程度がお似合い
だと思った。
「・・・・・うん。そういうのも一回くらいはアリかもね。」
私は目元を乱暴に擦ってから気怠い口調で答えると、亀井ちゃんの
肩に手を回して抱き寄せた。
「ふ、藤本さん!もしかして酔ってるんですか?」
すると顔を勢い良く上げてすぐに真っ赤に紅潮させる、そして
分かりやすいくらいに動揺しながら声を上擦らせて問いかけた。
「あぁ、酔ってるよ。でなきゃこんなことするわけないじゃん。」
私はどこか呆れたように笑いながらその細い躯が軋むくらいに強く
抱きしめて少し震えた声で答えた。
完
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 23:23
-
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 23:23
-
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 23:23
-
Converted by dat2html.pl v0.2