18 Quasar

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:03
「すずめよりは高く飛べるよね?」
そう言って彼女は、大空へ高くジャンプした。
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:05
もちろんその姿が宙の彼方へ飛んで行ってしまうなんて超常現象は起こらない。
道路の端っこでチュンチュン鳴きながら歩く小さなすずめの親子を遠目に眺めて、
灰色コンクリートの上を馬鹿みたいに飛び跳ねるだけで、彼女は大分満足そうだった。

「れいななら――」
遠くの方で遊んでいた他のメンバーが彼女の行動を見て疑問符を浮かべている。
なんでもないよ、とお得意のよく響く甲高い声で叫ぶ彼女の背中をじっと見つめて、
「れいななら飛行機より高く飛ぼうと思いますね」
と、あたしは自信満々に言ってやった。

「ええ? さすがに無理だよ、そんなの」
彼女は「いきなり何を言い出すんだ」という顔で苦笑しながら振り向いた。
いつか大きくなって、この目線と同じ高さにある彼女と肩を並べる日が来るのだと、
そう漠然と思い続けていた短い二年間を走馬灯のように思い出しながら、言葉を紡ぐ。

「本当に無理ですかね。鉄の塊が飛ぶこと自体、昔は信じられてなかったんですよ」
それが今となってはごくごく当たり前の常識として世界に浸透してしまった。
誰も触れることが出来ないとされていた青空に鉄の塊が何機も飛び交う時代になった。
不可能だと言われていたことが、ふとしたきっかけで可能になってしまったのだ。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:06
世の中の何かが劇的に変化しても、次第にその違和感は違和感と感じなくなる。
そこに居たはずの人が急に居なくなってもいつかはその現実にさえも馴染んでしまう。
それは、人間の適応能力がいかに優れたものなのか、否が応でも実感させられる瞬間。

「でも……田中はどうやって飛ぶつもりなの?」
「方法ですか? まだ考えてませんけど」
「それじゃあダメじゃない」
くすくすと楽しそうに笑う声。あたしの言葉を冗談と受け取ったらしい。
彼女がそう思ったのならそれでいい、と諦め半分の気持ちで天を仰ぎ見る。

空の青さはオゾン層が関係しているのだと、理科の授業で習った覚えがある。
一体何が原因で、それが将来どんな影響を与えるのかまでは覚えていないけれど、
空があんな真っ青な色に染まるのはつまりオゾン層が減少しているせいらしい。

あの青空の向こうには真っ暗な宇宙が。宇宙の先には他の何かが広がっている。
その何かの奥にも何かがあって、きっとこの世界はその中でもちっぽけな存在で、
すずめよりは高く飛べると言う彼女は、まるで井の中の蛙みたいに可哀想だった。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:06
「魔女の箒があればスイスイ飛べるのにね」
「……ええ、そうですね」
そうやって他の誰かに縋り、受け身で居続ける彼女が本当に可哀想だった。

可哀想で、可哀想で――そんな目で彼女を見てしまう今の自分も可哀想で。

「――卒業、したいんですか?」
心の奥底で燻り続けるはずだった一番の疑問が不意に口をついて零れだした。
触れてはいけないと思いつつも、訊いてみたくて仕方が無かったたった一つの疑問。

「卒業? それってモーニング娘。から卒業する、って話?」
「それ以外に何があるんですか」
「……そりゃそうだ」
来年の春、あと数ヶ月後、彼女はこのモーニング娘。を卒業してしまう。
後藤さんが卒業してあたしたち6期が入ったように、彼女の穴を埋める誰かが来る。

それが誰であろうと本当の意味で彼女が抜けた穴を塞いでくれる人は居ない。
人数合わせにはなるけれど、彼女という存在の代わりになれる人なんて居ない。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:07
「うーん。改めて卒業したいかどうかって訊かれると、答えにくいね」
さっきは遠くに居たはずのすずめがいつの間にかすぐ傍までやって来ていた。
同じ場所を飛び回るだけのお粗末なダンスを可笑しそうに眺め、彼女は口を開く。

「自分では結構頑張ったと思うの。でも、本当はもう少し頑張りたかったのかも。
 まぁ……今さら何を言ったって卒業が取り消されるわけじゃ、ないんだけどね」
そうだ。卒業へのカウントダウンはとっくの昔に始まってしまっている。
今さら嘘でしたと、ゲームをリセットするみたいに全て消すことはできない。

「……そうですか」
分かるけど、どうしても理解らなかった。

モーニングを卒業するということ。それ自体に自分の意思は含まれないのか。
ここから卒業したくないならしたくないと、何故つんくさんに言わないのか。
最後の最後まで足掻こうとしない彼女の気持ちがどうしても理解できなかった。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:08
「でもとりあえず今は、モーニング娘。に入れてよかったって思ってる」
それは心からの言葉ですか――思わずそう尋ねてしまいたい衝動に駆られた。

一陣の風が吹いて、自分勝手に生えていた木々の葉がかさかさと音を立てる。
すずめは怯えた様子で飛び立ち、彼女よりもずっと頭上にある屋根の上に止まる。

「……すずめより高く飛ぶなんて無理ですよ、人間なんだから」
「え?」
「れいなは飛行機よりも高く飛ぶつもりですけどね」

矛盾したことを言っているつもりはない。
方法はまだ見つからないけれど、いつかはきっと飛行機よりも高く飛んでやろう。
それはたくさんあるうちの一つの目標であり、通らなければならない一つの通過点。

「石川さん」
彼女の瞳もいつの間にか、頭上に居るすずめを羨ましそうに見上げていた。
この人は本当にあたしが目指していたあの石川梨華さんなのだろうかと考える。
ブラウン管を通した彼女は、いつだって煌びやかに光って見えていたと言うのに。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:09
「どうしてそうやって自分より下の誰かを探すんですか?」
それは人間が持つ当たり前の心理。
誰しも我が身の優越を感じなければ先を進むことすらままならないもの。
常に下を見て、天を仰ぐことをせず、まだ自分は底辺の人間じゃないと安堵して。

彼女一人が悪いわけじゃない。みんな必ずしもそういう気持ちを隠している。
でももし、今居るその場所に甘んじず、更なる高みへと羽ばたいていたのなら。

「向上心がある振りをしてずっと怠けていたのは石川さん自身です。
 れいなはこんなところで満足してる暇、無い。絶対頂点に辿り着いてみせる」
本当は飛ぶ方法もわからないけれど、手始めにジャンプしてみるのもいいだろう。
最初はすずめに負けたって、いつかは飛行機を飛び越すぐらい飛んでみせるから。

飛行機より高く飛べたら、ロケットより高く飛べるように。
ロケットより高く飛べたら、宇宙を舞う衛星より遠くまで飛べるように。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:09
「……そっか」
石川さんは、物分りの良い大人を装った微笑を浮かべてあたしの頭を撫でる。
優しく優しく「頑張ってね、応援してるよ」って言いたげな柔らかい手つきで。

「田中ならきっと、あたしより高く飛べるよ」
澄み切った青い空をバックにどこかへ飛び立っていくすずめたちの囀りの中、
彼女はそう言って、みんなの居る場所へとゆっくり歩き出す。

ずっと憧れていた人。あともう少しでここから居なくなってしまう人。
誰よりも高く飛べる可能性を持ちながら、羽ばたくことをしなかった人。

「……もちろんです。れいなは石川さんみたいにはなりませんから」
ふとしたきっかけで緩んでしまいそうな涙腺を、歯を食いしばって耐えながら。

あたしは、すずめよりも飛行機よりも、他の誰よりも高く飛んでみせようと思った。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:10
 
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:10
 
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 14:10
 

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