17 赤色エレジー
- 1 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:23
- まっしろなカーテン、まっしろなベッド、まっしろなシーツ、まっしろな壁。
神経質なほどに白い部屋の中で、黄ばんだ天井だけが、唯一のリアルだった。
瞼が重く、こめかみの辺りから後頭部にかけて痺れている。
鈍い思考に、今が夜であることしかわからない。
体を動かすたび、筋繊維のあちこちが切り裂かれているような痛みが走る。
不意に吐き気が込み上げ、わけもわからずに吐いた。
あるもの全て吐き出しても、胃は痙攣し続けている。
吐瀉物が、ベッドに黒く染みを作った。
口の中、そして一帯に薬の匂いが起ち込める。
- 2 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:24
- ベッドの上に吐き出したそれを歪んだ表情のまま認めたさゆみは、
折角我慢して飲んだのに、と妙に醒めたことを思いながら再び
サイドボードに手を伸ばした。
薬袋を乱暴に引き千切り、ボードの上に数種類の錠剤をばら撒いてしかし
丁寧にそれをかき集め口に放り込む。水を求めてベッドから立ち上がった。
キッチンに辿り着くと誰も居ないはずなのに煌々と灯かりが点いていた。
さゆみにはそれすらも不快に思えた。白はウザい。
食器棚を乱暴に開けてコップを取り出し、蛇口を捻ろうとしたが、思い改めて
冷蔵庫をゆっくりと開けてペットボトルのミネラルウォーターを取り出した。
その癖コップは使わずにそのままボトルに口をつけて水を飲んだ。
口内の錠剤たちはその頃にはすでに形状を保てなくなっていて、匂いばかりか
独特の苦味が水を飲んだ後もしつこく残っている。さゆみは足元にあった
ゴミ箱に八つ当たりした。
腹立ちはそれだけではなかなか治まらず、舌打ちしてリビングに出て
ソファに乱暴に身を投げた。あまり立っていたくない。
- 3 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:25
- 友人のれいなと初めて会ったのは三日前だった。
友人、という言い方も少し違和感がある。何故なら初対面同士だったからだ。
さゆみとれいなの第一の接触は二週間前。ある自殺志願者を募る
ウェブサイトの掲示板で、お互い想い人に振られてしまい
もう生きていく理由が無いからと言う動機が合致して意気投合し、
命を絶つ前に顔合わせをしようということになった。それが三日前で、
その時初めてれいなと出会ったから、友人と言うのはやはり違うかな、
と思うのだが、適当な言葉が出てこない。
齢十六にも満たない者同士で命を絶つ為にどうすればいいのかと
考えあぐねた結果、成るべく綺麗に死にたい、そんなさゆみの希望を
実現できるのはあれくらいしかない、という結論に落ち着き、
深夜の駅前で待ち合わせて。
ディスプレイの向こう側でしか知らなかったハンドルネーム『田中れいな』は
『田中麗奈』だと知り、さゆみはなんとなく凄い、と感心してれいなを
笑わせた。
さゆみの方は普通に『さゆ』と名乗っていたので、
れいなはそのままさゆみのことを『さゆ』と呼んでくれた。
- 4 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:25
- 「さゆ、これ見ててみ、多分面白いから」
「……?」
さゆみの自宅でれいなと二人、湯をはった浴槽の前で新品の包丁を
使って互いの手首を切った。
もとより肌の白い二人の手首を伝うその赤は白熱灯のオレンジの光を
浴びて肌に馴染んでいて血の色と言う感じがしなかった。
れいなの着ていた赤いパーカの方がよっぽど血の色に酷似して
いるように思えた。
浴槽の縁から身を乗り出して湯船に漬した手首からは煙草の煙のように
もうもうと色のついたものが流れ、たゆたっている。
れいなはさゆみに目配せした後傍らにあった白いタオルを空いていた
手で掴んで、端の部分だけ摘み持って既に透明色とは言い難い
水面に少しだけ浸した。
タオルは水分を吸収していき、さゆみとれいなの色がついた
それは白いタオルを面白いくらいぐんぐん染めてゆく。
さゆみは思わず、わぁ、と感嘆の声を漏らした。
- 5 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:26
- 「なっ、おもろいやろ」
「うん!」
「おおー、きてますきてますどんどん吸っとるっちゃ」
「キてますキてますー」
さゆみが調子を合わせてそう言った時れいなは何故か
大爆笑した。さゆみは頭の上にクエスチョンマークを
浮かべて上目遣いにれいなを見る。れいなは笑いながら言った。
「キてますって、さゆ訛っとる」
「…キテます?」
「きテます。き。 き・テ・ま」
「き・テ・ま・す?」
そうそう、れいなは微笑をたたえつつまたタオルに視線を戻した。
ちょっと待ってよれいなだって訛ってるじゃん、とさゆみが
抗議したが、れいなはタオルから目を離さなかったので
さゆみもまたそれを見た。
水面に漬した部分から徐々に色濃くなっていく様に
いつしか二人は目を奪われていく。
沈黙が何分間か、続いた。
- 6 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:26
- さゆみは駆け足で自室に戻った。
神経質な白まみれの自室に戻り周りには目もくれずベッド下に
手を突っ込んだ。湿り気のある布の感触に触れる。
引き抜くとそれはあの時のタオルで、ぐっしょりと濡れていた。
呆れるほど真っ白な部屋の中にあってれいなとさゆみの
色を吸ったタオルの赤はとても神秘的なものに映った。
彼女はそれを持って今度はゆっくりと自室を出る。
薬が効いてきていてとてもじゃないが走れる状態ではなかった。
直前まで往復するのに数秒しか要さなかったはずの廊下が
今はひどく長く果てしなく思える。
もう何度も通り慣れた廊下だったので灯かりを点けなくても
体が距離を憶えていたが、今は無理そうだった。
朦朧としながら壁に手をついて照明のスイッチをオンにしたら、
目の前が真っ白になった。もうさまざまなものの輪郭も朧げだ。
それでもさゆみは一生懸命歩いた。壁伝いに歩いた。
キッチンの数メートル手前で廊下と繋がっている脱衣所を抜けたら
浴室がある。れいなにこれ、返さなきゃ。
わたしだけのものじゃないから。
- 7 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:27
- しかし、脱衣所を抜け、後少しで浴室のドアに辿り着こう
としたその時に、さゆみはとうとう脱力してその場にへたり込んだ。
目の前に曇り硝子が嵌め込まれた浴室のドアがある。
きてますきてます、あの時のれいなの声が脳裏に響いている。
さゆみはへらりと笑いながら呟いた。
「キてますキてますぅ〜、
ごめぇんれいなぁ〜さゆみもう駄目らよぉ。歩けらぁい」
呂律の回らなくなった自分をどこかで醒めた目をして見ている
自分がいた。
れいながまだ笑ってくれるうちに、これ、もう一度見せたかったな。
項垂れたさゆみの手首はすっかり血の気が失せて白い床と同化している。
切り口はほのかにピンク色をしていたが、もう視界がほとんど真っ暗で
薄かったその色は何色をしているのかが判別できず、
ただの傷口としてさゆみの目に映った。
曇り硝子の向こう側には、赤黒い影が見えていた。
- 8 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:27
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- 9 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:28
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- 10 名前: 投稿日:2004/11/21(日) 04:28
- 了
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