12.憐色
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:44
- まっしろなカーテン、まっしろなベッド、まっしろなシーツ、まっしろな壁。
神経質なほどに白い部屋の中で、黄ばんだ天井だけが、唯一のリアルだった。
瞼が重く、こめかみの辺りから後頭部にかけて痺れている。
鈍い思考に、今が夜であることしかわからない。
体を動かすたび、筋繊維のあちこちが切り裂かれているような痛みが走る。
不意に吐き気が込み上げ、わけもわからずに吐いた。
あるもの全て吐き出しても、胃は痙攣し続けている。
吐瀉物が、ベッドに黒く染みを作った。
口の中、そして一帯に薬の匂いが起ち込める。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:45
- ――――*
その日は起床時から少し変だった。
いつにもまして眠気が襲い、
四肢に鉛を付けられたように身体がだるく、
何より朝、昼、晩と、しっかり食事を取ったにも拘らず、腹が満たされなかった。
しかし、おかしかったのはその日だけではなかった。
次の日も、そのまた次の日も。
ついにはその状態のまま一週間が過ぎ、
いよいよ不審に思った藤本美貴は病院へと足を運んだ。
しかし、診察の結果は、特に問題なし。
いや、幾らなんでもおかしい、異常だ。
今やはっきりと視認できるどす黒い隈、頬はこけ、顔色は死人の如く青白い。
こんな状態で、なにが問題無しだろう。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:45
- 納得のいかない藤本はそれから数件の病院を回った。
しかし、何処も、誰しも。
口に出す言葉は決まって、問題なし。
釈然としないまま帰宅し、藤本はそのままベッドへと潜り込んだ。
どうせ食べても空腹は満たされない。
無駄な努力をするよりも、寝たほうがましだ。
頭ではそう考えていても、腹の減りが激しく、どうにも寝付けたものではない。
結局、その夜は一睡もせず、布団の中でただ蹲っていた。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:45
- ――
――――
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:46
-
事態が一変したのは、その二日後。
最早学校へ行くことすら儘ならず、ベッドの中で死んだように横になっていたところ。
階下で、どかどかと音がした。
降ろしていた重い瞼を薄く持ち上げ、顔だけを扉へと向ける。
霞む視界と意識の中、藤本はぼんやりと考える。
この家には自分ひとり。
父は仕事へ、母は買い物へと出かけていていない。
泥棒か、はたまた変質者か。
あぁ、ヤバイなぁ。
見慣れた天井へと視線を戻し、薄い溜息を一つ。
血管と骨がはっきりと覗く腕を持ち上げ、自嘲気味に口の端を吊り上げた。
ま、いっか。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:46
- 骨と皮だけの腕が、ベッドのスプリングを微かに揺らした。
その直後、藤本は目を閉じる。
近づいてくる乱雑な音の群。
明確に扉が開かれた音を聞くと、藤本は笑みを象りながら再び目を開けた。
―――藤本美貴か
上下黒のサバイバル服。
黒の覆面の上からゴツゴツした形のスコープ。
藤本の周りを囲むように、ずらりと並んだ黒ずくめの男達。
後者か?
目線だけで男達を見回しながら、気付かれないほど小さく息を吐く。
―――一緒に来てもらうぞ
何か、違う。何かがおかしい。
どうして変質者が自分の名前を知っている。
どうしてその場で何もせず、連れて行こうとする。
疑問を声に出そうと思っても、掠れた呻きしか漏れてこない。
衰弱しきった心身では、声を出すことすら困難になってしまうのか?
やたらに周囲を警戒する男達。
藤本は一台のワゴン車に乗せられ、姿を消した。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:46
- ―――*
思えば、あの男達が、本当の変質者だったらどんなに楽だっただろうか。
その場で殺されていれば、どんなに幸せだっただろうか。
虚空を見つめながら、藤本は思った。
おぼつか無い足取りで、
自らの胃の内容物で汚れてしまったベッドから降り立つ。
ぐらり。
力の抜けた膝は、藤本の体を巻き込んで転倒した。
脚に力が入らない。
ずっとベッドの上で過ごしていたのだから、こうなるのも当然といえようが。
でも、それだけではないはず。
得体の知れない薬品を投与され続けた身体だ。
とっくのとうに細胞のバランスが崩れていたのかもしれない。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:47
- 白い貫頭衣、白い肌。
白い床にまるで溶けてしまったかのよう。
その様を見ているのが辛くて、藤本はベッドの脚を掴み、片膝を立てた。
立ち上がっていくにつれ、ベッドを掴む手も上へと移動。
がくがくと振動を繰り返す足腰を奮い立たせ、ベッドの力を借りながら進む。
汗の玉が光る顔に、いつに無く力の篭った双眸が浮かぶ。
視線の先にある白い扉。
それを確かに睨みつけながら、藤本はベッドから手を離した。
陥落。
四つん這いの格好になったその後、苦しげに咳込む。
汗が滴ることを気に留めず、顔を上げ、直線上にある扉を睨みつけた。
両の目尻に、涙が浮かぶ。
再び視線を床に落とすと、光が零れ、弾けた。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:47
- 3m。たったの3m。
いまではこの距離ですら、満足に歩けぬようになってしまった。
生きながらにして、地獄。
これならば、死んだほうがまだ幾分もましだった。
「何してんですか?」
不意に頭上から降り注ぐ、冷淡な声。
それと共に、脇腹に衝撃。
二転三転とした藤本の身体。
止まり、鋭い痛みを訴える脇腹を押さえながら、
片目だけで確認したその人物の見下すかのような冷酷な瞳。
「ベッドから降りんでくださいって、言っといたはずですけど」
「ご、めん・・・なさ、い・・・田中さん・・・」
嘲弄の醜い笑みしか浮かばない田中れいなの顔色をびくびくと窺いながら、
藤本は這いずるようにベッドへと戻っていく。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:47
- 人として与えられた二足歩行。
それすらまともにこなせなくなった藤本の四肢。
鈍い動きでベッドへと這っていくその姿を見て、田中は大仰に鼻を鳴らした。
「まだ、なんも起こらんとですか?」
昨日も一昨日も、一週間前も、さらには連れてこられた一ヶ月前も。
必ず一日に一回はそう聞かれる。
そして、藤本は決まってこう答える。
「だ、だから、ミキは、人間ですっ・・・
普通の、何処にでもいる、大学生なんです・・・っ」
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:48
- パン・・・
乾いた音が室内に木霊する。
右の頬に、刺されたかのような鋭い痛苦。
はられたその部分を抑え、声を押し殺して泣く。
その様子を睥睨する田中の瞳は、恐ろしいほどに冷めきっている。
「あんたは人間じゃない。人を喰らう鬼だ。組織が調べたけん、間違いなか」
「ち、がう・・・鬼なんか、じゃない・・・人も、食べてないぃ・・・」
溢れる涙で潤む瞳。
その瞳で見つめられた、田中の心中が波立った。
ざわざわと激しさを増していく波に身を任せ、
藤本の口を右手で覆いベッドへと強引に押し倒した。
全快の藤本であれば、軽くあしらわれて終わりだろうが、
今の藤本は死人の類似品のようなもの。
田中の腕を掴む枯れ木のような腕には、全く力を感じない。
「人じゃない!あんたは――」
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:48
- 白衣のポケットに忍ばせておいたメスを左手で握る。
簡素なカバーを口で外し、メスを逆手に持ち直し、藤本の真上へと振り上げ
「鬼や!」
落とした。
貫頭衣を難なく突き破り、その下の白い肌も突き破る。
喉の奥で声にならない絶叫を上げる藤本。
暴れる軽い身体にはお構い無しに、田中はメスを振り上げては、落としていく。
心臓は避け。
死なないようにしっかりと考慮しながら。
大事なサンプルを失わないように慮りながら。
「は、はぁ、はぁ・・・」
田中は喜悦に満ちた笑みを溢す。
握られたメスからは、鮮血が滴り落ちている。
点々と貫頭衣を朱に染め上げながら、藤本は痙攣を続けている。
焦点のあわない双眸は、虚無を映す。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:48
- 「はぁ、分かったとね?あんたは、鬼、やけん。人を食う、鬼やけん!」
肩で息をする田中とは相反し、か細い呼吸をそれでも続ける藤本。
田中の言葉が、耳に入っているかどうかも怪しい状態だった。
「はぁはぁ、そげんことじゃ、死なんやろ。化けもんやし・・・っつ」
短い呻きの後に、金属の衝突による悲鳴。
己の血により生臭い臭いが充満する、白の部屋。
そこに、別種の血臭が混じりこんできた。
バケツに張った水に、絵の具を一滴垂らした程度の、僅かな変化。
しかし、それでも変化は着実に広がっていく。
ひくり。
鼻の先が、微かに動いた。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:49
- 「あー・・・くそっ」
首が、田中のほうへと回る。
不用意にメスを掴んでしまったのか、
親指の付け根から微量な朱が滴り落ちていた。
自分以外の、新鮮な血の臭いが鼻腔を刺激する。
眼が見開いた。
喉が渇いた。
両腕に、両脚に力が宿った。
虚脱感に包まれていた身体が、嘘みたいに軽くなった。
「な、何するとね?」
気がつけば、田中の傷のついた腕を引き寄せていた。
浅い・・・1cm程の浅い傷口。
鮮明に映る紅、鼻を刺激してやまない甘いカオリ。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:49
- 何やってるんだ。
小さな手を口に含みかけて、止まった。
理性の呼びかけにより、どうにか停止できた。
でも・・・自身の腕なのに、そこに篭る力はまるで別人。
田中の腕を放そうともしない。
そして
「いた・・・っ」
強くなり続けた力は、肌を突き破り、柔らかな感触へ一瞬埋もれた。
引き抜くと、指先に付着する粘性の紅。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:49
-
心臓が、高鳴り
声が聞こえた
―――食え
―――食っちまえ
―――簡単で、気持ちいいからよぉ
白い世界に、脆弱な朱の華が咲く。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:50
- 終焉
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:51
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- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:51
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- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 00:51
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