8 キモチ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/15(月) 01:28
 
-  まっしろなカーテン、まっしろなベッド、まっしろなシーツ、まっしろな壁。  
 神経質なほどに白い部屋の中で、黄ばんだ天井だけが、唯一のリアルだった。  
  
 瞼が重く、こめかみの辺りから後頭部にかけて痺れている。  
 鈍い思考に、今が夜であることしかわからない。  
 体を動かすたび、筋繊維のあちこちが切り裂かれているような痛みが走る。  
 不意に吐き気が込み上げ、わけもわからずに吐いた。  
 あるもの全て吐き出しても、胃は痙攣し続けている。  
 吐瀉物が、ベッドに黒く染みを作った。  
  
 口の中、そして一帯に薬の匂いが起ち込める。 
   
- 2 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:29
 
-  そんなはずはない。薬の匂いなどするはずがない。 
 もう薬は飲んでいない。 
 だから、薬の匂いは絶対にしない。絶対にだ。 
 そう言い聞かせても不安は治まらない。 
 頭では分かっていても弱気な心は体の感覚をも狂わせる。 
 体中が痛いのは体ではなく心が病んでいるから。 
  
 「よっすぃー、大丈夫?」 
  
 物音が聞こえたのだろう。梨華ちゃんが勢いよく部屋に入ってきた。 
  
 「全然平気」 
 「そんなわけないじゃない。こんなに辛そうなのに」 
 「心が病んでるからね」 
  
 私は自分の心臓を叩く。 
  
 「バカな事言わないの」 
  
 そう言って私を優しく抱きしめた。 
  
   
- 3 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:29
 
-  「ほら。こんなに震えてる。大丈夫だから。ずっとこうしてるから、ね」 
  
 私は泣きたくなった。 
 梨華ちゃんの前ではカッケーくいきたいんだけどな。 
 そう思いながらも梨華ちゃんの胸の中があまりに心地いいから。 
 あまりに優しいから、声をあげて泣いてしまった。 
  
 「うんうん。よっすぃーはかわいいねぇ。 
 カッケーよっすぃーも好きだけどかわいいひとみちゃんも、私は好きだよ」 
  
 そんな梨華ちゃんの声が聞きながら私は違うことを考えていた。 
 こんな風に梨華ちゃんに抱きしめられたのはいつが最初だったろう。 
 あれは、そう。病院のベッドの上。 
 ちょうどこの部屋のようにまっしろな部屋。 
 そんなことを考えながら私は眠りに落ちた。 
   
- 4 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:30
 
-  ―――――――― 
  
 まっしろなカーテン、まっしろなベッド、まっしろなシーツ、まっしろな壁。 
 神経質なほどに白い部屋の中。ついでに天井までまっしろ。 
  
 ここはかなりのアンリアルな世界だ。 
  
 その病名を医者は拍子抜けするくらいあっさり告げた。 
 私の感想はというと、『あっ、そうですか』 
 こんなものだ。 
 日本の病死者の三人に一人に数えられる高確率の病気に犯された。それだけの事。 
 ただ、それだけの事。 
  
 人生に失望していたワケじゃないよ。希望を持っているかと聞かれればそれは疑問だったけど。 
 別に死生観うんぬんとかじゃなくて。 
 ただ、それだけの事。 
  
 その日から当然のごとく入院生活。 
 幸い比較的早期の発見だったので完治率はかなり高いらしい。 
 どこまで本当の事を言ってるかはそれこそ疑問だったけどね。 
 ガキだったけど、その言葉を素直に信じるフリが出来るくらいは大人だったよ、私は。 
   
- 5 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:31
 
-  「あ〜、暇だ」 
  
 両親が気を使って個人部屋にしてくれたおかげですげー暇。 
 もし大部屋でも、おじいちゃんおばあちゃん世代しかいないだろうから同じかもしれないけどね。 
 規則正しい生活に、規則正しい食事。定時の検査に、定時の問診。 
 まったく同じサイクルの毎日。 
 そして今日もまた同じイベント。その時間が近づいてくる。 
 午後五時になるといつもお見舞いにきてくれる私の大切な…友達。 
  
 「よっすぃー。おっはよー」 
  
 元気よく病室に飛び込んでくる彼女。 
  
 「もう夕方だから。てかね。私、一応病人なんだからさ。もうちょっと静かに来ようよ」 
  
 型通りにツッコんでおく。 
  
 「ゴメンゴメン。よっすぃーが相変わらず暇してるとおもったからね。急いで来ちゃったよ」 
 「全然暇じゃねーよ。看護婦さんとかにもうモテモテ」 
 「ウソばっかし。私が来るの首を長ーくして待ってたくせにさ」 
 「うっ」 
  
   
- 6 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:31
 
-  この話題では形勢は不利だ。 
 暇してたのも、首を長くしてたのも事実だしね。 
  
 「ところで梨華ちゃん。最近どーよ?」 
 「どーよって何よ?」 
 「ずっと入院してるとさ。普通の生活ってのが忘却の彼方になっちゃうワケよ。だから、どーよ?」 
 「う〜ん。一ヶ月くらいじゃ何も変わんないよ。みんな寂しがってるよ。よっすぃーがいなくて」 
  
 上手に話をそらせたかな? 
 実際、一ヶ月ベッドに縛り付けられてるだけで学校に行ってたのがウソみたいな感覚。 
 その代わり、芸能人の誰と誰が不倫してるとか、誰がクスリをやってそうとかは詳しくなったけどね。 
  
 梨華ちゃんとの会話は本当に楽しい。時間なんてあっという間にすぎてしまう。 
  
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
  
 「あっ、もう暗くなってきちゃった。お母さんも心配してるだろうからもう帰るね。 
 また明日も来るから」 
  
 秋の日のつるべ落としとは言うけど、午後七時になると暗闇の一歩手前。 
 残念だけど、あんまり帰りを遅くするのは本意じゃない。 
  
 「ん。じゃあね」 
  
 寂しさを悟られないよう少しそっけなく答える。この辺がまだ私のガキなトコ。 
  
 「もぉー。よっすぃー冷たい。『梨華ちゃん、行かないでー』みたいな事言ってよ」 
 「言わないし。ほら、もう真っ暗になっちゃうよ。オバケも出るからさっさと帰りな」 
 「う〜。オバケなんか怖くないもん。で、でもよっすぃー心配しちゃうから帰るよ。 
 じゃね」 
  
 部屋に静寂が訪れる。 
 オバケが怖くて帰ってしまう女の子。毎日私のところにきてくれる女の子。 
 梨華ちゃんには私の病名を言っていない。とても、言えない。 
 梨華ちゃんは私の入院が少し長引いているくらいにしか思ってないだろう。 
   
- 7 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:31
 
-  私は病気になった。 
 ただ、それだけの事。 
 でも、そのせいで梨華ちゃんとの関係がおかしくなっちゃうのは絶対に嫌だ。 
 優先順位の問題。それだけの事だなんて割り切れない。 
   
- 8 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:32
 
-  ―――― 
  
 入院生活も三ヶ月目に突入。 
 切るならさっさと切って欲しい。 
 何か切れない理由でもあるのかと邪推してしまう。 
  
 梨華ちゃんのお見舞いは相変わらず毎日続いている。 
 毎日の代わり映えしない生活をそれ以上に代わり映えしない私に話してくれる。 
 それがたまらなく楽しい。相変わらずオチはないんだけどね。 
  
 でも最近はなんだか変わってきたみたい。 
 楽しいって思ってるのは私の一方通行なのかも。 
 喋ってる時にたまに見せる陰りのある表情。私、見逃してないよ。 
 わざとらしく楽しげな表情してるよね。私が気付かないわけないじゃん。 
   
- 9 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:32
 
-  「ちぃーっす。今日も来たよー」 
  
 いつものかわいい笑顔。でも本当は迷惑がっているんじゃないか。 
 そんな思いが頭をよぎる。 
 考えすぎだ。そんなこと思うような子じゃない。 
 でもホントにそうなの?私が梨華ちゃんのこと理解してるっていいきれる? 
  
 「……ぃー。…っすぃー。ねぇ!よっすぃー!聞いてる?」 
 「えっ?あ、うん。聞いてるよ。」 
  
 ウソだ。 
  
 「ウソでしょ」 
  
 その通り。 
  
 「どうしたの?なんかあったか?お姉さんに話してみな?」 
  
 梨華ちゃんはそう言うと私の髪をなでた。 
 いつもなら心地よく感じるであろうその行為が今はとてもわずらわしく思えた。 
 毎日足しげく私の所にきてくれるのは何なの? 
 愛情?友情?それとも…同情? 
  
 止まらなかった。 
 頭に置かれている手を振り解く。 
  
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
  
 「ウソは梨華ちゃんの方でしょ? 
 気付いてないと思った?私といる時、嫌そうな顔したり、無理にテンション上げようとしてたじゃん!! 
 同情で来てくれてるの?そんなのこっちだって迷惑だよ! 
 本当はもう来るの面倒なんでしょ!もういいよ、来てくれなくて。 
 無理に来てもらってもうれしくない。じゃあね!」 
  
 止まれなかった。 
  
 梨華ちゃんは私が叫んでる間ずっと私の目を見ていて。 
 私の言葉が終わると寂しそうな目をして。でもすぐ笑顔になって。 
 そのまま何も言わずに部屋を出て行った。 
   
- 10 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:33
 
-  ―――― 
  
 最悪だ。カッコ悪すぎる。 
  
 一人になるとそればかりが頭に浮かんでくる。 
 感情のままに梨華ちゃんに叫んだ。 
 ただの八つ当たりだ。 
  
 直接会って謝りたい。 
 あー、でももう無理か。 
 自分で来るなって言っちゃったからなぁ。 
 後悔先に立たずとは、昔の人はためになる言葉を残してくれたもんだ。 
 実感する頃にはもう手遅れってのが欠点だけどさ。 
  
 でも、本当に梨華ちゃんが迷惑がってたなら…。 
 これでいいんだろうな。 
 行かない大義名分が出来たわけだからさ。 
 でも、どっちにしてもあんな事言ったのは謝りたい。 
 会いたい。でも逢えない。 
  
 鬱屈とした気持ちを抱えながら夜は更けていった。 
   
- 11 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:33
 
-  ほとんど眠れなかった。 
 ストレスもこの病気には大敵。なら、私は近いうちに死ねるかも。 
 冗談にならない冗談を誰ともなしにつぶやく。 
  
 どんなことがあっても時は等しく流れる。 
 たとえ午後五時になるのが嫌でも午後五時は必ずやってくる。 
 開かないと分かっているドアを見てしまうのは未練がましいといえるだろうか。 
  
 「うぃーっす。元気でやってるー?」 
  
 ドアは開いた。いつものように。 
  
 「どしたの?鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔して?」 
 「だって…昨日」 
 「昨日がどうかしたの?」 
   
- 12 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:34
 
-  梨華ちゃんは本当に大人で、お姉さんで。 
 昨日の事をなかったことにしてくれてる。 
  
 昨日と違うところもたくさんあった。 
 いつもは、無駄にテンション高く喋ってたのに今は少し静かなくらいだ。 
 いつもは、はちきれんばかりの笑顔だったのに今は淡い笑みを浮かべるだけ。 
 いつもは、しょっちゅう私に触れていたのに今は決して触れようとしない。 
  
 ほとんど何を話していたのか覚えていない。涙をこらえるのが精一杯で。 
 梨華ちゃんもそんな私に気付いてたんだろうね。いつもより早く席を立った。 
  
 「じゃあね。また明日も来るから」 
 「ん。バイバイ。また来て」 
  
 そう言って送り出そうとした。少なくとも言葉では。 
 が、体はまったく逆の行動を起こしていた。 
  
 「えっ?」         
 「あれっ?」 
   
- 13 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:34
 
-  つかまれた腕を驚いたように見る梨華ちゃん。 
 つかんだ腕を不思議そうに見る私。 
  
 「えっ、や、これは違くて…」 
  
 言葉は途中でさえぎられ。 
  
 ――抱きしめられる。 
  
 心はとめどなくあふれ。 
  
 「違わない。なんにも違わないよ。よっすぃーは大丈夫だから」 
  
 心と一緒に涙もあふれて。 
 あぁ。本当に私はバカなガキだ。 
 梨華ちゃんは全部分かっていた。全部分かった上で全部抱きしめてくれる。 
   
- 14 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:34
 
-  「違うんだよ。私、死ぬのなんて全然怖くないよ。 
 でも、でもね。石川と離れるのがヤなんだ。ヤなんだよぉ。」 
 「大丈夫。ずっと一緒にいるから。毎日、顔も出すよ。 
 病気が治って退院した一緒に暮らそ。そしたらずっと一緒にいられるでしょ」 
  
 涙はあふれて止まんなくて。でも心はいっぱいになったよ。 
  
 「ありがとう」 
  
 それしか言えなかった。 
   
- 15 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:34
 
-  ―――――――― 
  
 じゃあね。また来るよ。 
 きっと一人で。 
 恋人くらい紹介しろよ、なんて言わないでね。 
 よっすぃーはもう新しい恋人作っちゃったかな? 
 それはちょっと寂しいな。 
  
 ねぇ、寂しいよ。 
  
 涙が一筋だけ頬を濡らした。 
  
 いつもゴメンね。 
 ちょっとだけだから。 
 いいかげん慣れなきゃね。 
  
 うん。もう大丈夫。 
  
 また来るから。 
 バイバイ。 
  
 いつもの言葉を心の中で呟きその場を後にする。 
  
 〜〜〜〜〜〜〜〜 
  
 ――抱きしめられる。 
  
 よっ…すぃー? 
  
 いるわけがない。 
 けど、確かに今後ろから抱きしめられている。 
  
 ――梨華ちゃん―― 
  
 声も聞こえる。 
  
 ――愛してる―― 
  
 同時に抱きしめられている気配も消える。 
 でも、気のせいなんかじゃない。 
 確信があった。 
   
- 16 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:35
 
-  「私も、愛してる」   
  
 そう呟く。 
  
 目の前に微笑んだよっすぃーが見えた。 
  
 私も微笑み返す。 
  
 よっすぃー。私もう大丈夫だから。 
 心配しないで。 
 なんてったってよっすぃーよりお姉ちゃんだもんね。 
  
 よっすぃーは微笑んだままスッと消えた。 
  
 私はもうよっすぃーに心配かけないよう凛とした表情で歩き出した。 
 後ろから『また来てね』という声が聞こえた気がした。 
  
   
- 17 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:36
 
-  ―――― 
 
- 18 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:36
 
-  ―――― 
 
- 19 名前:8 キモチ 投稿日:2004/11/15(月) 01:37
 
-  ―――― 
 
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