40 最後の誕生日
- 1 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:41
- 40 最後の誕生日
- 2 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:44
- 家の外に出ると直ぐに強い日差しを感じた。夏はなるべく肌を露出するような服は
着ないようにしているのだけど、それがより一層暑さに拍車をかける。日差しよけ
の帽子を被っていても、何度ハンカチで拭っても、額や首筋に大粒の汗が浮かんで
くる。私は暑さにぐったりしながら、飯田さんの家を目指していた。
飯田さんの誕生日は昨日だった。番組の収録日と重なっていたので、メンバーから
誕生日プレゼントを貰った彼女は目を細めて喜んでいた。そして、スタッフが用意
してくれていたケーキを囲んで、誰もが笑顔を浮かべていた。ただ、私一人を除い
て――。
「ごめんなさい! ちゃんとプレゼントは買ったんだけど、今日持ってくるのを忘
れちゃって!」
私は何度も頭を下げて、飯田さんに謝った。
「梨華ちゃん、間抜けだねー。今日持ってこなかったら、意味ないじゃん」
横から美貴ちゃんが突っ込みを入れてきた。確かに彼女の言う通りではあるけれど、
馬鹿にした口調が癪に障る。
「判ったよ! 今から取りにいけばいいんでしょ!」
「なんで、そうなるの。それに、今から収録だってこと、判ってんの?」
呆れた表情で言われると、ますます腹立たしい。
「まぁまぁ、二人とも喧嘩しないで。気持ちだけでも嬉しいからさ」
私が口を歪めて美貴ちゃんを睨んでいると、飯田さんが苦笑いして間に入った。
「っていうか、喧嘩なんてしてないしー」
軽い口調で言い放ち、美貴ちゃんは離れていった。その後姿に向かって私は、べー
っと舌を出した。
- 3 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:45
- そろそろ収録の時間が迫っているようで、楽屋がざわついてきた。マネージャーが
廊下から、用意はまだか、と何度も叫んでいる。それを横目で見ながら、私はもう
一度改めて飯田さんに謝ることにした。
「本当にごめんなさい。明日、絶対渡すから」
「別にいつでもいいって。それより、なんかねー、しみじみしちゃったよ」
「何が?」
「何ていうか――」
飯田さんの言葉はマネージャーの声にかき消される。でも、近くにいた私には、か
すかに聞こえた。
凵@凵@
昼前に飯田さんのマンションに着いた。一度も来たことはないけれど、場所は教え
られていたので迷わず来れた。一人暮らしには勿体無く思えるくらい綺麗で巨大な
建物だった。家族と一緒に住んでいる私には少し羨ましく思える。
オートロックを解除してもらう為に、備え付けの電話で呼び出すことにした。今日
は仕事が休みだから直接渡しに行くと昨日のうちに伝えておいたので、私は飯田さ
んが待っていてくれていると思い込んでいた。しかし、彼女からの反応がない。
買い物にでも出かけてるのかな、と思って、携帯に電話してみたけれど、こちらも
電源が切られているようだった。まだ寝ているのだろうか。まさか、約束を忘れた
わけじゃないよね、と不安になる。
玄関口で困り果てていると、買い物帰りの見知らぬ小母さんが声をかけてきた。小
母さんは私と飯田さんのことを知っていたので、中に入れないという事情を話すと、
玄関の扉を開けてくれた。親切な人がいてくれて良かった。小さくなっていく後姿
に向かって、私は何度も頭を下げた。
- 4 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:46
- エレベーターを使って、飯田さんの部屋の前まで来た。でも、電話に出ないのだか
ら、ここに来ても意味がないのかもしれない。そう思いながらインターホンを鳴ら
した。思った通り、いくら待っても反応がない。溜息をついて期待もせずに、ドア
ノブを握ってみた。
「――あれ?」
何事もなかったかのようにドアが開いた。鍵がかかってないということは、中にい
るのだろうか。もしかしたら、昼寝でもしているのかもしれない。私は声をかけな
がら、勝手に靴を脱いで部屋の中に入り込んだ。
薄暗い廊下を通って、広いリビングに辿り着くと目がくらんだ。思わず、硬く目を
閉じる。ゆっくりと瞼を開くと、窓にあるカーテンが全て開かれていて、部屋の中
に入り込んだ眩しい光が部屋中を照らしているのが見えた。私は息を呑んだ。
テーブルから落ちたのか、フローリングの床に赤ワインのボトルの破片が散乱して
いた。窓の外から差し込んでいる日光に反射して、散らばった破片達がキラキラと
光り輝いている。ボトルの栓を抜かずに床に落としてしまったようで、大量のワイ
ンが床に地図を描いていた。
「い、飯田さん?」
私は慌てて部屋の中を歩き回った。そういえば、玄関の扉を開けてからずっと声を
かけているというのに、全く反応がない。それらしい気配も感じない。広い室内を
探してみた結果、やっぱり飯田さんはどこにもいなかった。
- 5 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:47
- 誰かと喧嘩でもして、そのまま飛び出してしまったのだろうか。割れたワインボト
ルも片付けずに。それにしては、他の場所は乱れていない。私の部屋よりも綺麗な
くらいだ。
よく見てみると液体だったはずのワインが殆ど乾いていた。となると、このボトル
はたった今割れたわけではないということになる。いや、そんなことよりも、飯田
さんに一体何があったのだろう。部屋の鍵もかけず姿を消し、携帯にも繋がらない
のだから、ただ事ではない。
こういう場合はどこに連絡すればいいのだろう、と考え、マネージャーの携帯にか
けることにした。こういう時は大人の力を借りた方がいい。私達の世界では、軽率
な行動が命取りになる。
驚いているマネージャー相手に、冷や汗をかきながら部屋の状況を説明していると、
ふと昨日飯田さんが呟いた言葉を思い出した。
「来年の今日は、圭織ここにはいないんだなーって」
床はキラキラと輝いている。私は口を動かしながら、ある破片ばかり見つめていた。
そして、その破片に反射した光が私の胸を刺していた。
凵@凵@
その日の夕方、急な呼び出しで休みを潰されたメンバーは事務所の会議室で頬を膨
らませていた。詳しい事情も聞かされず、召集されているのだから仕方がないと思
う。私も同じ立場なら腹を立てていたはずだ。空席が目立つパイプ椅子を眺めて私
は少し淋しく思った。今年に入って三人もメンバーが減った。
「飯田さん、いなくない?」
不思議そうな顔をして麻琴が呟いた。その声を聞いてようやく気付いたのか、あち
こちで「遅れるなんて珍しいですね」などといった言葉が漏れた。
- 6 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:49
- その後、マネージャーがやってきて、飯田さんがいなくなったことを告げた。マン
ションから姿を消して連絡がつかないのだけど、誰か彼女から何か聞いてないだろ
うか、という新しい情報が全く含まれていない話だった。
その話を聞かされたメンバーはキョトンとしているだけで、誰も口を開かなかった。
困ってしまったマネージャーは、何か判ったら直ぐに連絡を入れるように、くれぐ
れも外にこの話を漏らさないように、と釘をさして出て行った。
「ったく、一日連絡取れないくらいで、大騒ぎすんなよ」
よっすぃーが白い頬を膨らませて外に出て行くと、それにつられて他のメンバーも
立ち上がった。確かに、大袈裟に見えるかもしれない。でも、あの部屋を見たら少
し変だと思うはずだ。
私は溜息をつきながら携帯を触っていた。何度メールを送っても、何度電話をかけ
ても、飯田さんは無反応だった。警察に知らせなくていいのだろうか。何かあった
後では遅いのに。でも、何もなかった時のことを考えたら、やっぱりまだ早いよう
な気もする。
「梨華ちゃんさー、もしかして先に知ってたんじゃないの?」
隣にいた矢口さんが真剣な表情で尋ねて来た。ドキリとして私は顔を上げた。いつ
の間にか、この部屋には矢口さんと私しか残っていなかった。
「何のこと?」
「いや、鞄にプレゼント入れてるし。圭織ん家行ったんじゃないの?」
矢口さんは私の膝上に置いてあるトートバックを指差した。プレゼントの包装が見
え隠れしている。でも、正直に答えることが出来なかった。
「飯田さんも呼び出されてると思って、持ってきたんだけど」
「そっか」
矢口さんは溜息交じりで頷いた。嘘をついたという罪悪感で胸がチクチクと痛む。
- 7 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:51
- 私が飯田さんのマンションに行ったことは硬く口止めされていた。私が連絡した数
十分後に慌ててやってきたマネージャーは室内を見て呆然としていた。この人、何
の為に来たのだろう、と思うくらい、役に立たなかった。
そして、マンションを出る時に、ここで見たものは誰にも言うな、と告げられた。
つまり、メンバーにも内緒にしろということだ。やっぱり、あの割れて放置されて
いたワインボトルにただならぬものを感じたのかもしれない。多分、メンバーを動
揺させたくなかったのだろう。
「でも、本当にどうしちゃったんだろうね。こんなの初めてだし」
矢口さんはわざとらしい仕草で肩をすくめて見せていたけれど、顔色はあまりよく
なかった。付き合いが長い分、誰よりも心配しているのかもしれない。
「そういや、最近、変なことばっか言ってたなー」
「変なことって?」
私が眉間にしわを寄せて尋ねると、矢口さんは天井を見上げて顔をしかめた。
「自由になりたいって」
凵@凵@
一週間経っても、飯田さんは姿を見せなかった。雑誌のインタビューは全員が受け
るものではなかったので何とかなったけれど、テレビの収録は誤魔化せない。そこ
で事務所は交通事故で一ヶ月入院という、でたらめな内容を発表した。ただ問題は
家族だった。
さすがに本当の事情を話したらしいけれど、警察に連絡しようとする家族を事務所
側は必死に説得したようだ。連帯責任で私達のイメージにも傷がつくし、飯田さん
自身の将来も考えて、各自で飯田さんを探すことに決めたらしい。
- 8 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:53
- そして、一番の被害を受けたのは私達だった。問題は一ヵ月後に始まるライブだっ
た。ののとあいぼんがいなくなって初めてのライブになるので、必然的にフォー
メーションやパート割りが変更されることくらい判っていたけれど、飯田さんがい
るいないではまた話が違ってくる。
最悪の場合、ライブが始まっても飯田さんは戻ってこないかもしれない。となると、
それなりに影響が出てしまう。いくらなんでも一ヶ月も姿を消すわけないでしょう、
という意見もあったけれど、何が原因でこうなってしまったのかも判らない状態な
のだから、いざという時の為に二パターン作っておいた方がいいだろう、というこ
とになった。飯田さんが行方不明という事実を知って混乱しているというのに、覚
えるものが多くて私達は途方に暮れた。
「えーと、こっちがこうで、あれが……えーと」
物覚えが悪い高橋は休憩時間になっても練習を続けていた。立ち位置の変化に混乱
して頭を抱えている。
今まで何度も経験したことではあるけど、一度に二つのフォーメーションを覚える
のはこれが初めてだった。他のメンバーも頭を冷やす為に飲み物を買いに行ったり、
お互いの動きを確認して首を傾げたりしている。私は壁にもたれて、考え事をして
いた。
飯田さんはそんなにも自由を求めていたのだろうか。半年後には今より楽になると
判っていながら、それでも我慢が出来なかったのだろうか。糸が切れた凧みたいに、
今頃見知らぬ土地で気ままに彷徨っているのだろうか。
- 9 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:56
- 私には納得出来ない。何より、こんな形で姿を消したら私達やスタッフが困ること
くらい誰にだって判るはずだ。彼女がそんなことするわけがない。それほど無責任
な人ではないと思う。
いくら考えても答えは出ない。唸っていた私は、傍でよっすぃーと会話していた美
貴ちゃんの声で我に返った。
「なんか、こうして見ると、飯田さんいなくなっても違和感ないよね」
「何てこと言うんだよ、ミキティ。こんな時にシャレになんないって」
よっすぃーが目を丸くしている。今まであえて皆話題にしていなかっただけに、余
計に驚いたようだ。
「だって、本当のことじゃん。辻ちゃんとかはいなくなったら静かだなーって思っ
たけどさ。そんなに目立つパート持ってたわけでもないし、大変なのは二つのフ
ォーメーションの区別がつきにくいってことくらいじゃない?」
「……止めてよ、そういうこと言うの」
気分が悪くなって私は美貴ちゃんを睨みつけた。でも、美貴ちゃんは顔の汗をタオ
ルで拭っていたので気付いていない。不穏な空気を感じ取ったメンバーは、動きを
止めてジッと私達の様子を見守っている。
「まぁ、遅かれ早かれこうなってたんだろうけど。リーダーがいなくなったってい
う感じしないっていうかさー」
「飯田さんがもう戻って来ないみたいな言い方しないでよ!」
話を止めさせる為に、私は美貴ちゃんの肩を押した。美貴ちゃんは少し驚くと、直
ぐに不機嫌そうな表情に変わった。
- 10 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:57
- 「もう戻って来るわけないじゃん」
「そんなの判んないよ。大体、自分の意志でいなくなったかどうかも判んないし、
もしかしたら、何かの事情で戻って来れないのかもしれないじゃない。何も判んな
い状態でそんなこと言うのは感じ悪いよ」
飯田さんはリーダーとしても、メンバーの一員としても頑張っていたと思う。それ
に、私が新人の頃はよく悩み相談にも乗ってくれた。私にとっては大事な先輩だ。
いなくなって違和感がないだなんて絶対に思わない。今も十分心細い。
そんな大事なことを、私はどうして美貴ちゃんに言えないのだろう。いや、理由は
判っている。アンタも一緒だよ、と言われるのが怖かったからだ。
形は違うけれど、来年には私も同じ立場になる。目立つパートを持っていても、他
のメンバーがきちんと後を引き継ぐ。それが私達グループの特徴だ。そのことは判
っているつもりだけど、それを面と向かって言われたくはない。まだいるのに、い
らないと言われたくない。私はやっぱり自分が可愛いと思う、意気地なしだ。
「梨華ちゃん、圭織のこと何か知ってんの?」
声がした方向へ振り返ると、矢口さんが部屋の入り口にもたれてかかって私の顔を
見つめていた。手にはペットボトル。探るような目つきで矢口さんは私の返答を待
っている。慌てて私は首を振った。知らないのは事実なのだから、焦る必要はない
のに。
「っていうかさ、梨華ちゃんも、いい子ぶるのは止めたら? 矢口さんだって、も
う壊れちゃってもいいって言ってるくらいなんだし」
「……壊れるって何のこと?」
私には美貴ちゃんが言っている言葉の意味が判らない。矢口さんは顔をしかめて、
美貴ちゃんの腕を軽く叩いた。
- 11 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/27(日) 23:58
- 「余計なこと言ってんじゃないよ」
「うわー、矢口さんその顔ヤバイ」
「うっさいよ、馬鹿」
軽い口調で茶化す美貴ちゃんに合わせて、矢口さんも笑いながら軽く身体をぶつけ
ていた。険悪な雰囲気を簡単に無くす力を二人は持っている。周りも安堵して胸を
撫で下ろしていた。
私は美貴ちゃんの乱れた髪を背伸びして直してあげている矢口さんの背中をぼんや
りと眺めた。そういえば、最初の頃はそれほどでもなかったのに、いつの間に二人
はこんなに仲良くなったのだろう。
「梨華ちゃんも早く頭冷やして」
そう言って、矢口さんは手にしていたペットボトルを私に差し出した。冷たいボト
ルを受け取って、火照った頬につけると少しだけ気持ちが落ち着いた。
「許してやって。誰だって苛ついたら、八つ当たりしたくなるもんだし」
「そりゃ、そうだけど」
美貴ちゃんの肩を持つ矢口さんの気持ちが私には理解出来なかった。
凵@凵@
「やっぱさー、無理があったんだよねー」
矢口さんはお酒に酔ってくだを巻いている。
店の中は全体的に照明が弱く、澱んだ空気が漂っていた。客層も落ち着いていて、
私達がいるテーブルだけがうるさかった。時折感じる迷惑そうな視線に対して、私
は申し訳なさそうに俯くことしか出来ない。でも、矢口さんの向かい側でソフトド
リンクを飲んでいる私が一番の被害者だ。
- 12 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/28(月) 00:01
- 「さっきから、何のことを言ってるの?」
「だからー、無理があったんだってば」
半分ほど落ちた矢口さんの瞼を見て、まともに会話しようというのが間違いなのか
もしれない、と思った。酔いが覚めるまで我慢するしかない。
「怪我して入院って誤魔化したってさー、本人が戻って来なくちゃ、無意味だっ
てーの。で、その結果がこうでしょ? ほんと、馬鹿としか思えないね。早く解散
しちゃえばいいのに」
矢口さんはぐいっとファジーネーブルを飲み干し、今度は事務所批判を始めた。
「大体さー、人気は落ちる一方だっていうのに、諦めが悪いっていうかさー」
飯田さんがいなくなって数ヶ月が経った。もう年の瀬だというのに、未だに彼女は
戻ってこない。ついに、痺れを切らした家族は捜索願いを出した。そのことに対し
て、もちろん心配していた私達は賛成だったけれど、事務所がついた嘘の所為で、
すっかり信用を無くしてしまい、かなりファンが減った。
それなのに、まだ事務所は強気な態度を見せている。私達は仕事中も肩身の狭い思
いをしているというのに。最近では口にすると気まずくなるので、飯田さんの名前
が禁句になっているほどだ。
「でも、どこ行っちゃったんだろ。戻りたくても戻れない状態なのかな……」
「それは当たってるかもね」
独り言のつもりで呟いたのに返事が戻ってきて驚いた。矢口さんは店員を呼び、ボ
トルで持ってきて、と甘えた声を出した。まだまだ、飲む気らしい。私は溜息をつ
いた。
ワインボトルが届くと、矢口さんは手酌でグラスになみなみと赤い液体を注ぎ、そ
れを水のように一気に飲み干した。
- 13 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/28(月) 00:02
- 「そういや、梨華ちゃんももう二十歳かー。早いなぁ。誕生日はパーッとお祝いし
ようね。堂々とお酒も飲めるしさー。やっぱ、こういう時に飲むのは赤ワインだよ
ね。確か、圭織の時もそうだったし」
「……飯田さんの時?」
飯田さんの部屋で見た、あの割れたワインボトルを思い出してドキリとした。警察
の捜査では飯田さんの指紋すら出なかったあのボトル。
「ラジオのスタッフから貰ってたじゃん。成人のお祝いとか言って」
「…………あぁ、そうだっけ」
「まー、今年もあげたけどね」
矢口さんはキャハハと陽気に笑う。逆に私の表情は固まった。今年もあげた、とい
う言葉が引っかかった。
「……仮に、仮にだけど、このワインボトルで人の頭を殴ったら壊れると思う?」
私は震える声で矢口さんに尋ねた。
「よっぽど力入れてやんないと無理じゃない? コント用のビール瓶とかじゃない
んだし。うちらじゃ、まず無理じゃないの」
「…………そ、そうだよね」
「何でそんなこと訊くの?」
「え、ちょ、ちょっと疑問に思っただけだから、気にしないで」
顔を引きつらせて、自分に言い聞かせるように私は首を振った。
何を馬鹿なこと考えているのだろう。もしかしたら、飯田さんは誰かに殺されたか
もしれないだなんて。あのボトルはきっと床に落ちただけなのに。
「変な梨華ちゃん」
どうでもよさそうに矢口さんはまたグラスを空にした。そのうち、ラッパ飲みでも
始めそうなペースだ。
その後、本当に恐ろしいペースで矢口さんは一人でボトルを開けてしまった。私は
食欲どころか、飲み物すら喉を通らなくなってしまい、テーブルに頬杖をついて一
人でペラペラと喋り続けている矢口さんの真っ赤な顔を眺めながら、適当に相槌を
打っていた。
- 14 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/28(月) 00:04
- 「何ていうかさー、今までのメンバーの中で一番付き合い長かったのが圭織なんだ
よね。ユニットもあったし。だからさー、先に抜けるっていうのを聞いてちょっと
悔しかったなー。あー、先越されたーって」
完全に酔っ払った矢口さんは頭をふらふらと揺らし、危ない手つきで新しいボトル
を手に取った。
「それなのに、自由になりたい、自由になりたいって連呼しちゃってさー。何、贅
沢なこと言ってんだよーって思ったね。ふざけんなよって」
勢いよく、注ぎ過ぎてグラスからワインの雫が飛び散っている。
「そのくせ、外に出られる喜びっつーかさー、そういうの口にはしなかったけど、
顔とか態度見てたら判るんだよねー。こっちはたまんないよ。抜けたいって言って
も、まだダメだ、タイミングがー、とか言われてさ。こっちの意思は無視だもん」
真っ赤なグラスを持っているように見えるくらい、たっぷりとワインを入れて、矢
口さんはボトルを傍に置いた。
「藤本もそうだよねー。あの子なんてもっと悲惨だよ。外から入れられて抜け出せ
ないんだから。だから、よく慰めあってんだよねー」
まるでボトルが美貴ちゃんの分身のように、矢口さんは話し掛けた。
「こういう気持ち、梨華ちゃんには判んないだろうね」
私の顔を見て、矢口さんはニヤリと笑った。ゾッとするような笑みだった。もしか
して、私に対してもそういう感情を抱いているのだろうか。そう思ったら、怖くな
った。
- 15 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/28(月) 00:06
- 「ちょ、ちょっと化粧室行って来るね」
このまま話を続けるのが恐ろしくなってきた私は慌てて立ち上がろうとした。その
時、肘にボトルがぶつかった。
派手な音を立ててボトルは床で砕け、ボトルの中に残っていた液体が足元にかかっ
た。
「あーあ、何やってんだよ。シラフなのに」
矢口さんは呆れたように呟くと席を離れ、ボトルの破片を手に取った。慌てて店員
さんが走り寄って来る気配を感じる。でも、私は矢口さんが持っている破片から目
が逸らせなかった。
「また、スコップみたいな形に割れちゃってるね。今度はちゃんと片付けないと」
矢口さんの言葉を聞いて、私はゴクリと喉を鳴らした。飯田さんの部屋で見た時も
同じような形で割れていた。でも、そのことを知っているのは私だけだ。矢口さん
が知るわけがない。でも、彼女は「また」と言った。「今度は」とも言った。
「梨華ちゃんも自由になりたいって思ってる?」
顔色を無くした私の顔を見上げて矢口さんはニッコリと笑う。私は何も答えられな
かった。
そんな馬鹿なことあるわけがない。私には理由が判らない。でも、どんな理由があ
ったとしても、矢口さんの小さい身体では無理だ。有り得ない。
でも、一人じゃなかったら――?
「梨華ちゃんの誕生日を一緒にお祝い出来るのも、次で最後だね」
矢口さんの手にある破片が店内の弱い照明に反射して、怪しく光った。
- 16 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/28(月) 00:06
- 終わり
- 17 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/28(月) 00:07
- クラッシュ
- 18 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/28(月) 00:07
- ギャル
- 19 名前:40 最後の誕生日 投稿日:2004/06/28(月) 00:07
- ズ
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