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25 変わらないもの、或いはわからないもの

1 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時52分12秒
25 変わらないもの、或いはわからないもの
2 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時53分07秒


「また?」
思わず声を張り上げたきみは、圭織に迷惑そうな顔を向けられた。

第三時空転移室は、棟の最上階に位置している。
昼食休憩で人が出払い──尤も最大で三人の極小研究室に過ぎないけれど──
閑散としているはずの研究室内には、二本の影が伸びていた。
きみの小さな影は忠実にきみに倣い、肩を怒らせた。
「何度云ったらわかるんだよ、クロスロードは危険なんだって。
 もう九回も乗ってるんだぞ、いい加減諦めろよ」
ブラインド際に立つきみが窓に背を凭れ掛けると、影が波打つ。
それを避けるように圭織は椅子を引き、腰を下ろした。
茶味のかった艶やかな髪をかきあげる仕草は強い色気を感じさせるけれど、
きみに向けられた無表情の仮面と相まって、どこか冷たい印象が先にたつ。
きみは圭織の能面のような面構えを見るたび、
こちらからは口を開いてやらないと云う強い意志を確かめるが、
得てしてそれは空回りし、今回も結局押し出すようにして云った。
「…絶対、乗せないからな」
それはきみが持っている意地を具現化させた、
最後の一線を示す強い気持ちの現われた台詞だった。
けれど圭織は、そんなきみの激しい思いをいなすように、薄く唇を開いて微笑み、呟いた。
「…矢口は、何にも心配すること無いから」
3 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時53分40秒
圭織は決まって、その言葉を吐いた後には、悪魔的なものへと笑みを切り替える。
それは意図的なものとも、ただきみの潜在意識が見せただけの錯覚とも取れた。
きみはその言葉に打ちのめされる。
その言葉の含意を察し、愕然とする。
きみと圭織、そしてもうひとり──きみより圭織を知るもう一人の女との間にある、
言葉にはならない一本の細い線。
その線の存在をちらつかされるたび、君は猛烈な不快感に苛まれる。
尻尾を振って逃げ出せと強要され、無言の憐憫に貫かれる。

きみは弾かれた弾丸のように窓を離れ、坐っている圭織の眼前を足早に通り過ぎた。
逃亡だった。
きみは足早に部屋を出て廊下を渡りながら、
また、圭織がクロスロードに乗り込むことを止められないだろうなと考えた。
己に対するいいわけの言葉が浮かんで消える。
そんなものに意味はなかった。
結局きみは、心のどこかで望んでいる。
圭織が目的を達し、なっち──安倍なつみが健やかな状態できみの前に現われることを。
現われたら現われたで、きっと今以上の苦しみに悩まされることも。
4 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時54分13秒
がむしゃらに歩いていたきみは、いつしか青い空を拝んでいた。
昼休みも終わりに近づき、昼食スポットとして人気のある屋上には既に人影は無い。
柵に寄ったきみは研究室に入ってから嗜むようになった煙草を咥え、火をつけた。
紫煙が立ち昇り、きみが吐き出した煙がその後を追っていく。
些細な鬼ごっこを眺めながら、きみが大きく息をつくと、
「矢口さん」
被さるようにして、きみを呼ぶ声がした。
振り返ると、吉澤が立っている。
「どしたのよっすぃ」
「いや、私がトイレから出ようとしたら、すごい勢いで通り過ぎていったんですよ。
 何事かと思ったら」
吉澤は云うと笑顔を作って、きみの隣に寄ってきた。
とても慕ってくれるこの後輩研究者を、きみは可愛く思っている。
普段からよく会話を交わす間柄でもあったので、ほとんど無意識のうちに、きみは口にしていた。
「圭織がまたクロスロードに乗るんだってさ」
吉澤は顔を歪めた。
彼女も、クロスロードがもたらす危険、
そしてなにより圭織の盲目的なまでの執念には疑問を抱いている。
5 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時55分00秒
「飯田さん、何考えてるんでしょうね?」
吉澤の言葉に頷いて見せたものの、きみは吉澤より長く圭織と時間を共にしている。
その分、圭織の考えについてもわかっているつもりだったが、きみは口にすることはしなかった。
それは、例えば見栄のようなものだ。
吉澤より長い、きみの圭織との時間の共有。
そこに生じる認識の違いを、きみはとても大事にしている。
同じ研究室に配属され、
一つのもの──クロスロードの研究に携わってきた仲間であることに違いは無いけれど、
そこにはごく薄い、言葉に出来ない壁が存在していることをきみは否定しない。
吉澤を含む後輩研究者達が入室して来た頃には、クロスロードは八割方完成していた。
その事実はどうあろうと動かない。
そこには、きみの多大なる尽力の成果が確実に存在しているのだ。
人間的に云々ではなく、研究者としては、きみは吉澤を好きになっていない。
好きになることなど出来ない。

しかしそれは、同時にきみと圭織の関係をも表している。
きみが研究室に入った時、そこにはふたりの人間がいた。
きみが研究室に入った時、クロスロードの研究はとうに始まっていた。
どうあがいてもその事実が変わらない以上、
圭織の中に今のきみが持っている感情があることは想像に難くない。
6 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時55分28秒
きみは短くなった煙草の吸殻を地面に落とし、踏み躙った。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
いこっか、と吉澤に声を掛けた。
「やることないけどね」
「確かに」
そう云いながら、頭では別のことを考える。

圭織の執着する「なっち」。
彼女は、どんな人物なのだろう、と。
7 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時55分57秒


十字路の名を受けたクロスロードは、過去への飛来を目的とした卵型の時空間転移装置である。
定員は一名。
乗り込んだ人間は向かいたい年号をインプットし、備え付けのヘルメットを被る。
技術的な面から、肉体転移型ではなく、精神転移型を採用しているためだ。
そのため飛来できるのは搭乗者の出生以後と限られ、更に当時の肉体を媒介とするため、
一度辿った過去をもう一度辿りなおすと云う、
画期的でこそあるものの、現段階では実用性にはひどく乏しい代物でしかない。
云ってみれば録画したビデオを見直す程度の働きしかしないわけである。

しかしそれは云い換えれば発展途上であると云うことになり、
事実クロスロードには進化の余地が多々残っている。
その一つが、過去の改竄および現代へ現われる影響である。
8 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時56分22秒
理論上、精神転移型のクロスロードでは過去に手を加えることは出来ない。
ビデオを見ている限りはテレビの中の出来事を左右することが出来ないように、
過去の肉体から過去の世界を映像としてとらえている以上、
過去の世界の改竄および現代に及ぼす影響への懸念は無い。
しかし将来的な実用化に向けては当然クリアすべき問題である。
名の通り、過去に通り過ぎた十字路に立ち帰り、違う道を歩むことこそが、
長らく人類が所望して来た時空間転移装置の姿である以上、
精神転移型から肉体転移型への移行、
さらには過去の変化が現代にもたらす影響に対する措置を講じなければならない。
勿論それは口で云うほど容易でなく、
シュミレートの限界は早々に訪れ、技術面や知識面からも頭打ちの感が否めないでいた。

ラットを使った実験から、生身の人間を使って実際に時空移動を試してみよう。
研究室長を務める飯田圭織が英断を下したのは、
研究が暗礁に乗り上げてから、丁度一ヶ月ほどが経った頃だった。
人間での実験は安全面を考慮され禁止されてきたが、
やはりデータ採取等において、ラットとは比較にならない結果を得ることができる。
反対の声も出たが、圭織は自らが叩き台になることで、研究を推し進めようとした。
初めての時空旅行は一年ほど前に実施された。
9 名前:25 投稿日:2003年11月08日(土)01時56分48秒
クロスロード搭乗者の様子は、傍から見ているだけではなんら不審なところは見つけられない。
ラット実験の際に、睡眠に似た状態であることは脳波検査などから立証されており、
圭織は卵の中で穏やかに時の流れに身を横たえていた。
圭織の初の時空旅行を、研究者達は固唾をのんで見守っていた。
ラットの場合には帰還までに一日近くを要していたが、
何せ生身の人間とでは勝手が違うであろう。
また、突然圭織に異変が起きないとも限らない。
研究員達は総出で、昼夜を問わずクロスロードに張り付いていた。

圭織の帰還は搭乗してから一日と十七時間七分後のことだった。
ラット実験時と同様、複雑な機械音を奏でながら卵の殻は割れたように開き、
中にいた圭織は寝起きのような感じで眼を擦った後、おはようと口にした。
研究室が沸きあがったのは云うまでも無い。
圭織の口からは芳しい成果は得られなかったが、
人間の搭乗にも問題が無いと云うだけで大きな成果である。
研究室内ではまだ技術、知識ともに不足していると云う声が多数を占めており、
しばらくは地道な研究が続くものと思われた。
10 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時57分14秒
ところが圭織は、クロスロードへの搭乗を希望し続けた。
二度目の搭乗に関しては、研究者達もとやかくは口を出したりしない。
一度目には見つからなかった発見が期待できるからだ。
しかし収穫の無かった二度目の搭乗を終え、三度目に挑むと云い出した時には、
多数の研究者が反対をした。
情報の欠落が大きく危険極まりが無かった上に、
時間を無駄に使うことを最も嫌う研究者達は、
搭乗のたびにほぼ二日を無駄に費やすことには耐えられなかったのだ。
圭織はほぼ全ての研究者と対立した。
室は分裂し、研究もままならない状態になり、
やがて意欲と人望に厚い人間がそれぞれ別の研究室を開き、
クロスロードとは違うアプローチで時空移動を研究し始めた。
圭織に就こうとする研究者は少なく、自然、クロスロードの研究規模は縮小されていった。
今では小さな研究室と、圭織を含めた三人の研究員を残すのみである。
11 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時57分47秒


きみと吉澤が揃って研究室に戻ってみると、圭織の姿は無かった。
「イアン室でしょうね…」
自分のデスクに就いた吉澤がパソコンを立ち上げながら呟く。
きみも同意を示して頷いた。
圭織の姿が研究室から消えている風景は、ここ半年ほどの間に珍しくも無くなってしまった。
クロスロードの研究を放り出してイアン室に入り浸ることが多くなっている。
時々思い出してはクロスロードに乗ると云い出し、
やめろと云う説得に応じたり応じなかったりを繰り返す日々だ。
室長である圭織のいない研究室で研究が進むはずも無く、
きみと吉澤はここ半年、給料泥棒のような状態である。
尤も第一、第二研究室も目新しい発展は無いのだから、お互い様と云えば云えるが。

きみも自分のデスクに就き、
スタンバイモードになっているパソコンを起ち上げようとしたところで、ふと手を止めた。
「…ちょっと、久々にイアン室に行って来るかな」
吉澤が不思議そうな顔をしてきみを見つめている。
「飯田さんに用事ですか?」
「や、そう云うわけでもないんだけどね」
圭織に用事ではなく、むしろ「なっち」に用事かな。
きみは声には出さず胸の内で確認して下ろしたばかりの腰を上げた。
12 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時58分12秒
イアン室とは当然別称であり、正式名称はきみも覚えていない。
なんたらと長い名前だったことは記憶しているが、ようはクライオニクスの研究室だった。
クライオニクス──遺体冷凍保存は古くからある復活方法の一つである。
死に面した遺体を即座に冷凍保存し、
後年の科学技術の進歩に復活の望みを繋ぐと云う他力本願を基調としているが、
根強い関心を寄せるものは多い。
この研究所でも十近いクライアントを管理しているが、復活への道のりはまだまだ険しい。
イアン室とは遺体安置室を縮めた、研究者らしい笑えないジョークである。

きみがイアン室の重たいドアを引くと、案の定圭織は一つのカプセルベッドを見据えていた。
きみが音も無く近寄っていくと、一瞬驚いたように顔を上げたが、
またすぐに視線をベッドの中に戻してしまう。
きみもベッドに視線を向ける。
超低温に保たれたカプセル内では、時の流れは存在していないにも等しい。
カプセルの中には一人の女性が横たわっているが、
ここ十月、彼女の身体には一切の変化が現われていなかった。
白い肌、肉付きの良い頬はきみにも見覚えのあるままだ。
その分一層、左手首に浮かんだ太い瑕痕が生々しく映る。
13 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時58分45秒
なつみは自殺だった。
と云っても、きみは詳しいことは何一つ知らない。
きみが研究室に入って一週間と経たない、きみとなつみが親しくなる間を得ないうちに、
なつみは自らの左手首を疵付けた。
研究室の血の海の中で溺れていたなつみを最初に発見したのは圭織であった。
圭織はすぐさま救急室に駆け込んだが時既に遅く、早々とクライオニクス処置が採られた。
きみが目にした時には、なつみの身体は既にカプセルベッドへの搬送が始まっており、
その隣では圭織が、虚ろな視線を天井に投げつけ、
「なぜ、なぜ…」
と壊れきったオートマタのように繰り返していた。
14 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時59分27秒
「安倍さん…助けてあげたいの?」
きみは圭織に訊いた。
何度と無く繰り返された問いだった。
その度圭織は微笑むことで誤魔化して来ている。
今度も微笑を浮かべた圭織に、きみは畳み掛けた。
「過去を変えることの危険性は、圭織が一番知ってるでしょう?
 安倍さんがもし生き返ったって、
 そんな…小さなことは意味のない世界になってるかもしれないんだよ?」
ひどいことを云っているな、と冷静な視点を持つきみは遠くにいる。
生身のきみは溢れてくる言葉の滾りを押さえ込むことが出来ないでいた。
きみが自分で云ったとおり、
過去改竄がもたらす危険性について最も知り尽くしているのは飯田に他ならない。
クロスロード研究の端緒を知るのは、もはや彼女だけだ。
きみは研究室に入りたての頃、懇々と時間操作の弊害について説く圭織の姿を思い出していた。
過去を変えることは、小さな範囲に留まる問題ではない。
大袈裟でなく、世界を消滅させうる可能性を持つことなのだと。
15 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)01時59分58秒
だからこそきみは圭織の強い意志を感じずにはいられないでいた。
研究を投げ出し、イアン室と過去を行き来する日々。
圭織は時間を惜しんでいるのだ、ときみは思う。
研究者は時間の浪費を嫌う。
無駄な研究に時間を費やすくらいならば、何度でも過去へ行って時空操作を試みればいい。
イアン室に眠るなつみを見るたびにモチベーションを高め、過去の呪縛を断ち切る活力に変える。
その行動はなにより、圭織がなつみを大切に思っていることの証左だった。
世界が変わることなど厭わない、なつみが生き返ればそれでいい。
きみは圭織の行動にそんな説明をつけた。

「…明日、乗るね」
きみの言葉など耳に入っていなかったとでも云うように、
圭織はそれだけ云うと、きみの方を見ずにイアン室を去った。
やはり引き止めることが出来なかった。
きみは死して尚圭織を強烈に繋ぎとめているなつみに目を落として、
己の中に渦巻く感情に上手く言葉を付そうとした。
憤怒、悲哀、屈辱、憐憫…。
全てが当てはまり、また当てはまらない。
圭織を止められない自らに怒り、己の存在意義の薄さに哀しみ、
きみではなくなつみを選んだ圭織に屈辱を感じ、
きみではなくなつみを選んだ圭織を憐れに思う。
「わっかんないよカオリ…」
きみの溜息が、カプセルベッドのガラスをほの白く染めた。
16 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時00分34秒


翌日。
きみが研究室に出てくると、普段なら一番乗りをしているはずの吉澤がおらず、
代わりに、と云うのは変だが、圭織がひとりでクロスロードの検査をしていた。
「珍しいね、よっすぃが遅いなんて」
きみは椅子に腰掛け荷物を置き、壁掛け時計を睨みながら呟いた。
始業までもう時間はほとんどない。
いつも三十分前には研究室に顔を出す吉澤にしては珍しいことだ。
「今日は吉澤来ないよ」
圭織はクロスロードから顔を上げ云った。
「は?なんで」
「私が云っといたから、休むように」
点検が終わったのか、圭織はこちらに向かって歩きながら話を続ける。
「よっすぃどうかしたの?」
「いや、ちょっとあんたとふたりで話がしたかったからね」
きみは反射的に背筋を伸ばして、圭織を見た。
自分のデスクについた圭織は一口茶を含み、落ち着いた様子で言葉を紡ぎ出す。
「…ねぇ矢口、あんた今何考えてる?」
17 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時01分03秒
きみは咄嗟には圭織の言葉の意味が理解できず、目を瞬かせた。
圭織はそんなきみの反応が予想通りだと云うように、してやったり顔を見せる。
きみはなぜか焦り、急かすように訊ねた。
「何?どう云うことよ?」
「そのまんまよ。
 今何考えてるの?吉澤のこと?」
吉澤のことではなかった。
昨日からきみが考えていることと云えば、一つしかない。
「…カオリのこと」
きみは搾り出すように云った。
そのまま思いのたけをぶちまけそうになるのを何とか堪え、圭織の方を見やると、
圭織は唇の端を吊り上げ、
「私は、矢口が消えても構わないなんて思ってないよ?」
全く噛み合わない、けれどきみの心を見透かしたとしか思えない返事を寄越してきた。
18 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時01分32秒
きみがまた言葉を失っていると、
圭織は新しい玩具を見つけた幼子のような表情になって話し続けた。
「昨日矢口も云ってたけど、過去を変えることがどれだけ危険なことはわかってるつもりよ。
 だから、いくらなっちのためだからって、むやみやたらに過去を変えたりなんかしないよ。
 それこそ、矢口や吉澤がいなくなっちゃったりしたら困るから」
楽しそうに話す圭織に、きみは云いたい言葉を募らせる。
なつみのこと、きみ自身のこと、吉澤のこと…。
色々なものが巡り、しかし結局口を突いたのはなんとも味気ない言葉だった。
「…じゃあ、何で過去に行くのさ?」
こんなことは聞きたいことでもなんでもない。
自身の不甲斐なさに呆れ果てていると、圭織はまた、不思議な言葉を口にした。
「過去はね矢口、絶対に変わらないものなの」
「あ?」
「試したもの。
 何とかならないかって強く念じてみたり、手足を動かそうとしたりしたけど、駄目だった。
 過去は変わらないよ」
「じゃあ、なんで…?」
それは単なる知識や技術の不足ではないかと云う疑問はきみの脳裡には浮かばなかった。
魔法にかかったように圭織の話に引き込まれている。
その圭織はまた不思議なことを云った。
「何で、なっちは自殺したんだと思う?」
19 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時02分08秒
「そんなの知るかよ!」
きみは椅子から立ち上がり、思いの他大きな声を圭織にぶつけていた。
突然なつみの名前が出たせいかもしれないし、
答えをはぐらかされた気になったからかもしれない。
何の前触れもなく導火線に火を放たれ、きみは激昂した。
抑えは利かなくなっていた。
「何でそこで安倍さんが出て来るんだよ、関係ないだろ!
 何で圭織は意味もなく過去へ行ってんだ、遊びか?
 そんなことなら研究のひとつでもしろ!
 毎日毎日イアン室に篭って、わっけわかんねぇ。
 なつみさんは大切な人なんじゃないのかよ?
 助けてあげるためにクロスロードの研究してるんだろ。
 諦めるのは勝手だけど、室長なんだから研究くらい手伝えよ!
 オイラやよっすぃにだって変えたい過去があるんだ!
 クロスロードはもう圭織ひとりのものじゃないんだよ!」
「クロスロードは元々私のものじゃない、私となっちのものだよ」
勢い込んだきみとは対照的な落ち着いた声で圭織は云ったが、
そこには有無を云わせない何かがあり、きみはたじろいだ。
私となっち。
きみがどうしても立ち入ることの出来ない領域を見せ付けられた格好になった。
20 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時02分36秒
しばらく、お互いが探り合うようにして、沈黙が降りた。
きみは居心地の悪さを感じながら、まだ煮え立っている気持ちの整理に苦吟する。
そもそもなぜ、なつみのことでこれほどに理性を失うのか、きみ自身もよくわかっていなかった。
きみはなつみに関しては、ほとんど何の知識も得ていないのだ。

先に言葉を発したのは圭織だった。
ごめん、と小さく呟いた後、
「…人の気持ちなんてさ、所詮わからないものだよね」
投げやりな調子で云った。
「…どういうこと?」
「いや、まさか矢口がこんなに怒るとは思ってなかったから…」
「ああ…まぁ、オイラにもよくわかんないし」
自然、きみの口調も投げやりなものになる。
悪い雰囲気を察したのか、殊更明るい口調を装って圭織が続けた。
「悪かったよ矢口。
 今度過去から帰ってきたら、研究する。
 生きてるうちにクロスロードを完成させなきゃ」
「それでもまた行くんだ」
きみもあわせるように軽い感じで云ったが、圭織の動きが僅かに止まった。
その瞬間、まるで天啓のように、きみには圭織がクロスロードに乗り込む理由がわかった。
いや、わかった気がした。
人の気持ちなんてものは、所詮わからないものなのだから。
21 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時03分16秒
「…理由を探してるの?」
きみの言葉に、圭織は視線だけで問い返してきたが、その視線は揺れている。
きみはそこに圭織の動揺を見ていた。
「安倍さんが自殺した理由を見つけようとしてるの?
 安倍さんの気持ちがわからないなら、見つけてやろうとしてるの?」

きみは云いながら、身体から力が抜けていく感じを覚えていた。
きっとかけがえのない親友であったろうなつみと圭織。
しかしなつみは突然原因不明の自殺を遂げる。
圭織にはその原因がわからず、苦悩した。
全てを知っていると云っても過言でないほどの親密さだったはずなのに、
なぜなつみが突然、しかも理由も告げず自殺を図ったのか。
圭織はそれを知るために、引止めを振り切ってクロスロードに乗ったのではないか。
22 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時03分42秒
きみは倒れこむように、椅子に座り込んだ。
哂いたくなった。
きみが鉄壁の関係と信じて疑っていなかった圭織となつみの間にも、
見えない壁は存在していたのだ。
もちろん、だからと云ってきみには安心感など生まれていない。
あるのはただ虚しさだけだった。
人の気持ちなんてものはわからない。
圭織の言葉がきみの中を駆け巡っていた。
23 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時04分10秒
「…違うよ」
しかし圭織が、ポツリと云った。
「そんな理由じゃない。
 ううん、そんな素敵な理由じゃないの…」
その声は震えている。
泣いている、ときみはひどく冷静に思った。
確かに圭織はその大きな双眸に雫を湛えている。
けれど、その構図がとてつもなく奇妙なのだった。
圭織の涙は、明らかに負の感情によって生み出されている。
負い目や自らへの卑下が溶け出しているのだ。
きみの中でまた木霊している。
人の気持ちはわからない。
では、圭織はなぜ何度も過去へ向かっていたと云うのだ…。

そんなきみの疑問に答えるように、圭織は慌てて涙を拭うと、
行くね、とだけ言葉を残して立ち上がり、クロスロードに寄った。
きみが自分でも何を云おうとしているのかわからないまま、何かを云おうと口を開きかけると、
圭織は気配を察したのか、痛ましいほどの明るさで、背を向けたまま云った。
24 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時04分32秒
「じゃあ、行ってくるね。
 元気ななっちに逢いに。
 横たわって目を閉じていない、明るく笑ってるなっちを観に」
25 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時06分39秒
作者註:
クロスロードの記述に関しましては、
徳間デュアル文庫「少女の空間」所収の
梶尾真治「朋恵の夢想時間(ユークロニー)」を参考にしました。
26 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時06分51秒
27 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時07分00秒
28 名前:25 変わらないもの、或いはわからないもの 投稿日:2003年11月08日(土)02時07分10秒

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