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07 いらいら
- 1 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時01分47秒
- 07 いらいら
- 2 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時02分14秒
- 「れいな」
「えっ? あっ、なに絵里。なに、何か用?」
「これあげる」
「……なんね」
「クスリ」
「薬? 何の?」
「ビョーキ直すクスリ」
「やけん何の」
「何でも」
「あやしかね」
「でね使用上の注意があって、いい? 今から言うよ?」
「絵里、あたしの話きいとると? いきなしそんなん言われても困るし」
「1日1回2錠以上飲んじゃだめ。それ以上でも以下でも効果ないから」
「ちょっ待っ」
「待たない。それから、1度しか言わないからよく聞いて?」
「や、だから」
「水と一緒に飲んで。コーヒーとかはNG。食後30分以内も飲んだらだめ」
「あんなぁ、これ、なん? 名前なんね? 薬ん…」
「えっとー……、プラシーボ?」
- 3 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時02分46秒
- 絵里がくれた薬は、青色のタブレットがひとつかみ、スーパーにおいてあるような透明なぺらぺらでしわしわの薄いビニール袋に入っていて、それで全部だった。
目の前にぶらーんとぶら下げてみる。
見るからにあやしい。ひとつひとつの錠剤が叩き潰したみたいに平べったい。まるで十円玉みたいだ。色も洗剤に入っているビーズみたいに真っ青。こんな薬見たことない。 ふいに目の前に、黄色いスフレが乗った皿が差し出される。
「――――――」
へらへらと笑いながら皿を持っているのは小川さんだった。小川麻琴。いつもへらへらしてて気持ち悪い。どうして彼女がモーニング娘。にいるのか不思議だ。意味がわからない。
小川さんは、誰かの作ってきたカボチャのホールケーキのひと切れを、食べろと勧めてくれているらしい。楽屋を見渡すと、みんなもう食べていた。こんなカロリーの高いものばかり食べてるからぶくぶく太るんだよ、といつも思う。思うけど言わない。
あたしはお礼をいいながら、皿を受け取った。
- 4 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時03分13秒
- 「――、――?」
まだ何かあるのか、小川さんはへらへらしながら、あたしに何かを問い掛けてくる。あたしも曖昧な返事を返す。
そうだ食後はダメなんだった。あたしは先にビニール袋から2つ、青い錠剤を出してばりばり噛んで飲み込んだ。クスリは甘ったるくて、ラムネみたいな味がした。
「――?」
小川さんは不思議そうな表情で首を傾げた。
「いえ、クスリです」
たぶん。小川さんはますます不思議そうな表情になって、ビニール袋を指差しながら「――、――」と言った。
「小川さんも飲んでみます?」
そう答えてみると、小川さんは首をぶんぶんと横に振って、腕をクロスさせてばってんマークを作った。
「――――」
小川さんが何を言ってるのかわからない。
でも気にしない。
関係ない。
聞こえなくても、何を言ってるのかわかるしコミュニケーションを取ることに問題はなかった。それにあの人、もとから中身があることを喋らない。聞く必要なんかない。
- 5 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時03分42秒
- カボチャのケーキは激甘。スフレもつぶれててしけっていた。最悪。
◇ ◇ ◇
あたしの耳が聞こえなくなったのはいつからだっけ?
そんなに最近のことじゃないと思う。
音が鈍い感じで逃げていく。
音がそこにあるのは分かる。
音が存在している感じでね。
音はいつも歌って踊ってる。
音はあたしのなかに存在する。
音が――、音は――、音を――
「それって聞こえないんじゃないよね。聞きたくないだけでしょ?」
耳の不調を白状したあたしに、絵里は楽しそうに笑いかけた。
「だって私の声は聞こえるんだよね?」
「うん…」
「それは私がれいなを傷つけないって、れいなが知ってるからだよ。あたしは安全。だから声が聞こえても構わない」
「そうなのかな…」
「そう。れいなにとってあたしはそれだけの存在ってこと」
次の日、絵里は薬をくれた。彼女曰くなんでもよく効く万能薬。
◇ ◇ ◇
- 6 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時04分13秒
- 「♪なのに、どこいっちゃったんだよー!!」
絵里の言うことは正解なら、なんでこんな凶悪に音痴な人間の声がまだ明瞭に聞こえるのか教えて欲しい。さゆの声は危険だと思う。
「♪――――――」
「♪――――――」
ほかの人の声はどれも聞こえない。歌っているのはわかるけど、もはや雑音。人けの多い場所にいくとすべての言葉と音階が混ざり切って、そのなかから誰かの喋った言葉を拾い出すのは難しい。すべてがそんな感じ。あたしのなかで意味のある音にならない。言葉としての意味にならない。
雑音に分解されてしまった音楽を追い掛けても無駄だ。今となってはダンスだけが音楽を測るスケール。さゆが踊る。石川さんが踊る。音の形が見える。藤本さんが歩く。小川さんが――、他人の動きに自分の動きを這わせる。聞こえない音。繋がらない雑音。それでも形を捕まえることはできた。最初の式が決まったら、あとは答えが出るまで誰が解いても同じ形になる数式みたいなものだ。
「♪恋をするならこの次はアンタ名義の恋をしな」
あたしの喉が作った音が身体じゅうに反響する。あたしはパイプだ。空気が通って音を反響するだけのパイプ。音楽の一部になる。耳がなくったって音の一部になれる。
あたしが音だ――音符だ――音階だ――そして音楽だ――。
「♪Ai!」
――だからさゆの声は聞こえなくてもいいってば……。
◇ ◇ ◇
- 7 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時04分40秒
- 「――」
「はい。新メンバーです」
「――」
「田中れいなです」
「――――?」
「ええ、そうですね」
「――――」
「やっ。違います。ね――」
TVの収録を乗り切る。
雑誌の取材を乗り切る。
コンサートを乗り切る。
レッスンを乗り切る。
日々のオーダーを乗り切る。
そんなに難しくない毎日。あっけないほど簡単な毎日。人数は多いし、あたしの耳が聞こえないってことぐらい、本当にどうでもいいことだった。マニュアル化された受け答えは多少質問と答えがずれていたって違和感はない。それに、あたしが答えなくても誰かが答える。あたしがやらなくても誰かがやる。何もしなくても時間は過ぎていく。満足いかない居心地の悪い時間だっていつかは終わる。
あたしは歌う。踊る。はしゃぐ。笑う。喋る。食べる。寝る。
「――――――」
肩を叩かれて振り返る。
「うわっ」
そこには不気味な表情になるように刳り抜かれた巨大なカボチャと。
それを持ってえへらっと笑う小川さんがいた。
- 8 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時05分02秒
- 「――――――」
小川さんはへらへら笑って何か言うと、あたしの手にカボチャの仮面を押し付けた。
――どうしろと?
へらへら笑いっぱなしのままの小川さんはひらひら手を振ってまた来た廊下を帰っていった。
カボチャの仮面を目の前にかざしてみる。キザキザに吊り上げられた口は、絵里のニヤニヤ笑いにものすごく似ている。
そういえば今日はハロウィンだっけ。
あたしはカボチャの仮面を頭にかぶってみた。カボチャの中は真っ暗でひやっとして気持ちがいい。
今日も収録がある。Go Girls 恋のヴィクトリー。合唱曲だ。
先週までは『あぁ!』のイベントでずっとあちらこちらを回っていたんだっけ。
あぁ!は正直キツかった。どこ行っても反応悪いし。ポップジャムのブレイクレーダーでも50%越えなかったし。声援は雅ちゃんと愛里ちゃんばかりだったし。最年長でモーニング娘。にいて、一番声援がないあたしはすごく格好悪かった。
小川さんのへらへら顔が頭をよぎった。
あんなふうになりたくない。顔にセロテープ貼ってマジックでおどけた皺を描いて、ジャージ着て間延びした面白くもなんともないヘンなだけの喋り方をして。あんなのいやだ。ぞっとする。
あたしは無意識のうちにクスリをざらっとひとつかみ、ビニール袋の中からすくった。いつまでも音が聞こえないままではいられない。パンプキンのでかいようでいて狭い口からクスリをざらざらと放り込む。早く治さなくちゃいけない。世の中は小川さんみたいな、どうでもいい人やものだけじゃない。
カボチャの中は真っ暗で、自分が起きてるのか眠っているのは判然としなくなる。
あたしが完璧に眠りに落ちる前に浮かんだのは、絵里が好きそうだな、こういう真暗なの、ってことだった。
- 9 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時05分26秒
- 「れーな。れーなってば」
さゆの声で目が醒める。少し眠っていたらしい。目をあけても何も見えないことにぎょっとして、慌てて目をこすろうとしたら、自分でかぶっていたカボチャの仮面をパンチしてしまっていた。痛い。
「なん?」
不機嫌にカボチャの仮面を持ち上げて外が見えるように調整すると、外にはわけのわからないのが沢山いた。白シーツ、タキシード仮面(これ絶対吉澤さんだ)、なまはげ、エトセトラ……
「とりっくおあとりーと!」
にこにこ笑いながら、さゆはパラパラとあたしに飴玉をかけた。……いやそれ逆だから。仮装してる人がお菓子をねだるときの文句だから。
「なぁん。なんね」
「ハロウィンだから、乙女のみんなでパーティしようって。それっぽくしてるって」
「ふぅん」
「れーなのパンプキンも小川さんがずっと色々かぼちゃものを作って、作ったんだよ」
「作って、作ったんだ…」
「うんそう。れいなも食べたでしょ? かぼちゃケーキ」
これを作るためだったのか…。
見ると、小川さんは嬉しそうにあたしたちに手を振っていた。侵入者に尻尾をぶんぶん振るバカ犬みたいだった。あたしは小川さんのことが嫌いなのに、バカにしてるのに、ああなりたくない人ナンバー1なのに。小川さんは全然そのことに気付いてないみたいだ。本当にバカな人だと思った。
- 10 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時05分47秒
- パーティのメインディッシュは仕出しのお弁当をコンビニで調達したハロウィン仕様のカラフルな紙皿に乗せただけだった。それでも唐揚とか揚げ物が多いせいか、充分それっぽく見える。
みんなでオレンジジュースで乾杯して、わいわい好きなものを取り合って食べる。いつもと同じ。
「それ脱がないの?」
ひさしぶりに小川さんの声を聞いた。クスリは確実に効いているらしい。
「脱がないとだめですか?」
「だめってことないけど。食べにくいでしょ?」
そのほうが現在上昇気配を見せているあたしの体重にとってはむしろ好都合です。
あなたのようになりたくないし。
「ほらもう脱ぐ脱ぐー」
答える前にさっさと撤収された。コツンとさっき食べ損ねたクスリが床に落ちる。小川さんは不思議な顔でそれを拾った。
「これってペッツだよね?」
「? プラシーボですけど」
「プラシーボ?」
「クスリだって。絵里が」
小川さんはきょとんとした顔であたしを見て、それから笑った。
- 11 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時06分09秒
- 「それね、クスリでもなんでもないよ。ただのラムネ。ペッツだよ」
「え、でも絵里が」
「プラシーボ効果ってのは、偽薬。偽のクスリの薬効のこと。諺でもイワシの頭も信心からって言うっしょ」
そんな諺知りません。
むっとした顔をしたら、小川さんから両方のほっぺをつままれてひっぱられた。
「あにすんれふか」
「かお。笑顔が肝心。女は度胸と愛嬌。ねっ?」
「はぁ…」
にこにことそういいながら、小川さん頼んでもいないのにあたしの皿に沢山の料理を取り分けてくれた。油ものばっか。気持ちはあり難いけど余計なお世話です。
「絵里…、なんでこんなことしたのかなぁ…」
「クスリ、効いた?」
「意外と」
「ならそれで。気持ちの問題でしょ気持ちの」
小川さんの言うことは、言葉がちゃんと聞こえても意味がわかんない。でもどっちでもいいや。
「このカボチャ、絵里に似てますよね?」
「ああそれ? あたしも作っててそう思ったかも。ね、これの名前知ってる?」
あたしか首を振ると、小川さんがまた、へらっと笑った。
「ジャック=オー=ランタンっていうんだよ」
あたしもつられて、へらっとわらった。
あしたはもっとうまく笑えるかもしれないな、とちょっとだけ思った。
- 12 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時06分25秒
- ◇
- 13 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時06分33秒
- ◇
- 14 名前:07いらいら 投稿日:2003年11月03日(月)04時06分42秒
- ◇
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