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13 SICK

1 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時12分37秒
 
2 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時13分32秒
コツコツとリノリウムの廊下を踏みしめる音が響く。
夜中の病院は、慣れたとはいえ決して気持ちのいい場所ではない。
夜中の学校も同様。大学病院ならなおさら。精神科ならさらに。
静けさだけが充満したこの空気の中にいると、自分さえもが
病んでいく錯覚に襲われる。

廊下のつきあたり、切れかけた蛍光灯がまたたく薄暗い階段を下る。
早いトコ誰かに会いたいと思うのは、いつものことだ。
診察とはいえ、常識がぶっ飛んでいる連中と話をしていると
こっちの頭までおかしくなりそうな気がする。

――― もっとも、ほっとけばさほど害のある連中ではないのだが。
3 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時14分17秒
医局の扉を開けると、先輩が喉を鳴らしながらビールを
旨そうに飲んでいた。仕事明けの一杯が旨いのはいつの時代もきっと
変わらない真実なのだろう。

「よっ、おつかれ」
「まーた医局で飲んでるんスか?いい加減部長に怒られますよ」
「固えこと言うなって。毎日毎日アタマん中身お花畑な連中と
 つきあってんだからよ、たまには息抜きしねえと」
「先輩は『たまに』じゃなくて『毎日』じゃないスか」
「オマエも言うようになったなー、研修医の頃は可愛いもんだったのに」

ニヤニヤと笑いながら、先輩はすっかり汗をかききったビールを飲み干して空き缶を潰す。
僕はその様子を横目で見ながら、自分の机の上にカルテを投げ捨てると、
ネクタイの結び目に指をつっこんで、糸が切れた操り人形のように椅子に腰をおろした。
帰り間際に運ばれてきた患者の診察で、余計な体力を使ってしまったような気がしていた。

「・・・・・・それ、まだあります?」

潰された空き缶ではなく、ギッシリ中まで冷え切ったそれ。
4 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時15分02秒
「ほらよ」

医局の端に申しわけのように置かれた小さな冷蔵庫から2本、先輩はビールを出してくれた。
僕は投げられたそれを受け取ると、勢いよく飛び出る泡をこぼさないように口をつけて
少し啜ってから、一気に半分ほどを飲み干した。

「厄介な患者だったんか?」
「厄介っちゃ厄介ですけど・・・・・・例のアレです」

僕は少し大げさに肩をすくめてから、残ったビールをチビチビと舐めるように飲み始めた。

「ほっときゃ害はないですから」
「よしよし、オマエも現実ってもんがわかってきたな」
「やめてくださいよ、昔のことじゃないですか」
「『オレが原因を突き止める!社会生活に復帰させてやる!』なーんて言ってたっけか?」
「ホント勘弁してくださいよ、バイトで行く病院行く病院、みんなこの手の連中で
 飽き飽きしてんですから」
5 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時17分38秒
ここ数年、ちょっとした社会現象にもなりつつある症状。

患者の多くは70代後半から80代前半。
殆どは男性だが稀に女性患者も運ばれてくる。
TVを見ることの多い老人に発症割合が高いらしいが、統計的なデータはなし。

普通に日常生活を送っていた老人が、いきなり引きこもってPCに向かい始めるのが
第一段階。PCの前に座ると人格が変わり、周囲の人間を傷つけることもある。
そのうち奇妙な文章や絵を描きだし、それについて周囲の人間に感想を強要しはじめたり、
あるいはまた奇妙な手拍子を叩きながら飛び跳ねはじめたり。
年末年始はTVの前にかじりついて動かなくなるという報告もあるが定かではない。
多くの場合は性的な欲求を伴うが、決してそれが全てというわけでもない。
妄想上の人物と擬似恋愛しているらしい患者もいればそうでない者もいる。
むしろ嫌うタイプの患者も存在するらしく、彼らが妄想する人物像に何らかの
共通点がないかどうか、現在調査中であるという。
6 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時18分53秒
とどのつまりは何もわかっちゃいないのだ。

種種様々な症例が報告されているものの、共通するのはPCによって何らかのコミュニケーションを
互いに取ろうとしているらしいこと。

原因は今のところ不明、現時点で出来ることは患者を隔離しておくこと。

不機嫌の理由はそこにある。
医者だというのに、患者に何ができるわけでもなくただ隔離しておくだけ。
それを治療だというのなら、医者の存在価値などない。

少し青臭い理想論だが、それを忘れた医者でありたいとは思わなかった。
7 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時19分43秒
「で、今回はどうだったんだよ」
「どうもこうもないですよ、壊れたPCあてがってやったらおとなしくなりましたから」

僕は苦々しげな顔で、先輩が出してくれたつまみを口に放り込む。

「しっかしわかんねえよな、何も映ってない壊れたPCにひたすら呟いたりしてんだもんな」
「大学の時の教授に聞いたんですけど、昔はPCで世界中とリアルタイムでコミュニケーション
 取れたんですって。その先生が言うには、昔を振り返って懐かしがってるだけじゃないかって」
「確かに年寄りだけにしか発症してねえしな・・・・・・」

そして、彼らは隔離されてもなお、コミュニケーションをとろうとしている。
むしろ『隔離された空間でのそれ』を求めているかのように。

先輩はそんな僕の感傷には一切気を使わず、変わらずグビグビとビールを飲む。

「けどよ、この手の患者、ここ2〜3年だかの間に大量発生してるだろ?
 ここまで同時多発するのって、なんか理由がありそうだと思わねえ?」
8 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時21分47秒
僕は少し首をかしげ、そして力なく笑った。

「あったとしたってどうするんです?『医者は基本的に手遅れ』って教えてくれたのは
 先輩でしょ?精神科医なんて特にそうなんですから。明確な治療法がわかるまでは、
 対症療法続けてくしかないんだし。原因なんていまさらどうでもいいですよ」
「・・・・・・ま、オレも別にどうでもいいんだけどな」

先輩もまた、軽く肩をすくめた。

僕らにできることなど、何もないのだ。
彼らがこちら側の世界に戻ってくるのを延々と待つしか。

そう。やがてPCに向かうのに飽きたのか、こちら側に戻ってくる患者も
稀にだが存在するのだ。
9 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時24分52秒
それがただの気休めであることは承知の上。
周りがどうしようとどうにもならないのだ。本人の意思で戻ってこない限りは。

しばらくの間気詰まりな無言が続き、僕が手持ちのビールを開けてしまう頃、
静かに進む部屋の時計の針の音に気づいたように先輩が立ち上がった。

「お、もうこんな時間かよ。わりい、今日ビデオ予約してくんの忘れちまってさ。
 帰ってもいいか?鍵、ここ置いとくからよ」
「また例のアイドル番組ですかあ?先輩もいい歳して好きっスねー」
「わかってねえなー、ヘタなドラマより全然面白えんだぜ?
 ワガママなプロデューサーの無理難題に耐えながら成長していく女の子たち。
 最初はなんとなくだったんだけどよ、毎週見てるうちにハマっちまってさ」
「・・・・・・マスコミにのせられてますね」
「うるせ、なんとでも言え。じゃあな、戸締り頼むぜ」
「了解っス、お疲れ様でした」
10 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時28分23秒
医局のドアを開けて出て行く先輩の後姿を見ながら、なぜか今日入院してきた409号室の患者の
後姿が重なったのは、きっとビールを飲みすぎたからだ。

僕はふと立ち上がって、医局のカーテンを開けた。
窓の外に広がるのは、50年前、壊滅的な世界戦争があったとは思えない平和な風景。
全人口が1/50にまで減ったにも関わらず、人類は僅か半世紀で旧世界とほぼ同等の生活水準まで
復興を果たした。
それは医学の分野でも変わりなく、ここ20年ほどで多くの病原体、それに伴うワクチンなどが
発見され、心療内科的分野でも、新しいセラピーの方法が考え出されたりもした。

僕も自分の荷物を抱え、カーテンを閉めると医局の鍵をかけて外へ出た。
誰にもわからないようなため息をつきながら。

どんなに医学が発展しても、どんな理由がそこにあろうとも。


そう。
『今』の僕らにできることなど、何もないのだ。
11 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時29分07秒
おわり
12 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時29分45秒
 
13 名前:13 SICK 投稿日:2003年07月21日(月)02時30分19秒
 

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