インデックス / 過去ログ倉庫

11 シャボン玉

1 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時39分28秒
11 シャボン玉
2 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時40分14秒
村治正輝は、ほんの一瞬の過ちに、激しく後悔していた。
思わず目をそむけた先の車内広告をなんとなく目に入れながら、できることなら今すぐその記憶を消し去ってしまいたいと願った。しかし思いに反してその記憶は鮮やかな陰影を伴い、正輝の頭の中で洗濯機のようにぐるぐると回りつづけるのであった。

時計の針はちょうど左上四分の一を隔離していた。電車の中は中年男性が多く、文庫本を読んだりただぼうっとしたりしている。立っている人も少なくはなく、高校生のお喋りと、電車の走るガーッという音のみが正輝の体に染み込んで行く。

正輝が犯した過ちとは、隣の女子中学生の携帯の画面を盗み見たことであった。当然、それだけならよくあることだ。意識しなくても目に入って来ることもある。しかし、そうではなかった。正輝の見てしまったのは、その画面に浮かび上がったとんでもない文字であった。
―――学校の屋上から飛び降りることにした。

学校の屋上から飛び降りる。
それが自殺以外にいったい何を意味するというのか。
3 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時41分54秒
赤のスカートの制服は正輝も知る学校のものであった。記憶が正しければなかなか頭のよい私立のはずだ。たしか友達が通っていたのもそこだったはずだ。正輝自身にはどうあがいても入れなかっただろう。
そんな事を考えているとき、彼女はすっくと立ち上がった。瞬間、正輝の頭に迷いが浮かぶ。彼女を追いかけてここで降りるべきか、それとも知らんぷりを決め込むか。

正輝も立ち上がった。こんなことで後悔するのはごめんだ。眠りの沼の底から正輝の足を引っ張るものがあったが、それを振り払い電車を降りる。外は空気がまるで違っていた。ぶよぶよとしていた。正輝は彼女を追って改札を出て、歩き始めた。

急行しか止まらない駅とあって、駅前のアーケード街は廃墟のように寂れていた。中学の頃に何度か遊びに来たことがあったはずだが、暗いせいもあってか、何も正輝の脳を刺激するものはなかった。とりあえず、正輝は携帯をいじりながら彼女の後ろを10メートルほど離れて歩いた。
4 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時42分39秒
彼女はアーケード街から路地裏のような狭い道へ入った。正輝も少し戸惑いながらそれに続く。狭い道の両側に古い家が並んでいて、テレビの音や風呂場で水を流す音が聞こえた。
さらに彼女は脇道に入った。

正輝は迷った。ここで自分も曲がったらあきらかにおかしい。もしかしたら彼女は尾行になんとなく気づいていてこんな裏道に入っているのではないか。そう考え、正輝はそこを素通りした。どうせ学校の位置はなんとなく知っているのだ。
さっきのアーケード街にもどり、駆け足で学校へ向かった。とりあえずこの道で行けば彼女に遅れることはないであろう。大学の鞄を肩にかけ、規則正しい拍を刻みながら正輝は走った。

学校は夜の闇の中でも確かな存在感を放っていた。正輝はしばらく息を整え、今来た道路を見た。それから彼女が何も正門から入って来るとは限らないと思い、彼女と別れた場所から、裏からフェンスを乗り越えて来ることはまずないだろうとあたりをつけ、校庭を見渡せるところまで歩いた。
5 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時43分09秒
花壇から虫の鳴く声が聞こえた。時おり吹く風に木の葉のこすれる音が聞こえた。学校の周りの道路を走る車の音が聞こえた。それがすべてだった。広い世界で、誰かが望遠レンズで自分を覗いているような気がした。何度もズボンで手を拭った。
誰かがフェンスを乗り越えようとしている音に正輝は顔を上げた。暗くて見えなかったが、ちょうど校庭を挟んだ向こう側で音はしていた。少しして、音は校庭の砂を踏む足音に変わった。そして少しずつ、影が見えてきた。

本当に来た。その事実は正輝を少なからず揺さぶった。単なる冗談かもしれないとか、とにかく自分の思い込みであることを心のどこかで信じていたからかも知れなかった。

ふいに少女の顔が光に浮かびあがった。携帯を開いたのだ。顔はさっきの少女に間違いなかった。
「あ、もしもしリサ? あたしは今学校に着いたよ。…あ、そう? じゃあ、9時半ピッタリに決行ってことで。また電話するよ」
その会話を聞いた瞬間、正輝の中で、青い炎が燃え上がった。そのまま、突き動かされたように彼女の元へ駆けた。
6 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時43分44秒
「おい! やめろよ、死ぬのだけはやめろよ」
言いながら正輝は彼女に近づいた。彼女はひどく怯えている。
「なあ、死ぬことなんて考えずに、生きることだけ考えろよ。死ぬことなんて考えちゃだめだよ」
正輝が一人なのと、危害を加えるような存在ではないことを認識したらしく、彼女は急に冷めた態度になった。
「なんで? あなたは死ぬほうがましって程の苦しみを味わったことないからそんなこと言えるんだよ」
その言葉が、さらに正輝に火をつけた。

「じゃあなんだ、あんたはそんなに苦しんでるって言うのかい」
「そう。いじめられてる」
「ハッ、そんなことかい。俺もいじめられたよ。ひどいもんだった。みんな俺を避けた。あいつはフケツだから近づくと菌が感染るって笑われたよ」
正輝の言ったことは事実だった。そしていじめられてからは人と仲良くなっても一枚の防御壁を必要とした。
熱く言った正輝に、彼女はさっきと同じような冷めた口調で言った。
「あたしのいじめもあなたほどならよかった」
まるで達磨落としのように頭の中身が飛ばされた感覚を正輝は覚えた。自分は不幸な人間だと、自分で思っていたからだった。
7 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時44分33秒
彼女はそんな正輝を見て、もう用は済んだとばかりに歩き出した。
とっさに正輝は言った。
「待てよ! 親はいないのか?」
「いるよ。二人とも生きてるよ。おじいちゃんもおばあちゃんも」
「じゃあ考えてみろよ、あんたが死んで家族がどれだけ悲しむか! しかも自殺なんて、最高の親不孝だぞ!」
「……あのね、あたしは死のうとしてるんだよ? 死後の世界なんてものがない限り、あたしの意識は死んだ瞬間消えてなくなるの。あたしが死んだあとに誰がどうしたってあたしには関係ないのよ。あたしにはどうあがいたって最後は死ぬのにジタバタして行き続けることのほうが理解できない。人の一生なんて所詮はシャボン玉みたいなものなんだよ」

正輝は言い返せなかった。かといって別段悔しくもなかった。彼女はまた歩き出した。
「待って! な、名前は?」
彼女はゆっくり振り返っていった。
「亀井絵里」

8 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時46分03秒
インターネットの自殺志願者の掲示板で知り合った二人の中学生の自殺という派手な事件は、翌日のニュース、ワイドショーで大きく取り上げられた。しかし、正輝にはまったく関係のないことだった。


終わり
9 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時46分45秒
10 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時47分25秒
11 名前:11 シャボン玉 投稿日:2003年07月21日(月)00時47分56秒

Converted by dat2html.pl 1.0